後日談
プロローグ『亡霊の噂』
後日談
5月19日、月曜日。
Cherryの一件から3週間ほどが経った。
今日も俺はお嬢様のSPとして宝月学院に同行している。あのときのように、お嬢様が誰かから命を狙われているようなことはないけど、世の中何が起こるか分からない。お嬢様が安全に楽しい学校生活が送ることができるように職務を遂行している。
本来、授業中もお嬢様の方に気を向けるべきなんだけど、たまに授業を聞いてしまう。といっても、既に勉強したところなので復習がてら聞いている感覚だ。
今日も何事もなく全ての授業が終わり、放課後になる。
「真守、お疲れ様」
「お嬢様もお疲れ様です」
放課後になればすぐに学校を出て、真っ直ぐお屋敷に帰るか、金原駅の方へ遊びに行くかのどちらかになっている。
「由衣、長瀬君。気になることを思い出したんだけど。特に長瀬君にとって」
そんな言葉で都築さんが俺に話しかけてきたのだ。彼女とはCherryの一件があってから、お互いに気兼ねなく話せるようになった。そんな都築さんの気になる話か。そう言われるとさすがに気になる。
「そう言われると気になるね。どんなことを聞いたの?」
どうやら、お嬢様も全く同じことを思っていたみたいだ。
「友達から聞いた話なんだけど。その子の妹さんが、3年前の事件で亡くなった長瀬君の妹さんの声を聞いたみたいなのよ」
「お、俺の妹の声ですか?」
都築さんの言うことが信じられず、思わず声が漏れる。
俺の妹・
「都築さん。例のご友人の妹さんは中学2年生ですか? 葵が生きていればその学年になっているので。あと、その子の通っている中学校はこの地域にある学校ですか?」
「うん。この学区にある地元の中学に通う2年生だよ。葵さんとは一度、クラスメイトになったことがあるから、彼女の声だって分かったみたい」
なるほど、それなら葵の声だと分かるか。まだ、葵が亡くなってから3年ちょっとだから覚えていてくれたんだろうな。
「友達の妹以外にも、葵さんの声を聞いた人は結構いるみたいよ。だから、葵さんの亡霊がやってきたって騒いでいる子もいるみたい」
「結構な大事になっているじゃないですか」
その割には、俺の耳に葵の声の話は全く入ってこない。お嬢様のSPになって、九条家の屋敷に住んでいるからかな。それまでは書店で働いていたし。
「凛、葵さんの声はいつ頃から聞こえるようになったの?」
「GWを過ぎたあたりから、声を聞いたっていう生徒がたくさん出始めたみたい。それまでにも、葵さんの声を聞こえたって言っていた同級生はいたみたいだけどね。例のCherryの一件が解決した時期とも近いか」
つまり、葵らしき声を聞いた生徒は以前からいたけど、GWが明けた2週間ほど前から葵の声を聞く人が多くなったから、一気に亡霊の噂として広まったというわけか。それじゃ、俺が知らなくても当然か。
「3人で何を話してるの? 葵ちゃんの名前が聞こえたけれど」
未来が興味津々そうに俺達のところにやってきた。姉妹がいなかったことや葵と年齢が近いこともあって、未来は俺だけじゃなくて葵とも結構遊んでいた。
「2週間くらい前から、葵の同級生の多くが葵の声を聞いているらしいんだ。葵の亡霊が来たんじゃないかって騒がれているそうだ」
「そ、そうなの?」
「都築さんの友達の妹が実際に聞いているらしい」
「そっかぁ。まあ、3週間前のことの発端が3年前の事件だったからね。そのことで葵ちゃんの霊がこの世に降りてきたんじゃない?」
「でも、その前からも葵の声を聞いた人はいたみたいだぞ」
未来の言うことも考えた。それなら、むしろ俺達が葵の声を聞いていないとおかしい気がする。
でも、葵は明るくて気さくな性格で友達も多かったから、まずは葵の友達がいる中学校に行ったのかな。それなのに、亡霊として騒がれているのはかわいそうだ。
「葵の兄として、亡霊の話をもっと詳しく知りたいところですね」
亡霊は怖いけれど、葵の声を聞いてみたいという気持ちもある。亡霊の噂に触れていけば、もしかしたら俺達のところにやってくるかもしれない。こんな風に考えてしまうのは、やっぱり兄だからだろうか。
「ま、まさか……亡霊と会うつもりじゃないでしょうね?」
そう言いながら、お嬢様は脚を震わせている。心霊系の話題は苦手なのかな。
「亡霊ですから会えないとは思いますが、葵の兄としてこの話をここで終わらせるわけにはいきません。詳しく知りたいところです」
「そんなぁ……」
「葵のことなら何でも知っている人に心当たりがあります。今からその人の家に行って、葵の亡霊のことについて話を聞きたいと思うのですが。もし、お嬢様が嫌であれば一度お屋敷に帰って、俺一人で行ってきますよ」
怖がっているお嬢様を無理矢理連れて行くつもりもないし。怖がっているお嬢様はお屋敷にいた方がいいだろう。
しかし、お嬢様は無理矢理強がった表情を見せて、
「……い、行くに決まってるじゃない! SPの側にいるのが主の役目なんだから!」
翻った声でそう言った。それは目の前に未来や都築さんがいるからだろうか。怖いから行きたくないって正直に言ってくれていいのに。
「私も一緒に行っていいかしら。今回の話は私が話したからだし」
「私も行く! 葵ちゃんの声、久しぶりに聞きたいし……」
都築さんと未来は行く気満々のようだ。2人は怖いものが平気なのかな。都築さんはどうか分からないけど、未来は小さい頃はホラー系が苦手で俺にしがみついていた。
しょうがない、こうなったらお嬢様達を連れて行くしかないか。向こうには迷惑がかかっちゃうけど。
「今からその人のところに電話をかけてみますね。4人でいきなり家にお邪魔したら迷惑がかかるでしょうし」
俺はスマートフォンを取り出して、葵のことをよく知る人に電話をかける。午後4時前だから電話をかけても大丈夫だろう。
『はい。生田です』
落ち着いたその声に懐かしさを覚え、自然と心がほっこりする。
「ひさしぶりだね、萌ちゃん。真守だけど」
『おひさしぶりです、真守さん』
葵のことをよく知る人物。それは葵の幼なじみであり、親友でもある
萌ちゃんは3年前の事件に家の車に乗っていた人物の中で唯一、生存している。そんな彼女なら、葵の亡霊について何か知っているかもしれない。
『最後に話してから、もう2年以上経っていますよね。電話番号もメールアドレスも交換しているのに』
「そうだね」
3年前の事件が落ち着いてからは、俺が未来の家に住み始めたこともあって、萌ちゃんとは会うこともなければ、スマートフォンで連絡することもしなかった。それもあってか、萌ちゃんは俺に対して敬語で話している。小さい頃は普通にタメ口で話しかけてくれたんだけどなぁ。それだけ、大人になった証拠なのかな。微笑ましいような、寂しいような。
『それで、何かあったんですか? 真守さんが私に電話をかけてくるなんて。私、びっくりしちゃいました』
懐かしさに浸っていたせいで、本来の目的を忘れるところだった。
「これから萌ちゃんの家に行きたいんだけど、大丈夫かな」
『ええ、何も予定はありませんし、大丈夫です』
「そうか、良かった。あと、俺の友人が一緒なんだけどそれでもいい? その中に未来もいるんだけど」
萌ちゃんと未来は俺の家で何度か一緒に遊んだことがある。多分、今でもお互いのことは覚えているはずだ。
『未来さんも、ですか。それは楽しみですね。かまいませんよ』
「ありがとう。じゃあ、今から直接、萌ちゃんの家に向かうって形でいいかな?」
『分かりました。お待ちしています』
「じゃあ、また後で」
『ええ。では、失礼します』
そう言って萌ちゃんの方から通話を切る。
これで、お嬢様達と一緒に萌ちゃんの家に行っても大丈夫。萌ちゃんと久しぶりに会えることになったので楽しみだ。
「ねえ、真守君。萌ちゃんって行っていたけど、あの萌ちゃん?」
「その萌ちゃんだ。俺達が小学生のとき、たまに遊んだことがあったから覚えてると思うけれど?」
「もちろん覚えているよ。そういえば、萌ちゃんは葵ちゃんとは特に仲が良かったよね。……あっ、それで今から……」
「うん。それで、今から萌ちゃんに連絡をして、今から家に行くことになった。みんなで来ても大丈夫だって。未来と会えることを楽しみにしていたよ」
「そっか。私も楽しみだなぁ」
未来は嬉しそうな表情を見せる。久しぶりに友人の家に行くというのは楽しみだよね。
そんな未来の横にいるお嬢様から冷たい視線が刺さってくる。
「真守がちゃん付けをするから最初はゾクッとしたわ」
「彼女は小さい頃の知り合いですからね。呼び方も当時のままです」
考えてみれば、お嬢様と未来以外は基本はさん付けだから、俺がちゃん付けすることに違和感を覚えるのは仕方ない。女性恐怖症を克服しても呼び方は以前と変わりないし。
「ねえ、長瀬君。萌って、まさか生田萌のこと?」
「ええ。都築さんなら覚えているでしょう。3年前の事件で……長瀬家の車に乗っていた人物の中で唯一、生存した子です」
「そっか。あの子のことか……」
よく考えると、萌ちゃんの顔を知らないのはお嬢様だけなのか。都築さんも3年前の事件を通して、萌ちゃんのことを知っている。
「どうして、長瀬君がその子に会おうとしているのか。何となくだけど、本当の理由が分かった気がするわ」
「……そうですか」
都築さんは感付いたみたいだけど、彼女の言う本当の理由については萌ちゃんの家に行けば言うつもりだから今はいいだろう。
「じゃあ、みんな行きましょうか」
俺達はすぐに学校を出て、萌ちゃんの家に向かい始めるのであった。
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