4-2 常世、迷ひ家、桃源郷にヴァルハラ
「君達は確かにあの実験槽で眠っていた。それは私が肉眼で確認している。しかし、実験層に取り付けておいた記録用のカメラには、眠りに落ちている最中の二人が、一切映っていない。これがどういうことか、分かるかね?」
椿教授が再生してくれた映像には、確かに実験層だけが映っていた。まるで水のように“エッセンス”は漂い続けているが、そこに浮かんでいるはずの僕の姿だけがぽっかりと抜け落ちている。
僕は思い出す。あの現実離れした風景を。昼でも夜でもない奇妙な空を。無限に広がる荒野に立つ、大きな家を。
そしてそこにいた、彼女のことを。
「……僕達は、どこか違う場所に移動していた、と」
「しかもこの場にいながらにして、だ。シュレディンガーの思考実験よりも馬鹿げた仮説だよ、これは」
教授は、少し熱っぽく呟いて、デスクのモニターと向かい合う。今度は数値の記録と向かい合っているらしい。
「今回で十度目の実験だが、人間がカメラから消えたことはなかった。君達は他のサンプルと何が違うのだろうな」
僕は少し考える。そして、訊ねた。
「今、人間は、と言いましたよね」
「ああ」
「じゃあ、妖精は?」
キーボードを打つ指が、ぴたりと止まった。
「妖精の光学的な記録は皆無だ。フェアリーサークルの中で動くカメラはほとんど無い。かろうじて動作する原始的なシステムでは、光量などの条件が揃わないせいで、暗闇しか写すことが出来なかった」
説明をしながら、教授も何かを考えているようだった。
僕は、実験の直後に報告したことを、もう一度繰り返す。
「僕達は、眠っている間に、妖精と出会いました。あちらの時間ははっきりとは分かりませんでしたが、恐らく夜ではなかったと思います。こちらなら、そんな時間に妖精が姿を表すことはありえない」
と言っていたのは、執拗に僕の二の腕を殴りつけてきた才子だったが。
教授の手が動きを再開する。不気味な速さで散文的なメモがモニターに踊り始めた。
「つまり君が言いたいのはこうだな。君達がいたのは、
妖精、扉、アヴァロンなど、会話に出てくる単語が、乱雑にテキストエディタのウィンドウを埋めていく。
「興味深い仮説だ。人ではない者達の領域については、民間伝承においていくらでも報告例が挙がっているからな。常世、迷ひ家、桃源郷にヴァルハラ。うん、あながち的外れでもないだろう。とすると、気になるは、扉の発生条件ということだが……今までの事例を精査する必要がありそうだな」
彼女は早口で締めくくる。
とうとう本格的に思考を回転させ始めたのか、それから僕の声に応じてはくれなかった。
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