エピローグ『はるひ』

 4月27日、日曜日。

 俺はゆっくりと目を覚ました。まだまだこのお屋敷の天井は見慣れない。

 今は何時なのだろう。カーテンから陽は漏れているから、朝にはなったと思うけど。


「すぅ……」


 左側にはお嬢様が俺を枕にしてすやすやと眠っている。寝顔が本当に可愛らしい。顔にかかっている柔らかい髪をそっとかき分ける。


「うんっ……」


 俺の右隣にはメイド服姿のくるみさんがベッドに突っ伏した状態で寝ていた。彼女の寝顔もまた可愛らしい。というか、どうしてここで寝ているんだろう?

 こんな状況でも女性恐怖症の症状は一切出ていない。本当に克服することができたんだな。今でもちょっと信じられない。


「う~ん、よく寝た」


 お嬢様はゆっくりと体を起こす。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、真守。あなたのおかげでよく眠れた」


 お嬢様は俺の顔を見るや否やにっこりと笑う。とても可愛らしい。


「……って、あれ。どうしてくるみがここで寝ているの?」

「さあ、どうしてでしょうね」


 俺達がそんなことを話していると、くるみさんも目を覚ました。体を伸ばす様子からして、彼女はぐっすりと寝ていたようだ。


「おはようございます。由衣様、真守さん」

「おはよう、くるみ」

「おはようございます、くるみさん。あの、どうしてくるみさんがここで寝ていたんですか?」

「8時くらいに由衣様の様子を見に部屋に行ったのですが由衣様の姿がなくて。もしやと思い、真守さんの部屋に行ってみたらお2人が気持ち良さそうに寝ているのを見つけて。それで、その……私だけ蚊帳の外にいるような気がしまして」


 それでベッドに突っ伏す形で朝寝をしたというわけか。くるみさんらしくない理由なので正直驚いている。


「なあに? 昔は私と一緒に寝てたから、真守と一緒に寝ているのを見て嫌に思っちゃったわけ?」

「……まあ、そういう解釈をしたければそれでもかまいませんよ。そうですよね、由衣様は昔、1人で寝ることができなくて私と一緒に寝ていましたっけ」


 くるみさんは意地悪そうな笑みを浮かべて話す。


「怖い映画を見た後は一緒に寝てくれないと嫌だって泣いていましたもんね」

「あ、あれは小さい頃のことじゃない! 今は別に1人で寝られるもん」


 お嬢様は恥ずかしそうにしているけど、怖い映画を見たら1人だと不安になるのは何もおかしくないと思う。

 こんな風に話せるというのは、お嬢様とくるみさんは仲のいい姉妹という感じなんだろうな。くるみさんにとって、3つ年下のお嬢様は可愛い妹のような存在かもしれない。


「そうだ、いいことを思いついたわ」

「なんでしょうか、お嬢様」

「今日はせっかくの日曜日だし、昨日まで色々あったから……どこか遊びに行かない?」

「いいですね」

「分かりました、由衣様。真守さんといってらっしゃいませ」

「何言ってるのよ、くるみ。あなたと3人で行くんだから」


 お嬢様のその言葉にくるみさんは驚いていたけれど、それは一瞬のことで、彼女は嬉しそうに笑った。

 せっかくの日曜日だ。外で遊ぶのもいいだろう。先週までは仕事が休みの日は家に籠もって勉強詰めだったから、のびのびと過ごせるのは久しぶりかも。こういう風に過ごせるのはお嬢様のおかげだろう。



 午前10時。

 今日の天気は快晴で、まさに行楽日和だ。爽やかな風が気持ちいい。

 俺、お嬢様、くるみさんはお屋敷から出る。お嬢様の私服姿よりも、くるみさんの私服姿に視線が向いてしまう。彼女はメイド服のイメージしかなくて、私服になるとどういう感じになるのか気になっていたけど、年相応の可愛らしい大学生という感じだ。


「さあ、行きましょう」


 お嬢様は俺の左手を掴む。


「あらあら、由衣様は手を繋ぐだけですか?」


 くるみさんはそう言うと、俺と腕を絡ませてきた。


「私は真守さんとこれがスタンダードなんですよ。もう、こうしていても女性恐怖症は大丈夫なのでしょう?」

「ええ、そうですけど……」


 まさか、くるみさんがここまで大胆なことをするとは思わなかった。一昨日の温泉のときはリハビリという名目があったからだけど、それがなくてもここまでくるみさんが俺と密着してくるなんて。昨夜みたいに酔ってないし。


「スパークリングワインで酔ったときのことを覚えていますが、真守さんとはこうしているのが一番心を落ち着くんです。真守さんが嫌なら離しますけど……」


 悲しそうな表情で俺のことを見ないでくれませんか。嫌だとは全然思ってないけれど、何だか罪悪感が。


「くるみ、まさかあなた……」

「令嬢という守るべき存在がいても、SPとメイドが関係を発展していくことって、漫画やアニメではあるじゃないですか。そう思うと私達も……ふふっ」


 笑って何を言っているんですか、くるみさん。まるで、くるみさんが俺に気があるみたいじゃないか。それはきっとないと思うけど。

 お嬢様は俺と腕を組んでいて楽しそうなくるみさんを見てぐぬぬっ、と悔しそうにしている。


「真守は私のSPなんだから。SPなんて関係なくても真守は私のことを守りたいって言ったんだから……」


 お嬢様はそう呟くと、腕を俺の左腕と絡ませる。


「くるみには絶対に負けないから」

「でも、真守さんは由衣様よりも女性らしいって温泉で言っていましたよね」


 確かにそんなことを言ったような気もする。ただ、あのときは女性恐怖症という視点から女性らしいかどうかを判断しただけで。

 お嬢様は不機嫌そうな顔を見せ、頬を膨らませる。


「所詮、男なんて……」

「くるみさんも可愛らしいですけど、お嬢様もとても可愛らしいですよ」

「……あ、ありがとう」


 お嬢様はそう言うと、照れくさいのか頬を赤くして視線をちらつかせている。褒められたりすることが苦手なのかな。


「さ、さあ! そろそろ行きましょう!」


 左にはお嬢様で右にはくるみさん。まさに両手に花だ。こんな状態でも女性恐怖症に怯えることなく平然としていられる。それがとても嬉しい。そのきっかけは、お嬢様が俺のことをSPとして雇ってくれたことだと思う。

 これから、お嬢様の側にいることで何が起こるか分からないけれど、お嬢様のSPとして彼女のことを守っていこう。

 新たな道を歩み出す俺達のことを、春の温もりが優しく包み込むのであった。




本編 おわり



後日談に続く。

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