Ⅴ ようやく掴めた、標的

「あー私、昨日何してたっけ?」

「あれだけ暴れて人に苦労させた翌朝の台詞がそれか」


 何時になっても起きてこない上官兼幼なじみを部屋まで起こしに行くと、この手のかかるお嬢様は何にも覚えていない様子だった。

 国境の街、商業の街の情緒を楽しませるための窓は一度も開けた形跡もなく、カーテンだけ動いた形跡がある。いかにも高級そうなティーカップが並べられたシンクに至っては使った様子すらない。

 この様子じゃ執務室に引きこもってたか。 

 一日中仕事していたと言えば聞こえはいいが、こんな無理を長期間続けることはできない。こいつは長期戦を考えないのかとやや呆れつつ、リコリスを横目でみる。


「えーと、私なんかした?」


 見られた方はイタズラが見つかった子供のような顔をする。狙いすました訳ではないのに絶妙な角度で首を傾げる幼なじみ。

 そんな彼女にクロード・ストラトスは――


「何す、――あだっ!?」

 思いっきり頼まれていた書類をぶん投げた。



 クロードは「それ昨日お前が頼んだ調書だから」と言ってテーブルのお茶菓子をぼりぼりかじり出すので、


「こぼさないでよ」

「子供かオレは」 


 今日のクロードは随分機嫌が悪い。よっぽど酔って暴れたのか、でもそんなに怒ることか?と思いながらもページを捲る。

 そんな会話を経て数分、リコリスは大層つまらなそうな顔をして聞く。 


「で、続きは?」

「ちゃんと頭が働いてて良かった」

「つまらないお遊びはやめて。思いっきり途切れてるし」


 良かったよかった、とクロードはからかうように笑いつつ、手元の封筒を差し出した。今度はちゃんと持ってきたようで安心する。いつもより砕けて接するクロードに少し違和感を抱きつつも調書を読んで、読んで。


「あー………」

 思わず呻いた。

「あのタヌキ!」

 このタヌキというのはもちろんリコリス達をここに送り込んだ王子のことで、ここが執務室でなければ不敬罪で罰せられてもおかしくはないのだが。


「あのタヌキ、感づいてたわね!」


 リコリスが机に叩きつけたのは『パレナ商会取り引き商品の内訳』――。

 表題自体は特に変わったところのないが、第三師団の大佐であり、その補佐官の大尉は見逃さなかった。情報部から上がった最新の隠語と不自然な金額。 

 そう、パレナ商会では、違法な奴隷取り引きが行われているということ。

 そしてそこには、「黒髪の目撃情報あり」と明記されている。


「昨日のことも含めて確認しようか?」

 思わずついた溜め息にクロードが提案する。

 今日は彼に世話になりっぱなしだ。起きてから数十分も経っていないのに、だ。 


 今回の任務、「戦争回避及び停戦協定」。

 激化の一途をたどるティターニア、サマランカ間の戦い。 

 幸いなことに実際は一般市民によるただの小競り合いだが、これがいつ国家間の戦いに発展するかわからない。

 小競り合いの発端や中心にいたのはいつも「黒髪」だ。当然サマランカ人は「黒髪」に敵対心を持つがティターニアの民は違う。彼らは敬虔なティターニア教信者。「黒髪の神子様」がしたことならば意味がある、といったのは教会の者だけだったが、ほとんどの者はアレは神子を装った悪魔だ、と主張し、それが受け入れられなければ激高した。

  黒髪の人間は神子――その目撃情報は、現在世界でたった一人しかいない神子、リコリス・インカルナタを指す。神子リコリス・インカルナタを侮辱された、と怒るティターニア国民。対するサマランカ。

 今はまだサマランカ側は「噂が拡大した末の小競り合い」くらいの見解しか示していないが、このままこの戦いが続けば、本格的な戦争もあり得る。


 ティターニア教の総本山たるわが国としてはどうしてもリコリスの無罪を証明したいだとか、新たな神子を手に入れたいという様々な思惑もあって腹黒王子約二名から送り込まれたのがこの二人。

 第三師団副師団長であり、問題の黒髪の神子、リコリス・インカルナタ大佐。

 叩き上げのエリート、と目される第三師団所属、クロード・ストラトス大尉。


「で、どういう訳か酒場で酔って暴れてギルドの女と喧嘩して、店主に泣き疲れるわ女の連れに恫喝されかけるわで手に入れたタレコミから手に入れた情報がこれ」


 クロードが呆れ顔でいう。ビスケットの食べかすがこぼれまくっているのは置いておくとして(後できちんと掃除までさせておこう、食べながらしゃべるからだ)、リコリスは調書の文字を目で追って答える。


「目撃情報をまとめると、黒髪が最低二回は出入りしているパレナ商会。

 そのパレナ商会を洗って、出てきたのが奴隷取引の疑い、か」


 黒髪の詳しい容姿も報告されており、体格や肌の色からしてティターニア出身の者だと予想できる。

 これは由々しき事態だ。黒髪が奴隷取引に関係しているかどうか、はこの際関係ない。問題は周りからどう見られるかが問題になる。

 ただでさえ、小競り合いの原因になっている黒髪。その黒髪が奴隷取引に関わっているとなると、サマランカに与える印象は最悪。パレナ商会の"商品"の出身によっては諸外国だけでなく、ティターニアの貴族達ですら敵に回るかもしれない。


「……まったく。よりにもよって私が奏上した法を犯すなんて。完全に私に喧嘩売ってるじゃない」


 リコリスは小さく息をついた。溜め息ではない。ついさっきまでのだるさを抜くため。目をつむったのは考えをまとめるためだ。執務室を支配する静けさの中に、小さな衣擦れの音だけが響く。

 たっぷり十秒はそうしたあと、目を開けるとクロードが少しそわそわして、それでもいたずらっぽい笑みは忘れずに言った。


「して、御命令は?」

 リコリスは笑って答えた。


「リコリス・インカルナタ大佐より命令。パレナ商会の奴隷取引の調査開始と共に、家宅捜索の準備を。特に黒髪と商会との関係を洗いなさい。証拠が揃い次第、家宅捜索、及び商会主と黒髪の捕縛を行います。―――準備を」

「了解」


 クロードが水を得た魚のように生き生きして部屋を出て行く。そういえば武闘派だったな、などと思いながら執務室の窓を初めて解き放った。

 ガラス越しとは桁違いの光量と、音の洪水。商業の街というだけでなく、妙に歓楽的なその声その声を聞いて。

 リコリス・インカルナタはようやく、充実した仕事ができる、と思ったのだった。

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