2-4 有り体に言って、奴隷
そうしていつの間にか週末の二日が過ぎる頃には、僕にも少し冷静さが戻りつつあって。
よくよく考えてみれば、違和感どころの話ではなかったのだ――そもそも児童文学研究会というサークルには、どうにも奇妙なところが多すぎた。組織名、活動内容、メンバー、そして何よりも妖精という存在……
「大丈夫ですか? 重くないですか?」
問いかけられて、ふと我に返る。その途端、ずっしりとした重みに両肩が軋んだ。
巨大な荷物を引きずるようにして、僕がよろよろと歩いているのは、部室棟へと向かう小さな歩道だった。両脇を刈りこまれた芝生に覆われ、ひたすらに真っ直ぐ伸びていく道。降り注ぐ日差しを遮る並木さえ無く、どこまでも平坦な景色が広がっている。
東京は
“大草原”。
僕も、都心での入学式を終えて、キャンパスへ向かったときは驚いたものだった――私鉄に乗っていると、ある地点を境にすっかり建物が無くなってしまうのだ。あるのは、畑、山、そして遠く光る青空。嵐ヶ丘の駅で電車を降りて、そこに電信柱や街灯といった文明の香りを見つけた時、心底安心する。東京というのは、本当に懐が深い都市だと思った。
ただ、いくら周辺が畑ばかりとはいえ、嵐ヶ丘キャンパスが実際にそんな広いということはない。同じ都内にあって、山一つを敷地にしてしまうような大学に比べれば、ささやかな敷地だと思う。けれど、かつて軍が使用していた飛行場をそのまま転用したという平坦な土地は、どうにも見晴らしが良すぎてだだっ広く感じてしまう。
特に、部室棟になっているソフィア・ホールという建物は、敷地の隅に位置するせいもあって、正門からかなり歩かなければ辿り着けない。歩道脇に植えられた銀杏と、背の低いいくつかの校舎は、空の広さを実感させるばかりで、道のりは余計に果てしないような気がしてしまう。
ビニール袋が指に食い込む痛みは、尚更歩くことを億劫にさせた。そもそも、どうして僕はこんなことをしているのか。別に、児童文学研究会に入ると決めた訳でもないのに。
疑問は数多あったけれど、何一つはっきりとしたことは分からないまま、何故か僕はこうして彼女たちの手伝いをしていた。
いや、むしろ下働き、というか――有り体に言って、奴隷かもしれない。
「ごめんなさい、浅野さん。明日香さんがどうしても今日って言うから」
「ううん、全然。大したことないよ」
歓迎会の時もそうだったけれど、こんな風に気遣ってくれるのは志乃ちゃんぐらいのもので、他のメンバーはといえば、そもそも顔を見かけないか、部室で漫画を読んでいるか、または隅のソファで眠っているか、でなければ僕に一声かけるぐらいだ――ゆきちゃん、なんか買ってきて、と。
「でも、こんなにたくさんのお菓子、誰が食べるのかな」
両手にぶら下げた、業務用スーパーのロゴ入りビニール袋に詰まっているのは、ドキドキするほど大量の菓子。チョコレートやキャンディ、クッキーにケーキなど、これでもかというほどに甘味が溢れていた。
「……浅野さん、食べたいんですか?」
「え?」
「すっごく物欲しそうな顔してます」
言われて、自分が口を開けっ放しにしていたことに気付く。
「いやっ、べ、別に、そんなんじゃないよ」
「そうなんです?」
いつの間にか溜まっていた唾を飲み干して、僕は反論した。
「違うよ、そんな、甘いものなんて……き、嫌いじゃないけど」
「……浅野さん、女の子みたい」
言って、志乃ちゃんが少し悪戯っぽく笑う。
「かわいいですね」
すると、彼女は急に大人びて見えた。僕より頭一つ、もしかすると二つは背が低いのに。
「多分、泉さん用だと思いますよ。あの人、甘いものが無いと、すぐ動かなくなっちゃうから。部室のロッカーに溜め込んでるんですよ」
「……リスじゃないんだから」
僕は呆れて、肩を落とす。
そんな僕を見て、笑みを漏らす志乃ちゃんは、やっぱり少し大人っぽい。
正直な所、彼女はぱっと見、本当に中学生かと思うぐらい幼く見える。白いチュニックとグレーのジーンズという取り合わせも、なんだか子供服店のマネキンがそのまま抜けだしてきたみたいだ。きっと、志乃ちゃんの方が、愛らしさは上だと思うけれど。
「……志乃ちゃんは、どれぐらいになるの?」
ふと、疑問の一つを投げかける。
「えっ……えっと、この間測った時で、百四十センチぐらいだったと思います」
「あ、そっちじゃなくて」
確かに、志乃ちゃんの身長は興味深かったけれど。
「……浅野さん、そういうの、セクハラですよ」
「えっ、ちょ、違う、そっちでもなくって」
自分で言いながら、何がそっちなのかよく分からないまま、訂正する。
「この研究会に入ってどれぐらいなの? って」
「あ、そっちですか」
合点がいったのか、志乃ちゃんは軽く頷いた。
「今年で三年目ですね。一年生の春に入ったから」
「……え?」
思わず聞き返す。
「だから、三年目」
少し考えて、それから僕は、自分が実は彼女のことをほとんど知らなかったと気付いた。
三年目。つまり、一年次に入ってから既に二年の時が過ぎている。僕が入学したのが去年。つまり今が、大学に入って二年目の春。つまり?
「ちなみに、志乃……さん、何歳なん、でした、っけ?」
「いくつだと思います?」
間髪入れない切り返し。まるで質問を見越していたかのように。そして、彼女は再び笑った。笑ってくれたのだと思いたかった。
「第一印象でいいですよ」
つられて笑いながら、必死に脳裏で答えを探す。果たして、低く見積もって答えるべきか、高く見積もって答えるべきか。なんだか、まずいことになっている気がした。
ああ、そうか、これがいわゆる地雷という奴か。
僕は自分の想像力の無さを呪った。見た目が幼いからといって年下とは限らない。そして、幼く見られるのを嫌がる人もいれば、常に若くあろうと努力を重ねる人もいる。
果たして志乃ちゃんはどちらなのだろうか――
「お疲れ様。二人とも」
救いの女神の声がした。決して大きくはないけれど、よく通る妙さんの声。
「妙さん、才子さん。お疲れ様です」
「あ、お疲れ様、志乃ちゃん」
ついでに、ちょっと面倒くさい方の女神の声もした。咲原才子。
道の向こうから――つまり、部室棟から二人が歩いて来る。
「二人とも、今日はもう帰りですか?」
「一旦戻って、今夜の準備」
妙さんは軽く右の踵を持ち上げて、白いハイヒールを指で示す。
「あたしも。いつものクロスバイクじゃ厳しそうなんで」
才子が押していたのは、フレームの空色が美しい自転車だった。デュラハンと追いかけっこをしていたときに乗っていたものだろう。都心でよく見かける細い高速走行用のタイヤが使われていて、全体に華奢な造りをしていた。
「……今夜?」
まさかとは思うが。
今夜も、また大捕り物を演じるのだろうか。しかも、今度はハイヒールやクロスバイクでは入っていけないような極地で。
僕の顔が強ばったのを、才子はちらりと見た。しかし、何も答えてはくれなかった。
どうやら彼女は、僕を完全に敵と見なすつもりらしい。なんだか気が重くなってくる。
志乃ちゃんは、あら、と呟いて、口元を手で隠した。
「今日ですか? それは急ですね」
「入りが良いの」
歩き出しつつ、妙さんは僕に視線を向ける。長い睫毛の下で、瞳はいっそ冷たく見えた。
「無理はしなくていいけど」
「ていうか、別に来なくていいけど」
やはり余計な、才子の一言。何か言い返そうにも、目線さえ合わせてくれない。
正門へと向かう二人の背中を見送りながら、僕はふと、思いついたことを口にした。
「……明日香先輩は、すぐお菓子買ってこい、って言ってましたよね」
志乃ちゃんが頷く。
「もしかしてこのお菓子、その、今夜の『捕獲』に関係があるんですか」
言ってみたけれど、具体的に利用方法が思い付いている訳でもない。食料が必要なぐらい遠出するのだとしたら、ぞっとしない話ではある。
彼女は少し考えるように視線を上に向けて、それから、また笑った。
「グレムリン、って知ってますか?」
「映画ですよね。夜中に食べ物を与えるとすごいことになる奴」
「じゃなくて。飛行機にいたずらをする、っていう妖精なんですけど」
どきりとする。
飛行機だって?
「……それは、ヘタをすると、死ぬレベルじゃないですか」
ロクでもない場所に連れていかれるのだと予想していたが、まさか雲の上とは。今度こそ、気のせいでした、では済まないだろう。
「ええ。でもグレムリンは、そんなに怖い妖精じゃないんですよ。どうしてかというと、対処方法が分かってるから」
「対処方法?」
志乃ちゃんの小さな手が、僕がぶら下げたビニール袋を示す。
「妖精はね、みんな、甘いお菓子が大好きなんです」
袋からはみ出した飴玉のパッケージが、くしゃりと音を立てた。
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