Chapter.3 ランチタイム:ランデヴー
3-1 僕らを探す鬼
『いたか!』
『こっちにはいないぞ!』
『こっちもいないー』
『あっちもダメだー』
奇妙な感覚に、少しずつ自分が慣れているのが分かった。言葉は音でなく、文字でもない。流れこんでくる思考を塞き止めることは出来なかったが、考えなかったふりをすることはそれほど難しくはなかった。
その分、自分の考えをまとめることが困難になるけれど。
「……で、どうするの」
息を殺して囁いた才子の声が、そのまま耳朶に触れた。背筋がむずがゆくなる。
「うーん……どうしよう」
言いながら、慎重に彼女を背負い直す。その身体は、見た目より随分と軽い気がした。別に彼女が太っているとか、そういう訳ではないけれど。
もしかすると、この非常事態に、僕に眠っていた秘密の力が目覚めたのかもしれない。そんな訳あるか。
「ちゃんと考えてんの」
「そ、そっちこそ」
言い返しても、何も始まらない。まずは冷静に、現状を認識しなければ。
僕達は追い込まれているのだ。
そもそもの問題は、僕が妖精とのジャンケンに勝ったことに端を発している――妖精という生き物は、かくれんぼどころかジャンケンまで理解しているのだから、まったく訳が分からない――変な所で人間臭いせいで、余計に奇妙な生物のように見える。
僕がジャンケンに負けて鬼になれば、妖精達を探す真似をして時間を稼ぎつつ、廃工場への帰路を辿れたのだが。
残念ながら、敗北したのはリリパットの方だった。
数え切れない程の妖精達。その全てが、僕らを探す鬼。
右足が動かない才子を背負い、時間制限ギリギリまで森を駆けたけれど、肝心の廃工場まで辿りつくことは出来なかった。百を数え終わると同時、リリパット達はとてつもない勢いで夜の森に弾け飛んだ――それこそ弾丸の勢いで、僕達を探し始めた。人海戦術というべきか、無数のリリパット達が森を駆け回っている。
下手に枝でも弾こうものなら、彼らは即座にこちらを見つけるだろう。闇の中を走って逃げ切れる相手でもない。まして、見つかった挙句、大量の妖精達に襲われた時、どうなるかは想像したくもない。
良くて発狂、悪くて圧死といったところか。
まるで子供のような――それでいて、どこか人間味を感じさせないのは、奴らが人間によく似た何者かであることの証左なのか。
まさしく
「とにかく、廃工場まではあと少しなんだ。なんとか、逃げ込もう」
みんながいれば、どうにかなる。というのは、リリパットの総数を肌で感じた今となっては、甘い考えのようにも思えたが。
「なんとか、ね」
「うん、なんとか」
その、なんとか、が分からないのだ。
二人で息を潜めているのは、大小の樹木が絡みあった結果の、ちょっとした茂みだった。風か何かで横倒しになった木が、無理やり枝を伸ばそうとした結果、盛り上がった木の根と一体化し、根元から幹の半ばまで緑の葉が茂っている。こんもりとした広葉の塊に埋もれた木は、必死に自分の枝葉を伸ばし、結果として塊を更に大きなものへと変えていた。
『――あの人間、やるなあ!』
聞こえてくる『声』の方向は一定せず、妖精達が移動を続けていることが分かる。『声』が途切れないのは、それだけ多くのリリパットが、無秩序に森林を駆け回っているせいだろう。茂みから出るタイミングを間違えば、いきなり鉢合わせにもなりかねない。
僕の距離感が確かならば、みんながいる廃屋まではそれほど遠くないはずだった。
「……浅野」
「なに?」
話しかけられて、我に返る。才子が僕を見つめていた。
「なんかあんた、顔違うね」
「え」
「なんだろ。いい顔してる? っていうか。いや、ニヤニヤしてるだけかな……」
突然、何を言い出すんだ、この人は。
「……そうかな」
けれど、特に否定も出来ず、僕はあやふやな言葉を吐いた。
薄々気付いてはいた。
体を包む奇妙な高揚感。神経が高ぶり、目が冴えて、思考の速度が増していく。
これが充実感というものだろうか。誰もが日々の中に探り出すもの。
今なら、どんなことでもやれる気がした。
――確かに僕一人なら、逃げ切れる距離なのかもしれない。この場に才子を隠し、助けを呼びに行く。明日香先輩なら、この状況を切り抜ける方法を知っているに違いない。
それは合理的な方法のように、思えたけれど。
「……明日香先輩なら、この状況、何とかできると思う?」
訊いてみる。
「どうだろ。あの人、すごいキレ者っぽいけど、実は何も考えてなかったりするからね。超場当たり的だし」
それはそれで、評価すべきことのような気もするが。
「多分、あの人だったら、あたしを置いて行ってると思う。あとで助けに来るだろうけど」
何気ない言葉に、どきりとする。
そのせいだろうか。忘れていたものを、思い出したような気がした。
「……置いて行く、か」
「えっ。ちょっと、今更置いてくなら、最初から一人で逃げてよ」
「いや、そうじゃなくて」
才子の脚を抱えたまま、ジーンズのポケットに手を突っ込む。
何も無い。
「咲原さん、ちょっといい?」
「え?」
今度は、才子のポケットへ。尻を這わせて、指で中をまさぐる。
「や、ちょ、何すんの変態――こら、お尻、くすぐったいって」
何かを捕まえる。
小さくて、固くて、丸い。
――飴玉。
「どこ触ってんだっつの――」
「――これだ」
つまみ出した包みを、彼女に見せる。
「他に、何か持ってない? お菓子」
「……あるけど」
「出して。全部」
胡乱気に僕を見やり、才子は赤いレインジャケットの中を慎重に探り始めた。
「いっぱいあったから、少しもらっただけだよ」
叱られた子供のように、口の中でもごもごと言う。
差し出された飴やらチョコレートやらを数え――僕は、独りごちた。
「これなら、なんとかなるかもしれない」
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