Ⅵ 「心配していますの」

 魔術師という職業が高尚だとされているのは、聖女ティターニアが魔術師だったから、というだけではない。

 魔力を用い、この世の法則をほんの少しねじ曲げるフェルディナ式魔術。

 魔力による精霊との契約書、一般的には魔法陣を用いて精霊の力を具現化させる、セレニア式魔術。

 どちらを扱うにしても複雑な演算、ほとんど才能に頼る優れた直感が必要になる。

 故に魔術師というのは魔術以外の面でも大いに活躍できる。


 ――例えば、エレアノール・スコットの場合。


「トニー二等兵、先週違法取引の商人がいましたよね」

「はい、確か行商人の」

「そいつを張ってきてくださる? 余罪がありますの」

「……いえしかし、自分には任務が」

「そろそろ得点が貯まるのではなくて二等兵? そろそろソイルの街へ一等兵の推薦を書かなければならないのだけれど。 治安もいいしソイルの街は子供にはよい環境ですし」 

「……ハッ! スコット少尉、行かせていただきます!」


 小走りで駆けていくトニー二等兵を(表面上は)にこやかに見送るピンクの髪の少女、通称エレア。

 魔術師の中でも特に目立つ変人っぷりで、同時に才能もある魔術師。エレアが得意とするのは情報収集。証文泥棒を片っ端から捕らえパレナ商会の内部情報を手に入れ、出入りしている商人たちと商品については乞食たちに聞き、これからその出入りの商人を尋問する。

 魔術の特性を覚えるように個人個人の立場や性質を探り、魔法陣を描くように無駄なく目当ての情報への筋道を立てる。先ほどの会話のように、個人の趣向を理解した上で脅しにも似た交渉をするのは大得意だった。

 エレアを頭脳派だとするならリコリスはどちらかといえば芸術派で、このことに関しては若干劣る。


「すごいわ、エレアノール。いつの間にここまで進化したのかしら」

 一通りの報告を聞いたリコリスは、いつもよりは少し起伏にかける声で部下の功績を誉める。 

 リコリスは長い黒髪を一つにまとめていた。白いうなじがあらわになって、エレアノールがその姿を見たときに、しばらく硬直して見惚れていた。徹夜明けのせいか、スカートのプリーツは崩れ、軍服の皺が目立つ。それがなんともいえない色気すら醸している、というのが変態エレアノールの感想。


 執務室の中は数日前、奴隷取引に気付いた頃よりはだいぶ散らかっている。書類は床にぶちまけてあり、本来休むべき場所であるソファには商人の情報が記された報告書の山。床の書類はどうやら用済みらしく部屋の主は遠慮なく踏み歩いている。


 律儀に書類を避けて歩こうとするエレアを尻目に、リコリスは備え付けのシンクに向かう。


「何飲む? ちょうど初摘みのお茶あるけど」

「いただきますわ。ストレートで」

「適当なとこに座って待ってて。ソファの左二列の書類は床に落として構わないから」

 すでに精査済みの書類の山を指差して言う。


 数秒の間の後、聞こえてきたのは書類を落とす音ではなく移動させる音。近くの机に移動させたのだろう。やっぱり律儀だ。お湯を沸かし始めると机に戻り、報告を促す。部屋の空気が途端に緊張を帯びたものになる。

 エレアノールがこほん、と一回せきをして話し出す。


「パレナ商会が奴隷取引を行っているのは間違いないと思います」


 エレアはリコリスの行動を正しく理解し、報告する。

「表向きは輸入雑貨。サマランカ、ティターニア間だけでなく諸外国とも取引を行っています。その出先で“商品”を買い付けているものかと。ですが最近の規制強化に伴い、自ら他国から買い付けるのではなく、国内の小口の奴隷商人達と取引を行っていると考えられます」


 手元の書類を見ることなく読み上げるエレアノール。どことなく疲れた表情のリコリスは腕をくんで背もたれに寄りかかる。


「要するに、この近辺の奴隷商人の元締めのような存在になりつつある、と言うことね」

「そうなります」 


 エレアは頷き、続ける。


「次に黒髪についてですが――」

 と、その時ピーッと甲高い音が響く。

「煎れてくるから少し待ってて」


 とリコリスは苦々しく笑ってシンクへ向かう。

 エレアノールはもうお姉様ったら、とぶつぶつつぶやいてリコリスを待つ。


「で、黒髪は?」

 戻ってきたリコリスはソーサーごと彼女に渡し、自分は執務机に戻る。


「黒髪は商会外部にある、奴隷の隠し場所に向かっているそうです。 今度大口の注文が入り、副商会主がそこで取引するので、護衛に」

「どうりで私の網に掛からないわけだわ」 

 リコリスはまた苦く笑って、砂糖を入れる。


「ええ。 ですがおかげで何人も――ってお姉様!」 


 エレアノールの大声。リコリスの小さな肩がびくっと跳ねて、そのせいでティースプーンを落とす。


「何杯砂糖を入れる気ですの!」


 リコリスはその声になんのことか、と首のかしげて、ティーカップの底を見る。

「……あ」

 白磁のカップの底に厚く積もる砂糖。 


「お姉様、今いくつの術式を発動させているんです!」

 エレアはフリル付きに改造された軍服とピンクの髪を大きく揺らして非難がましく聞く。

「……探査三つ、識別追尾ひとつ」


 対してリコリスはいたずらが見つかった子供のように、小さな声で。

 多重作業が得意とはいえ、今回は調子に乗って魔術を撒き散らしすぎたな、とリコリス・インカルナタは自嘲した。そして予想に違わずエレアは非難がましく叫ぶ。


「全部で四つも! 前々から思っていましたけどお姉様、無理はなさらないで。いくら才能がおありだからって人間には限界というものがありますのよ」

 眉尻を下げて言う年上の妹にリコリスは小さく笑う。

「今回の報告のおかげで二つはもう監視しなくても大丈夫そうだし、心配ないわ。ごめんなさい」


 わかったならいいです、とエレアは溜息をついて言う。書類の山の一番上に報告書を置き、紅茶を一気飲み。


「行儀悪いわよ、エレアノール・スコット少尉?」

「部屋をこれだけ散らかすお姉様には言われたくないです。ああ、そういえばインカルナタ伯爵からはとが届いたそうですよ」

 げ、とリコリスは表情を変える。


「そういえば手紙、書くの忘れてたわ。……お父様、また何をしでかすか」

 彼女の不機嫌さを象徴するかのようにピンク色の髪はくるんっと空を切る。お姉様は人を心配させすぎです、とエレアは大人気なく言い残して執務室を出る。


 ドアを閉める一瞬だけ垣間見えた表情。

(絶っっ対、面白がってるわ)

 悔しいような、そんな複雑な感情がして、いやでも自業自得だけどと頭の隅っこのほうで声がする。


 なんとなく彼女と同じように一気飲みしたくなって、飲む。

「………甘っ」

 つくづく最近、思うのは。

(知り合いに対しての自分は、「神子」ではなく、随分と残念な子よね……)

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