第16話『天川翼』

 信じられないという一言に尽きる。

 どうして、俺の目の前に3年前に死んだ兄さんの顔があるのか。

 一見、女の子だと思ってしまうくらいの童顔にセミロングの水色の髪。まさか、本当に兄さんが……。


「あの……離してもらっていい、かな?」

「す、すみません」


 我に返った俺はぶつかってしまった男子生徒のことを離す。声までも兄さんに似ていたから、思わず彼の両肩を掴んでしまっていた。


「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」

「……大丈夫だよ。君はうちの制服を着ていないけど、誰なのかな?」

「申し遅れました。俺、九条由衣お嬢様のSPとして昨日から同行させてもらっている長瀬真守と申します」

「へえ、九条さんのSPなんだ。僕の名前は天川翼あまかわつばさ。九条さんと同じここ1年3組の生徒だよ」

「そうですか」


 やっぱり、兄さんじゃなかったか。それは当たり前なんだけど。まさか、赤の他人で死んだ兄さんとこんなに似ている人と出会うとは思わなかった。


「……って、あれ? 天川さんって昨日いましたっけ?」


 昨日も教室内を何度も見渡したけど、天川さんの顔や水色の髪は見た覚えがない。


「僕、昨日は風邪引いちゃって休んでたんだ」

「ああ、そうだったんですか」

「……でも、今のことで熱がぶり返しちゃうかもしれないね。長瀬君に抱き留められてドキドキしちゃったから……」

「……そ、そうですか」


 頬を赤くして俺のことをジロジロと見ないでいただきたい。顔だけ見れば本当に可愛い女の子だ。


「そういえば、さっき……兄さんとか言っていなかった?」

「それは天川さんが死んだ双子の兄さんにそっくりだったからです。見た目だけじゃなくて声や話し方も兄さんと瓜二つで……」

「そっか。世の中には自分にそっくりな人が3人いるって言うけど、その1人は亡くなっているだね……」


 天川さんはため息をつく。こういうことでしんみりしてしまうのも兄さんと似ている。


「じゃあ、僕のことを兄さんって呼んでもいいよ。憧れでもある市。……って言っちゃったけれど、長瀬君は僕よりも年上だからそれはおかしいか。……って、それじゃ僕はタメ口で話しちゃダメじゃないか!」


 天川さんはあたふたしている。可愛い人だな。こういうところもまた兄さんによく似ているよ。


「いえ、俺は天川さんと同い年ですよ」

「そ、そうだったんだ。スーツ姿だからてっきり年上だと思ってたよ」


 まあ、このスーツ姿を見たら普通は16歳だとは思わないよな。若くても20代前半くらいに見えるんじゃないだろうか。


「僕は6月生まれだけど、君は?」

「俺は4月生まれです。もう誕生日を迎えて16歳になりました」

「……そっか。じゃあ、兄さんじゃおかしいね。あと、僕って女の子っぽい顔立ちだから、女の子扱いされることが多いんだ」


 天川さんはそう言って可愛らしく笑う。男子用の制服を着ているから男性だと思っていられるけど、お嬢様と同じものを着たら絶対に女子生徒だと間違われそうだ。現に笑っている今の顔がとても可愛いし。女の子扱いされてしまうのも納得かな。兄さんという男性特有の呼称に憧れるのも分かる。


「これからよろしくね、長瀬君」

「はい、天川さん」


 俺は天川さんと握手をする。一瞬、可愛い顔の人と自然に握手できるのが不思議に思ってしまったけど、この方は男性だ。そう思えば普通のこと。


「そういえば、さっき……立花さんが泣きながら教室から出てきたけれど」

「未来は俺の従妹で。彼女と口げんかしてしまったんです」

「なるほどね。彼女を追いかけようとして僕とぶつかったってことかな」

「そういうことです」

「じゃあ、彼女のことを追いかけなくていいの?」

「……下手に追いかけない方が良さそうな気がして。彼女が戻ってくるのをここで待ちたいと思います」


 まさか、未来が俺のことを好きだとは思わなかった。就職することを決めたときに猛反対したのはそれが理由だったのかな。

 好きな人に苦しい想いをさせたくないか。未来がそう考えるのは当然……だよな。


「……立花さんが戻ってくるといいね」


 天川さんはそう言うと、自分の席に向かっていった。今になって思い出したけれど彼の座った席は、昨日は空席だった場所だった。

 お嬢様の方に振り返ると、お嬢様は悲しそうな表情をして俯いていた。そんなお嬢様のことを潤井さんが優しく見守る。


「……ごめんね、私のせいで」


 小さな声でお嬢様はそう言った。

 きっと、自分のせいでこうなってしまったんだと思っているんだろう。自分がSPにさせてしまなければ、俺が名栗さんに襲われたり、未来と言い争ってしまったりすることがなかったから。


「お嬢様は何も悪くありませんよ。気にしないでください」


 俺はお嬢様の頭を優しく撫でる。

 未来の気持ちも分かるけれど、それでも俺はSPとしてお嬢様のことを守りたい。少なくとも、Cherryの件が終わるまでは彼女から離れるわけにはいかない。


「俺は危険を承知して、SPという仕事をしているんですから」

「……ありがとう、真守」

「未来だってすぐに戻ってくると思いますから。今日も俺が後ろから見守っているので、お嬢様はしっかりと授業を受けてください」


 俺がそう言うと、お嬢様はやんわりとした笑みを浮かべた。


「……うん」


 お嬢様と潤井さんは自分の席に向かっていった。

 また、朝礼のチャイムが鳴る直前に未来が教室に戻ってきた。俺のことを見ると顔を赤くし、逃げるようにして自分の席に行く。

 朝礼が始まっても都築さんは教室に来なかった。担任の先生によると、家の用事で遅刻する予定で、状況によっては休む可能性があるらしい。桜さんによる事情聴取が長引けば学校には来ないってことか。土曜日は午前中のみだし。

 今日も授業が始まるのであった。

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