3-4 現代に蘇った錬金術師

 結局、備品の数々を破壊した上に妖精を取り逃がした僕達に対して、妙さんが下した罰は、こんな感じのことだった。

「新しい装備の開発が完了したみたいから、受け取りに行ってきなさい。ああ、台車を忘れないで」

 拍子抜けするほど軽い罰。

 台車をゴロゴロと転がして、キャンパスの反対側にある理工学部の実験棟まで行って、『装備』とやらを受け取ってくるだけ。確かに力仕事ではあるし、広い敷地を端から端までの往復ということで、女性陣にとっては大変かもしれないが。

(いや、そんなはず無いな)

 我ながらあっさりと否定する。

 児童文学研究会のメンバーは、全員運動能力がとても高い。きっと、腕力や持久力だって、僕よりもよっぽど優れているに違いない。

「ほら、ゆきちゃん、こっちこっち」

 振り向くと、泉が階段の下から手招きをしていた。

「地下二階って言ったでしょ。早くしてよ、もう」

 隣に立つ才子は、なんだか顔色が優れない。そもそも罰を命じられてから、ずっと溜め息ばかりついている。

 それもそうか。そもそもの原因は、僕のおせっかいだ。彼女は言わば、とばっちりを受けているに過ぎない。

「……ごめん、咲原さん。巻き添えにして」

 才子は、吐息とともに頭を振った。

「別に。てか、あんたのせいとかじゃなくて……」

「あのね、ゆきちゃん、違うの、さいちゃんはセンセーが苦手なの」

 言葉を補ったのは、泉。才子はまたしても溜め息。

 目的の地階を目指して階段を降りながら、僕は訊き返す。

「先生って、その、装備を作ったり、エッセンスを買い取ったりしてくれるっていう?」

「理工学部の、椿センセーだよ」

 椿教授――祥星学園大学が世界に誇る、狂気のマッドサイエンティスト。現代に蘇った錬金術師。稀代の変人。噂には聞いたことがある――科学による世界征服を目論んでいて、その為ならば手段を選ばない冷血漢。大学予算の半分を実験機材に回しているとか、毎年ゼミ生が一人行方不明になっているとか、しばらくして帰ってきたゼミ生が妙にロボットじみた喋り方になっているとか。

 まあ、その噂を立てた人間は、教授によほどの恨みがあるのだろうと、その時は思ったのだけれど。

「噂は聞いたことあるけど……本当なの?」

 なんとなく、背筋がひんやりとしてくる。

 何しろ妖精なんてものが実在する世の中である。錬金術士やマッドサイエンティストだって、いてもおかしくはないような……いや、やっぱりおかしいか。

「……自分で確かめたら」

 またしても溜め息混じりにそう言って、才子はそれ以上取り合ってくれなかった。ねえ、噂って何? という泉の問いかけが虚しい。

 言われてみれば、辿り着いた地下二階は、どことなく空気が淀んでいるようで、窓が無いことを差し引いてもやたら薄暗い。廊下に放り出された何かのタンクやら、デスクやら回転椅子やらが、陰鬱な空気を後押ししているような気もする。

そもそも、考えてみれば、妙さんが下した罰なのだから、そんな簡単に物事が運ぶ方がおかしいんじゃないか。下手を打てば、二度と地上へと戻れないとしても、不思議ではない。

 ついに、研究室の扉の前に立つ。

 恐る恐る表札を確認すると、そこには当然こう記されていた。

 立花研究室。

「先生。児童文学研究会ですー」

 覚悟を決めたらしき才子が、なおざりなノックをする。

 返答は無い。

 静寂さえ、どこか不気味な色をしていた。

「……椿センセー?」

 泉がノブをひねると、がちゃりと音がして、難なくドアが開いた。

 隙間から顔を突っ込んだ彼女が、嬉しそうな声を上げる。

「あっ、いた! 失礼しまーすっ」

 泉が滑り込み、嫌そうに才子が続く。

 最後に入った僕は、後ろ手にドアを閉めた。

「……おお」

 中は、思っていたよりもずっと整然としている。

 扉一つ挟んだだけなのに、外とは世界が違う。壁沿いのエレクターに整然と並べられた実験機材。空間の中心に陣取る黒い樹脂のテーブルには、塵一つない。

「センセー。あの、瓶とか、受け取りに来ましたぁ」

 泉の声がした方、書棚の向こうを覗きこむと。

「……ん」

 研究室の片隅に、その人がいた。

 作業台から顔を上げたのは、白衣を羽織り、防塵ゴーグルをかけた女性。

 立花椿教授。

 あけすけに言って、彼女は美人だった――まるで作り物みたいに。肌は陶器のように滑らかで、短く整えられた髪はナイロンじみた艶やかさ。長い睫毛を隠すようなメタルフレームの眼鏡にも、白衣の下に着たスーツにも、隙は見当たらない。

 敢えて難癖をつけるなら、その眼つきだろうか。

 持ち上げたゴーグルの下から現れたそれは、何を見ても色を変えないのではないかと思うような、冷静さを漂わせている。

 嬉しそうにニコニコとする泉と、隣で若干青ざめた才子を順番に見るときも、眉ひとつ動かさない。

「ちょうど今、最後の仕上げが終わったところだ」

 そう言って、彼女は目の前の作業台に向き直る。

「わあ、きれーい」

 泉が無邪気に歓声をあげた。

 完全に乗り遅れながらも、僕はコソコソと、彼女達の肩越しにそこを覗き込む――

「わ、ホントだ。すごい」

 広げられた油紙の上に、並べられていたのは。

 “冷たい鉄”製のワイヤーで編まれた虫取り網。錘付きの太く長いワイヤーと、鏃を丸めた矢が十数本に、一対の重々しいグローブ。

 そして、石英ガラス製の“捕獲瓶”。

 初めて見たのは、ハンドベルだった。ちょうど、子供の握りこぶしぐらいの大きさだろうか。他の装備と同様に、無塗装の表面は独特の青褪めた光を帯びている。

 それらをじっと見ている僕に気付いたのか、椿教授が口を開く。

「今回の新作だ。嫌可逆性金属を振動させることで、特異点の嫌悪反応を引き出す。それによって、特異点の進行ベクトルを逸らす、あるいは反転させる器具だ。効果的な振動を起こすための曲面計算と加工方法の開発に手間取っていたが、ようやく実用レベルの振動効果が実現できた」

「……えっと、つまり?」

 彼女の説明は、分かるようで分からない。

 嫌可逆性金属って、それはつまり、僕らが“冷たい鉄”と呼ぶもののことだろうか?

「妖精さん達が嫌がる音を出す、ってこと?」

 サラッと言ったのは、泉。

 椿教授は小さく頷いて、

「その通り」

「……これ、鳴らしてみてもいいですか?」

 才子は早速手を伸ばして、直立した鐘の柄を摘み上げた。

 手首から先で、軽く振ってみると――

 ――りぃぃぃぃ……ん――

 澄んだ音色だった。無骨な外観からは想像もできないほど、細く小さく、それでいて遠くまで響いていく。

「……鳴りませんね」

 不審げに呟いて、才子は何度もベルを振る。

 強く、弱く、大きく、小さく。

 鉄の鈴が震える度、少しずつ違う、けれど似たようなか細い音が響いた。

「さいちゃん、聞こえないの?」

「え? 鳴ってる?」

「鳴ってるよぉ。ね、ゆきちゃん?」

 泉が不思議そうに、僕を振り向く。

「なんか細い感じの音。でも一度鳴ると、ずっと響いてる」

 僕は頷いて、彼女に同意を示した。

 確かに聞こえる。

「……適性の問題だろうな。特異点に対する同調性が高い人間ほど、この波長の振動を捉えやすい」

 いまいち分かりづらい椿教授の説明に、才子が眉をひそめる。

「つまり、これが聞こえない人間は、妖精の捕獲には向いてない、ってことですか?」

 一段低くなった彼女の声。

 それが、彼女にとっては少し複雑な感情の表現だということに、僕はようやく気付いた。

「いや。それはまた別の話だ。同調性が強いということは、特異点に引っ張られやすい、ということでもある」

 ……だからつまり、それって、どういうことですか? と訊けなかったのは、多分、僕の間が悪いせいなのだろう。

 それとも、椿教授がマイペースな人だからだろうか。

「それで。今日は、誰なんだ」

「誰……ですか?」

 またしても僕は少し戸惑う。

「え、ええと……やっぱり、やるんですか……?」

 才子の表情が、さらに固くなった。警戒しているというより、怯えているように見える。

「ああ。君達のボスとは話がついてる。聞いてないか?」

 少し低めの、物憂げな声音で、椿教授。表情は毛の先ほども動かないというのに。

 才子は不承不承といった様子で頷く。

「いや、それは聞いてます、けど……」

 なんだか嫌な予感がした。

 彼女達は一体何の話をしているんだ?

「あっ。ほら、先生、あの、今日はうってつけのがいますよ!」

「ほう。誰だ?」

 言うなり、才子は僕の顔を指さした。

「僕?」

 椿先生は、しげしげとこちらの顔を眺めると、

「……君は誰だ?」

 どうしてこのタイミングで訊くんですか、椿先生。さっきまで普通に会話してたじゃないですか。という言葉は、ぐっと飲み込んでおく。

 多分、こういうタイプの人に、そんなことを言っても意味が無い。明日香先輩の時と同じ。悪びれない人種だ。

「あ、浅野由紀彦と言います。教育学部の二年です」

「ゆきちゃんって呼んであげて、センセー」

 泉が無邪気に、余計なことを付け足してくれる。

「そうか。分かった、ゆきちゃん。今日は君が被験者だ」

 こちらが恥ずかしくなるぐらい、何の衒いもなく、椿教授は僕をそのあだ名で呼んだ。

 いや、それはどうでもいい。問題はそこじゃない。

「被験者って……な、何かの実験ですか?」

「高濃度の特異点残留物に接触した場合の人体に対する影響の観察だ」

 早口でそう告げると、作業台の引き出しから取り出したバインダーを押し付けてくる。

「このアンケートを記入して、最後の書類にサインをしたら、着ているものを全て脱いでくれ。悪いが、今日は忌々しいレポート採点のせいであまり時間が無い。準備は速やかに終わらせてほしい。すぐ実験を始めるぞ」

 そして白衣の胸ポケットから外したボールペンを差し出してくれる。

(――ん?)

 今、何かおかしな点が無かったか?

 椿教授の切れ長な眼が、少し険しくなった。

「聞こえなかったか? 私は急いでいるんだが」

「……いや、あの、先生、すいません。今、なんと?」

 とりあえず。確認しておく。

「高濃度の特異点残留物に接触した場合の人体に対する影響の計測」

「そこではなくて」

「なんだ。どこが気になるのかはっきりしろ。私は気が短い」

 なんだこれ。これがいわゆる逆ギレという奴か。

「……着ているものを?」

「ああ、まだ衣服の影響を無視できるほどデータが揃っていないのでな。更衣室は無いが、まあ、子供じゃないんだ、気にするな」

 僕は素早く振り向いた――

 が、そこには、きょとんとした顔の泉と、明後日の方向に顔を背けた才子しかいない。

 思い付いた罵詈雑言は五十ぐらいある。それだけで胸がいっぱいになるほどの。

「いいから早くしろ、ゆきちゃん。私は同じ事を二回言うのが嫌いだ」

 けれど、有無を言わさない強引さにかけて、椿教授は妙さんの比ではなく。

「……はい」

 僕は力なく頷いて、それから、この世の全てを――何よりも、椿教授はもちろん妙さんや明日香先輩のような……いや、考えてみれば僕はそれ以外のメンバーにだって、全然まったく勝てないじゃないか……押しの強い女性に対して、ノーと言えない自分の弱さを呪いながら、とりあえずカーディガンのボタンに手をかけた。

「それで」

 椿教授はすぐに、視線を移した。僕から、残る二人へと。

「もう一人はどっちだ?」

「えっ?」

「だから、聞いてなかったのか。今回は被験者を二人借りると――」

 彼女が言い切るよりも早く。

 研究室には、悲鳴が溢れた。

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