第5章(2)
家に帰り朝の食事をとった後、セシルゥが自室でくつろいでいると、久しぶりに祖父であるガデス長老が訪れた。
「お前に話がある」
突然セシルゥの部屋に現れたガデス長老は怒っていた。身に覚えのないセシルゥは心の中で首をかしげた。それでも居住まいを正し、勝手に床に座っていた祖父の前に座った。
「おじいさま、何のご用件でしょうか」
少しだけ祖父の目から外れた場所を見つめて問いかける。目を合わせるなんて嫌だが、あからさまに目をそらしても祖父の機嫌が悪くなるのを、セシルゥは知っていた。
「……お前、昨日はどこに行っていた?」
昨日、のことでセシルゥが思い当たるのは警備の人に会ったことくらいだ。しかし、そんなことがおじいさまの耳に入るだろうかと、セシルゥは思案する。
「ちょっと町外れのほうへ散歩に行っていました」
警備の人に使った言い訳を、ガデス長老にも使う。何が理由であれ、散歩をとがめることはできないだろうと思って。
「なぜ、そんな方へ行ったのだ」
祖父の声は険しい。表情はもっと険しい。
「いつもとは違う場所も歩いてみたくて」
あの警備の人もおじいさまも、なぜそんなに怒るのだろう。セシルゥは不思議だった。
「あの、初めて行った場所だったんですが、何か問題があったでしょうか」
セシルゥはそっと伺うように問いかけた。
「あの場所は、一般人が近づいてよい場所ではないからだ」
「なぜ? そのような場所があるなどと、僕は知りませんでした」
「なぜ、だと? 国民には知らせていないが、そもそもあんな場所に近づく人間なんておらん」
それよりも、やはりおじいさまは知っているのだ、とセシルゥは確信する。
「なぜ僕があそこにいたと、おじいさまはご存知なのですか?」
「警備をしているものから知らせがあった。容姿を聞いて、お前だろうと思っただけだ。いずれにせよ、二度と近づくな」
ガデス長老の威厳あふれる声におびえつつも、セシルゥは小さな抵抗を試みた。
「どうしてですか? あの辺りは人もいなくて歩きやすい。僕は散歩にちょうど良い場所だと思いました」
「わしの言ったことを聞いておったのかっ? 近づくなと言ったんだ。二度と、近寄るな」
それだけ言うと、ガデス長老はセシルゥの部屋を去っていった。残されたセシルゥは、寝台に寝転がって天井を見つめた。
ガデス長老がやってきた意味を考えていた。セシルゥの祖父だから、だけではない。長老だからきっと来たのだ。あそこに近寄るなという警告を確実に行うために。セシルゥにはそうとしか思えなかった。
それから何日かかけて、セシルゥはティアがいる塔があるらしき場所へ、警備に見つからずに近づけないかと辺りを散策してまわった。
オデオンからの道は一本のようだった。まばらとは言え、建物の間を通る道しかない。町の方から直接行ける道はないかと考えたが、塔があるというのはオデオンからだと町とは離れていく方角。そこはほとんど国の端で、その先は国の外。セシルゥは行ったことがない場所だった。
国の外と言われる場所は、ところどころに木がまとまって立っている他は平原で、そのはるか先には山がある。国の端は、深くはない森がところどころに広がっている。もしかしたら、森の中を通って塔のあたりまで行けるかもしれないと、セシルゥは気付いた。
その翌朝、丘でティアと会っている間もセシルゥはどこか上の空だった。丘の上から懸命に塔があるらしき場所と、その周辺の森の位置を見つめていた。丘からティアが昼間過ごしているという塔は全く見えない。ティアが指さしていたおおよその位置と、そこから近いであろう薄く長く蛇行して広がる森の形を頭にたたきこむ。
ティアはそんなセシルゥの様子を隣からじっと見ていた。最近セシルゥの様子がなんとなくおかしいということに、ティアは気付いていた。今日のようにどこかを無言で見つめていたり、考え事をしているのか完全に上の空だったり。それを見ているだけで、なぜかティアの体がこわばるのだった。何かが変わるような、そんな予感があった。
セシルゥは朝の食事を終えると、国の端のほうへと出かけるようになった。国の端と言っても何もない、誰もいない。薄い森が端だったり、急に平原が広がるとそこはもう国の外だったりする。境界はとてもあいまいで、はっきりさせる必要もないのだった。
最初の日、セシルゥは森に入ることなく、森にそってずっと歩いてみた。ときどき森の中をのぞくが、見える限りは森ばかり。森の向こうが見えたと思ったら、それより先には森がなかった。蛇行する森の向こうは、けれど全てが国の外ではない。大半はまだ国の中で、野原などがあるのかぽっかりと空いている場所もあるのが丘の上からは見えていた。
翌朝もセシルゥは丘の上から森を見つめていた。昨日の記憶をたどりながら、歩いた場所がどの辺りかを確認する。森の位置や形を確認するのに夢中で、あいさつ以外の言葉をティアとかわしていないことにすら気がついていなかった。
その日は数ヶ所から森の中へと踏み込んでみたが、見つけたのは森の合間に広がる花畑くらいなものだった。花畑の向こうにも森が広がり、きっとその先は国の外なのだろうと、セシルゥは思った。
同時に、セシルゥはティアから少しでも塔のことについて聞き出そうとしていた。
じっと森を見つめたり、やけに饒舌に話し出して、そして強引な話のもっていき方でティアの住む塔のことについて聞こうとしたり。ちょっと驚くほどあからさまな話の転換で、ティアは戸惑うこともあった。
最近のセシルゥは異常だとさえティアは思う。どうしてこれほどまでにティアのことを詳しく知りたがるのだろう。ティアにはさっぱりわからなかった。セシルゥとだいぶ仲良くなれた気がしていたというのに、彼の考えていることなんてさっぱりわからない。
セシルゥの問いかけに、ティアは話してもいいだろうということだけ話した。言えないことのほうが圧倒的に多かったけれど。
塔の上部に自室があって、窓が一つだけあること。その窓の前には少し離れて木が一本立っていること。木が視界をさえぎっているのでよくわからないけれど、木の周りには何もないように見えるということ。言えたのはその程度だった。
階下に住んでいる女性については一言も話していない。普段は何をしているのかとか、ちょっとでも歌姫に関係のありそうな内容には答えなかった。
セシルゥが森の中にそれらしき塔を見つけたのは、四日目のことだった。運が良かったとしか言えない。
森に入ってすぐに小さな空き地に出た。この森に並んでいるような木が四本もあれば空き地ではなくなってしまうような、それほど小さな空き地だった。その空き地を通った先にある森に入って少し歩くと、今度はひらけた場所があった。そこに塔があったのだ。注意深く森の中を移動しながら塔を観察したセシルゥは肩を落とした。ティアが言っていた窓の前に立つ木が見当たらなかったからだ。
ぬか喜びだったのか、とセシルゥは何も考えずに来たのとは違う方角へと進んでしまった。そして森の先が明るくなったとき、セシルゥは町の方へ出たのだと思ったのだった。何も考えずに森から出て、そしてそこは町の方ではなく、さっきとは別の塔が建つ場所だと気がついた。
慌てて森の中に戻って身を隠したセシルゥは、また森の中を移動しながら塔を観察した。最初に森から出た場所から右手には低い場所に窓があるのが見えた。その隣に少しだけ見ているのは扉だろうか。きっとそこが塔へ出入りする場所だろうと検討をつける。反対方向には木の枝が見えている。セシルゥは高鳴る胸を手で押さえて、冷静にゆっくりと、森の中を移動していく。
木がはっきり見えてきた辺りで塔を見る。先ほど見た窓よりずっと高い位置にぽっかりと空いた窓が見えた。
(きっとここがティアのいる塔だ)
確信めいたものがセシルゥの中にあった。そしてセシルゥは塔を観察した。あの窓の中にティアがいるに違いない。そう思うだけで鼓動が早くなる。
どうやったらティアに会えるかなんて、まったく検討もつかなかった。セシルゥは森に隠れて塔の様子をそっとうかがい続けた。しかしいつまで経っても塔からは人がいる気配が感じられない。窓からティアや、あるいは誰かの姿が見えることもなかった。
本当はティアがいる塔とは別なのではないかと、セシルゥは思い始めていた。先ほどまでに、ティアはここにいるに違いないという自信もなくなっていた。
空の太陽は傾きはじめているし、セシルゥはそろそろ自宅に帰ったほうがいいだろうと、森の奥に向かってそっと歩き出したときだった。何か聞こえた気がして振り返ると、塔に向かって歩いてくる一人の人物がいた。慌てて向こうから見えないように木の陰に身を隠した。
その人物が近づいてくるにつれ、セシルゥは驚きに目を見開いた。その人は、セシルゥの祖父であるガデス長老だったのだ。
「なぜ、おじいさまが?」
わざわざ長老がやってくるということは、塔には誰か重要な人物がいるに違いない。セシルゥは長老と呼ばれる人たちが普段なにをしているかは知らない。しかしセシルゥの知る限り、自身の親戚がこんなところに住んでいるということはない。親戚ではない人を長老が訪ねるということ。そんなところにティアが住んでいるなんて。
それともここは他の長老の家なのだろうか。あるいは長老の縁者の家。ティアは長老の誰かに連なる者なのかもしれない。
そこまで考えて、セシルゥは空が思った以上に暗くなり始めていることに気がついた。夜の食事に間に合わなくなってしまう。慌てて、でもそっと町の方へと森の奥に歩いていった。
翌朝、セシルゥは丘へ向かいながら、ティアに直接聞いてみようと決心した。考えてもわからないことはわからないのだとあきらめた。
丘で会ったティアはいつもの彼女だった。どこか表情の抜け落ちた顔でぼんやり座っている。けれどセシルゥと話し始めると、少しずつ表情が出てくるのだった。そんな彼女を見るのがセシルゥはひそかに好きだ。まるで自分にだけは心を開いてくれているようで。
ほとんど毎日会ってはいるものの、二人で一緒に過ごす時間は短い。それでも初めて会った頃のように表情のない顔でいることはずっと減っていた。
「ティア、少し真剣な話をしてもいいかな」
「なに?」
セシルゥが改まって真剣な顔でティアに向き直ると、ティアは不思議そうな顔をした。
「僕、君の住んでる塔を見つけた、と思う」
ティアの顔からさっと表情が消えた。セシルゥを見つめる瞳の奥は揺れ、怒りとも恐怖とも受け取れるような色が混じっているようにセシルゥは感じた。
ティアが立ち上がろうとするのを、セシルゥは腕をつかんで止めた。
「ごめん。きっとティアはそうされるのなんて嫌だろうってことはわかってる。でも、話を聞いてると、探さずにはいられなかった」
申し訳なさそうにするセシルゥの言葉に、ティアはふっと体の力を抜いて、再び地面に腰を下ろした。
「僕、最近ずっとティアの塔を探していたんだ。だって日中はずっと塔にいないといけないなんて、そんなのどう考えてもおかしいよ」
セシルゥはティアから目を離さずに切々と、塔を見つけるにいたった過程を伝えた。ティアはそれをじっと、やはりセシルゥから目をそらすことなく聞いていた。
「それで、僕が聞きたいのは、君って長老の誰かと親戚だったりする?」
「いいえ。どうして?」
「いや、あの、昨日、おじいさまが……いや、ガデス長老が塔へと歩いていくのが見えたから。他の長老の関係者なのかと思って」
「今、なんて?」
ティアは驚きに目を見開いていた。セシルゥは何がそんなに驚くようなことなのかわからなかった。
「え、長老の関係者なのかなって」
「そうじゃなくって。あなた、ガデス長老のこと、おじいさまって」
「ああ、そのこと。ガデス長老は僕の祖父なんだ。良い関係を築けているとは全く言えないけれど」
苦笑しながらも嫌そうに答えるセシルゥの様子に、ティアは思案しているようだった。
「あの、ガデス長老は私に用事があってきたの。その、仕事のことで」
それだけ言ったティアは、少し考えさせて欲しいと、少し早い時間だったが去っていった。セシルゥはぼんやりと空をながめたあと、自宅へと帰っていった。
次の日からしばらくは、珍しくあいにくの天候続きで二人は丘で会うことがなかった。けれど、天気が回復して久々に会ったとき、ティアは自分が歌姫であることをセシルゥに打ち明けた。
歌姫だからガデス長老に会うことがあるということ。歌姫は素性を明かしていないので、日中は外に出ず塔にこもっているということ。この時間は早朝の儀式のあとで、時間も早いことから少しだけ自由が許されていること。まさか誰かに会うなんて思ってもいなかったこと。
そんなことを、つらつらと語った。そして最後に、「今まで黙っていてごめんね」となぜか謝るのだった。
「そんな、気にしなくていいよ。僕がティアだったら、やっぱり言えないと思うし」
真剣な顔でそういうセシルゥに、ティアは深く感謝し、そして胸の奥が温かくなるのを感じた。
ティアは一番の秘密をセシルゥに話してしまったことで、肩の力が抜けたようだった。本当は最後まで言うつもりなんてなかったのだ。でもセシルゥがガデス長老の孫だと聞いて、無性に話してしまいたくなってしまったのだった。
それ以降も、基本的にティアは歌姫としての何かをセシルゥに話すことはなかった。セシルゥもティアが歌姫であることを知ってから、それ以上は何もティアに聞くことはなかった。けれど、ティアがずっと塔にいることに対しては、同情の気持ちが確かにあった。
だから、彼はティアに言ったのだ。
「塔を抜け出してみない?」
最初はありえないと言いたげなティアだったが、セシルゥの説明を聞くうちに興味を持った。二人でどうしたら塔を抜けだせるか、方法を話し合った。窓のすぐ前にある木を使うのが一番いいのではないかと、セシルゥが提案した。
ティアが言われたとおりに試した結果、いつの間にか部屋の窓から手が届くようになっていた木の枝を使って、塔を抜けだせることがわかった。
そしてティアとセシルゥは何度も試してみた結果、早朝の儀式を終えて塔に戻ったあとから夜の食事の時間までのうちのひと時、塔を抜けだせるようになったのだった。
ティアが町へ出るのは、歌姫候補になってから初めてのことだった。ものめずらしげに辺りを見回すティアと手をつないでセシルゥは案内しながら歩く。長老たちや警備の人たちはティアのことを知っているというので、顔がわかりづらいように大きめの帽子をかぶったりしている。もちろん、それらしき人がいたら他の人にまぎれて逃げることにしている。
セシルゥは顔が広い。広場へつながる道を歩いていれば、いろいろな店から声がかかる。最初、セシルゥはティアを目立たせたくなくて、そうやって声をかけられることに少し警戒していた。けれど誰もが移民に慣れている。ある日とつぜん現れて、いつの間にか他の国民になじんでいる移民がほとんどだ。ティアのことも新しい移民だと思われたようで、誰もティアの素性を聞いたりなんてしなかった。ただ顔見知りのセシルゥといるから声をかける。それだけなのだと、セシルゥもティアも理解した。
昼間に会うようになっても、二人は早朝の丘でも顔を合わせていた。ティアも浴場を使う日など、昼間抜け出せないことがある。セシルゥも家族の用事などがある日もあった。だから早朝の丘でたがいの予定が空いているとわかれば、ティアの塔の近くにある森の中で落ち合う約束をしていた。
ティアはあまり物を持っていない。服にしても帽子にしてもそうだ。だから森で落ち合うと、セシルゥはティアに持ってきた服などを手渡す。それはセシルゥが姉の部屋から借りてきた服であったり、自身の服であったりした。木の陰でティアはそれに着替えると、着ていた服をできる限り小さくたたんで木の枝の又などに置いて隠した。
セシルゥの服を着ている時は、長い髪を帽子に隠して男の子のようにふるまう。服装に合わせて立ち居振る舞いを意識して変えたりもした。
あまり頻繁にセシルゥと一緒にいるほうが目立つのではないかと気がついてからは、少し距離を置いてセシルゥのあとをついていくこともある。一緒に手をつないでいることもあれば、道の両端の店を別々に見ながら、でも互いの場所を確認して同じ速度で進んでいくこともあった。
そのようにして二人は二、三日に一回かそれより少ないくらいの頻度で一緒に町へとでかけた。
ティアは町を歩きながら不思議な気持ちになることがあった。ティアの素性も気にせず気軽に声をかけてくる店の人たち。すれ違っても誰もティアのことなんて気にしない。その全ての人たちが、ティアが守らなければならない国民なのだ。
休息日の儀式をしながら、ティアは町で会った人、すれ違った人の顔を思い出すようになっていた。思い出すと、彼や彼女の幸せを願わずにはいられなかった。
そんなティアの変化に長老たちは気づいていたのか、いなかったのか。彼らは何も言わなかった。歌姫の力がさらに良くなっていると言っただけだったのだ。
それでも、そんなことを言われたあと、しばらくティアは塔から抜け出すのをやめた。ただの誉め言葉だったのか、何かをけん制しているのか、ティアには判別がつかなかったのだ。けれど、長老の誰かがとつぜん塔を訪れることもなく、休息日の儀式を二回終え、ふたたび塔を抜け出すようになった。
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