森のくま君

みなりん

本文

 森の中は、すべて儚く輪郭が甘かった。一体この道は、何十年前にできた道なのだろうか? ぼろぼろの、でこぼこ道。もしかして、廃墟へ続いている道ではないだろうかと心配になる。さっき、足元を確かめたら、ちゃんと丸い石が敷き詰められた感触があった。ほっとして天を見上げたが、厚い雲はすきまなく空を埋めつくしていた。思えば遠くへ来たもんだ。本当に遠くまで歩いてきたと思う。

 不思議なことに、この森は夢で見たから安心だと思えた。だから、自然に足が向いてしまった。そういうことは、誰にでも一回くらいはあるだろう。

 それにしても、蒸し暑い。温かい空気の粒子が僕の前を踊っている。何の中にいるようだ……といえばファンタジックかな。ああ、そんな意味のないことを考えてしまうのは、僕は今、一人になってしまったからだ。

 

 本当は一人でここへ来たわけじゃない。市が主催した山登りに参加したのだから。山登りの目的地は、峠をひとつ越えた丘陵公園だった。見晴らしのいい丘の斜面でお弁当を食べて野鳥観察をして、ストレス解消をしようという狙いだったのだ。

 だから参加者は、年輩の人が多かった。僕はかえってその方が、癒されるような気がしていた。ところが、途中で帰る人が続出して、参加者は、いつしか散り散りになってしまった。僕自身は、引率者の人が大変だろうと思い、隊の一番後ろを歩いて、脱落しそうな人の世話をしていたのだが、いつの間にか、みんなとはぐれてしまったのだった。

 そうして、森の奥へ入り込んだ。この道をずっと歩いて、もし、行き止まりだったら戻ってくるつもりだった。運よく案内板があれば、そこから別のルートをたどって返ってもいいと思っていた。

 歩き続けた僕の前に、案内板が現れた。


「熊毛峰」


 その地名は、地すべりで有名なところだった。そんなに遠くまで来たとは、びっくりだ。

 森を抜けると、霧は晴れ、景色は一変した。山の見える面が違い、登山口から見えた山のかわりに、岩でとがった山が目の前にせまっていた。僕は、なんだか、妙に胸騒ぎがとまらなかった。

 道をずっと歩いていくと、建物があった。ほっとした。やっと、休めそうだ。ずっと歩き詰めだったから、さすがに疲れた。僕は、建物の入り口まで来て、中へ声をかけた。


「ごめんください。少し休ませてもらえませんか?」


すると、仲居さんが出てきた。


「ここは熊吉旅館です。お泊りですか?」

「いいえ、休憩です」

「お疲れなら、温泉へどうぞ」


僕は、大変疲れて、汗もかいていたし、着替えはなかったけれど、温泉に入ることにして、中居さんの後ろについて行った。


「お疲れでございましょう」

「そうですね。だいぶ歩きましたから」

「ここのお湯は、五臓六腑に効きますよ」


廊下を歩き、露天風呂を案内された。僕は、湯にすっぽりと浸かった。温かく癒されてゆく……。

20分程経った頃、湯から上がって、脱衣場に戻った。


(あれ?)


僕の下着はあるけれど、かばんと服がない。その替わりに、紺色の作務衣が置かれている。これを着ろということなのかな? 荷物は、あの仲居さんが、移動したのだろうか。僕は、あせって作務衣を着て、脱衣場を出た。


 すると、廊下の向こうから、調理人らしき人物が歩いてきた。


「おい」

「はい」

「早く持ち場へ戻るんだ。今晩は宴会があって忙しいんだよ」

「ええっ?」


僕は、従業員に間違われたようだ。僕が着用した作務衣は、やむをえず身に着けたのだが、それは本来、従業員が着るべきものなのだ。従業員と同じものを着ていれば、そりゃあ間違われても仕方ない。僕は、他に着るものもないし、作務衣を脱ぐわけに行かず、困ってしまった。

 その時、さっきの調理人が、僕の服を着て、リュックを背負い、庭を走っていくうしろ姿が見えた。


「待って」


僕は、スリッパのまま庭へ走り出て、調理人を追いかけた。だが、追いつけなかった。その男は、あっという間に森の中へ消えていったのだ。


 僕は結局、自分のものを盗まれてしまったわけだ。こんな山の中で、信じられないことになった。悶々としたまま、森の中を歩き回ったが、男を見つけることはできなかった。

 仕方ないので、本道へ戻る道を探そうと思った。ところどころに案内板がある。それに沿っていけば、間違いなく戻れるはずだ。早く、仲間と合流して事情を話そう。このまま一人で走り回ったところで、どうにもならない。


 森の道は、今では霧が晴れて、歩きやすくなっていた。鬱蒼とした木々に囲まれて歩いていたら、不思議に懐かしい気持ちになった。アンラッキーなことは、重ならない。これはもっと大きな幸運の前触れなんだ。そんなことを考えているうちに、両側の土壁が高くなってきた。この道は、ちゃんとどこかへ通じているといいけれど。

突然、前方の土壁に、トンネルが見えた。真っ暗な穴の中から、生暖かい空気が流れてくる。こんな場所に誰かいるとすれば、それは、仲間なんかではないだろうね。怖い展開になってきたが、これも幸運の前触れだといいけれど。


 ある日、森の中、なんとかに、出会った、花咲く森の道、なんとかに、出会った・・・。

なんとか、に?

まさかね。

僕の心臓が、腎臓、いや、尋常、でない動きをしている。

い、域が、粋が、息が、できなくなってきた。

怖い、怖すぎる!こんな展開は、ゲームならまだしも、現実的にはあってはいけないことなんじゃないか。僕は、もしかして勇者なのか?勇者が死ねば、ゲームオーバーだぞ。

トンネルから出てくる生き物を見た。それは、大きな大きな熊だった。

あちらは、四足動物。こちらは二足歩行。すぐに、追いつかれた。

わーーーーーっ!熊に、肩を叩かれた!もう、だめだーーー!

熊が、僕の身体を、両手で掴み上げ、肩車をして、持ち上げた。

ジ・エンド。

ゲームオーバー。


 気がついたとき、あたりは真っ暗だった。暗闇に目を凝らす。僕は、やわらかなものに、もたれて眠っていたのだ。手で押してみると、あったかかった。フワフワの毛皮のような感触だった。もしかすると、猫バスってこんな感触かもしれないな?このまま猫バスに、もたれかかって、もう一度眠ってしまいたい。

 大きなグローブのような手が、僕の目の前に差し出された。僕は、思わず、飛び起きた。大きな手のひらの上には、黄金に輝くきのこが載っていた。そして、輝くきのこの光で、その手の主が、まぎれもなく熊だということが、わかった。


「あわわわ・・・」


僕が、びっくりしていると、熊は、黄金のきのこを、口いっぱいにほおばった。

どうやら食べられるらしい。僕は、熊に毒見をさせたことを、ちょっと申し訳ないように思い、思い切ってきのこを食べた。クリームのようにとろけて甘かった。もう一つ、くれるだろうか。食べたい。少しの刺激で、僕の胃は、活発に動き出そうとしていた。空腹でたまらない。僕は、思わず、声に出した。熊が言葉を理解するとは思っていなかったのだが。


「熊くん、美味しかったよ。もうひとつ、おくれ」

「うんまいろ? 黄金のきのこは」

「熊が、しゃべった!」

「そら、わいだって、しゃべるわや」


熊はそう言って、大きな頭を左右に振り、のっそりと立ち上がった。


「何しにこんな山奥へ来たか、わいに語るべや。場合によっては、相談にのるぞい」


僕は、暗闇の中で、熊と話しを始めた。


「これは夢かも知れないな。熊くん、聞いてくれよ。僕はね、騙されたんだよ」

「騙されたと思って、なにごともしているのやな。分かる分かる」


熊は、腕組みをして、うなずいた。本当に僕の話を聞いてくれているかは、はなはだ疑わしいしゃべり方だが、熊がしゃべっていること事態がもうおかしいのだから、気にしない。


「ここでは、荷物を盗まれた。その前に、女に騙された。人間関係不信になるよ。ひどいよもう」

「人間関係かや、我もそれには、いつも困っているのや。人間は、いつも我を見ると、驚いて逃げるか、おお、恐ろしいことには、殺そうと狙っている。全く、何を考えているのかわからん生き物や」

「僕は、信じていた女の子に、裏切られたショックのほうが つらいよ」

「熊道を貫くのや」


僕は、話すのをやめた。


「熊道?」

「熊としての道だわや。我は、動物の肉を食べないと決めているのや。木の実や木の皮などを食べて生活しておるよ。できるだけ、動物同士、対等に仲良く暮らして生きたいと思っておるんだんが」

「それが熊道なの?」

「うんだ。なかでも、あの黄金のきのこは、別格だわい。うまいし、何より、脳みその栄養となるっけ」

「黄金のきのこか・・・。それを食べたから、僕も君と仲良くなれたのかもね」


熊は、木の皮にのせてあった黄金のきのこを、皮ごと包んで、私にくれた。僕はもりもり食べた。本当にうまい。頭がすっきりして疲れもとれる。


「このきのこは、どこに生えているの?」

「森の奥深く行ったところなんだんが、人間は採りにいけない場所だわや」

「そのほうがいいね、きっと。人に知られたら、みんな来ちゃって大変なことになるよ」

「人間とも仲良くしたいんだんが、知能が低いから無理なのや」


熊の気持ちも、わかる気がしてきた。僕は、熊のほら穴で、一晩お世話になった。


 翌朝、日の出前に、熊に起こされた。


「黄金の森へ案内するぞい」


僕は、半分眠ったまま、熊に肩車されて、森の奥深くへと連れて行かれた。朝露が、おでこに当たって、気持ちがよかった。


「ついたがな」


僕は、湿った土の上へ下ろされた。目をこすりこすり開けて、その光景を目にした瞬間、眠気が吹っ飛んだ。


「わぁ、まぶしい」


まばゆい黄金のきのこが、密生していた。ちいさなきのこもあったし、傘みたいに巨大な笠を広げたきのこもあった。そして、そのすべてが、黄金色に輝いていた。眩しくて、目も開けていられない程に。


「ここは、神様の森やわい」


熊は、食べごろの柔らかいものを選んで、木の皮に包み、僕の手に持たせてくれた。


「さあ、夜が明ける前に、帰るぞい」


熊は、森に一礼し、僕を肩にのせた。


「近道をするから、目をつぶっていな。怖いしけの」


僕は、熊の言う通りに、目をつぶった。顔にいろんな空気を感じて、着地したと思ったその時、


「く、熊が出たぞっ!!!」


誰かが叫ぶ声がした。熊は、急いで僕を草原へ下ろして、にっと笑うと、すぐに藪の中へ姿を消してしまった。僕は、あまりに急だったもので、熊にさようならも言えなかった。人間数名が僕を見つけ、興奮した様子で近づいて来た。


「君、気がついたかい。大丈夫かね?」

「熊が親切にしてくれましたから」

「混乱しているんだね、もう大丈夫。あなたは、昨日から行方になっていたんだよ。無事でよかった。荷物が、道端に落ちていたので、ずいぶん心配したよ」

「荷物が?」

荷物……そうだ。僕はさっき、熊から黄金のきのこをもらったんだった。さっきまでこの手にもっていたはずなのに、どこにやってしまったのだろう?もしかすると、さっき、慌てたときに、落としてきてしまった?


「さあ!皆さん、下山しよう」


気がつけば、僕のことを心配してくれている人達が大勢いた。僕は、まだ夢を見ているのだろうか。僕を裏切ったはずの彼女の姿さえある。死んだとでも思ったのかな。僕のそばで涙を流しているだなんて。嬉しすぎるこの展開は、僕の白昼夢じゃないよな?


 僕は、昨日の晩、熊と語り合ったことを思った。あの熊は、熊なりに、熊君なりの言葉で、一生懸命僕のことを励ましてくれたように思う。きっと僕の人間関係がうまくいくようにと、黄金のきのこを渡してくれたのだ。黄金のきのこは、残念ながら落としてしまったけど、僕は君の話を聞いていて、癒された気がするよ。森のくま君、ありがとう。君も熊道を貫けよ。僕も頑張るからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

森のくま君 みなりん @minarin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る