Chapter.2 ドリームライク:デイブレイク
2-1 僕はまた気を失った
例えば、ポリバケツに満たされたウイスキーの中へ投げ込まれ、零れることが無いよう高速で七十三回ほど回転させられた挙句、空高く投げ放たれ、地球の重力が届かない宇宙空間を延々と彷徨い、行き着いた先の惑星でやはり同じように打ち上げられ、それを七回か、もしかすると九回ぐらい繰り返されたとする。
その場合、人間はどうなるだろうか。
これは妄想だけど、冗談ではない。何故なら、ちっとも面白くないから。
想像してみて欲しい。その時、人間はどんな気持ちなのか。
僕の答えはこうだ。
(そんなことは、どうでもいい)
ありったけの怨嗟でもって、僕は毒づいた。
まったく声は出なかったけれど。
実際、言葉にならないものなんだと、僕は思う。鉛を直接流し込まれたような全身の気怠さと、内と外の両方から容赦なく圧搾され続ける頭の鈍痛と、喉元まで競りあがったまま引くことのない吐き気。
なるほどこれが二日酔いなのか。
ようやく見慣れた、部屋の白い天井を眺めながら、僕は何かを呪った。
何でもいいからとにかく呪い倒して、この苦しみをやりすごしたかった。痛む頭を抱えながら、気休めに寝返りを打つ。
するとそこに――彼女がいた。
そして、彼女達がいた。
「えっ」
一瞬、時が止まる。
もし本当に時が止まったなら、それは永遠だったのかもしれない。
いや、訳が分からない。
何が起きているのか。落ち着いて、出来る限り速く、そして――誰かを起こしたりしないよう――静かに思考の回路を走らせる。
(……ここは僕の部屋だ)
大学に入ると同時に借りた、古いアパート。駅からは遠いが、コンビニや銭湯が近いので、あまり不自由はない。フローリングの八畳間は一人暮らしには少し広すぎて、持て余した一角に洗濯物の山が出来てしまっている。他には、少し大ぶりの本棚とシングルベッドがあるだけ。インテリアらしいものはほとんどない。
そう、おかしいのは、視界にベッドがあることだった。
もっとおかしいのは、ベッドの上に半裸の女性が寝ていることだった。
それだけではない。
床に大の字になっていた僕の腕を枕に、もう一人女の子が寝ている。反対の腕にも一人。首だけで辺りを伺えば、そこかしこに女の子達が寝ていた。
完全なる雑魚寝状態。あるいはハーレム状態。
(どういうこと?)
まったく分からない。
何かの経緯があるのだろうと記憶を探るが、見つかるのは鈍い頭痛だけだった。
はっきりとしているのは、息がかかりそうな程近くに、女の子――皆本泉が眠っているということ。ひよこのようにふわふわの髪に包まれて、寝顔はあどけない。緩やかにうねる毛先は、見覚えのあるカーディガンの肩を滑り、白いワンピースの襟に落ちていく。視線も自然にそれを追って、胸元の影へと吸い込まれる――
僕は、あらん限りの自制心で、自分の眼球を抑えにかかった。
(待て。落ち着け、僕)
頭の奥で、何かが告げていた。
これは罠だ。
自分でも、その判断は若干おかしいと思いつつ、とにかく冷静さを絞り出す。半ば祈るような心地で。
考えろ。考えるべきだ。出来るだけ冷酷に、正確に。
――考えたところで何になる?
どれだけ考えても、僕に出来ることは無い。現実は余りにも圧倒的なボリュームだ。その白くて美しく、なおかつ柔らかそうな二つの膨らみを前に、思考回路はショート寸前。
頼れるのは、閃きだけ。
(逃げよう)
どこへ、とも、どうやって、とも思わなかった。
咄嗟に自由になる首だけを逸らして――僕は、新たな罠へとはまり込んだ。
もう一人の女の子も、やはりぐっすりと寝ていた。あどけない泉と比べても、その寝顔は幼いと言ってよかった。志乃ちゃんと呼ばれていた少女。
しかし、長くまっすぐな黒髪を透かして見ると、彼女には不思議な色気があった。よくよく観察してみれば、顔に似合わず、彼女の方が泉よりも豊満な気がする――
これは罠だ。完全なる罠だ。
考える。考えても、どうしようもない。どうすれば良いのか分からない。選択肢があるわけでもなく、ましてセーブやロードなど出来るはずもない。
速まる鼓動が、胸を打つ。肋骨を折り砕かんばかりの勢いで。頭痛や吐き気など大した問題ではなかった。極限の緊張と興奮が、耳の後ろで喧しいほど脈打っている。
誰か。誰か助けてくれ。
悲鳴はあげられない。何故か分からないけれど、それはまずいことになる予感がする。
そう、何かが僕を急き立てているのだ。このままではまずいと。
(どうすればいいんだ――)
「――この」
そして、どこからか声が聞こえて。
「変態っ!」
いっそ心地よいぐらいに重い衝撃が頭蓋を走り抜け、僕はまた気を失った。
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