3-3 さながら女王様と下僕
――そして、雷は落ちる。
「馬鹿じゃないの、アンタ達!」
頭頂から爪先まで一気に貫くような、怒りの塊。
「……すいません」
我ながら惨めな思いで、頭を下げる。
どういう訳だか、ここ数日の間で、僕は罵られるのに慣れつつあった。それを認めるのは、悲しくもあり、虚しくもある。
六畳ほどの部屋だった。打ちっぱなしの壁は、洒脱と呼べないこともなかったが、その寒々しさはむしろ牢獄を連想させた。小さなテーブルと椅子があるだけでも狭っ苦しいというのに、無理やり三人がけのソファをねじ込んだせいで、ほとんど足の踏み場も無いような有様になっている。他にも、誰が持ち込んだか分からない書籍や漫画、何の益体もないガラクタなどが散らばっているせいで、空間そのものが圧縮されてしまっているような錯覚さえ感じる。
それが部活やサークルが集うソフィア・ホールにおいて児童文学研究会に割り当てられた、「部室」だった――研究会なのだから、部室というのもおかしなものだが。
ついでに言っておくと、どこかから拾ってきたらしい事務椅子に座って首をすくめている女性が、副会長の槇田明日香。続けて、三人がけのソファにびっちりと座っているのが、右から書記係の榊志乃、生き物係(部室のどこにも水槽や虫かごは見当たらないんだけど……)の皆本泉、機材管理係の咲原才子。
そして、部屋の中心で彼女達を見下ろすように仁王立ちしているのが、会計係の南禅寺妙閣下だった。今日は大きく赤い花が描かれたタイトなワンピースに、薄いグレーの短いジャケットを羽織って、どこかやり手の実業家を連想させる。
――忘れないうちに付け足したいのは、そんな彼女の足元で、何故か一人だけ正座をさせられているのが、僕――浅野由紀彦であるということ。
傍から見れば、さながら女王様と下僕といったところか。残念ながら、それを喜べるほど、僕にマニアックな趣味はなかった。
足の痺れはもうとっくに痺れの域を通り越して、激痛と化している。少し動いただけでボロボロ泣きそうだった。
「……別に、装備を壊したことを責めるつもりは無いわ。所詮消耗品。遅かれ早かれ交換は必要になる。それはいい」
いつもより、なお平静に――時に信じ難いほど苛烈に――妙さんが語る。
僕が思うに、彼女は非の打ち所のない女性だ。怒る姿さえ、どこか気品のようなものを感じさせる。喩えるなら、美しい宝飾がされた刃物をゆっくりと押し付けられて、自分の皮膚が切り開かれていくのを、じっくりと魅せつけられているような心地だった。
「問題はね。敢えて危険な選択をしたこと。そしてその結果、得られるはずの成果を逃したこと。分かるわね」
「……はい」
「どうして明日香の指示に従わなかったの」
どうして。
その問いに対する答えを、多分僕はいくつか知っていた。けれど、口に出そうとすると、どうにも安っぽく感じられた。
「……咲原さんが、心配で」
「心配は全員がしてた。アナタ一人で出来る事なんて、たかが知れてた。分からなかった?」
切り返しに、容赦はない。
分かっているつもりだった――けれど、そうは出来なかった。何故なら。
(僕は、何かしたかったんだ)
見栄か。プライドか。自分にも出来る事があると思いたかった。見返したかったのだ――彼女達を。
椅子の背もたれに肘をつき、明日香先輩が気安く呼びかける。
「まあ話は大体分かったから、その辺にしよう、妙」
「明日香は黙ってて!」
一喝。気圧された明日香先輩が仰け反ると、椅子の足が床を引っ掻き、嫌な音を立てた。
「止めなかったアンタも同罪よ。分かってるでしょう」
珍しく困ったように、彼女は目を逸らしながら、
「いや、色々あったんだって。なあ、才子?」
まさかのキラーパス。才子の顔色が青くなる。
「え!? あ、いや、はい、まあ、その、色々というかなんというか……ごめんなさい、そもそもあたしがコケなければ良かったんです、その――」
「過失は避けられない。次はやらなければいいわ」
妙さんは冷徹だけれど、その分公平でもあった。
「でも、判断ミスは許されない。いえ、判断の基準そのものの誤りは」
平然と、僕の心臓を抉りに来る。
「今回は致命的な事態にはならなかったけれど。次はどうなるか分からないのよ」
ただ沈黙しか、返すことが出来ない。妙さんが落とす視線を、受け止められない。
「……妙さん」
静寂を破ったのは、泉だった。
「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても、ゆきちゃんは、大丈夫」
ふわりとした言葉。逆に僕が面映くなるほどの、柔らかさで。
「だって、ゆきちゃん、優しいから」
彼女が微笑む。
――僕自身でさえ、それが何の答えなのか、測りかねた。
けれど、部屋を包み込んだ静寂は本物だった。
見たこともない表情で、妙さんが泉を見ている。
「……根拠になってないわ」
怒っているとは思えなかった――もちろん、間違っても納得している訳はない。
「あの。あれは、珍しい現象なんですか?」
さりげなく漏らしたのは、志乃ちゃん――いや、じゃなくて、志乃さんだった。
「“エッセンス”が暴走するなんて、私、初めて見ました」
夜空を照らし出した光球を思い出すように、目線を上に向けながら、彼女は続ける。
「“エッセンス”が不思議なものだ、というのは知ってましたけど、ああいう危険なものだとは思いませんでした。壊れかけた捕獲瓶のせいなんですか?」
明日香先輩が軽く顎を引いて、同意を示す。
「“
なるほど、だから“冷たい鉄”なのか、と僕は妙なところに納得する。
「“エッセンス”は大きなエネルギーの塊みたいなものだ。妖精達の気まぐれ次第で、どんなことでも引き起こす。だから、取り扱いには注意が必要なんだ」
その横顔が漂わせる眠気は、いつもより深かった。ややもすると憂鬱であるかのような。
志乃ちゃんが言う。
「明日香さんは、他にも見たことがあるんです?」
「まあ、何度かね」
明日香先輩の涼しげな面に、突然影が落ちた。目が、思わず影の正体を追う。
部室の小さな窓の外。鳩の群れが、横切っていった。
つかの間、辺りに暗がりが広がっていく。
「……ま、とにかく、一番高い装備は壊さなかったみたいだし、それは評価してもいいんじゃないの」
気付くと、先輩はもう、ニヤリと笑っていた。
「……一番高い装備?」
「そう。それは、才子と君」
思いがけない台詞に、返す言葉が見つからない。
明日香先輩は、おそらく渾身の台詞と表情で続ける。
「仲間の命はプライスレスだからね」
……これは、素直に感動しておくべきなのだろうかと、何故かそんなことを考える。
というのは、呆れた顔で額を押さえる妙さんの向こうで、感極まった表情を浮かべる泉が目に入ってしまったからなのだけれど。
「うん! うん、そうだよね、二人とも無事で良かったよね。すごいすごい!」
「ねー。いやホント、素晴らしいことだよ。よくやったよ」
何度も頷き合う泉と明日香先輩に、どう声をかけたらいいものか、少し迷う。
「……それは、その、ありがとうございます。でも、あの、一応言っておきますけど、僕、まだ入会を決めたわけじゃないですからね」
「細かいこと気にするねえ。だからモテないんだよ君は」
いきなりなんてことを言うんだ。
「モテ――ま、せん、けど」
咄嗟に開いた口から、抗議の声は出てこなかった。多分、まったくその通りだったから。
「ちょっと明日香さん、それ、セクハラですよ?」
相変わらず志乃ちゃんは優しい。彼女だけが僕の味方かもしれない。
「細かいこと気にすると健康にも悪いんだぞ。なあ、そう思うだろ、才子?」
「……えっ?」
不意に。
問われた、才子は。
「――ああ、ええと、ですよね。器の小さい男とか、最悪ですよね。変態だし」
やっぱり、したり顔で僕をこき下ろしてくれたのだけれど。
ほんの少しだけ見せた、虚を突かれたような表情が、妙に印象的だった。
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