5-7 楽しくて仕方が無い

 でも、逃げようと思えば逃げ切れるなんて、よくよく甘い考えだったと思う。

 長い階段を駆け下りて、「おばあちゃんち」の玄関をぶち破り、僕らは外へ飛び出す。

 いつの間にか月は傾き、妖精達の領域フェアリーランドはより深くて暗い夜の底に落ち込もうとしていた。藍に染まっていたはずの草原が、まるで底無し沼のようにどす黒く淀んで見える。

重々しい音がして。踏み出した僕の眼前に、西洋甲冑が突き刺さっていた――大応接間に飾られていたものだ。

(嘘だろ?)

 の力は、本当に生易しいものではなかった。甲冑をかわして走りだそうとした僕の前に、次は花瓶が降ってきた。窓枠と一緒に。続けざま、ソファが一つ、チェストが二つ。

 とにかく無我夢中で、僕らは走った。走りながら、叫んでいた。

「どうしよう!!」

 そうすれば、どこかから答えが降ってくるんじゃないかと、淡い期待を抱きつつ。

「いつも通り! 捕獲する!」

 一番に応じたのは、才子。長い下生えに車輪を取られて、さしものマウンテンバイクも速度が出せないらしい。

「危険です! 彼女は今、とても感情的になってるんですから!!」

 叫び様、志乃ちゃんは素早く後ろを振り返った。いつの間にか引き絞っていた弦を解き放つと、飛び出した矢が飛来するドアを撃ち落とす。

 彼女の主張は正しい。他にもっと安全な方法はないのか?

「浅野君を差し出せば大人しくなるかしら」

 間髪入れない冷ややかな声。妙さんの手厳しさに涙が出そうになる。

「駄目! みんな一緒に帰るの!」

 それに比べて、泉のなんと優しいことか。白い翼がないか、腕の中の彼女を確認する。

 泉が駄目だという以上、その選択肢は無しだ――だとすれば、どうする。

 どうにか泉を取り返した以上、後は彼女達をこの世界から脱出させればいい。これでひとまずは完了だ。でも、肝心の方法が分からない。分からない以上、まずは目の前の脅威に対処しなければ。

 ――対処?

 僕は訝る。何かが引っかかった。

「みんな一緒、って言うなら――」

 隣を駆ける妙さんが、片手でぼんやりと背後を示す。

「――今度は明日香を助けてあげないとね」

 振り返る。そして、唖然とする。

 夜の闇に慣れてきたおかげか、ようやく景色の形が朧気に見えてくる。草原の向こう、遠く広がる湖。遮るものは何もない。そこにあったはずの家屋でさえ。

 視線を上げれば、そこには星が見えるはずだった。沈み始めた月の影も。

 しかし全ては遮られていた。宙に浮かんだ「おばあちゃんち」によって。

「そんな無茶な」

 煉瓦造りの古い洋館は、基礎ごと――妖精が造った建物にも、そんな部分はあるのだ――掘り返され、ふらふらと空中を彷徨っている。巨大な影が揺れる度、中からは激しい音が溢れ、家具の一部が窓から零れ落ちてきた。

 目を凝らせば、ぼんやりと見える。今しがたテーブルが滑りだしてきた、三階の窓にぶら下がる人の影。

 オリーヴ色のコートが揺らめいている。間違いない。明日香先輩だ。こちらに向けて、何かを叫んでいる。

「――から……ろ――」

 近くに落ちたベッドが、派手な音を立てながらひしゃげた。その破片が、パラパラと降り掛かってくる。

 もう一度。先輩の声。

「いいから――逃げろ……っ」

 ――その時、僕の脳裏を過ぎったのは、いつか才子を抱えて森を走った夜だった。

 僕はあの時、どうしただろう。彼女を連れて逃げようとして、そして。

(失敗したんだ)

 の記憶が、鮮やかに甦る。“愚か者の炎”の混乱で、才子のことを離してしまった。足を怪我していた彼女は、“炎”から逃げ切ることが出来なかった。

 ――また、やり直せるか。もう一度時を遡れば、他に手が見つかるかもしれない。明日香先輩を置き去りにしないで済む方法が。

 妖精時計トゥールビヨンに目をやる。時計板には何の反応もない。

(どうして――)

 が近くにいるからか。それとも。

 みんなが走る先へ、視線を戻す。草原はなだらかに傾斜していた。丘とまでは言えないかもしれない。けれど、今立っているここよりは、「おばあちゃんち」へと近づける。

 僕は手の中の銀時計を、握り締めた。そうすれば、意志を強く持てるかのように。

(僕がまだ、諦め切れていないからか)

 僕は、空飛ぶ家をもう一度見やった。

「――!!」

 叫ぶ。同じ名前を持つ、かつて僕だった少女へ。

「僕は君のものなんかじゃないっ! 僕は――のものだ!!」

 突然、強い風が吹き付けてきたような気がして。

 「家」が速度を上げた。更に正面の出窓から、二、三個の巨大なぬいぐるみが飛び出してくる。僕は転げるようにしてそれらをかわし、もう一度走り始めた。

「ゆきちゃん!! なんで――」

 泉が珍しく声を荒げる。

 ここぞとばかりに――これぐらいの役得は、僕にも許されていいんじゃないだろうか――彼女を強く抱きしめる。

 少しでも、勇気が欲しくて。

「いいから。みんなにも伝えて――、って」

「……え?」

 彼女の眉が、訝しげに歪む。

 僕は笑った。

「逆なんだよ。僕らは、あの子を捕まえるんじゃなくって――あの子に、捕まってもらわなきゃいけないんだ」

 大地を蹴る。緩い斜面を一気に駆け上がっていく。

「僕が欲しければ、僕をしてみろ!!」

 我ながら、無茶なことを言っていると思う。けれど説明する時間は無い。

 に呆れられてしまえば、目論見は崩れてしまう。僕の我侭で、自己満足の、成功する見込みなどない思いつきかもしれない。ただ、もしもうまく行ったのなら。

「――へえ。逃げ切る自信はあるんでしょうね?」

 妙さんが笑ったのを、僕は初めて見た。挑戦的とでも言えばいいのだろうか。獲物を見つけた猟師のような、凄みのある笑い方。

「た……多分」

 対する僕は、自覚できるほど頼りなく笑って――抱えていた泉を、妙さんに放り投げる。

「ひゃああああぁぁぁぁぁっ」

 甲高い悲鳴を、やはり彼女はしっかりと受け止めてくれた。

 不安はある。でも、どういう訳か、少しだけ胸をときめかせている自分に気付いていた。

 広がる夜空は暗く、どこまでも続いているような気がする。そして、どこまでも続いているのならば、ずっと走り続けられるような気がした。

 蹴散らした下生えが見る間に蕾をつけ、茎を伸ばし、花開いていく。雛芥子、野薔薇、ヒースやアカツメクサに、スノードロップ――花々は、それ自体が光を放つかの如く、鮮やかに咲き誇る。戯れる妖精達の足跡フェアリーステップのように。

 いつの間にか、信じられない程身体が軽くなっていた。

 ああ、そうだった――僕はかつて妖精だった。夜を愛し、未知を好み、風と遊ぶ、悪戯好きの妖精フェアリーだったのだ。

 何しろ今は、が近くにいる。彼女の中に息づく“エッセンス”が、かつての宿主に反応しているのか。児童文学研究会の面々が、戸惑っていた。それは背中越しにも伝わってくる。僕の発言に、あるいは僕が残す「足跡」に。

「――待ってよ、ゆきちゃん!!」

 最初に声を上げたのは、泉だった。しかし遠い。今のには、彼女の足では届かない。

 次に聞こえてくるのは、花々を踏み越える車輪の音。

「頭おかしくなったの!? バカ浅野!」

 叫ぶ才子の顔は真っ赤だった。これだけ抵抗の多い場所で、自転車のスピードを出すのはかなり難儀だろう。それでも彼女は、走るボクに追いすがってくる。

「ごめん、その、あとで説明するから!」

「うるさいアホ! 早く止まれ!!」

 ――彼女はノッてくれた。僕は一人ほくそ笑む。

 その手に握られているのは、“冷たい鉄”で出来たワイヤーだ。先が輪の形にくくられた、デュラハンの捕獲に使っていたのと同じもの。銀糸はほんの僅かな煌めきと共に、空を裂く。狙いを過たない正確さで、輪はボクの首に絡み付こうとした。

(手加減なしか!)

 僕が望んだことだとしても、やはり不満の一つも上げたくなる。

 払い除けようと、腕を振るって、その手首を捕らえられた。流石に、そう安々とはかわせない。しかしここで足を止めては、あっという間に取り囲まれてしまう。ワイヤーにはかかずらうことなく、僕は走り抜けようとした。

 立ちはだかったのは、白い風切羽。僕の行く手に、一本の美しい矢が突き立った。かわす間もなく、更に一本、続けざまにもう一本。見事に僕の進路を塞いでいく。

「――これでいいんですか?」

 いまいち腑に落ちないといった様子で、志乃ちゃんの声。その割に狙いは正確だった。

(マズい)

 予想はしていたが、まさかここまで容易く追い詰められるとは。これでは、勝負にもならない。

 器用に後輪を滑らせながら、才子が自転車を急停車させる。タイヤに薙ぎ払われた花びらが、夜闇に吸い込まれて消えていく。

 右手に絡んだ銀の縄が、容赦なくボクを引っ張った。

「何がしたいの、あんた」

 呆れ声を漏らす才子。

 僕は観念したように笑い、両手を挙げると――そのまま、もう一度地面を蹴った。

「――――」

 真っ直ぐに、才子の元へ。

 ゆるむワイヤーを飛び越え、彼女に肉薄する。虚を突かれた才子が悲鳴を上げた。

「ひゃあっ」

 その鼻先で、僕は踵を翻す。もう一度、丘の上に向かって。

「うわ、わ、わあっ!」

 背後で一回だけ派手な音が上がると、手首が楽になった。胸中で、才子に詫びる。

 と――

 再び風切り音。矢は目前に突き刺さると、有り余る勢いでその身を揺らした。

 今度は怯まない。素早く足を踏み出す先を変えると、踊るように回転してかわす。思い出されるのは、幼い頃、秋深い森で落ち葉と踊った夜の事だった。

 続けて降ってくる矢も、志乃ちゃんがと分かっているなら――どうやってそんなに素早く正確に放っているのか分からないけれど――それほど怖くはない。

 矢の雨を抜けたところで、息をつく暇はなかった。丘の頂まではあと少し。僅かな距離だったけれど、酷く遠いものに感じられる。何故なら、そこに彼女が飛び込んできたから。

 南禅寺妙さん。名実ともに児童文学研究会の懐刀。ダイエットの為に習ったと称する謎の格闘技クラヴ・マガの腕前は、間違い無く本物だ。

「行くわよ。浅野君」

 右手を胸の前に、左手を少し伸ばして、同じように左足を前に出した構え方。どこにも力は入っていない。だからどこにでも飛び出せるスタンス。

「ハ、ハンデとか、そういうの無しですかね」

 隙だとか、チャンスだとか、そんなものがどこにある?

 彼女の握り拳が、ギリギリと不穏な音を立てていた。例の、砂鉄入りグローブに違いない。引き絞られたピアノ線のような彼女の腕が繰り出すパンチに、砂鉄の硬さが加われば、顎ぐらいは軽く砕けるだろう。

「急所は狙わないわ」

 その選択肢を忘れていた。を砕かれたら、顎どころの騒ぎではない。

 素直に捕獲される方がよっぽどマシではないだろうか?

(敵うわけない)

 いや。それは初めから分かっている。僕は彼女達に勝ちたいんじゃない。そうではなく。

 妙さんが、鋭く短い息を吐いた。栗色の髪が、空に奔る。

 僕はただ勘だけで、右にステップを踏んだ。予想より遥かに重い衝撃が、被っていた安全帽を弾き飛ばす。少し頭が軽くなって、ついでに冷やされた。

 今のは、多分ジャブだったんだろう。ほとんど見えなかったけど。

 彼女のぽってりとした唇が、綺麗な弧を描く。喜色満面とはこのことか。その瞬間、僕は悟った。

 この人はドSだ――筋金入りのサディストという奴だ。

 心臓が早鐘のように、肋骨を叩いた。全身から汗が吹き出す。全力疾走の代償か。遅れてやってきた恐怖か。どちらでもいい。

 追い撃ちとばかりに繰り出される左の拳から、顔をかばう。重ねた両腕が、軋むような悲鳴を上げた。二発、三発、四発。息もつかせぬ乱打が、ようやく僅かな間隙を挟む。

(――今だ)

 僕は思いっ切り、その場で足を振り上げた。出来るだけ高く、天まで届けとばかりに。

 当たり前のように、後ろへかわした妙さんに、つま先は届かない。でも、それでいい。僕は彼女を蹴り上げかったんじゃない。

「――えっ」

 狼狽える妙さんの声。その表情は、僕には分からない。彼女と僕の間には、光のカーテンが広がっていた。激しく舞い散った花々は、きらきらと輝きを放ちながら、空を泳ぐ。タンポポの綿毛さながらの緩やかさで。

 僕の足は妖精の足。妖精が歩けば、そこには花が咲き、蝶が舞い、風が吹く。

 彼女が慌てて構えを取り直したのが、足音で分かった。花びらが形作るカーテンは、決して大きいものじゃない。右か左か、一歩を踏み出せば脇をすり抜けられる。

 どちらに向けて妙さんが構えるか。どちらに向けて僕が走り出すか。二分の一の確率で、結果が決まる。

 僕は不意に気付いた。高鳴る鼓動の理由。いつの間にか釣り上がっていた口角に、手を当てて。

 僕は今、楽しいんだ――楽しくて仕方が無いんだ。

 逡巡は一瞬にも満たなかった。最初から、どうするかは決めていた。

 軽く曲げた膝に力を溜めて、地面を蹴る。

 真っ直ぐ正面へ。

 浅葱色に輝く帳を抜けて、妙さんの元へ。

「――迂闊っ」

 彼女の反応は素早かった。しかし、左右に注意を振り分けていたせいで、ほんの僅か、間に合わない。ほとんど抱きつくようにして、僕は彼女を押し倒した。溢れる花の香は、彼女の香水か、それとも散らした花々のものか。

 倒れ込む寸前に手足のばねを利かせて、もう一歩前へと転がり込む。草と土でもみくちゃになりながら、僕は立ち上がった。

 丘の頂までは、あと五歩。

 遮るものはあと一つ。大きな圧迫感が、背後から押し寄せていた。

 振り返ると同時に、叫ぶ。

「妙さん、逃げて!」

 とはいえ、大体いつも、彼女は先んじて動いている。倒れていた妙さんの姿は既にない。僕の視界に広がっているのは、迫り来る煉瓦の壁――「おばあちゃんち」だけだった。

 予想通り。ちょうどこの丘の高さが、が家を持ち上げる限界だったのだろう。既に草むらと接触した建物の基部が、地鳴りのような悲鳴を上げている。

「わあああ!! 馬鹿! 下手糞っ!!」

 明日香先輩の叫び声が、降り注いできた。仰げば、まだそこには、窓からぶら下がる彼女の姿がある。安心している暇はない。このまま止まらなければ、僕を轢き潰した挙句、「家」はバラバラになるだろう。そうなれば明日香先輩だって危険なはずだ。

「これじゃ台無しだろ、やる気あるのか君は!」

 命知らずにも、彼女は喚き続ける。唾を吐きかける相手は、窓枠から顔を覗かせる金髪の少女。百合もかくやと言わんばかりの白い頬を、今は真っ赤に上気させて、僕を睨みつけている。

 僕は彼女の眼差しを正面から受け止めて。

(――よし)

 にやりと笑い返した。出来るだけ意地悪く見えるように。

 それから、駆け出す。今度は丘の上ではなく、空飛ぶ大きな家に向かって。

 壁は分厚く巨大だった。いくらここが妖精達の領域で、僕が少し妖精じみていても、とてもじゃないがぶち破れそうにない。もちろん華麗に壁抜けすることだって。

 だから僕は非才の身ながら、飛び込んでいった――家の玄関へと。

 扉は分厚かったけれど、建物の枠組み自体が軋んでいたせいか、派手な音を立てて吹き飛ぶ。衝突の瞬間、肩に鈍い痛みが走った。しかし、無視できないほどではない。

 家の中は傾き歪み、滅茶苦茶になっていた。ガラスやら陶器やら、床の上は踏みたくないもののオンパレード。

 ほとんど飛び跳ねるようにかわしながら、廊下を進んでいく。やがて辿り着いた階段は、ただでさえ急勾配だったのに、より一層の傾斜を得て、ほぼ垂直のレベルに達していた。

 外れかけの手すりを掴み、棒のぼりの要領で二階へとよじ登る。

 尻から脳天を突き上げるような揺れ。危うく一階まで滑り落ちそうになる。

 そろそろ、どこが床で、どこが壁なのか、見当が怪しくなってきた。仕方なく僕は、足を付いて歩ける方を床と認定して――床のわりにはたくさんの照明が――、もう一つ上に向かう階段を探した。

 明日香先輩がぶら下がっていたのは、三階にある出窓。もそこから顔を覗かせていた。二人の追いかけっこの終着点がそこだったのだろう。

「あーもう、落ち着けって! ゆきちゃん捕まえたいなら、ちょっと話を聞きなさいよ」

「うるさい気が散る黙ってて!!」

 罵り合う声が、廊下中に響き渡る。建材があげる鈍い悲鳴の中、かろうじてその出元を探っていく。

「死んじゃったらどうするんだ、あんな無茶な真似して!」

「だって、あの子、すぐ逃げるから!」

 扉だったのだろう、頭上に開いた穴へと跳ぶ。激しい振動に邪魔されながら、なんとかよじ登る。

「そう、そうなんだよ。ああ見えて結構すばしっこいんだよな。しかも変な所で思い切りがいい。ああいうタイプは、真面目に追いかけても馬鹿を見るだけなんだって」

 まっすぐ進むと、今度は正面に横長の穴。これも扉か。穴は少しだけから浮き上がっていて、斜めに置かれた扉そっくりの板が、丁度よいスロープになっていた。

「じゃあどうするの!?」

「まずは落ち着け、深呼吸だ。それから――」

 穴をくぐり抜けると、すぐに階段は見つかった。残念ながら、九十度近く横に傾いてはいたけれど。

「それから、耳を貸して。いいことを教えてあげよう」

 それを最後に、二人の声が途絶えた。

(……明日香先輩、やってくれるかな)

 何故だろう。僕は先輩のことを心配してはいなかった。むしろ信頼していた。僕が始めたこの作戦に、彼女ならきっとノッてきてくれると。

 細い階段をに、長い廊下を渡る。いずれにせよ、軋む木材や押し潰される煉瓦の断末魔が大きくなってきたせいで、自分の息遣いさえ聞き取りづらい。

 僕の記憶が定かなら、三階はそれほど広くはないはずだった。日当たりの良いバルコニーが面積のほとんどを占めていて、あとは屋根裏じみた小部屋に、出窓が一つ。それから、屋根の上に出る為の採光窓がいくつか開いていたぐらいで。

 横にひっくり返った階段から顔を覗かせると、果たして記憶と変わらない光景が、大きく傾いて広がっていた。壁の色も、そこにつけた傷も。チェストやらテーブルやら、いくつか家具が足りないけれど。と二人、よく秘密基地を作ったものだと思い出す。

「おっ、来たね。ご苦労ご苦労」

 そしてようやく、彼女達がいた。

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