第5話『黄昏』

 あれから、萌ちゃんの御両親が家に帰ってきて、この3年間についての事情を説明した。

 すると、萌ちゃんの御両親は薄々気付いていたそうだ。何気ない表情や、ふと漏らすため息が萌ちゃんとは違うと思っていたとのこと。それでも、大切な存在であることに変わりないため、あえて触れることはしなかったそうだ。

 桜さんからの提案もあって、葵はこれから桜さんと一緒に生活することになった。このまま萌ちゃんの家に住んでいても、それは萌ちゃんに甘えている気がして申し訳ないという葵の気持ちを尊重した上の判断だった。

 また、学校は今までと同じ場所に通うことにして、生徒に真実を告げる前に桜さんや萌ちゃんの御両親が職員に3年間のことを説明することに決まった。

 長瀬葵として再び生きるための話し合いが終わり、俺、お嬢様、桜さんは萌ちゃんの家を後にする。既に日もだいぶ傾いており、道路も茜色に照らされている。


「何とか一件落着だな」

「そうですね、桜さん」

「これで、本当に3年前の事件に決着が付いたわけだ。まあ、死亡者と生存者が違っていたからこの後、色々とやらなければいけないことはあるけど」

「すみません、桜さん。俺のせいで……」


 亡くなったのは葵だと判断しなければこんなことにはなかったのだから。


「気にするな。何度も言っているだろう? こんな事態になったのは、我々警察にも責任があるって。真守君は葵さんと生田萌さんが服がすり替えられていたことを知らなかった。だから、生田さんではなく、葵さんだと判断してしまった。そんなことが罪だと言う方が間違っている。だから、君は何も罪悪感を抱かなくていいんだよ」

「日向さんの言う通りよ。真守は何も悪くない。それに、事実が分かって、最後は葵さんだって笑顔だったじゃない。悔やんでも仕方ないと思う」

「そう、ですかね……」


 俺は長瀬葵という人間を殺すも同然のことをしたんだ。葵は俺が死亡確認をしたと聞いたとき、どんな気持ちになっただろう。本人は萌として生きられると喜んだと言っていたけれど、やっぱり悲しい気持ちも相当あったと思う。

 生田萌として生きてきたこの3年間を取り戻すことはできない。その時間は常に遠ざかっていく。未来に向かうことしかできないんだ。俺が葵にできることは、


「兄として見守ることなんだろうな……」


 葵はこれから自分の脚で厳しい道を歩いて行く。あくまでも自分の力で切り抜かなければならない。俺はせめて葵の手助けをすることくらい……なんだろうな。


「安心してくれ。葵さんは私が責任を持って面倒を見るから」

「はい。葵のことをよろしくお願いします、桜さん」

「……まさか、君の妹と一緒に住むことになるとはな。想像もしてなかったよ」


 桜さんは爽やかな笑みを浮かべながらそう言った。


「ちなみに、3年前も君を引き取ろうか考えていたんだけどね」

「そうだったんですか」


 それは初耳だな。そうしたら、俺はどうなっていたんだろう。都築さんとの一件があっても、女性恐怖症にはならなかったかもな。いや、むしろ桜さんの所為でより酷い女性恐怖症になっていたかもしれない。


「今、変なこと考えてただろ。別に中学生相手に手を出す人間じゃないから」

「そんなこと微塵にも思ってないですよ」

「……まあ、今の君に興味がないと言ったら嘘になるけどね」

「そういえば、Cherryの件が終わったときに、自分の家に来ないかって言っていましたもんね」

「そ、そんなことがあったの……」


 お嬢様は複雑そうな表情を見せている。そういえば、このことを今までお嬢様に話していなかったな。


「まあ、今の君にはそんなことは言えないけど」

「……そうですか」

「葵さんとは近いうちに私の家で一緒に住み始める予定だ。良かったら、九条さんや夏八木さんと一緒に遊びに来てくれ。こっちがお屋敷に行くかもしれないけど」

「分かりました。楽しみにしています」


 葵と桜さんが一緒に住んでいる光景は想像できないな。でも、桜さんは仕事があるから、葵に家事を任せっきりな気がする。


「さてと、署に戻ったら色々やらないと」

「お疲れ様です、桜さん」

「新たな事件が起きて捜査に行くよりもよっぽどいいよ。悲しいことは一つでも少なくあってほしいからね。それが警察官としての私の考えだよ」

「……そうですか」

「あと、九条さん」

「は、はいっ!」


 不意に話を振られて驚いたのか、お嬢様は甲高い声を挙げた。桜さんがそれを微笑ましく見ていた。


「葵さんのことは私が責任を持って守っていく。だから、真守君のことは君が支えていってほしい。君だけだよ、それができるのは」

「……はい、分かりました」


 お嬢様はちょっと頬を赤くしてそう言った。

 きっと、3年前のことがあって、俺のことをずっと心配していたから桜さんはお嬢様に今のようなことを言ったんだ。


「そうか、安心したよ。そう思えるのも、真守君に対して親心のようなものを抱いていたからなのかな」


 桜さんは照れくさそうに笑った。


「桜さん、本当にありがとうございました。桜さんのおかげでこのような形になったと思います」

「おいおい、そんな風に言わないでくれよ。真守君と別れちゃう気がしてさ……」


 桜さんは俺の前で初めて涙を流した。

 その涙を見て俺はようやく桜さんの想いに気付いた。親心だなんて言っているけれど、本当は未来や都築さんと同じ気持ちを抱いていたんだ。だから、お嬢様にあんなことを言ったんだろう。


「桜さん」

「……ん?」

「俺、葵に言ったことを将来、絶対に果たすつもりですから。だから、見守ってくれると嬉しいです」


 桜さんには申し訳ないけど、それが俺の気持ちであり、長瀬真守としての決意だ。


「……そうか、分かった。でも、絶対に成し遂げなさい。もしできなかったら、私が君を個人的に逮捕しちゃうから」

「分かりました。覚悟しておきます」


 俺がそう言うと、桜さんは再び爽やかな笑みを見せる。


「うん、気持ちがスッキリしたよ。これから仕事、頑張れそう」

「頑張ってください、桜さん」

「ああ。じゃあ、今から署に向かうよ。落ち着いたら会いに行くから」


 そう言うと、桜さんは夕陽に照らされながら立ち去っていった。彼女と次に会うのは葵のことが落ち着いてからになると思うけど、その日はそう遠くないだろう。


「……お屋敷に帰りましょうか、お嬢様」

「そうね」


 俺達はお屋敷に向かって歩き始めるのであった。

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