第24話『正体-Cherry-』

 俺は急いで東側の2階に行く。


「やっぱり、いたか……」


 とある部屋の前に、灰色のスーツを着た男がいた。スキンヘッドの黒いサングラス。屈強そうな体つきから、いかにもSPという雰囲気を漂わせる。もしかしたら、彼がCherryと名栗さんのパイプ役になった人かもしれない

 Cherryはお嬢様を見つけることをゲームだと言った。ゲームにはプレイヤーを騙すような要素や、途中で出てくる敵はつきもの。

 ただ、プレイヤーはそれを攻略していくんだ。

 灰色のスーツの男がいるということは、彼が立っている扉の中には絶対にCherryとお嬢様がいるはずだ。

 俺はこの旨のことを桜さん、くるみさん、未来にメールで送った。

 彼女達が来る前に灰色のスーツの男を黙らせておくか。


「あの……」


 俺は広い屋敷の中を迷ったかのように灰色のスーツの男に歩み寄る。

 しかし、灰色のスーツの男は俺の顔を見るや否や、こちらに向かって勢いよく走ってきた。


「……無駄なことを」


 俺は右手で男の口元を押え、思い切り壁に叩きつける。


「忘れてしまったのですか? 俺は男に容赦ないということを。ましてや、あなたのような暴力的な人には。あなたに邪魔なんてさせない。ここで大人しく眠っていてもらいましょうか。間もなくここに警察官がやってくる。名栗さんと同じように、警察に行ってもらいますからね?」

「んぐぐぐっ!」


 男は両手で俺の右手を掴んで、必死に口から離そうとするけれど、そんなことくらいで拘束が解けるわけがないだろう。3年前の都築さんとの一件で、俺は自分の身を守るために体は鍛えてあるからな。


「おやすみなさい。目が覚めたときには囚われの身だ」


 口だけでなく鼻も押さえつけると、男は意識を失ったようでその場に倒れ込んだ。


「襲いにかからなければこんな目に遭わなかったのに。まあ、仕方ないよね」


 これはゲームなんだから、男の出方次第ではこっちの味方にしたんだけど。最後まで攻撃を仕掛けようとする人間に対しては倒す他はない。


「真守君、この男は?」


 桜さんは倒れている男を見ている。


「……この部屋の扉の前に立っていたんですよ」

「灰色のスーツってことは、まさか……」

「おそらく、名栗さんにナイフと300万円の大金を渡した男じゃないかと思います。この状況で彼と出会うということは、名栗さんに俺の殺害を頼んだのはCherryで決定ですね」

「そうだな」


 まあ、昨日の取り調べの時からずっと黒幕はCherryだとは思っていた。

 やっぱり、Cherryは俺という存在が邪魔だったから名栗さんを使って殺害しようとしたんだ。名栗さんに渡した写真のデータを送ったのもCherry。写っている内容も、Cherryがあの人なら納得だ。


「8時までもう時間がない。2人で行こう」

「……そうですね。もう行きましょう」


 くるみさんと未来を待っている時間はない。2人には東側の2階にいることをさっきのメールで伝えている。今は桜さんと2人で行こう。

 俺はゆっくりと扉を開ける。

 廊下の明かりのおかげで暗い部屋の中がかろうじて見えている。そんな中で手足を縛られて倒れているお嬢様を見つけた。


「お嬢様、助けに来ましたよ」

「真守、日向さん……」


 お嬢様は俺達の顔を見て微笑んでいる。ただ、お嬢様のすぐ側にCherryの足元が見えた。


「午後7時59分。このゲーム……俺達の勝ちです。お嬢様を殺害することは止めてもらいましょうか」


 俺は手元にあったスイッチで部屋の明かりを点ける。それによって、Cherryがついに姿を現した。


「Cherryは……潤井愛莉さん。あなたですね?」


 お嬢様の隣に立っていたのは、ピンク色のドレスに身を包む潤井愛莉さんだった。彼女が一連の事件の首謀者であるCherryの正体だ。

 お嬢様はこの瞬間までCherryが潤井さんであることは思わなかったのだろう。驚いた表情で彼女のことを見ている。

 桜さんは犯罪者を見るような目つきで、潤井さんのことを見ている。

 当の本人である潤井さんは落ち着いた表情で、やんわりと笑顔を浮かべていた。


「……いつから、私がCherryだと気付いていたんですか?」

「確信を持ったのはつい先ほどでした。しかし、あなたに対する違和感は今朝からずっと抱いていました」


 そんなことを話している間に、くるみさんと未来がやってきた。2人にはCherryが潤井さんであることを伝えていないので、2人は潤井さんのことを信じられないと言わんばかりの表情で見ている。

 ちょうどいい。未来が来たからあのことについて訊いてみよう。


「未来。到着して早々に訊きたいことがあるんだけど」

「うん、何かな?」

「さっき、俺が目を覚ましてソファーから起き上がろうとしたとき、俺……体を痛がっていたよね。その時、未来は俺にどうやって訊いた?」

「普通にどこか痛いのって……」


 未来がそう言った瞬間に、潤井さんははっとした表情になった。ようやく、俺の抱いた違和感の原因に気付いたみたいだな。それが大きなミスであったことも。


「どうして、未来はそう訊いたの?」

「だって、どこが痛いのかが分からないから。九条さんのお屋敷の前で男に襲われたことは知っていたけれど、どこが痛いのか知らなかったし……」

「……そうか。その言葉が聞きたかったんだよ、未来」

「えっ?」


 Cherryと無関係なら今のような反応が普通だ。でも、潤井さんは違った。


「そう、このように事件に無関係なら、未来のような問いかけをするはずなんです。ですが、潤井さんは違った。潤井さんは痛がっている俺を見て、迷いなく俺の脇腹をさすってくれましたよね。どうしてですか?」


 潤井さんは視線をちらつかせている。


「……廊下での様子も見ていたんですよ。それで……」

「あり得ませんね」

「えっ……」

「確かに、廊下でも体の痛みを感じていました。ですが、そのときに俺がさすったのは背中だけです。お嬢様も俺が脇腹も怪我をしていることを匂わせるようなことは一切していませんでした。おかしいですね、どうしてあなたは俺が脇腹もケガしていることを知っていたのでしょうか」


 今朝の時点で潤井さんが脇腹をケガしたことを理由は限られる。


「昨日の夕方、俺が名栗さんに襲われているところを見ていたからですよ」


 となると、都築さんが木の陰から名栗さんの犯行の一部始終を見ていたことも、潤井さんは知っていたはず。


「灰色のスーツを着た男。殺害用のナイフ。300万円の現金。俺が写っている写真。これだけ用意周到だと、黒幕本人は犯行の一部始終をわざわざ見ないと考えていました。そして、都築凛という俺と深く関わりのある人物が犯行を目撃していた。そのため、警察も都築さんが黒幕の最有力候補であることを念頭に捜査を進めた。これはあなたにとっていい方へ転がったと思ったでしょうね」


 都築さんは3年前の事件で俺と関わりがある。そして、お嬢様に対して敵対心を抱いている。彼女がCherryである可能性が十分だと思われても不思議ではない。


「今回も午後8時を過ぎたらお嬢様を殺害し、都築さんが疑われるように細工をしてここから立ち去ろうとしていたんですよね。でも、あなたは危険な賭けをして失敗してしまいましたね。俺達があなたのゲームに勝ってしまったのですから」


 東側にも桜があることに気付かないと思っていたのだろう。この広い屋敷の中で見つけられるわけないと。灰色のスーツの男を立たせておくことで妨害しようと思ったんだろうけど、それもムダだったみたいだ。


「なるほど、そういうことだったのね」


 振り返ると、扉のすぐ近くに都築さんがいた。


「長瀬君達の様子がおかしいと思ったらこういう事態になっていたのね。愛莉の様子も最近おかしいなって思っていたけれど、まさかその原因が私も疑われたCherryだったなんてね」

「あなたは潤井さんが何か企んでいると疑っていたんですね」

「ええ。由衣や愛莉とは昔からの付き合いだから。由衣と愛莉の様子が同時期におかしくなったから、もしやとは思っていたよ」

「ということは、昨日の犯行を目撃したとき、黒幕は潤井さんである可能性も考えていたわけですか」

「……ええ」


 さすがは都築さんだ。少しの異変でも幼なじみだと気付くことができるのか。


「しかし、そうなるとどうして君が犯行現場にいたのかが分からない。たまたまというのは嘘なんだろう?」


 桜さんは意地悪そうな笑みをして都築さんに問いかける。今朝の借りを返したいのは分かるけど、わざわざこういう場で返さなくてもいいのでは。

 ただ、桜さんの言うことはもっともなこと。都築さんはCherryじゃなかった。でも、たまたま居合わせたということは思えない。そうなると、都築さんはどうして犯行当時、あの場にいたのか。とても気になる。

 そして、当の本人である都築さんは頬を赤く染めていて、これまでの人のことを舐めた雰囲気が全く感じられない。潮らしくなってしまう。


「……だから」

「えっ?」


 あまりにも小さな声で言うので、俺は思わずそう訊き返してしまう。


「……3年前から長瀬君のことが好きだから」


 耳を疑ってしまった。都築さんから放たれた言葉が信じられなくて。


「長瀬君のことがずっと気になってた。だから、昨日の放課後も長瀬君と由衣の後をずっと付けていたの」


 なるほど。だから、俺を執事にしようとしていたんだ。好きな人を自分の側に置いておきたくて。だから、今朝、教室であの場にいた理由を問いかけたとき、俺のことが気になるからだと言ったんだ。

 好きなだけならそれでいいんだ。ただ、都築さんの好意を知って気になるのは、


「3年前から好きだったなら、どうして俺に強姦したんですか。慰謝料を半分にするなんて嘘を付いてまで……」

「長瀬君と付き合うにはどうすればいいのか分からなかったの! 裁判で争っている最中だったから堂々とあなたが好きだなんて言えない。それでも、長瀬君との距離を縮めたかった。繋がりが欲しかった。だから、ああするしかなかった……」


 そう言う都築さんの目からは涙がこぼれ落ちていた。

 確かに当時、長瀬家と都築家は3年前の事件に対する賠償金について、裁判で争っている状態だった。被害に遭った娘が、裁判を争っている相手を好きだと言えば、都築家はそれを快く思わないだろう。そんな状況だからこそ、余計に都築さんは俺に対する欲求が膨れ上がってしまった。

 都築さんも普通の恋する女の子ってことか。


「例のことがあって、私も罪悪感が芽生えた。あの時のあなたの目は、絶望そのものだったから。だから、もうあなたとは関わらないようにしようと決めたの。でも、まさか由衣のSPという形で再会するとは思わなかった。あなたの姿を教室で見たとき、あなたへの欲がまた出始めてしまったの」

「なるほど。そういうことだったんですか。いや、今まで不思議だったんですよ。どうして、都築さんは3年経った今になって、また俺に近づいてきたんだろうって」

「……昨日、私のせいで女性恐怖症になったのを知って、今まで以上に長瀬君に好きだっていう本音が伝え辛くなって。だから、あのときは本当にごめんなさい……」


 そう言って、都築さんは泣き崩れる。そんな彼女のことをくるみさんが優しく抱きしめた。

 都築さんの泣き声の中、微かに別の人の笑い声が聞こえた。


「……くだらないですね。そんな理由で長瀬さんを襲うなんて……」


 笑っていたのは潤井さんだった。まるで、都築さんが乗り移ったかのように潤井さんは嘲笑している。


「私がCherryとしてこんなことをする理由は、彼女のようなものなんかじゃないですよ」


 ようやく、今回の出来事の核心の話になるか。ついさっき、桜さんに知らせてもらったある事実が関わっているだろう。それは、お嬢様が桜さんに対して怯えていることにも繋がっているはずだ。


「あなたが今回の事件を起こした理由……それは、潤井愛莉としてではないのでは?」

「どういうことなの? 潤井愛莉としてではないって……」


 何を言っているのか分からないのか、お嬢様がそう言葉を漏らす。


「お嬢様は知らないかもしれません。潤井さんは産まれたときから潤井さんではなかったんです。そうですよね。……三富愛莉さん」


 三富、という苗字を聞いた途端……お嬢様は目を見開いた。


「三富、って……ま、まさか……」

「そう、3年前……俺の家族が亡くなった交通事故。潤井さんはその犯人である三富博の一人娘だったんです」


 さっき桜さんから教えてもらった情報は、3年前の事件の犯人である三富博についてだった。三富博は10年以上前に離婚し、離婚した妻との間に愛莉という名前の一人娘がいたのだ。それを知ったとき、一連の出来事の背景が浮かび上がったんだ。


「これは俺の推測ですが、あなたは父親のために……Cherryとなって今回の計画を実行しようと思ったのでは?」


 俺がそう言うと、潤井さんはにっこりと笑みを浮かべた。


「……さすがですね、長瀬君。私がCherryと名乗ったのは、九条家という存在が桜の花のように散っていく様を世間に知らしめたかったから。どんなに美しい花でも、散った瞬間に醜いものに変わるから」


 やっぱり、そうだったのか。さっきのお嬢様の反応を見てそうだと思ったけど。

 潤井さんが復讐したかったのは九条建設でもなければ、九条由衣でもない。九条家に対して復讐をしたかったんだ。Cherryというのはそんな潤井さんの想いを表した言葉だった。


「おそらく、三富博さんは九条家の運転手だったのではないでしょうか。違いますか?」

「その通りです。私の本当の父……三富博は九条家専属の運転手をしていました」


 これで、3年前の事件と九条家が繋がった。となると、当然……お嬢様やくるみさんはこのことを知っていたわけだ。雇っていた運転手が6人を死傷させた交通事故を引き起こしたことを。


「なるほど。それで、九条さんは私に対して怯えていたのか。直接ではないものの、九条家が3年前の事件に関わっているから。ましてや、被害者はSPとして雇っている真守君の家族だ。君だけにはどうしても知られたくなかったんだろう」


 もしかしたら、怯えていたのは桜さんではなくて俺だったのかもしれない。知られてしまったら、俺が九条家から離れてしまうかもしれないから。

 ただ、お嬢様のことだ。俺が今、こうしてSPとして働いていることが偶然であるとは考えられない。


「……お嬢様、話してくれませんか。俺がこうしてお嬢様のSPになっているのは、何か理由があるんでしょう?」


 俺がそう訊くと、お嬢様は諦めたような表情になった。はあっ、とため息をついた。


「九条家で雇っていた運転手が事故を起こしたこと、真守のご家族が亡くなったことは知っていた。家族を失った真守に対してどうにか償いができないかどうか、ずっと考えていたの」

「ということは俺が未来の家に住んでいたことや、卒業して1人暮らししたことも……」

「もちろん、以前から全て知っていた。あなたが中学を卒業して就職をしたと聞いたとき、償いの方法をやっと思いついたの。それが、あなたをSPとして雇うことだった。そのために、あなたの勤めていた書店の店長に説得していたの。最初はあなたが有能な人材だからって、辞めさせることを嫌がっていたけどね」


 それにしては、解雇のことを話したときは結構あっさりしていたけれど。


「それでも、説得をしてあなたの解雇を了承してもらったの。そして、解雇当日……あなたのいない間に、くるみにSP募集のチラシをポストに入れてもらったの」


 ということは、あの面接試験に来るのは俺だけだったのか。あっさりとお嬢様が採用していたのは、俺をSPとして側にいさせることを決めていたからだったんだ。


「でも、どうしてそんなことをしたんですか。それにお嬢様の気持ちも分かりますけど、本当のことをもっと早く言ってほしかったです」

「……ごめんなさい。本当のことを知られるのが恐かったから……」

「当たり前ですよね。なぜか、マスコミは会社員ということだけを報じて、九条家の運転手であることは一切言わなかったんですから。3年経って、犯人が自分の家の運転手だったとは由衣ちゃんは今更言えなかったんですよね」


 潤井さんのその口調から、お嬢様のことを責めていることが分かる。きっと、九条家が関わっていることを伏せられていたことに憤りを感じているんだろう。


「Cherryからの手紙が届いたこともあって、募集する理由は十分だった。あとはこのことがバレずにCherryが捕まればいいって思ってた。でも、それは間違っていたんだよね。そんなこと、分かっていたのに。本当にごめんなさい。家が雇った運転手があなたの家族を奪ってしまって。こっちの理由であなたの人生を狂わせるようなことをしてしまって。本当にごめんなさい」


 そう言うと、お嬢様は涙を流した。その涙は彼女の頬を伝って、床にこぼれ落ちる。

 お嬢様の言う通り、彼女が俺にしたことは本当に勝手なことだ。俺のことを考えずに勝手に話を進めていった。謝って済まされることではないだろう。


「謝るくらいじゃ済まされないって思っているでしょう?」


 潤井さんはゆっくりと俺の前まで歩いてきて、懐から拳銃を取り出した。


「午後8時を過ぎたらこれで由衣ちゃんを殺そうと思っていました。お父さんはあの日、由衣ちゃんのお父さんからの急用で、九条家に向かう途中であの事故が起こったと聞いています。それを理由に復讐を実行しようとしました。急用さえなければ、私のお父さんは犯罪者にならなかったって。でも、今の話を聞いていたら……長瀬君の方が由衣ちゃんを殺すのに相応しいですよね。大切な家族を全員失っているんですもの」


 なるほど、三富博さんは九条家へ向かっている途中で事故を起こしたのか。だからこそ潤井さんは尚更、九条家に対する恨みを抱いているんだ。

 俺は潤井さんから笑顔で拳銃を渡される。


「この拳銃を使って由衣ちゃんを殺してください。3年前の復讐をここで果たしましょう?」

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