Ⅰ 初動捜査は慎重に

Ⅰ 三時のおやつはお預けです

 ティターニア王国。

 今から千年近く前に存在したという、魔術に精通し、黒髪を持つ聖女ティターニア。ティターニア王国は、彼女の弟子達が建国したと言われる宗教国家である。


 その宮殿の廊下を、貴族達がたむろする中、足早に進む一人の少女がいた。

 はしたない、と迷惑顔をしていた貴族たちは足音の主と翻る黒髪を見て、慌てて表情を変えた。


 分厚い水色の封筒を抱えた少女が着ているのは、黒い軍服に最近女性士官の間で流行り出したミニスカート。軍服と揃いのデザインのスカートと丈長のブーツ。


 ある伯爵は、彼女と初めて出会ったとき、思わずこう呟いたと言う。

 ――「人形かと思った」。


 北の出身者特有の、雪のような白い肌。少女らしい柔らかな輪郭。理性的な光を放つ瞳は夜空を閉じ込めたような静謐。絹糸のような黒髪は少女が歩くたびにたおやかに揺れた。狂いのない精緻な美しさ―――まさに人形。

 儚げな印象を強烈な存在感に変えるのは、黒髪と黒い瞳だ。

 この世界では、黒髪黒目で生まれた子は「神子」と呼ばれる。聖女ティターニアと同じ色を持つからと、生まれた子が皆大きな才能を持つからだ。


 彼女は向けられた視線を、これから報告する内容に集中することですべて遮断し、一際大きな扉の前に立つ兵に声をかける。


「第三師団所属、リコリス・インカルナタ大佐です」

「はっ! 殿下よりお話は聞いております。大尉はお先に行かれました、どうぞ中へ」

「……そう、クロードはあの方を抑えきれなかったのね」

 先に行ったという「大尉」はおそらく―――というか、毎度のことだが彼の暴走を止められなかったらしい。

「………よく、分かりましたね」

「顔を見れば分かるわ」

 疲れ気味に笑う彼を見ていると、まだ問題を直視すらしていないのに頭痛がしてきた。 

(……まったく)

 「ご苦労」と心の底から言ってやると、兵は疲れた笑顔を見せた。まったくもって同情する。


 この扉の先は、王族の居住空間。リコリスは大きく深呼吸をして、中へ入った。

 聞きようによってはそれは、ため息に聞こえなくはなかった。


* * *


 首都の街並みを臨むガラス張りの壁、リコリスの執務室の数倍はあろうかという部屋面積と本棚。

 ほぼ執務室に引きこもっていると言っていいリコリスにとって理想の部屋だ。


 メイド達によって毎日整理されるこの部屋は当然、散らかってなどいない。

 だがしかし、今は、今だけは散らかっていない方がおかしいのだ。

 午後三時、定例会議三時間前。本来ならば、忙しなく書類をまとめるなり書き直したりしなければならない時間。


 しかし、この部屋の主は。 

 未処理の書類の山はそのままに。書類どころか、塵ひとつない机の上で頬杖をついて。


「よおリコリス。三時だし、デザートでも食べようぜ」


 などと言うものだから。


「こんの……っ、馬鹿殿下―――ッ!!」


 リコリスは手に持った、鈍器になりかねないほど分厚い封筒(重要書類)を、思いっきりぶん投げた。


「相変わらず容赦ないなお前」

「殿下こそ相変わらずの怠けっぷりですね」

「あの大佐、査問会にかけられる覚悟あってやってます?」


 リコリスの投げた封筒は狙い違わずアルバート王子の頭に着弾し、リコリスは痛がる猶予も与えず書類の処理と彼女が持ってきた書類を読むことを言い渡した。そしてアルバートの後ろで力なく笑う、相棒兼副官をキッと睨みつけた。


「……クロード・ストラトス大尉、あなたは頭は悪くないと思ってたのに」

「おい、クロードは頭いいぞ結構」

「馬鹿の味方するのは馬鹿だけなんですよ殿下」


 件のクロードは付き合ってられないというように目線をあらぬ方向に向けた。付き合ってられないのはこっちだ、とリコリスも大きな溜息をついて執務机の前に立つと、アルバートも目線をそらした。

 この二人はリコリスが怒ると昔からこうなるのだ。態度がどうこう怒鳴るのも数年前に飽きた。 


「一国の王子にそんな態度とるかよフツー」

「仕事もしない王子に払う敬意なんて微塵もありません」

「で、コレ全部読むの?」

「当然、私昨日徹夜でまとめたんです。会議用でしょう、あなたのせいでまとめ損なんて御免です。もう一度言います、徹夜したんですよ私」


 明るい茶髪をくしゃくしゃにして頭をかくアルバート。

 リコリスは執務机から水色の紐で束ねられた紙を引っ張り出し、漆黒の髪を翻して来客用テーブルに向かう。所在なさそうにしていたクロードも、後から付いてくる。


「お、やってくれんのか」

「軍部から回したものだけです、政治関係の面倒な方は殿下にお任せします。クロード、あなたも手伝って」 

書類の束の中からいくつか選別したものを押し付けて、彼を見上げるとあからさまに嫌そうな顔があった。いい加減頭脳労働にも慣れろ、という意味を込めて更に書類を押し付ける。

(「……マジですか」「がんばれ大尉」「殿下は黙っててください」)


「で、殿下。まさか書類仕事手伝わせるために私達を呼んだのではないでしょう?」


 皺一つない書類をめくりながら言ってやると、アルバートが向こうの机でまた頭を掻いた気配がした。


「ながら作業的に聞くような話じゃないんだがな」

「クロードは別として、私は多重作業マルチタスクがあるから大丈夫ですよ」


 多重作業マルチタスク――魔術師の上級技術、多重詠唱のための技術。同時に複数の作業を行うこと。詠唱をしながら防御や物理攻撃を行うことが出来るほか、普段の生活においてもこうして書類仕事をしながら会話、もしくは同時に二つの書類を片付けることができるので、リコリスはこの技術を重宝している。


 アルバートがふうっと吐息を吐いて、重く。 

「……外交問題のこと、と聞いてもか」


 部屋の空気が凍って、さすがのリコリスも手を止めた。隣で身を硬くしたクロードが、搾り出すように「……アル、」と。手で制しかけたリコリスはアルバートの声で思いとどまった。


「いい、今は非公式に会ってるからな。昔のままでいい」

 そういうアルバートの赤銅色の目は、珍しく真剣そのもの。リコリスは呆れたような目を向ける。ここで話すということは軍部で把握している以外の問題があるのか、と。

「報告は大体聞いてる。和平交渉が上手くいってないそうね?」



「このところの国境付近での小競り合いだが、昨日の時点で十件を越えた」

「……十件」


 思わず復唱するクロードに、アルバートがしっかりと頷いた。横からリコリスが、茶のみ話でもするような気軽さで話す。彼女がこういう風に話すときは、何かを熟考しているときと知っている彼等は気にも留めない。


「まああまり仲がいいとは言えなかったけれど、いきなりよね。それほど向こうの――サラマンカと小競り合いになるような理由はないはずだけど。……ああ、あるとすれば」

「教会への関心度の違い、か」

 リコリスの言葉をクロードが引き継いだ。リコリスはそうね、と肩をすくめて続きを促す。


「我が国はティターニアの弟子が建国したからな。教会とは縁を切っても切れない仲だが、向こうさんは違う。信心深さではむしろこっちのほうが異常だろうな」

「まあ、それも貴族階級以下で、という話だけれど」


 この国にはティターニアについて、不思議なことに二つの意見の相違がある。

 一つは教会が広める『聖女ティターニアの伝説』。

 もう一つは主に現実主義の魔術師達が広める『天才魔術師ティターニア』。 

 高給取りの魔術師達は貴族と接することが多く、後者に感化される貴族が多い。逆に庶民達は魔術師達に会うことはなく、前者である教会の教えに染まりやすい。


「で、やっぱり最初の騒動の原因が、宗教観の違いか?」

「ああ。まさかのそれだ」


 アルバートがにべもなく言うので、リコリスは「頭痛が痛い」を素で言いそうな顔をして黙った。

「それ、文法的に間違えてるぞ。リコリス」

「うるさいクロード。分かってるわよ」


 指摘したクロードの、琥珀色の目が死んでいる。相棒の言いたいことを察した、というか自分も言いたいのだが、リコリスは聞く。もうこの馬鹿王子のことだから、この話を切り出した時点で決定事項なのだろうけど。


「アル、まさか」

「ああ。まさかのそれだ」


 アルバートはわざとらしく、さっきと同じ言葉で返す。はあ、と華奢な肩がガックリ落ちる。ふと隣を見ると、クロードがさっき渡した書類を見つめていた。現実逃避か。

 もうどうでもいい、どっちみち仕事は回ってきただろう。そう投げやりに考えたリコリスは


「続きをどうぞ、第二王子殿下」


と僅かな反抗として嫌味を言って、殿下の命令に「是」と答えた。


「最初の騒動の原因はサマランカの兵が神子について、というかお前について軽口叩いたからだ」

 リコリスは「神子」と復唱して、自らの黒髪に触れた。その向こうでアルバートが、隣にいるクロードさえもが目をそらしたのは、恐らく気のせいではない。


「神子は神の愛し子。 神子はティターニアの御子。 その証はこの世のものではない、濡れた黒髪に黒曜石の瞳。……だっけ、クロード」

「なんでオレに振るんだ」

「だってこんな面倒なこと覚えてるのクロードくらいしかいないじゃない」

「お前もしっかり覚えてるだろ」

 さあ、とでも言うように肩をすくめたリコリス。クロードは疲れたように続けてくれ、と呟く。


 信心深いティターニアの国民はティターニアと縁があるといわれた『神子』に、崇拝にも似た尊敬を抱いている。逆にサマランカ、というよりはティターニア以外の国は『神子』をそれほど崇拝していない。ただ、「有益となる可能性が高い人物」と見ているだけだ。要するに、この意見の相違が今回の騒動の原因。


「まあ、原因はこんなもんだ。で、ここからが本題だ。騒動の前は、大体何かにつけて騒ぎがある。泥棒とかな」

「泥棒? まあ、騒ぎに乗じてなら分かるけど、騒ぎの前に?」 

 解せない、とリコリスの漆黒の瞳が不思議な光を放ち、調子を取り戻したクロードの青い瞳がアルバートに注がれる。アルバートはその中、珍しく一瞬言いよどんで、言った。


「そいつの目撃談だが――黒髪の人間、だったそうだ」

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