第23話『操り人形』

 ゆっくりと目を開けると、そこには見たことのない天井があった。スプレーのようなものをかけられたせいか、目を開けていることが辛い。


「真守君、大丈夫か?」

「……その声は桜さん、ですか?」

「ああ、そうだ。立花さんがお手洗いの前で倒れている君を見つけて、近くにいた招待客達と一緒にここまで運んだんだ」


 そういえば、背中にはふかふかした感覚がある。

 少しずつ目を開けると、自分がソファーの上に寝ているということが分かった。周りを見てみると、そこには未来、桜さん、くるみさんが俺の側に立っていた。


「ここは……」

「エントランスのすぐ側だ。さっきまではお酒で酔っていた夏八木さんも隣のソファーで寝ていたんだ」

「大丈夫ですか? 真守さん」

「くるみさんこそ、大丈夫なんですか?」

「ええ。ちょっと寝たら酔いが醒めました」


 それは凄い。八重桜の前で俺に絡んでから、そんなに時間は経っていないんじゃないか?

 俺はゆっくりと体を起こそうとするけれど、嗅がされた薬と背中の痛みが影響してか、なかなか起きることができない。


「いたたっ」

「真守君、無理しないでいいんだよ」


 未来が俺のことを支えてくれたおかげで、やっと体を起こすことができた。


「どこか痛むの? 真守君」

「昨日、襲われたときに背中を外壁に打ち付けたから。背中全体が今も痛いんだ」


 ソファーの背もたれにゆっくりと寄りかかる。


「真守君、お手洗いの前で何があったんだ?」

「……お嬢様がお手洗いに入った直後でした。催涙スプレーだと思うんですけど、目にかけられて視界を奪われました。その直後に口元に薬を湿らせた布のようなものを当てられて、何もできずに意識を失ってしまいました」

「そうか。状況からして、真守君を襲ったのはCherryである可能性が高そうだ。仮にCherryだとしたら、九条さんの命が危ない」

「ちょっと待って! Cherryって何のことなの? それに九条さんの命が危ないって……」


 そういえば、未来は俺が男に襲われたことは知っているけれど、Cherryのことについて全く知らないんだ。


「私から話そう」


 事態を把握している桜さんが、一連のことについて未来に簡単に説明してくれた。俺やお嬢様が置かれている状況を知り、未来は強張った表情をしている。


「そうだったんですか……」

「おそらく、Cherryは九条さんが1人になるタイミングを狙っていたんだ。あのお手洗いでついに動いたんだよ」

「じゃあ、九条さんはもうこのお屋敷にいないんじゃ? 真守君を見つけたのも30分ぐらい前だし……」

「どうだろうなぁ。今日はパーティーが行われている。外にはたくさんの招待客が八重桜をお花見している。お屋敷の外に連れ出すということは、その様子を誰かに見られるかもしれないリスクを背負わないといけない」


 ということは、今もお嬢様は潤井家のお屋敷のどこかにいるということか? お屋敷は広いし、招待客はパーティールームと八重桜周辺の庭しかいない。外に連れ出すよりも、お屋敷のどこかに隔離する方がリスクも格段に少なくなる。


「申し訳ない。私が側にいればこんな事態にはさせなかったのに」

「そんなことはありません、日向様。私が間違えてアルコール入りのシャンパンを飲んでしまったせいです」

「夏八木さんが悪いわけじゃない。間違いは誰にでもある」


 けれど、Cherryだって自然の成り行きでお嬢様が1人になる瞬間を狙っていたとは考えにくい。俺、くるみさん、桜さんをお嬢様の側から離れさせるように仕向けていた可能性だってあるじゃないか。例えば――。


「お嬢様は、くるみさんが間違えてアルコール入りのシャンパンを呑むとは考えられないと言っていました。もしかしたら、くるみさんを酔わせたのはCherryの作戦の一つだったのかもしれません」

「そう言われてみると納得できますね。宝月学院の生徒さんも来ますので、ノンアルコールのスパークリングワインが用意されているんです。ですから、普段通りにスパークリングワインの入ったグラスを受け取って呑んだのですが、普段とは違って体がポカポカして眠気も襲ってきて……」

「……なるほど、そういうことか。いつもと違うアルコール入りのスパークリングワインを呑んで酔っ払ってしまった夏八木さんを介抱するには、私しかいない。真守君は女性恐怖症だからね。いくら彼女でも、あそこまで絡まれたら激しい症状が出てしまう。Cherryはきっと、私が刑事であることを知っている。一番排除したかったのは私だろう」


 確かに、俺、くるみさん、桜さんの中で一番やっかいなのは桜さんだろう。彼女をお嬢様の側から離れるには、周りの人間の状態をおかしくさせること。そのターゲットになったのがくるみさんだった。

 Cherryはいつも、このパーティーでくるみさんがスパークリングワインを飲むことを知っていたんだ。だから、普段とは違うアルコール入りのスパークリングワインにすり替えておいた。


「お嬢様と俺だけという状況になれば、お手洗いでは確実にお嬢様が1人になる。実際にその通りになってしまった」

「じゃあ、Cherryは女性ってこと? 九条さんはお手洗いで誘拐されたんだから」

「その可能性は高いだろうね。ただ、お嬢様を1人の状態にできる場所がお手洗いだと分かっていたら、男でも事前に個室に隠れていればいい話だ。俺がもしCherryの立場だったらそうするさ」


 きっと、Cherryはお手洗いでお嬢様の意識を失わせた後に、俺に襲いかかったんだ。スプレーで視界を奪い、薬を嗅がせて意識を失わせた。これは絶対に計画的な犯行だ。

 ――ブルルッ。

 俺のスマートフォンが鳴る。確認してみると、着信となっており発信者は『お嬢様』となっていた。


「お嬢様からだ!」


 俺はすぐに通話に出て、スピーカーホンにする。


「お嬢様、大丈夫ですか!」

『その声は長瀬真守君かな?』


 その声はお嬢様ではなく、何か機械に通して加工されたような声だった。自分の正体がバレないようにするためか。


『きっと、そこには夏八木くるみ、日向桜がいるんだろう』

「立花未来もいますよ。さっき、俺を襲ったのはあなたですか? そして、あなたはCherryというのではありませんか?」

『あははっ! その通りだよ。私はCherry。九条由衣が1人になったあの場所で、彼女を眠らせ、君を襲ったんだよ。いやぁ、君は見事に倒れてくれたねぇ』


 やはり、俺の推測通りだったか。Cherryはこのパーティーがお嬢様を襲う絶好のチャンスだと考えていたんだ。


「くるみさんを酔わせたのもあなたの仕業ですか?」

『その通り。夏八木くるみはもちろんだけど、一番やっかいな日向桜を九条由衣から離れさせるためさ。彼女が刑事であることは分かっていたからね』

「まんまとあなたの思惑にはまってしまったわけですね。でも、それもここまでです。お嬢様は今どこにいる? あなたの側にいるんでしょう?」

『その通りだ。でも、その場所を教えるわけにはいかない。そうだなぁ、どうせなら一つゲームをしよう』

「ゲームですって?」


 いきなり何を言い出すんだ? ゲームをしたいだなんて。


『午後8時までに私と九条由衣を見つけることができれば君達の勝ちだ。でも、見つけられなかったら、九条由衣を容赦なく殺す』


 今の時刻を腕時計で確認すると、針は7時45分を指していた。残り15分しかないのか。厳しいゲームだ。


『ただ、このままではこちらが有利すぎるね。ゲームが面白くなるように、1つだけヒントを九条由衣から出してあげよう』


 お嬢様がヒントを? ということはお嬢様も意識を取り戻して、離せる状態ではあるんだな。それが分かってひとまず安心した。


『真守……』

「お嬢様、大丈夫ですか!」

『手足を縛られているけど、何とか生きているよ。どこか部屋の中にいて、窓から桜の花びらが見えるよ。その後ろに――きゃあっ!』

「ど、どうしたんですか!」

『ヒントは1つだけって言っただろ! では、君達の健闘を祈っているよ』


 向こうから通話が切れてしまった。再びお嬢様のスマートフォンに電話をかけてみるものの、電源を切ったのか繋がらない。


「今は九条さんを見つけることが第一だよ、真守君」

「そうですね」

「今の話によると、九条さんとCherryはこの屋敷にいるのは確かだ。窓から桜が見えているって九条さんが言っていたからね。夏八木さん、この屋敷から桜が見える部屋はどこだろう?」

「南側に八重桜がありますから、南側に窓がある部屋だと思います」

「なるほど。ちなみに、この屋敷は何階建てだろう?」

「3階建てです」

「よし、分かった。じゃあ、3階は私で、2階は真守君、1階は夏八木さんと立花さんが探してくれ。見つけ次第、必ず真守君のスマートフォンにメールやメッセージを送ること。見つけられなくてもその旨を伝えること。見つけたらその場所に行き、見つけられなかったらここに戻ってくることにしよう」

「それで探しに行きましょう」


 さすがは桜さん。こういう緊急事態でも冷静になっている。今は桜さんの言った方法で探すしかない。


「じゃあ、捜索開始だ!」


 そう言って、桜さんは走り去ってしまった。

 俺も探しに行こうとするけれど、未来が俺の手を掴んで引き留める。


「どうしかした?」

「……危険な目に遭うんだよ。真守君にこれ以上――」

「未来の気持ちは痛いほど分かるよ。今朝は本当にごめん。俺は危険を承知でSPという仕事をしようと決めたんだ。命を賭けてでもお嬢様を守りたい」

「真守君……」

「だから、俺はお嬢様を探しに行く。それに、Cherryに殺人なんてさせたくない。お嬢様に死んでほしくないって少しでも思っていたら、お嬢様を探すことに協力してくれないかな。未来の力が必要なんだ。もちろん、無理はしなくていいから」


 この広いお屋敷のどこかにいるお嬢様を、残り15分で探さなければいけない。1人でも多い方がいい。

 未来は迷っていたようだけれど、やがてそんな表情は消え、真剣なものへと変わっていく。


「……分かった。クラスメイトを失いたくないからね。私は1階を探せばいいんだよね」

「ああ、そうだ」

「じゃあ、急いで探しにいかないと。ごめん、私の我が儘で引き留めちゃって。真守君は立派な九条さんのSPだよ。私は真守君を応援したい」

「ありがとう。じゃあ、探しに行こう!」

「うん!」


 俺と未来は互いに頷き合うと、それぞれの担当の場所を探しに行き始めた。

 俺は担当である2階に行き、南側にある部屋を確認していく。鍵が開いている部屋の中を一つ一つ見ていったけれど、どの部屋も真っ暗で人はいなかった。

 くるみさん、未来からメールが来て、どちらもお嬢様は見つからず先ほどの場所に戻るという内容だった。ということは、3階にいるのだろうか。

 そんなことを考えている中、3階を担当している桜さんからメールが届く。


『3階の部屋を全て確認したけど、どこにもいなかった。とりあえず、私はさっきの場所に戻るから』


 桜さんの方も見つからなかったか。

 どういうことだ? 桜が見える部屋は全て確認したはずなのに、どこにもお嬢様がいないなんて。

 さっきの場所に戻ると、そこには桜さん、くるみさん、未来が思わしくない表情をして立っていた。


「2階はどうだった?」

「いえ、どこにもいませんでした」


 桜さんはムッとした様子で髪を掻く。


「……どういうことだ。八重桜が見える部屋は全て確認したはずなのに。まさか、潤井家以外にも八重桜が植えられている場所があるっていうのか? 真守君を見つけてから電話がかかってくるまで30分もあったし。それだと、午後8時までに見つけるのはほぼ不可能だ……」

「あの、日向刑事。私、気になっていたことがあって……」

「何かな、立花さん」

「九条さんは桜が見えていることの他に何か言おうとしていませんでした? 後ろがどうとか言っていたような……」


 そういえば……そうだった。お嬢様は桜の後ろのことを言おうとしていた。Cherryも何か慌てたように、俺達へ教えるヒントは一つだけだと強い口調で止めていた。


「立花さんの言うように、九条さんは何か言おうとしていたな。だけど……」

「ちょっと待ってください」


 考えろ。お嬢様はどのような状況の中で俺達と話したのか。

 お嬢様は手足が縛られていた状態で、窓の外を見ていた。そんな中でお嬢様は桜の後ろに見えているものを伝えたかったんだ。その見えているもので考えられるのは唯一つ。

 俺は屋敷の外に出て、夜空を確認する。


「どうしたんだ! 真守君!」

「ないんですよ! 桜さん!」

「ないって何が――」

「月です! 南側には月がないんです!」


 その一言で俺の言いたいことが分かったからか、桜さんは口角を上げる。


「……そういうことか。手足が縛れているということは、九条さんは立つことができない。おそらく、九条さんは寝転んだ状態で窓の外を見ている」

「ええ。日が暮れて桜の後ろ側に見えるものといえば、月ぐらいしかありません。金原市に高層ビルはいくつかありますけど、ここは丘の上ですしね」

「なるほど。そして、月は……」


 周りを確認すると、東側の空に月があった。大分欠けているけれど、月がはっきりと見えている。そして、その下には――。


「ここにも八重桜があったなんて、私も知りませんでした」


 ライトアップされていない八重桜が満開になっていた。もちろん、そこには誰もはいなかった。くるみさんも知らなかったのか。

 東側の部屋を確認するけれど、どの部屋の窓からも明かりが漏れていない。だけど、どこかにお嬢様とCherryがいるはずだ。


「よし、今度は東側の部屋を探そう。担当はさっきと同じで。もう残りは五分ぐらいしかないから急ごう。見つかり次第、メールで真守君に伝えること! 真守君が見つけたらみんなに連絡して!」


 くるみさん、未来の後に続いてお屋敷に入ろうとしたときだった。


「真守君、ちょっと待ってくれないか」

「どうしたんですか? 桜さん」

「……実は、3階を探している間に部下からメールが来たんだ。実は、都築さんが関わっているかもしれないから、3年前の事件を中心に色々なことを調べていたんだよ。そうしたら、ある人物についてとんでもない事実が分かったんだ」


 桜さんのスマートフォンを見てその『とんでもない事実』を確認する。その内容に驚きはしたけれど、


「これで確信が持てました。Cherryはやっぱり、あの人でした」

「何だって? 君はCherryが誰なのか分かっていたのか?」

「あることきっかけにずっと、その人に違和感を抱いていました。ただ、それがCherryのこととは結びつきませんでしたし、俺の勘違いじゃないかとも思いました。でも、目を覚ましてすぐに言った未来の何気ない言葉と、警察が掴んだこの事実でそれが確信に変わりました」

「そうか」

「とりあえず、まずはお嬢様を探すことです。桜さん、行きましょう」

「そうだな」


 東側の部屋にいることは月のことで明らかだ。お嬢様とCherryが見つかるのは時間の問題だけど時間がない。急がないと。

 俺と桜さんはお嬢様を探すために、お屋敷に向かって走り始めたのであった。

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