Ⅳ 隠れた存在
「普通の男物の旅装束に……恐れ多いんですが、黒髪を見たような……」
被害にあった宿の女将はそう言い辛そうに言って、リコリスの黒髪を見やる。疲れが出てきたらしい後ろのクロードがはあ、とため息を漏らし、その横のエレアノールがクロードの足を踏んだ気配がした。リコリスは大して何を思う風でもなく、謝罪の言葉を述べる。ふと、黒髪を見る目がいつものような尊敬の目ではないことに気付く。
「何か思うことでも?」
「いえ、その。黒髪には違いないんですけど、神子様の髪とは少し違うような」
不安げに返された回答に、リコリスは目の色を変えた。
「どういうことです?」
食いつくように言ったリコリスに、女将は少しのけぞって。
「なんというか、同じ黒髪なんですが、その……少し、色合いが明るかったような」
リコリスの息を呑む音、その後沈黙。橙色の明るい光が、リコリスの蒼白な顔を染め上げていた。
「……教会がつかんでない神子、か」
やっと出てきた新情報に、クロードは重たげにつぶやく。隣を早足で歩くリコリスがそうね、と相槌を打つ。
「もし染料で染めていたとしても、私と違う髪色はあり得ない」
黒の染料を使用した工作員による工作行為、というのもリコリスたちの考えた仮設の一つだった。だがそれは、現実味としては最もありえないものだった。
黒の染料は理論上は誰でも作ることができる。ただ、それを実現したものは誰一人としていない。魔術世界では「世界の修正力」と呼ばれるそれが邪魔をしていると考えられている。
ただ一つ、魔術を織り交ぜた製法でなら作ることができるが、それには当代の神子の髪と唾液が必要であり、出来たとしてもそれはその神子の髪色と変わらない。しかも経費は国家予算規模になるし、出来たとしてもかぶれがひどくて、とても使えたものではない。
自然に考えるとすれば、クロードの言ったように「教会が認知していない神子」の可能性が高い。
神子はこのティターニアでは崇拝され重宝され、そのほかの国では『有益な人物』とみなされている。 かつての神子達は揃いもそろって国の命運を左右するような才能を持って生まれてきた。ある者は魔術、あるものは武術、あるものは政治の才において。リコリスについては言うまでもなく魔術の才。まあ、神子にも大きな欠点はあるのだが――。
そんな人物を国や組織が放っておく訳がない。中でもティターニア教会は神子を探すことに力を入れているから、神子が彼女のほかにいるとなれば、周囲に公表されないわけがないのだ。かくいうリコリスも教会に探し出され、育てられた一人だ。
「……お姉様、お体は大丈夫ですの?」
思考で頭がいっぱいになっていたリコリスは、そうエレアノールが何度も言って揺すぶるまで気がつかなかった。ピンクの髪に覆われたエレアノールの顔を見上げると、彼女は心配そうに眉尻を下げている。
商業が盛んなアーガイルではすでに夜店が出始め、暖かなランプの光が藍色に沈んでいく街を照らしていた。リコリスはそんな町並みを横目に答える。
「大丈夫、これくらいなら」
「でもお姉様、到着してからろくにお休みになっていません。いくら神子のことだからって――」
「いいの、構わないで」
自分でも驚くくらいに冷たい声が出た。エレアノールの健康的な肌色の腕が、そっとリコリスを放す。
所在なさげにおろされた腕をリコリスは悲しげに見る。自分の不用意な発言なせいで、優しい彼女をどれだけ傷つけてしまっただろうと。リコリスは謝罪の意味もこめて、努めて明るく言う。
「ごめんなさい。でも大丈夫」
基地に戻ろう、とクロードが言いかけて、明かりに照らされない路地裏を注視する。
「何?」
「集団暴力か、恐喝か、どっちか」
そう言うとクロードはエレアノールの横をすり抜けるようにして走り出す。俊敏な彼はエレアが抗議の声を上げる間もなく路地裏に消えた。
「もう!」
彼女がポン、とフリルつきのスカートを軽く殴る頃にはリコリスも走り出していた。
暗がりの中で何をやっているかと思えば、数人の女が一人の男を取り囲んでいるところだった。男の方は暗くて顔が見えないが、女性が一人彼の襟首をつかんでいた。
「ちょっとこの女何なのよ!」「アンタこそ何よ!」
揃って派手なドレスを着た女たちの、お決まりの争い文句に駆けつけたリコリスは額に手を当てた。少し前に着いたクロードはこの女性達に逆に怒鳴られたらしく、たじたじの表情で隅に立っていた。
「……何やってんの」
「いや、女って怖えなー……ハハ」
でしょうねぇ、と他人事のように(実際他人事なのだが)つぶやくと、リコリスの声が聞こえたのか、女性達は振り返る。まさに悪魔のような表情。
さすがのリコリスさえ、一瞬後ずさる。
ははあ、と一人の金髪の女性が言った。
「あなたって神子様までたらし込んでたのね……!」
(いや、どうしてそうなるのよ……)
本当に怒った女性の思考回路はわからない、とリコリスは大げさにため息をついて冷静に答える。「自分も女だろうに」と小さくぼやく声が聞こえたが、それは無視することにする。
「私はティターニア王国軍第三師団所属、リコリス・インカルナタ大佐です。巡察中に見かけたものですからなにか困ったことでもあるのかと思いまして」
金髪の女性は少し冷静になったのかふぅん、と思案顔。冷静になってこの態度だから、おそらくこの国の人間ではないだろう。態度ひとつで国がわかるって結構面白い、なんて思うリコリス。
「こいつ、私達のほかに三人もたらし込んでたのよ。何かこいつを罰せる法律とかないの?」
「私の思う限りでは」
そんなもんあったら大変だ。
リコリスは肩をすくめて言う。男の襟首をつかんでいた明るい茶髪の女性はふん、と鼻息も荒く放し、掴まれていた彼は尻餅をついた。
「行きましょ! なんかむかつくから今夜は飲むわ!」
金髪の女性がそう宣言すると、彼女達はまるでさっきのいがみ合いが嘘のように私も!と賛同する。
はあ、とクロードが安堵の溜息をつき、リコリスは「大丈夫ですか?」と彼に手を差し伸べる。
「ありがとうございます。お礼に今夜、俺と食事でも――」
聞き覚えがある声に秀麗な眉を顰める。路地裏の暗がりから引っ張り出した彼の顔を、初めて見ることができた。逆にリコリスの顔が逆光で見えなかった彼も、リコリスの顔を見たらしい。
「あ」「あ」
非常に不本意ながら、思わず声が被る。そう、彼は三日前、リコリスとクロードが叩きのめし、一人だけ意識があった盗賊の一人だった。
本当のところは捕まえようとも思ったのだが、この街では彼は法に背くような行為はしていない。被害者である商人ベイツも被害届は出さないと言っていたので、捕まえたとして無駄だろう。
「……とりあえず、放免します」
「……そりゃ、どうも。………あー、食事行こうか」
誘った手前、と彼は言った。
これで断るのはとても気まずいので、そうすることにした。
泥酔していつもと比べても異常なくらい絡んでくるエレアノールと、わかりづらくはあるが陽気になったクロードを適度に相手しつつ、リコリスは小さなグラタンをつついていた。
「飲むか?」
「嫌。絶対飲まない」
「お姉様~、お酒飲めないなんてまだお子様ですわねうふふ。……あーやっぱり可愛い」
「色々言いたいことあるけど、とりあえず絶・対、飲まない!」
リコリスは腹立たしげにグラタンを頬張った。お酒を飲んだらどうなるかわかっていて聞いてくるのが腹立たしい。
「え、神子様お酒弱いんだ。意外。眉一つ動かさずに強いの飲んでそう」
「今度こそ服燃やすわよ」
「それは怖いな。ねー、俺のこと聞かないの? 盗賊やってたやつがなんでこの町で女の子に囲まれてたかって話!」
「あなたも大概面倒臭いわね!」
エレアノールが寄りかかりながらくすくす笑い出す。酔っ払いの相手は大変だ、とリコリスが水を煽ると、エレアノールは料理亭に入ってきた一団を見てげんなりした顔で言う。
「……ギルドの連中ですわ」
「ギルド?」
ギルドと言えば依頼を受けて護衛等を行う団体、としか認識していないリコリスはエレアがしかめ面した理由が分からず、首をかしげる。隣にいたクロードが少し声を潜めて答える。
「依頼を完遂するような律儀な奴がいないんだよ」
「……何それ」
クロードはとっておきの内緒話をする子供のような笑顔を浮かべて、さらりと言う。
「俺も小さい頃にギルドに依頼したことがあったんだが、その時森のど真ん中に置いてかれた」
「ちょっと何そのギルド! ただのぼったくりじゃない!」
ガタン。
立ち上がった勢いで椅子が倒れ、大きな音をたてる。叫び声と共に立ち上がったリコリスは当然注目を浴びた。その隣でエレアが「お姉様、ツッコミ所が違います」と頭を抱え、さらにそんな彼女に「いや、お前のツッコミどころも違うだろ」とクロードが言う。
「ちょっとお嬢さん、私達に何か文句あるの?」
ギルド連中の気が強そうな一人の女性が声をかけてくる。
金髪の、胸を大胆に露出した服を着た彼女はリコリスと真っ向から睨み合う位置で立ち止まる。身長が低いリコリスは見上げる形になってはいるが。
「今は別の話をしていたのだけれど。まさかあなた達も、やましいことがある訳じゃないでしょうね」
リコリスも返した言葉は挑発的だ。女性の方はぴくり、と眉を動かした。
(あー……これは)
(喧嘩の流れ、ですわね……)
既に外野と化した二人はこそこそと話し合う。まさか見捨てるわけには行かないし、とか、これって私達も強制参加でしょうか、とか。
何だコイツら薄情だな、と微妙にビクビクしている料理亭の主人が見ていることにも気づかない。
「……へえ、いい度胸じゃない、チビジャリ」
「大きいだけで偉そうにしないでほしいわね」
まさに一発触発。
クロードが振り向けば、どういう流れでこうなったのか、互いに互いの体の一点を見つめていた。クロードはタバードに覆われたソレを見て――まあ、服のせいで更にそう見えるな、と頷き、リコリスの林檎のように赤くなった頬を見て、数分前までの自分をぶん殴りたくなった。
そういえば、リコリス・インカルナタは下戸だった。
それも匂いを嗅いだ程度で酔ってしまうほどの。
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