Ⅶ 背中を預けて
証拠は揃い、パレナ商会の家宅捜索の令状はとった。後はその作戦を立てるのみとなり、陣頭指揮を取ることになるリコリス達は彼女の執務室にいた。机の上に広げられた地図を意見交換をしながら指さし合うのが、リコリスはそれなりに好きだ。
「奴隷の隠し場所が問題よね。国境の森の中となると、迂闊に調査団すら出せない」
「国境うっかり越えちまうだろうし、何も知らないサマランカに挑発だと思われるかもしれないし」
「サマランカの有力者の後ろ盾でも取れれば楽ですのに」
「それが出来たらそもそも戦争自体起きるわけもないわよ」
が、それも普通の健康状態のときの話。寝不足による不機嫌さを持って答えるリコリスに、クロードが妙案を思いついた、というように返す。
「ミリアがいるだろ、あのコルロッテ家の。リコリスとなら仲良いし」
インカルナタ伯爵家の養女でもあるリコリスはパーティーであった一騒動をきっかけにしてミリアと交流があり、ティターニア軍人として出席していたクロードとも面識がある。面識がある、というよりは彼女はクロードのことしか覚えていないのではないのだろうか、と思う。何しろであったきっかけの騒動が騒動なのだ。
当然鈍感な彼は覚えてなどいないのだろうけど。
はあ、と大げさに溜息をつく彼女を不思議そうな目で見るクロード。そんな彼をリコリスはジト目で見つめ返して、リコリスはゆっくりと言った。
(冷静になりなさい、リコリス・インカルナタ。今日ここで喧嘩しても意味がないわ)
「……あのね、貴族には立場ってものがあるの。このご時世にティターニアの軍人の肩を持てると思う?」
寝不足による不機嫌さもあるのによくも怒鳴らなかったものだ、と自分を褒めたくなったがそれでも懸念の色を隠せないクロードになんだか腹が立つ。バカ、と心の中でつぶやいた。
「何はともあれ、もしその黒髪が本当に神子だったら正面から戦いたくないわね。 不意打ち出来れば勝機は十分」「た、大佐! なんとかしてください!」
あるのだろうけど、という言葉を突然第三者に遮られた。
リコリスの言葉を遮ったのは息を切らした兵。平時であれば――という方も妙だが、普通なら異常事態か何かだと思うのだが、リコリスはそうは思わなかった。
「なんとかしてください」、その言い方だけで次に続く内容が想像できてしまった自分が、なんだかとても嫌になった。ああ、と息を吐くように呟いた。少し遅れてリコリスと報告して来た士官の顔に疲労を見受けたクロードは即座に察する。苦労人ならではの勘だ。非常に不本意だが。
身内の責任は自分が持とう、とリコリスは決意して彼に分かりきったことを聞く。
「インカルナタ伯爵?」
「はっ、はい! リコリス大佐、ストラトス大尉、スコット少尉との面会をご希望です!」
その返答に、インカルナタ伯爵――リコリスの父と面識がないエレアが目を輝かせた。
(………恐ろしいことになるぞ、これは)
クロードは視線を泳がせた。
「リコリス! お前と言う子は本当に何も相談してくれないし、殿下の仰ることはよくきくし、相変わらず可愛いし、私達は本当に困ったり喜んだり!」
「いい加減ちゃんとした文章で話して下さいお父様!」
「やっぱりお姉様は可愛いですわよね伯爵!」
「リコリスもだが、お嬢さんもとても可愛い!」
「まあそんな! 可愛いものマニアの私のこの格好を理解できる方が誰もいらっしゃらなくて――」
クロードの悪い予感通りになった。
娘リコリスの手を握って放さず、なおかつ変人と名高いエレアノールと苦もなく会話を成立させる彼は、グレル・インカルナタ伯爵。優秀な魔術師を数多く輩出し、自身も優秀な魔術師である名家の現当主。リコリスが還俗を望んだ際、全力で根回しをし、養子縁組を申し出たのも彼だ。
優秀な政治家でもある彼には、一つ問題がある。
未だ彼女の細い手を掴んだまま離さないグレル。リコリスは救いを求めようとクロードを見て、
(あの役立たず!)
彼の目が死んでいることに気づいた。 某王子とか某変人魔術師とか、その他不審者たちに対する彼の反応はいつも同じ。
「まああれだ。 いいじゃないか、極度の親バカでも」
ことなかれ主義。
自分程度の常識人では、彼ら変人に勝つことができないと理解している、そんな姿勢。ましてや、親バカなどというある意味微笑ましいものは自分のような余人が入り込む余地がないと理解しているようで。
「一人でも大変なのに、そんな変人が二人だと無理よ! 助けなさいよバカ―――ッ!!」
リコリス・インカルナタは唯一の頼みの綱にすら見捨てられ、本気で叫んだ。
リコリス自身もどうかとは思っていたのだが、やはり彼は手紙も寄越さず本部から移った彼女を心配してこんな国境までやってきたらしい。急な要請と、その後の仕事のせいで手紙を出す暇などなかったのだ。
そんなことを胸の内で言い訳しながら、若干引きつった笑顔で義父に聞く。
「お仕事は?」
「うむ。 放り出してきた」
「お母様に叱られますよ」
「う……言うな」
いつも笑顔な癖に妙な威圧感のある女傑を思い出して、グレルとリコリスは二人で笑いあう。
極度の親バカをどうにか宥め、事情を説明するのに(途中伯爵とエレアが脱線し盛り上がったせいで)、予想以上に時間がかかり、彼が屋敷に戻るのを了承したのは太陽がすでに高く――というか、すでに低くなり始めた頃だった。
「ではお父様」
「うむ。 今度は絶対に手紙を出すんだぞ」
「ええ」
手を強く握り締めたままブンブン降る伯爵にリコリスは笑って頷いた。
親バカ過ぎるのも考え物だが、こうして心配したり、愛情を注いでくれる親がいるのは嬉しい。
不意に教会にいた頃のあの冷たさを思い出して寒気が走る。
肌に触れる冷たい大理石、無機質な白い衣装、潮っぽい涙の味――。
その時、鳥肌がたった右腕にエレアがしがみついた。
「お姉様は責任持って私がお守りします!」
「心強いなエレアノール嬢。 あなたとはまた改めてお話したい」
「私もですわ。 その時は美味しいお菓子をお持ちしましょう」
出口までお送りします、とクロードが申し出て私も、と言いかけたリコリスにクロードが目線で制した。
――話があるんだ。
リコリスは一瞬虚を突かれたような顔をして、すぐに笑顔を取り戻して頷いた。
「お父様――また」
「ああ、リコリス・インカルナタ。 お前の歩む道が勝利に彩られるように」
軍属になってから交わされる別れの挨拶。
リコリスはまた笑った。
それは特上の笑顔。
人形のように整い過ぎた顔に、凛とした強かさと少女らしい可憐さをたたえて。
まるで荒野に咲く花のように――綺麗に、笑った。
夜。
随分と暗くなった、商業の街。 深夜の商売は申請がなければ許されていない為、商業地区の灯りは数えるほどしかない。この灯りの中に兵を向かわせれば、いくつの違法行為が見つかるか。
リコリスは結露した窓ガラスに小さな身体を預けながら、ふとそんな無粋な、軍人としてはもっともな感想を抱いた。執務室の中には手元が照らせる程度の小さなランプ一つだったが、部屋は満月も近い月明かりに満たされているため、不便さは感じなかった。
普通の貴族のお嬢様はこんな感想を持たないだろう、とリコリスは自嘲気味に笑う。
その時、控えめにドアが叩かれる。
「どうぞ」
「まだ起きてたのか」
入ってきたのは軍服のままのクロード。 いつもはもう寝てるだろ、と言いながらなかなかこちらを見ようとしない。
寝間着姿だとでも思ってるのか、とリコリスは思いながらも答える。
「そっちこそ」
ようやくリコリスの方を見たクロードは、言葉を詰まらせた。
窓辺に立つ、軍服のままのリコリス。
青白い月光が彼女を包み込む。
少し首もとを緩め、露わになった首筋は白く滑らかで、小さな顎が絶妙な影を落とした。
まだ成熟しきっていない整いすぎた顔は月明かりのせいか、笑っているのに感情というものを感じない。
全体的に淡い白と黒のコントラストの中、月の魔力で表情を消された漆黒の瞳がまっすぐクロードを見据えているのが印象的だった。
無機質な美しさ、神秘的なその姿にクロードは思った。
(人形なんてもんじゃない)
(精霊、みたいだ)
「どうしたの、人の顔をぼーっと見て」
とリコリスは一方踏み出して答える。
机の上に置かれた人工的な橙色の灯りのおかげで、リコリスの顔が人間味を取り戻した。
「あ、ああ。 早く寝ろ、って言いに来たんだが」
「あなたこそ。 明日は迅速さが命なんだから、ぐずぐずしないで」
リコリスはくすくすと笑って言う。
「絶対に守れって」
「当然、命令は遵守」
「違う、インカルナタ伯爵にだ」
リコリスが微かに眉を動かした。
クロードは机を挟んでリコリスの正面に立つ。
頭二つ分は違う二人の身長。
リコリスはこのまま見上げる形になるのがなんだか嫌で、椅子に座った。
「……お父様が?」
いつもはそんなこと言わないのに、とリコリスは考えを巡らせる。
「一応言っとくが、今までそんなこと言われたことないからな」
とクロード。
グレルも魔術師だ。
意味のないことは絶対に言わない。
魔術師のことをよく知るリコリスは一つの予想に思い至る。
(……はっ、まさか)
それでもリコリスは心の中で一蹴した。
魔術師は魔術師だ。
クロードはリコリスと同じことを考えなかったらしい。
「お前だって万能じゃない。 最近のお前の様子を聞いて、伯爵は心配されてたぞ」
不意に大きな手が頭をくしゃくしゃと撫でた。
「子供扱いしないでよ」
「馬鹿、俺の方が年上だ」
「……そういえば、そうだっけ」
そんなやり取りで手を払いのけることすら馬鹿らしくなった。
「じゃあ、背中、預けるから」
頭の手はそのままに、リコリスはそっぽを向いた。
クロードはまた笑って、頭をくしゃくしゃにする。
パレナ商会、黒髪捕縛。
決行は――明日。
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