第22話『夜桜』
午後6時過ぎ。
俺達はお花見パーティーの会場である潤井さんのお屋敷に到着する。既に招待客が多く来ており、なかなかの賑わいとなっている。
リムジンの中でお嬢様から教えられたけれど、このお花見パーティー最大の魅力は、お屋敷の南側に流れる金原川をバックに八重桜が見ることができることらしい。お屋敷が丘の上にあり、八重桜の間から、ライトアップされている金原川が見えて綺麗だからだそうだ。
受付に辿り着き、まずお嬢様が招待状を見せる。お嬢様はもちろんのこと、くるみさんはお嬢様のメイドとして通過することができた。
お二人に続いて俺が招待状を見せる。そのことで会場入りを許されたけど、
「彼女、俺の友人なんです。ついさっきまで用事があったのでこのスーツ姿なんですけど、それでもよろしいでしょうか」
「急に仕事が入ってしまって、職場から直接ここに来たんです。彼とはすぐそこで合流したんです」
桜さんがそう言うと、受付の女性は快く桜さんのことも通してくれた。ご苦労様ですと言われて桜さんも上機嫌。本当はお屋敷でお昼ご飯を食べて、それからはずっとハーブティーを飲んでいたんだけど。
「良かったですね、桜さん」
「ああ。さすがに招待者の友人だと入れてくれるみたいだ」
「堅苦しいイベントではないですからね」
「そうだね。でも、私達は九条さんを守ることを第一にしないとね」
「ええ。そうですね」
俺と桜さんはお嬢様とくるみさんのところまで行く。
「お待たせしました、お嬢様」
「……日向さんも通れたんですね」
口ではそう言っているけど、桜さんとあまり一緒にいたくないというオーラが出てしまっている。
「お嬢様、せっかくのパーティーですから楽しんでください。お嬢様のことは俺達3人で守りますから」
危険な状況には変わりないけど、今ぐらいはCherryのことは考えずにお嬢様にはパーティーを楽しんで欲しい。そのためにも俺、くるみさん、桜さんはお嬢様のことを精一杯守っていくつもりだ。
そんな想いがお嬢様に通じたのか、お嬢様は柔らかい笑顔を見せるようになった。
「……真守の言う通りね。ごめんなさい、昼間から変な態度を取ってしまって」
「気にしないでください。お嬢様、このパーティーの目玉である八重桜をさっそく見てみたいのですが」
「そうね。桜を見なきゃお花見じゃないもんね。行きましょう」
そう言われ、俺はお嬢様に手を引かれる。
会場はパーティールームと八重桜の植えられている屋外の庭のようだ。また、パーティールームから庭へと繋がっており自由に行き来できる。
財閥主催のパーティーのためか、招待客も大人の比率がかなり高い。それでも、潤井さんが招待したこともあって、宝月学院の制服を着た生徒もちらほらいる。見覚えのある1年3組の生徒も何人か見かけた。
パーティールームから外に出ると、そこには満開の八重桜がお出迎えしてくれた。夕陽が花びらを茜色に照らし出し、このときにしか見られないであろう美しい風景を作り出していた。思わずスマートフォンを取り出して写真を撮ってしまった。
まだ明るいということもあって、遠くに金原川が見える。金原川も夕陽のおかげでキラキラと輝いて綺麗だ。
。
「綺麗ですね、お嬢様」
「そうね。愛莉曰く、午後6時からにしているのは、この風景を見てほしいからなんだって」
「とても素敵な理由だと思います」
「日が暮れて空が暗くなると、ここの八重桜も遠くに見える金原川もライトアップされるんだよ」
「一度で二つの景色を楽しめるということですね」
きっと、それがこのパーティーに毎年多くの人が訪れている理由の一つなのだろう。
「初めて間近で見るというのもあるけど、これは圧巻だ。私も遠くでここの八重桜を見たことはあったけど、こうして目の前で見ると感動するね」
桜さんは感慨深そうにそう言った。どうやら、この風景は桜さんの心までも魅了することができるようだ。
「ここからら川が見えるということは、川の方からもこの桜も見えるんじゃないですか? ライトアップされるんですから」
「ここは高台だから見えるでしょうね。それに、あの河原は広かったじゃない。あそこからこの桜を観る人が多そう」
きっと、あのベンチのあるところからだと、全体の八重桜の風景が見ることができるだろうから、それもいいんだろうな。
「由衣ちゃん、長瀬さん」
ピンクのドレス姿の潤井さんがこっちに向かって歩いてくる。やっぱり、こういう正装だとぐっと大人っぽく見えるな。胸元が大きく露出していて……ま、まずい。このままだと女性恐怖症の症状が出そうになる。
「由衣ちゃん、長瀬さんと手なんて繋いじゃって。ここで夜桜デートでもするつもりなのかな?」
「べ、別にそんなつもりないから!」
お嬢様は慌てて俺から手を離す。そんな彼女の頬は赤くなっていた。
「……ふふっ。まあ、それならそれでいいけれど。2人が来てくれてとても嬉しいです。くるみさんもおひさしぶりです」
「おひさしぶりです、愛莉様。今回も楽しませていただきますね」
「是非、楽しんでいってください。……ところで、そちらの女性の方は?」
そうか、潤井さんと桜さんは今まで面識がなかったんだ。
「彼女は日向桜さんといって、俺の友人です」
「初めまして、日向桜といいます。あることをきっかけに真守君と親しくさせてもらっている。今日は彼に誘ってもらったんだ」
「そうなのですか。今日は是非、楽しんでいってください。あっ、名前をまだ言っていませんでしたね。初めまして、私、潤井愛莉と申します。由衣ちゃんの幼なじみです」
「潤井さんか。よろしく。今日は楽しませてもらうよ」
そう言うと、桜さんは潤井さんと握手をした。こういう落ち着いた立ち振る舞いを見ていると桜さんは大人の人なんだなと思う。
「すみません。色々と挨拶しに行かないといけないので、これで失礼しますね。みなさん、是非楽しんでいってください」
潤井さんは俺達に一礼して、笑顔で立ち去っていった。主催者側も大変だな。来てくれた人もこんなにいるし、潤井さんとはあまり一緒に過ごせないかもしれない。
やがて日も沈んでいき、ついに八重桜がライトアップ。その瞬間、多くの人から歓声が上がる。
「夜桜もいいですね、お嬢様」
「そうね。特に今年の夜桜は綺麗に見えるわ」
ソメイヨシノよりも赤みが強いからか、ライトアップされるとまた別の魅力を感じさせる。とても綺麗だと思う。
この夜桜をどこかでCherryは見ているのだろうか。俺達4人がこうしていることを隠れて見ているのだろうか。
「……あら、由衣に長瀬君じゃない」
そんなことを考えていると、皮肉にも最も怪しい人物を呼び寄せてしまうのか。
青いドレスに身を包んだ都築さんが俺達のところにやってきた。相変わらず、人のことを舐めているような笑みを浮かべている。
そんな彼女を目の前にして、桜さんは血相を変える。
「都築、さん……」
「……今朝はお世話になりましたね、日向さん。どうして、あなたがこんなところにいるんですか?」
「……真守君に誘われたんだよ」
「へえ、それは良かった――」
「それは建前だ。本当は九条さんを守るためにここにいる。そして、君のような怪しい人間がいたらすぐに捕まえるためさ。何か企んでいるなら今すぐに自白するのをオススメするよ。実行したら容赦なくあなたを拘束する。覚えておきなさい」
桜さんは声のトーンを低くし、都築さんに圧力をかけるように話す。今の桜さんは勇ましく、事件を追求する警察官の顔をしている。
都築さんはそれでも嘲笑を止めなかった。Cherryだからできるのか。それとも、桜さんを舐めているからなのか。俺には彼女のそんな態度が理解できない。
「……ご自由にどうぞ。でも、私は私のために動く。それは絶対に変えませんから」
都築さんは立ち去っていった。
彼女自身のために動く。それは前に言っていた俺のことが気になるということだろうか。都築さんは俺のことを執事にしようとしていた。それを果たすために彼女は動いているということだろうか。
「……Cherryが誰であっても、俺はお嬢様のSPとしてあなたを守ります。だから、安心してください」
俺はお嬢様の頭を優しく撫でる。
「……そんなこと、今更言われなくても分かってるって」
恥ずかしいのか、お嬢様は俺の方を見ずにそう言った。
「さあ、中には料理もたくさんあるから食べましょ」
「……そうですね、お嬢様」
俺達は再びパーティールームに行く。すると、食欲をそそる匂いがしてくるなぁ。立食している人が多いな。
食欲に勝てなかったのか、桜さんは料理の方へと一直線。腹が減っては戦もできぬと背中で語っているように思える。
「くるみも食べに行きなさい。私は真守がいるから大丈夫よ」
「そうですか? では、お言葉に甘えて。何かあったらすぐに言ってくださいね」
そう言うと、くるみさんは料理の方へ向かっていった。お屋敷だけれど、料理の前でメイド服姿の女性が1人というのは違和感があるな。
「俺達も食べに行きますか?」
「私、あまり食欲がないの。だから、その……また桜を見に行きましょう? せっかく、2人きりになれたんだから」
「お嬢様がそう言うのであれば。一緒に行きましょうか」
「うん!」
その笑顔はいつもと同じで可愛らしいものだった。桜さんがいなくなったからかな。
俺とお嬢様は再びライトアップされた八重桜のところへ。何度見てもこの景色に感動する。遠くに金原川が見えているというのがまたいい。
「お嬢様が楽しみにされていた理由が分かった気がします。一度でも見たら、何度も何度も見たくなってしまいますから」
「……そうね」
お嬢様はそう言うと、俺のブレザーの袖をぎゅっと掴んだ。
「小さい頃は凛や愛莉と3人で楽しく過ごしていたんだけどね。今はもう……」
「都築さんはお嬢様に敵対心丸出しですもんね」
「凛は気が強いから。最近は彼女と衝突してばかりで。財閥の娘同士だと、小さい頃の関係っていうのは保てないものなのかしらね」
「でも、潤井さんとは仲がいいじゃないですか」
「そうね。でも、彼女も潤井家の長女として、こういう場で挨拶回りをするようになっちゃったから。こういうバーティーは昔よりもつまらなくなっちゃったな。仕方ないことは分かっているけど」
事情は分かっていても、前と同じようにはできないと思うと、やっぱり楽しみじゃなくなってくるのかもしれない。
「でも、今年は真守と一緒に来ることができて嬉しい。だから、いつもよりも楽しみだったんだよ」
「そうですか。また、来年も参加しましょう」
来年もお嬢様のSPとしてこのお花見パーティーに参加できれば何よりだと思う。
「あっ……」
気付けば、すぐ近くに制服姿の未来が立っていた。未来は俺達のことを何とも言えない表情で見ている。目が潤んでいて、今にも泣きそうな感じだ。
「未来……」
「……私、友達を待たせてるから。じゃあね」
すると、未来は走ってパーティールームの方へ行ってしまった。今の様子だと、まだ今朝のことを気にしているみたいだな。
「追いかけなくていいの?」
「……お嬢様を1人にはできませんから」
俺が話しかけたらすぐに逃げたんだ。そんな未来を追ったところで、彼女のことを苦しめるだけだろう。
「立花さんが走っている姿を見たけどどうかしたのかな?」
「……ちょっと色々ありまして」
食事をしていた桜さんが俺達のところに戻ってきた。ついさっきまで料理を食べていたのか、彼女から美味しそうな匂いがしてくる。
「彼女も招待されていたんだなぁ。彼女も3年前より大人っぽくなってた」
「そうですか」
「それにしても、さすがにこういうところの料理は美味しいな。真守君や九条さんも食べればいいのに。早くしないとなくなっちゃうよ」
お腹を撫でているあたり、たくさん食べたんだろうな。
「真守さぁん!」
「うわっ!」
く、くるみさんが俺の腕に抱きついてきた。普段とは何だか違う声だし、どうしたんだろう?
「真守さぁん。今夜も昨日みたいにぃ、露天風呂でぺったりしましょうねぇ」
「今日はお嬢様の番ですから」
「嫌です! 今日も真守さんと温泉に入りたいんです! 今日はもっと真守さんと肌を触れ合うんですからぁ……」
普段と違って我が儘だな、くるみさん。頬を膨らまして可愛い……じゃなくて、絶対に何かがおかしい!
「アルコールの匂いがする。彼女、お酒を呑んだんじゃないか?」
ということは、くるみさんは酔っ払っている状態なのか。そういえば、顔も赤くなっている。
「くるみ、何を飲んだの!」
「ええと……透明のぉ、しゅわしゅわしているのを渡されて……それを飲んだら、気持ちがふわふわしてきちゃったんですよねぇ」
うふふっ、と笑う声が翻っている。これはかなり酔っ払っているな。くるみさんは未成年だから、アルコールが入っていないと思って呑んでしまったのだろう。
「しゅわしゅわしている……パット思いつくのはスパークリングワインだろうな。あれはノンアルコールのものもあれば、アルコールが入っているものもあるから。きっと、夏八木さんは間違えて飲んだんだろう」
「甘くて美味しかったですよぉ。由衣様や真守さんにも呑ませてあげたかったですぅ」
「私達は未成年だから飲んじゃいけないの。でも、どうしよう。この場にくるみをいさせるのはちょっと……」
「夏八木さんのことは私に任せてくれ。ゆっくりできるところまで彼女を運ぶよ」
「すみません、お願いします」
俺はくるみさんのことを桜さんに任せる。
桜さんはくるみさんに肩を貸して、パーティールームの方に向かっていった。
「まさか、くるみが酔っ払っちゃうなんて。こ
んなこと、今までなかったのに……」
「誰にでも間違いはありますよ」
でも、酔っ払っているくるみさんは衝撃的だったな。体をべったりとくっつけてきたので、昨晩の温泉以上にまずかった気がする。桜さんがいなかったら今頃どうなっていたことか。
「そろそろ俺達も食べましょうよ。俺、お腹空いてきました」
「そうね。でも、その前にお手洗いに行ってもいいかしら?」
「分かりました。では、入り口の前までご一緒に」
俺達はパーティールームを通り抜けて、お手洗いに向かって歩く。廊下には全然人がいない。
「ねえ、真守」
「何ですか?」
すると、お嬢様は歩みを止め、俺の方に振り返る。その表情はとても真剣なものだった。
「……このパーティーが終わって、お屋敷に戻ったらあなたに話したいことがあるの。とても大事な話」
「そうですか。分かりました」
もしかしたら、それは桜さんに怯えてしまう理由かもしれない。もし、それが話したいことであれば今すぐに聞きたいけど、お嬢様も心の準備が必要だろう。とても気になるけど、屋敷に戻るまで待とう。
「じゃあ、すぐそこがお手洗いだから、ここで待ってて」
「分かりました」
お嬢様はすぐ側にあるお手洗いの中に入る。
その間、俺はお手洗いのすぐ横で、壁に寄りかかりながらお嬢様のことを待つ。お屋敷の外でこうして1人でいるのは、都築さんと再会した直後に女性恐怖症の症状が出てしまったとき以来かな。そんなことを考えているときだった。
――シュー。
そんな音が聞こえた瞬間、目が開けられなくなってしまう。
「うっ!」
目がおかしい。どうしても開けられない。もしかして、催涙スプレーをかけられてしまったのか。
きっと、Cherryの仕業だ。Cherryが俺の目の前にいるんだ。Cherryはずっと俺とお嬢様が離れる瞬間を待っていたんだ。
「お嬢様!」
今すぐにお嬢様を助けに行かないと!
「んんんっ!」
背後から口に布のようなものを当てられて意識、が……。
それから俺が覚えていたのは、体がよろめいて倒れたときに感じた痛みまでだった。
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