Ⅱ 仕事ですから

「おえー……」

「耐えろ。あと三時間で着くから!」

「……三時間、舐めてるの? 私がそんなに我慢できるとでも……」

「頼むから開き直るのをやめろ。本当に、頼むから」


 グラグラ、バタンゴトン。リコリスがこの馬車という不快な乗り物を表すならこの擬音語に限る。大体、あの馬鹿王子共がこんな任命の仕方をしなければ、もう少しマシな馬車に乗ることができたのだ。 


 神子として、魔術師として以上に王子達からの信頼が厚いリコリスがこの調査任務のあと、この後ティターニアから持ちかける予定の和平交渉に噛むことになるのは必至。そうなれば貴族から猛反発を喰らっただろう。それを見越した、あの猫かぶりの、エドワード腹黒第一王子がどうにか貴族の言質を取ったらしく、その隙を突いてのアルバートからの任命。その翌日、まるで夜逃げのように軍部から逃げ出した。支給された馬車はたった二人の調査官が乗っている、というのにも少々貧相な馬車。 


(ダメ、吐く……)

 左官以上の外出任務用の少々変わった形状のタバードを左手で握り締める。腰に差した細剣が馬車の壁にガチャリと音を立ててぶつかる。リコリスは隣であたふたしているクロードを横目に、どうにかして気を紛らわせるべく窓の外へ視線をやった。その時、前方に横倒しになった荷馬車を見つけた。


「クロードッ!」

 恐らくは商人の馬車だろうそれには、数人の武器を手にした男が群がっていた。間違いなくそいつらが賊だ。リコリスは酔いも忘れてクロードの襟首を引っつかむ。突然の鋭い叫びと行為に驚いたクロードは「うおっ!?」と驚きながらも、リコリスが目線をやる先を見て、表情を引き締めた。


 その瞬間、馬車が急に止まる。その反動でクロードもろともリコリスは壁に背をぶつけた。しかしリコリスもクロードも声を立てることはなく、即座に体勢を整えた。クロードは腰に下げた得物に、リコリスは細剣の位置を確かめるだけして、魔術をいつでも発動させるべく、意識を集中させて。


 外から僅かに声が聞こえる。御者の男と、そうではない数人の男の声。 

(もう見つかったか。 ……距離的にあの馬車が引き連れていた護衛とでも思われたかしら)

 だとしても普通は同乗するものじゃない、と僅かな疑問を抱きながらリコリスはゆっくりと立ち上がる。クロードは馬車のドアの鍵を開けた状態で扉を押さえ、合図があったらいつでも開けられるようにする。

 そして、剣が鞘を走る音がして。


「おい、出て来い!」

「出てあげるわよっ!」


 リコリスの挑戦的な怒号が合図となり、クロードはドアから手を離す。その瞬間、巨大な炎弾がドアを押し開け、その前にいた男諸共吹っ飛ばす。クロードは敵が怯んだ瞬間を見逃さず、腰の得物を引き抜いた。まるで舞うような動きで、そばにいた数人の男の急所を的確におさえ、気絶させていく。

 その隙にリコリスは御者を守る位置に立ち、指先から魔力弾を撃つ。


「ご武運を」「ええ」

 さすがというべきか、御者に扮した兵はすぐに金具をはずして馬ごと駆けていく。混乱が収まったら合流する手はずになっている。リコリスはその謝辞に頷くだけで答え、クロードを狙っていたほかの男の足を撃った。 


(それにしても、人数多くない?)

 どう見たって先の馬車を襲っていた人数より多い。向こうは多くて四人、こちらは十人程度か。

(……ん?)

 そういえば、さっきの光景から思い出したことがある。いるべき人間がいないのだ。リコリスは冷静に諦め悪くも立ち上がろうとする男を撃って、頭の隅でもうひとつのことを構築、実行しようとして――。 


「リコリスッ!」

「!」

 背後から剣が鞘を走る音がした。リコリスは反射的に身体をそらし、細剣をベルトから鞘ごと引き抜く。

 ―――自分にしては上出来だ。この反応速度は奇跡といってもいい。

 リコリスの抜いた鞘はかろうじて襲撃者の一撃を受け止めていた。相手は旅装のひげ面の男。だが、剣士としては失格だ。体格差がありすぎる相手を攻撃を捌けず、正面から受けたのは失策に他ならない。今はかろうじて抑えられているが、相手がもうわずかでも力をかければあっという間に押し切られる。


「黒髪……神子様か。その細腕でよく耐える。普通なら俺の一撃は大の男ですら吹き飛ぶものだが」

「神子は伊達じゃないってことよ、異国の方。ついでにもう一つ、教えてあげる―――!

多重詠唱構築完了Ensemble。 ――Feuerて!!」


 男の後頭部で、空気が圧縮して爆ぜた。圧倒的な魔力の密度、そこからの爆発は彼の意識を、何があったかの把握すらさせないままに吹き飛ばした。倒れこんでくる男を避け、すべて片付けたらしいクロードに笑いかける。

 クロードは若い男を組み敷いているところだった。


「おい、放せって! いてえな!」

 仲間が一人残らず昏倒しているというのに、意外と元気だった。いや、だからこそ虚勢を張っているのか。

 どちらにせよ、この反抗的な態度は頂けない。リコリスは一歩進み出る。

「……なんだよ」

「私はティターニア第三師団所属、リコリス・インカルナタ大佐。あなた、何をしたか理解してるの?」

「うるせーな、俺はサマランカ国民だ。神子だかなんだか知らないけど、名乗っただけで俺が跪くとでも? 実力を示せ、実力を」

 リコリスの眉がぎゅっと寄せられた。

 これはよくない。大変良くない。すこぶるむかついたので、これくらいの悪戯はいいと思う。リコリスは色々と自己完結をして、務めて冷静に、平たんに返した。

「……まあ、サマランカの民は誇り高いし、そういうとは思っていたけど。

――Einsよ」

 瞬間、男の服が燃えた。


「ああ、安心して。錯覚よ、服は燃えてないから。服の近くの、空気中の塵を燃やしただけよ。あ、えーと、ごめんなさい………………………やりすぎたわ」

 賊の青年はさっきから冷や汗を流すばかりで口も利いていない。というより、利けないのだろうが。 

 少々怯えさせすぎたかな、と思って笑いかけてみるが、賊の青年は更に真っ青になっただけだった。

 馬蹄の音がしてそちらに目をやると荷馬車と、逃がした御者がいた。御者台にはほくほく顔の中年男性が一人。彼はこちらに気付いたのか、笑顔のまま大きく手を振った。


 商人というものはある意味、軍人や傭兵なんかよりも恐ろしい存在だったりする。彼らは羽ペンと証文を武器に、戦わずして利益を上げる。損得勘定をさせたら世の中のどの人間よりも早く、正確だ。まあそれができない人間は破産して行くのだが。 

 そうして今回リコリス達が助けた商人、ベイツもその一人だった。


「……やってくれましたね」

「商人の武器はなにも羽ペンと証文だけではありませんので」

 リコリスの恨めしげな声もさらりと受け流すあたり、この初老の男もよくできている。


 ベイツはリコリスを見つけた瞬間こそ驚いたものの、すぐに商談用の笑みを貼り付けて自己紹介と感謝の意を伝えた。商人にいい思い出がないリコリスとしてはいい迷惑だが、事情聴取はしなければならない。


 そこでリコリスは推測を話した。


 あなたはもしかして、あの賊に「自分はただの使用人であり、主人は後続の馬車に乗っている」と嘘をついたのではないかと。

「あなたはこの馬車に軍人が乗っていると気づいていましたね?」

 この馬車は低級で、辻馬車に小さな国章をくっつけただけ。低予算化のための安普請は思わぬ功を成した。即ち隠密行動においてである。


 今回の移動にこの馬車を選んだのも、『ばっくれ』の為だったりする。


 まあそんな余談はさておき、この馬車の事はその筋の人間にはすでに有名だ。そして情報を糧とする商人達もある程度は知っている。


 要するに。

「すみません……押し付けるようで」

 軍用馬車に賊の主力を向かわせ、彼らの壊滅を軍人に託したのである。

 字面とは裏腹に悪びれる様子もなく言うベイツ。

「仕事ですから、構いません」

 リコリスはいうも、何だか納得できていない。


 街の外での盗賊行為というのは連行しずらいという点から、原則捕まらない。変わりに襲われた場合には賊を殺しても構わない。だからこそ、自衛の手段として一般人は傭兵を雇う。ベイツもその例に漏れず、腕の立つ傭兵を一人雇っていたらしい。


「その傭兵の方は?」

「あの子とは、ここから西のレスコの街で別れてきました。次の街でまた別の方に頼んでいますので」


 再び御者が馬車に馬を繋ぎ直し、車体に損傷がないか調べる間、リコリスはベイツに聞いた。リコリスは一般人に向けるにしては多少鋭すぎる視線を送るが、当の本人は笑顔を崩さない。 


「しかし助かりましたよ。まさか一つの街の間で襲われるとは」


 油断なく聞いていたはずのリコリスは、思わず聞き返したくなった。

(……筋金入りの天然なのかしら)

一瞬の思考停止の間に、さっきから無言だったクロードが溜まらず口をはさんだ。

「当たり前です! この国境付近は治安の悪さで有名じゃないですか!」

「でも、まさか自分が襲われるとは」

「あんな荷物満載の車、襲われるに決まってんだろ!」

 若い軍人二名のツッコミの嵐に、思わず気圧されたのか数歩後ろに下がって、今度こそ申し訳なさそうに「すみません」と言った。

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