第52話 ラニーニャがこない夏

今年はラニーニャ現象が秋にずれこむ可能性がでてきたそうだ。ラニーニャが起こると南半球では気温が下がり、逆に、日本は暑くなる傾向がある。


つまり、そこからわかることは、ラニーニャがこなければ、今年の日本の夏は涼しくなる、ということだ。


ラニーニャ、という言葉は俺にとって、ヒリヒリとした日焼けを思い出させる響きだ。5年前の初夏に、俺は「ラニーニャ」と呼ばれる女と出会った。朝からのサーフィンで疲れた俺は、浜辺のハンバーガ屋でハンバーガーを食べた。チリも大量にかけて。そこにいたのが、ラニーニャだった。彼女もハンバーガーを頬張り、コーラをぐびぐびと飲んでいた。


ラニーニャはあだ名だったが、彼女はそのあだ名を好んだ。ラニーニャ(la nina)という単語はスペイン語で少女という意味で、日本でいうなら「乙女」というような意味合いだ。少女というよりも、女といった風情のラニーニャだったが、その何かしらまろやかな響きをもった名前は、彼女にとても似合っていた。


旅行にきた海岸で、現地人と会う。つかのまの恋に落ち、そして、お互いの日常に戻る。よく見かける出会いだった。しかし、俺にとってラニーニャは初めて身体を交わす外国人で、そのベッドの上での妙技は、とても新鮮であり蠱惑的だった。夏にエアコンも付けずベッドの上で汗をほとばしり合い、果ててはハンバーガーを食べ、ハンバーガーを食べては交わった。


「mas(もっと)」とよく言われ、「No mas!(もう無理だ)」と言い返していた。人はこんなにも汗をかくのか、と驚き、同時に汗の匂いが持つ芳香さに驚いていた。彼女がいる空間は南国の花が咲いたような匂いに溢れ、まるでそれは何か猛禽類を思い出させた。


出会いがあれば終わりがあるという陳腐な言葉のとおり、暑い3日間は終わり、そして、彼女は帰った。空港までは送らせてくれず、彼女は駅前で車を降りて「Hasta la vista(またね)」という言葉と共に去っていった。


本名が何だったのかもしらない。年齢も知らない。本当にチリ人だったのかもしれない。教えてもらった連絡先にメールを送っても返ってこなかった。俺はその夏の3日間を真夏のコンクリートに揺らめく蜃気楼のように不確かな記憶で思い出す。


そして、このラニーニャのニュースを見る度に思い出す。ラニーニャは日本では暑いが南米では寒いのだ。彼女が暑いのは旅先の日本だけだったのだ、と。

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