第25話『フクシュウ』

 潤井さんから渡された拳銃。確認してみると、実弾が入っている。潤井さんのお嬢様に対する殺意は相当なものであると考えられる。


「由衣ちゃんはここから逃げられません。あとは長瀬君の好きなときに、彼女の頭や心臓を撃ち抜いてください。そうすれば、私の復讐も果たされる」


 ふふっ、と潤井さんは声を漏らす。

 3年前の事件を通して、俺にもどうしても許すことのできない想いを抱いてしまった。それは今でも根強く残っている。

 だけど、その思いを向ける相手は――。


「……えっ?」


 俺は潤井さんに対して銃口を向ける。


「3年前の事件は俺にとっても大きなことです。あの出来事を通して、許すことのできない想いを抱きました」

「だから、それは由衣ちゃん――」

「あなたは馬鹿ですか? 俺が許せないのは家族を奪った犯人、三富博ですよ。彼に無期懲役の判決が下ったとき、俺には憤りしかありませんでした。どうして、4人もの人間の命を奪った人間を死刑にしないのか。事件当時、大雨が降っており、事故の直前に家の車が急ブレーキをかけて止まったことを考慮し、不可抗力だったことが認められても、4人の命を奪ったことには変わりない。彼が九条家の運転手で、九条家に向かっている途中で事故が起きたなんて関係ありません」


 三富博にどんな事情があろうとも、俺の家族を奪ったことには変わりない。もし、俺が復讐するのであれば、由衣お嬢様ではなく三富博に対してだ。


「あなたのお父さんは獄中にいてもまだ生きている。でも、俺の家族は全員死んで、二度と会えないんです。そうさせたのはあなたの父親です」


 潤井さんが九条家に抱いている復讐心とは比べものにならないくらい、俺は三富博という人間を恨んでいる。大切な人が生きているかどうか。それによって、復讐したい想いは大きな差異を生み出すと俺は思っている。


「だけど、それはそもそも――」

「九条家のせいだなんて認めません。あなたは俺の復讐心を自分の父親でなく、九条家の方に向けようとしている。どんな理由があろうとも、俺の家族を奪ったのはあなたの父親なんです。二度と復讐はできないかと思いましたけど、思いがけないチャンスが巡ってきた。俺の家族を奪った奴には、そいつの家族の命を奪えばいい」


 目には目を。歯には歯を。殺人には……殺人を。その論理から考えれば、三富博の一人娘である潤井愛莉を殺すのは自然なことだろう。


「真守君! それは駄目だ!」

「桜さん!」


 俺は桜さんの方に振り返って、彼女のことをじっと見つめる。

 撃たせないように桜さんは俺に対して銃口を向けている。俺がしばらく見つめていると彼女は銃を下ろした。


「あなたが俺に殺されたと知ったら、三富博はどれだけ苦しむでしょうね。自分が殺した人間の息子に一人娘を殺されたなんて、本当に惨めで滑稽だ。そう思うと、胸が躍ってきますよ」


 俺は潤井さんの額に銃口を触れさせる。


「真守、やめなさい!」

「彼女はお嬢様の命を奪おうとした人間ですよ! 俺はお嬢様を守るSPとして、お嬢様の命を殺めようとする人間には容赦しません。お嬢様の命を守るためなら、俺はどんなことでもする」


 潤井さんに恐怖を味あわせるために、銃口で彼女のことを押す。

 すると、潤井さんは腰を抜かしてしまったのか、その場に座り込んでしまう。それでも、銃口を彼女の額に当て続ける。そんな彼女の体は震えていた。


「潤井さん。最後に言う言葉はありますか? 絶対に許しませんけど、弁明するなら今のうちですよ?」


 俺がそう言っても、潤井さんは体を震わしたままだ。涙ぐんで俺のことをずっと見ている。撃たないで、と切に訴えているように。


「や……め……て……」

「何を今更。あなたの父親もとんでもないですが、あなただってとんでもないことをしているんですよ。Cherryと名乗ってお嬢様に恐怖を与え、名栗さんを使って俺を殺そうとも考えた。そして、挙げ句の果てにはお嬢様を誘拐し、この拳銃で殺そうとした。あなたの罪は重い。自分に銃口を向けられてしまうことも納得できるでしょう?」


 自分のやったことは何時か自分に返ってくる。お嬢様を恐怖に陥れた彼女には、こういう恐怖をたっぷりと味わうべきなんだ。



「さあ、恐怖を味わったでしょう。もうこんなことは終わりにしましょうか」



 緊張した空気が張り詰める中、俺は潤井さんから受け取った拳銃をゆっくりと、下ろした。


「安心してください。俺は端から、潤井さんを殺す気なんてありませんから。潤井さん、今のことでたっぷりと恐怖を味わったでしょう」


 恐怖のあまりか潤井さんは声を出さずに、一度頷くだけだった。


「そうですよね。でも、お嬢様はあなたから手紙を送られてからずっと、殺されるかどうか不安だったはずです。あなたはお嬢様に対して、とんでもないことをしていたことを分かっていただけましたか」


 潤井さんにお嬢様の味わった恐怖を知ってほしくて、俺は潤井さんに対して銃口を向け、殺すような発言をした。


「俺だって三富博のことは今でも許せません。だからといって、あなたを殺す形で復讐することは法律で禁じられていますから。どこかで断ち切らなければいけない。俺はそのためにお嬢様のことを守ってきたんです。もし、俺がこの拳銃で潤井さんを殺害したら、いつか絶対に自分自身を許せなくなっていたでしょう」

「長瀬、君……」

「……良かった。潤井さんが復讐を実行せずに済んで。本当に良かったです」


 俺は潤井さんの頭を優しく撫でた。


「とても恐い想いをさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした」


 潤井さんの恐がる表情を見たときは心苦しかったな。例え演技でも彼女を恐がらせてしまったんだから謝らなければいけない。


「まったく、真守君は無茶なことをするよ」

「でも、桜さんは分かっていたじゃないですか。だから、俺に向けた銃口を下ろしたんでしょう?」

「……君が人の命を殺めるわけがないと思ったからね。真守君はここにいる誰よりも人命の重さを知っていると信じているから」

「そうですか」


 桜さんは潤井さんのところまでやってきて、彼女をゆっくりと立たせる。そんな桜さんに拳銃を渡した。


「さてと、あとは署で聞かせてもらおうかな。名栗に真守君のことを殺害するように依頼した件について。九条さんに対しては誘拐だけになるのかな。銃刀法違反にはなるけど、その中でも軽い方かな。弾は入っていないから」


 桜さんがそう言うと、潤井さんは驚いた表情を見せる。


「えっ、そ、そんなはずはありません! さっきは入っていたはずなのに……」

「それを示す証拠はないな。だって、弾はあそこに落ちているんだから」


 拳銃の弾丸は俺達のすぐ側に落ちていた。


「君はこの弾の入っていない拳銃で、九条さんを恐がらせたかっただけだろう? だから、殺人未遂にもならないか」


 そう言うと、桜さんは俺の方を見てウインクをした。

 実は潤井さんの言う通り、彼女から拳銃を受け取ったとき拳銃には実弾が入っていた。だけど、こっそりと弾を取り外して床に落としておいたのだ。

 一連のことは許しがたいことだけれど、罪を認めて償おうとする真っ直ぐな気持ちがあることが分かれば、このくらいのことはね。


「都築さんのことは……まあ、真守君に謝ったから大目に見るか。外にはもうパトカーが待っている。潤井さん、行こうか」

「……その前に由衣ちゃんに言いたいことがあるんですけど、いいですか」

「いいだろう」


 すると、潤井さんはお嬢様の所に行き、お嬢様を縛っていた紐を解いた。


「……由衣ちゃん、ごめんなさい。幼なじみで親友であるあなたを殺そうとしたなんて、許されることじゃないよね。本当にごめんなさい」


 潤井さんはお嬢様に向かって深く頭を下げた。それは自分の犯した罪の重さが分かった何よりの証拠だった。

 お嬢様は柔らかい笑顔になって、潤井さんの手をそっと掴む。


「……確かに愛莉のしたことは犯罪とも言えるほどの間違ったことだと思う。でも、私は……愛莉の優しいところをたくさん知ってるよ。私は今回のことで本当のお父さんに対する愛莉の優しい気持ちが分かった。私、待ってるから。また、一緒に楽しい時間を過ごそうよ。昔みたいに、凛と3人で」


 都築さんと3人で……か。おそらく、今みたいな関係になってしまったのは3年前の事件がきっかけだろう。それから、お嬢様はきっと、かつてのような関係を取り戻したいと常日頃考えていたんだと思う。

 潤井さんはポロポロと涙をこぼした。


「……ありがとう、由衣ちゃん」


 きっと、戻れるだろう。危うくとんでもないことになるところだったけれど、いつかは3人とも笑顔で過ごせるときが訪れるだろう。


「長瀬君」

「なんですか?」

「私の想像通りでした。あなたを初めて見たとき、かなり手強そうな人がSPになったなって。もしかしたら、私は……本当はあなたに由衣ちゃんの殺害を止めてほしかったのかもしれません。あなたならそうしてくれると思って、さっきのゲームを思いついてしまったんだと思います」

「……俺はお嬢様を守りたい一心で動いただけです。それに、Cherryだって人です。これ以上、罪を重ねてほしくない。それはずっと考えていました」


 お嬢様を殺害してしまうことが一番悲しい結果になることは分かっていた。それは絶対に阻止する。そのためにこの2日間、SPとしてお嬢様の側にいた。


「さすがは由衣ちゃんのSPさんですね。これからも由衣ちゃんのことを守ってください。お願いします」

「……ええ、分かりました」


 俺がそう言うと、潤井さんはようやく俺にも笑顔を見せてくれた。彼女らしい優しい笑みを。


「私が言うのは何ですけど、あなたなら安心できます。……日向刑事、行きましょう」

「ああ、分かった。じゃあ、行こうか」


 潤井さんは桜さんに連れられて、部屋を出ていくのであった。

 これで、Cherryに関する一連のことは終わったのか。俺が関わったのは2日ほどだったけど、もっと長く感じた。

 お嬢様、未来、都築さんはしんみりとしていた。クラスメイトが警察官に連行されてしまったから仕方ないか。唯一、くるみさんだけがいつもの穏やかな表情をしている。


「俺達も帰りましょうか」

「そうですね、真守さん」

「くるみさん、もう大丈夫なんですか?」

「ええ。酔いもすっかりと覚めましたので、リムジンを運転しても大丈夫です」

「それは安心しました」


 くるみさん次第でお屋敷に帰る別の方法を考える必要があったけれど、大丈夫らしいからリムジンで帰るとするか。


「お嬢様、帰りま――」


 お嬢様の方に振り向くと、彼女は涙をボロボロとこぼしていた。


「愛莉……」


 潤井さんの前では笑顔を見せていたけれど、やっぱり彼女がCherryであることがショックだったんだろう。身近にいる人が自分のことを殺そうと思っていたんだから。そして、3年前の事件の犯人の一人娘だったから。


「……もう終わったんです、お嬢様」

「真守……」

「さっき、お嬢様が言っていたでしょう。潤井さんのことを待つと。彼女が罪を償って、また会える日を待ちましょう。桜さんもついていますし、きっと大丈夫だと思いますよ」


 潤井さんのことを考えてしまうのは分かるけれど、もう終わったんだ。俺達は前を向いてこれからの未来を歩まなければならない。


「さあ、帰りましょう」

「……そうね」


 お嬢様は涙を拭い、俺に精一杯の笑みを見せた。

 そして、俺達はくるみさんが運転するリムジンで、潤井さんの屋敷を後にしたのであった。悲しみの花は今夜で全て散り、いつかきっと喜びの花が咲くことを信じて。

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