第1話『再会』

 ――死んだ葵の声が聞こえる。


 都築さんから聞いたそんな噂をきっかけに、俺は萌ちゃんとひさしぶりに会うことになっている。今、彼女の家に向かっているところだ。

 ただ、3年前の事件で亡くなった葵が深く関わっているので、


「すまないね、私も一緒に行くことになって。その話を聞いたらどうも気になったもんで」

「いえ、いいんですよ。桜さん」


 事件捜査を担当した桜さんに噂のことを話した。

 すると、さすがに桜さんも亡くなった葵のことが気になったようで、俺達と一緒に萌ちゃんの家に行くことになった。萌ちゃんも3年前の事件の関係者だったので、桜さんとも面識がある。


「生田さんとは何度か病院で話したことがあるからね。まあ、その時は寝たきりで、顔も酷くやけどを負っていたから、包帯を巻いていたけれど」

「俺も彼女と最後に会ったときも、まだ包帯を巻いていましたね」


 家の車は激しく炎上したし、萌ちゃんもやけどの状態が酷く、かなり危険だったと聞いている。俺の覚えている萌ちゃんの顔は、3年前の事件よりも前のものだ。


「私も燃えている車の中から、女の子が飛び出したのが見えただけで……実は、生田萌さんの顔ははっきりとは分からないの」


 俺はてっきり事件当時、都築さんは萌ちゃんの顔を見ていると思っていたけれど、実際は見てなかったんだ。そういえば、犯人である三富博の裁判でも、萌ちゃんは顔に包帯を巻いていたからな。


「しかし、妹さんの声を聞いた人がたくさんいるとはね。しかも、事件から3年経った今になって。まさか、Cherryの一件があったからかな」

「そう思いますよね、日向刑事」


 桜さんも同じことを考えていたのが嬉しかったのか、未来は笑みを見せる。

 Cherryこと潤井愛莉さんは、今後の警察や検察の判断にもよるけど、学校としてはとりあえず1学期の間は自宅謹慎という処分が下された。学校の生徒には家庭の事情や自身の体調不良で休学と説明している。罪の償いのためでもあるけど、この3年間で傷ついた彼女の心をケアするというのが一番の目的だ。

 桜さんは潤井さんを学校に復帰させるため、彼女をサポートしている。


「桜さん。潤井さんの様子はどうでしょうか」

「順調に回復していっているよ。自分の犯した罪についてもしっかりと反省しているし。この調子なら、重い判断になることはないだろう。上手くいけば、2学期からはちゃんと学校に通えるようになると思うよ」


 桜さんのその話を聞いて、お嬢様、未来、都築さんは安堵の笑みを浮かべる。

 あの日以降、潤井さんとは会っていないけれど……彼女の笑顔が再び見られる日はそう遠くはないだろう。


「あっ、着きましたよ」


 気付いたら萌ちゃんの家の前まで辿り着いていた。最後に来たのが3年前の事件よりも前なので懐かしい。


「……一般家庭の一軒家って大体、このくらいの大きさなのよね」

「そうですね。俺が住んでいた実家もこのくらいでした」

「日常生活を送る上ではこのくらいの広さがちょうどいいのかも。家のお屋敷だと外へ出るまでにも時間がかかるし」


 あの大きなお屋敷に住んでいるお嬢様だからこそ抱くことなのだろう。さすがは財閥令嬢。俺は未だにあのお屋敷の広さに慣れない。

 玄関まで行き、俺はインターホンを押す。するとすぐに、


『はい』


 スピーカーから萌ちゃんの声が聞こえた。さっき聴いたばかりなのに、やっぱり懐かしい気持ちが芽生える。


「真守だよ。未来達も連れてきた」

『お待ちしていました。すぐに行きますね』


 家の中から足音が聞こえてくる。3年ほど経って萌ちゃんがどんな感じになっているのか、ちょっとドキドキしちゃうな。


「おひさしぶりです、真守さん」


 私服姿の萌ちゃんが家の中から出てきた。


「ひさしぶり、萌ちゃん」


 萌ちゃんの穏やかな笑みは以前と全く変わっていないな。

 ただ、最後に会ったのが3年も前だったので、あの頃から比べると見た目も雰囲気も随分と大人っぽくなっていた。当時は小学5年生で、今は中学2年生だからなぁ。成長期ということもあるだろうけど、彼女の成長を見てこの3年間がとても大きいものであると改めて思い知らされる。それでも懐かしいと自然に思えるのは、彼女の笑みと黒髪のセミロングという髪型が変わっていないからかな。

 そういえば、葵も同じような髪型で、萌ちゃんと似ていたところが多かった。それは口を閉じていればの話で、葵は活発な女の子だった。


「……そんなにじっと見られると恥ずかしいです」


 萌ちゃんは頬を赤くして恥ずかしそうに言う。こういう反応が女の子として成長しているんだと実感させる。


「3年経って大人っぽくなったね。でも、可愛いのは前から変わってないね」

「……あうっ」


 萌ちゃんはそんな声を漏らす。みんなの前で言われたことが気恥ずかしいのかな。


「……真守さんの優しいところは変わっていないです。あと、かっこいいところも……」

「あははっ、そっか」


 緊張して声を震わせながらも一生懸命に言うところがまた可愛らしい。そんな萌ちゃんの頭を優しく撫でる。


「あっ、そうだ。一緒に連れてきた人のことを紹介するよ」


 俺がお嬢様達の方に振り返ると、お嬢様は俺のことを冷ややかな目で見ている。……どうしてなんだろう?


「真守が女の子相手に可愛いって言った。しかも、頭撫でてるし……」

「萌ちゃんには昔からこのくらいのことはしてましたよ」

「ふ、ふうん……」


 お嬢様はちょっと不機嫌そうに頬を膨らませる。

 なるほど、お嬢様は未だに女性恐怖症だったときの印象が残っているんだな。だから、今みたいに女の子と気軽に接していることに違和感を持っていると。

 それなら、どうして不機嫌そうにしているのか。もしかして、同じことを自分にもしてほしいのかな? もしそうなら、お屋敷に帰ったらたくさんしてあげよう。


「ここで話すのは何ですし、どうぞ上がってください」


 この微妙な空気を察したのか、萌ちゃんは苦笑いをしながら家の玄関を開けた。彼女の言うとおり中でゆっくりと話した方がいい。

 俺達は萌ちゃんの家の中に入り、リビングに通される。

 家の中も俺の記憶通りであり、懐かしい気持ちが再び湧き出てくる。葵と一緒に遊びに来ていたなぁ。未来ともたまに来ていたっけ。


「また、真守さんとこうして会える日が来るとは思いませんでした」


 小さな声だったけど、そう言う萌ちゃんの目はとても嬉しそうに見えた。理由はどうであれ、萌ちゃんとの再会のきっかけを作ってくれた葵には感謝しないと。

 リビングのテーブルを囲むように、2つの小さなソファーと長いソファーがある。3人家族には多い気がするけれど、長いソファーに寝転がって正面にあるテレビを観たりするのかな。

 俺と萌ちゃんがそれぞれ小さなソファーに座り、長いソファーには萌ちゃんの側から未来、お嬢様、都築さん、桜さんという並びで座る。


「萌ちゃん。未来の隣から、俺の仕える九条由衣お嬢様、お嬢様のクラスメイトの都築凛さん。桜さんのことは3年前の事件で知っているよね」

「……はい。病室で色々と訊かれたことを覚えています。おひさしぶりです」

「すっかりと元気になったようだね。事件以来、君とは会っていなかったけれど……本当に元気そうで何よりだ。顔に火傷の痕もないようだし」


 3年前のことがあってか、萌ちゃんを見る桜さんの表情はとても明るい。こんな表情を見せるのは、1ヶ月前に警察署で俺と再会したとき以来かな。


「……都築さんもおひさしぶりです。犯人の裁判に証言しに行っただけなので、直接のお話しするのはこれが初めてですけど」


 萌ちゃんは都築さんに真剣な眼差しを向ける。

 そうか、2人とも三富博の裁判に被害者として出廷していたけれど、当時はこうして直接話すことはなかったんだ。


「……うん。ひさしぶりなのか、初めましてなのか微妙なところだけれど。3年前のことは……本当にごめんなさい。あのとき、私が横断歩道を渡らなければ、あんな事件が引き起こされることはなかったかもしれないから」


 事の発端は横断歩道を無理に渡ろうとした都築さんに気づき、俺の父親が運転する車が急ブレーキをかけたことからだった。当時、九条家の運転手であった三富博が運転する後続車が家の車に追突した。

 それでも事件の原因は自分にある。都築さんがそう思っても仕方がない。

 3年前のことを話されたせいか、萌ちゃんは俯いてしまう。やはり、あのときのことを思い出すのは辛いのだろう。親友の葵が亡くなったわけだし。何よりも自分自身も巻き込まれて、一時は死の淵を彷徨っていたのだから。

 少しの間、沈黙の時間が流れる。そして、


「……過ぎてしまったことはもう、どうにもできません。だから、気にしないでください。都築さん」


 萌ちゃんはうっすらと笑顔を浮かべ、都築さんにそう言った。

 萌ちゃんの言うとおりだ。過ぎたことは今になってどうにもできないのだ。いくら悔やんでも亡くなった人間が帰ってくるわけでもない。何も変わらないんだ。きっと、都築さんもそれは分かっている。それでも、悔やめずにはいられないのだろう。


「都築さんが元気でいることがとても嬉しいです。都築さんも重傷を負っていたことは知っていましたから」

「……ありがとう」


 都築さんはようやく萌ちゃんに笑みを見せた。

 萌ちゃんの視線はお嬢様に向けられる。


「本当に初めましては九条さんだけですね」

「そうね。初めまして、九条由衣です。3年前の事件のことは存じているよ。実は……事故を引き起こした犯人のことは当時、家で雇っていた運転手だったから。私から謝罪するわ。本当に申し訳ありませんでした」

「……いいんです」


 萌ちゃんが落ち着いてそう言えるのは、さっきも言ったように過ぎたことはどうにもできないと割り切っているからかもしれない。

 一度、萌ちゃんは深呼吸をして、


「みなさん、運命的な繋がりがあるんですね。それは数奇的な運命かもしれませんが」

「そうかもしれないね。萌ちゃん」


 それはきっと、俺達の中に3年前の事件が大きく関わっているからだろう。あのことがなければ俺達は今、こうして一堂に会することはなかったかもしれない。


「そういえば、真守さんはどうして突然私の家に? 何か理由があると思うのですが」

「……ああ、そうだった」


 3年ぶりの再会に浸ってしまって、本題を忘れるところだった。萌ちゃんにあのことについて訊かないと。


「実は……葵のことを話したくてここに来たんだ」

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