第3話『九条由衣』
廊下から入ってくる制服姿の女の子。ワンサイドに纏めた金髪がとても印象的だ。可愛らしいのはもちろんだけど、どこか高貴な雰囲気を漂わせている。彼女が九条由衣さんなのかな。
「由衣様、お帰りなさいませ」
「……ただいま、くるみ」
そう言うと、制服姿の女の子……九条さんは俺と向かい合うようにしてソファーに座る。それもあってか、くるみさは俺から離れる。危うく気絶するか気を乱してここから逃げ出すところだった。
「彼がさっき言っていた長瀬真守?」
「はい、そうです」
九条さんの視線が俺の方に向けられる。
俺と同い年の九条さんだけれど、使用人の面接なので彼女が雇用主とも言えるだろう。面接試験に来たのだからしっかりと挨拶しないと。
「初めまして、長瀬真守といいます。ここの使用人になりたいと思いまして、面接試験に伺わせて頂きました。よろしくお願いいたします」
俺は九条さんに一礼をする。
九条さんはテーブルに置いてある俺の履歴書を手に取り、真剣な表情で見ている。
「長瀬真守、16歳。私と同い年、か……」
やっぱり、年齢の部分に注目するか。どうして高校に進学せずに働いているのか訊かれそうだなぁ。就職活動のときのようにしっかり答えないと。
苦情さんは履歴書をテーブルに置くと俺のことを見て、
「採用よ。これからよろしくね、真守」
凜々しい笑顔でそう言って、俺に右手を差し出してきた。
俺は緊張しながらも、九条さんと握手する。
「……あれ?」
自然な流れで握手をしてしまっているけど、
「あ、あの……九条さん。面接に来ている私が言うのはアレなのですが」
「何かしら?」
「すぐに私のことを採用と言いましたけど、それでよろしいのしょうか? 私の持参した履歴書を見ただけでしたけど……」
「中学を卒業したばかりの人に訊くことなんて特にないでしょ」
ごもっともなことを言われた。
そういえば、就職活動をしているときも、ほとんどの面接官が俺の履歴書を見て質問しづらそうな感じだったな。
「い、いや……例えば、高校に進学せずに就職を選んだ理由とか! 就職活動をしたときは必ずと言っていいほど訊かれましたよ!」
「ふうん、そうなの。でも、あなたを見た感じ、高校に行けないほど馬鹿じゃなさそう。ただ、そんなあなたが高校に行かないってことは色々と複雑な事情があるだろうし、そこは特に重要視していないわ」
「は、はあ……」
「それよりも、一目見てあなたがここで真面目に働きたいっていうのが伝わってきたから。それだけで十分よ。それに、あなたが最初に連絡してきた人だからね」
「……そうですか」
苦情さんからそう言っていただけるのは有り難いことだ。
「ということでこれからよろしくね、真守」
「はい、よろしくお願いします」
こうして使用人になれたのも何かの縁があってのことだ。これからここで頑張っていこう。今のところ、お屋敷に来てから女性にしか会っていないのが不安だけど。
「これから使用人として頑張ります!」
「あっ、使用人としての採用じゃないから」
「……はい?」
となると、何としての採用だったんだ? あのチラシには確かに『使用人』って書いてあったんだけど。何だか嫌な予感がしてきたぞ。
「混乱させちゃっているみたいね。確かに、あなたにしてもらいたい仕事内容は使用人のやることかもしれないけど……」
「どんなことをするんですか?」
「一言で言うなら、私の護衛かしら。だから、使用人ではなくてSPと言った方が正確だと思うわ」
「SP……」
ニュースでお偉いさんのインタビューをたまに見るけど、SPってそんな人の後ろにいる人達のことだよな。人相が悪かったり、体つきの凄かったり。
ということは、常日頃から九条さんの側にいなければならないのか。それは女性恐怖症の俺には最も向かない仕事内容じゃないか。
「あの、九条さん」
「何かしら?」
せっかく採用してくれたのに辞退するのは辛いが、このままSPになっていざという時に九条さんを守れない方がよっぽど情けない。ちゃんと言わなきゃ。
「……一度採用していただいて申し訳ないのですが、SPという仕事内容がメインなら、辞退させていただきます」
俺がそう言うと、さっきまでの九条さんの笑顔がすっと消える。
「どうして? 良ければ、理由を聞かせてくれないかしら」
理由か。女性恐怖症のことは言いたくなかったけど、ちゃんと言わないと九条さんだって納得できないよな。
「……実は私、過去に色々とありまして女性恐怖症になっているんです。こうして面と向かって九条さんと話すことが精一杯なんです。だから、常日頃からあなたの側にいて、ましてやあなたを守ることは非常に難しいと思います。本当に申し訳ありませんでした」
俺は九条さんに深く頭を下げた。そのまま、無音の時間が流れていく。
ああ、この時間がとても辛い。怒られても叩かれてもいいから、とにかく俺のことをここから追い出してくれないだろうか。
「……顔を上げなさい」
九条さんの言うとおり、俺は顔を上げる。そこには真剣な表情で俺のことを見ている九条さんと、俺を優しく見守るくるみさんがいた。
「SPとして働くことのできない『あなたの』理由は分かったわ。でも、それを聞いても私はまだ採用取り消すつもりはないわ」
「ど、どうしてですか!」
「勘違いしないで。辞退したいと言ったからあなたを虐めるとか、そういうつもりじゃないの。ただ、これだけは訊かせて。あなたは女性が嫌い? あと、女性恐怖症が治したいって思ったことはある?」
優しい口調で九条さんはそう問いかけてきた。
女性のことが嫌いなのか。女性恐怖症を治したいのかどうか。発症してからずっと逃げ続けてきたから、今まで考えたことがなかった。
「……答えにくそうな顔をしているわね。じゃあ、ちょっと別の質問をするわ。女性恐怖症を発症してから、まともに女性と接することが一切できなくなった?」
「……小さい子供や親から上の世代であれば、恐れることなく接することはできます。書店で1ヶ月間働いて、同僚の女性とは何とか。発症した直後よりはまともになりましたけど、九条さんやくるみさんのような歳が近い女性ですと、こうして顔を見て話すのが精一杯です。普通に話せる同い年の女の子もいますけど、それは従妹なので……」
その従妹とは例の叔母夫婦の娘さんだ。一緒に住み始めたのが発症直後だったから、彼女とまともに話せるようになるまでにも時間がかかった。おそらく、従妹でなければ恐怖に苛まれ続けただろう。
「……なるほど。段々と恐怖は薄れていっているのね」
「一緒に住んでいた従妹や同僚だからですが……」
慣れたり、変な目で見なかったりすることが分かれば恐怖は薄れていく。ただ、書店で女性のお客さんに接客する際は酷く緊張して、何度も先輩から叱られたっけ。
「最初に質問に戻るわ。あなたは女性のことが嫌い? 女性恐怖症を治したいって思ったことはあるかしら?」
九条さんのおかげで女性に対する自分の考えが整理できた。俺は――。
「……女性のことが嫌いではないと思います。ただ、必要最小限にしか女性と接したくなくて。外を歩いているとき、女性が視界に入ると何かされるんじゃないかって怯えてしまって。少しでも近づかれたらすぐに逃げて。でも、そんなままじゃ駄目だと思いますし、怖いですけど……向き合っていきたいです」
いつかは向き合わなきゃいけないことだとは分かっていたんだ。でも、どうすればいいのか分からなくて、ずっと逃げ続けていた。
けれど、このまま女性に恐怖を抱き続け、苛まれるのは嫌だ。そんな俺に接することで女性を傷つけたりすることも。
「……九条さん。私は治ると思いますか?」
「さあ、どうかしらね。それはあなた次第じゃない?」
「そう……ですよね」
「でも、あなたならやり遂げることができると思うわ。そのために、私やくるみが全面的に協力するつもりよ」
「……ありがとうございます」
「それに、守れるかどうかも重要だけど、SPにとって一番大事なのは、守るべき人を守ろうとする気持ちがあるかどうかだと思う。最初は私にも恐怖があると思うけど、いつかはそれがなくなって私の側にいてくれると嬉しいな」
九条さんは柔らかい笑顔でそう言った。
今まで、女性の言葉を素直に受け止めることがなかなかできなかったけど、今の九条さんの言葉はすんなりと受け入れられる。彼女が悪い女性ではないと本能でも段々と分かってきたみたいだ。
「……ひさしぶりに女性の笑顔が素敵だと思えました」
「な、何言ってるのよ、ばか」
九条さんは頬を赤くして不機嫌そうにしているけれど、それに恐怖は感じない。
「じゃあ、私のSPになるってことでいいかな?」
「はい。頑張ります。よろしくお願いします」
色々と不安はあるけれど、九条さんやくるみさんとならきっと大丈夫な気がする。九条さんを守るために強くなっていかないと。
「SPになってくれる人が見つかって良かったですね、由衣様」
「……そうね。難題はあるけれど、彼なら大丈夫だと思うわ」
「それなら、さっそくあのことについて真守さんに言った方がよろしいのでは? もう、彼は由衣様の正式なSPなんですし」
「もちろん、そのつもりよ」
「……あの、お2人で何を話しているのですか?」
俺に関係ありそうな雰囲気が物凄く伝わってくるので、思わず口を挟んでしまう。
「実はSPを急募した理由があってね。それには、SPの応募を『使用人』としてチラシに出していたことにも繋がるんだけど」
「どういうことですか?」
「……実はある人に命を狙われているのよ」
「何ですって!」
命を狙われている? どういうことだ?
九条さんはブレザーのポケットから白い封筒を取り出し、裏側にしてテーブルの上に置いた。
封筒を見てみると、端にはある英単語が書かれていた。
──Cherry.
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