禄坊家(その7)

「ここが台所兼ダイニングに茶の間、洋風の居間と、客間」

 廊下を歩きながら、禄坊がそれぞれの部屋を指さして言った。

「……こっちが仏間で、その向こうに六畳間が二つ。ふすまで仕切られた続き間になっています。それから向こうにも六畳間が二つに、八畳間と、十二畳。奥がトイレと風呂場です。二階は親父とお袋の寝室に、親父の書斎。僕の部屋と兄貴の部屋があります。あとは親父の趣味の部屋……銃保管部屋に、クローゼットと納戸ですね」

「しかし、まあ、ホントにホントの豪邸だな……」

 へええ、と感心する風田に、禄坊が「そうですか?」と、とぼけた調子で聞き返した。

「『そうですか?』って、禄坊くん……」

 風田が、あきれたように言う。

「これだけの家を東京の真ん中に建ててみろよ。億の金じゃ済まないぜ? 下手すると十億単位の金が飛んで行くよ」

「田舎の基準じゃ、『平均よりちょっと大きな家』程度だと思いますよ。この辺は地価が安いんですよ。いや、安いというより土地の値段なんて無料ただみたいなものなんですよ。何と言っても、過疎の集落ですからね」

「それにしても……いったい君は、どういう家庭の生まれなんだい?」

「親父は、一応この県で一番受注高のある建設会社を経営しています。……いや、『していました』……と言うべきか」

「ああ、CMで見たことあるぞ。ひょっとして禄坊工務店って……」

「そうです。それが親父の会社。本社はF市の市街地にあります。十三歳離れた兄貴が副社長で、いずれ会社を継ぐ予定でした……兄貴は市街地の方に一戸建てを持っていて、普段は奥さんと、それから」

 一緒に廊下を歩いている少女を見る。

「アキちゃんと、そっちで三人暮らしです」

「なるほど、ね。君は、筋金入りの『お坊ちゃん』だったって訳だ」

「まあ、でも次男坊ですから。しょせんは冷や飯食いですよ。兄貴が会社を継ぐのは決定事項だし、卒業したら家を出て自分で食っていかないと」

 そこで禄坊太史は自嘲気味に「はは……」と笑った。

「なんか僕も、風田さんも、無意識に『まだ文明社会が機能している』ってことを前提にしゃべっちゃいますね。もう社会的地位も、財産も、学歴も……そんなもの全部、意味が無くなっちゃったかも知れないのに」

「……そうだな」


 * * *


 禄坊太史、亜希子、風田、それに猟犬のアルテミスは、各部屋のチェックを終え、いったん玄関へ戻た。

「じゃあ、部屋割りは禄坊くんの方で決めておいてくれ」

「分かりました」

「君は、亜希子ちゃん……だったっけ? 彼女と同じ部屋で寝るのかい?」

 風田の問いかけに、禄坊は姪っ子を見下ろして「うーん」と考え、「いや、それはめておきましょう」と答えた。

「やはり、ここは、女は女どうし、男は男どうしで部屋割りをしましょう」

「……そうか……それも含めて、君に任せるよ」

 風田は三和土たたきに降りて靴を履き、もう一度、振り返って豪邸の若き主人、禄坊太史を見上げた。

「済まない、な……しばらくご厄介になる……しかも、君自身と亜希子ちゃんを入れて九人もの大所帯だ」

「良いですよ。こんな世の中になってしまって、僕一人で……あるいは僕とアキちゃんだけで暮らせって言われても、どうして良いか分からない。共同生活は僕らとしても望むところですよ。みんな根は良い人ばかりみたいですし、ね」

「そう言ってくれると助かる……じゃあ、駐車場のみんなを呼んでくるよ」

 言いながら玄関の引き戸を開け外に出ようとして、風田はギョッとして足を止めた。

 玄関の真正面、十メートルほど離れた芝生の上に、一匹の猫が居た。ジッと玄関口に立つ風田を見つめている。

 突然、猟犬アルテミスが吠えながら引き戸の外に飛び出した。

 あっけに取られている人間たちを置いて、一直線に猫のほうへ走る。

 猫は体を返し、犬から逃げるように塀ちかくの植木まで走ってみきを駆け上がり、塀の外へ飛び降りて見えなくなった。

「……おい、禄坊くん……」

 風田が再度、振り返って禄坊を見た。

「い、今の、見たか?」

「ええ……犬が……アルテミスが猫を

「そういう風に見えたよな……もし、〈噛みつき魔〉と化した猫を犬が追い払ってくれるのなら」

。もの凄く、役に立つ」


 * * *


「ふええー」

 玄関から入るなり、玲が大げさに驚いて見せた。

「外から見ても立派なお屋敷だと思ったけど……こりゃ、豪邸も豪邸、大豪邸じゃないの……」

 美遥も結衣も、小学生の二人も、玲と同じ気持ちなのだろう。もの珍しそうに壁や天井をじろじろ見まわしている。

 靴を脱いで上がるなり、玲は禄坊の肩をガッとつかんだ。

「禄坊くーん……駄目じゃないのぉー、こんな大豪邸に住んでいながら『別に金持ちでも何でもない、普通の大学生です』なんて自己紹介したらさあー……ひょっとして、あれ? 『家柄や親の年収じゃなくて、ありのままの自分を見て欲しかったんです』とか何とか小賢こざかしいこと考えてたのぉー? でもさぁ、そういうの良くないよぉー? ちゃんと正確に申告しなきゃ駄目よぉー? 女と税務署には、さあ……」

「は、はあ……」

「で、私たちの部屋は、どこ? 早く案内してよ」

「こ、こっちです。あ、いや、その前に、この子を紹介します。僕の姪の禄坊ろくぼう亜希子あきこちゃんです」

 亜希子がペコリと頭を下げる。

 禄坊が続ける。

「アキちゃんも入れて女性六人の部屋はこっちです。六畳と八畳の続き間を使ってください。風田さんと隼人くんは、向こうの六畳間。僕は二階の自分の部屋で寝ます」


 * * *


 風田は塀に沿って屋敷の裏側に回り、そこに並んでいるプロパンガスのボンベを一本ずつ揺すって重さを確かめた。

(まだ大分だいぶ残っているな……普通の家庭なら優に一か月は持つが……何しろ九人の大所帯だ。どれくらいの日数で空になるか)

 電気、水道も今のところは機能している。しかし、それらのライフラインも、いずれは停止すると予想された。

 ついでに下水がどうなっているかも確認する。

 田舎に良くある、地下に埋設された簡易浄化槽だった。

 下水を微生物に分解させて上澄みだけを排出し、沈殿した汚物は処理業者に定期的にみ取ってもらう方式だ。

(こっちは運が良ければ年単位で持つ、か)

 風田は屋敷の中に戻り、廊下を通りがかった隼人に「禄坊くんは何処どこだ」と聞いた。

「たぶん、台所だと思います」

 隼人に言われ、台所に行ってみると、果たして禄坊と亜希子が何やら食事の支度をしていた。

「禄坊くん、何をやっているんだね?」

「みんな腹が減っていると思いまして。電気釜の残りご飯を見たんですが、とても九人全員には行きわたらない。それで米を鍋で炊いてかゆを作っているんです。最後に電気釜の残りご飯と混ぜれば、少しでも量が増える……卵でもあれば良かったんですが、どうやら切らしているみたいで……とりあえず、プレーンな白粥で我慢してもらうしかない」

「上等だよ。申し訳ない……この家のご主人様に食事なんか作らせて」

「むしろ、家の主人だからこそ客人を持てなす、ってものでしょう?」

「そうかも、な」

 言いながら、風田は(食料品の残量をチェックしておくこと)と頭の中の『やるべきことリスト』に書き加えた。

「食事作りも、ありがたいのだが……」

 コンロの前で鍋をかき回している禄坊に、風田が言った。

「だれかに代わってもらって、ちょっと俺と来てくれないか? 手伝って欲しいことがあるんだ」

「良いですけど……何ですか?」

「駐車場の眠り姫さ」

「……ああ……そうか」


 * * *


 鍋のかき混ぜ係を隼人はやとと交代して、禄坊は風田と駐車場へ向かった。アルテミスも一緒にいて来る。

 禄坊のすぐ横を歩く猟犬を見ながら、風田が言った。

「今日から、アルテミスは塀の内側で放し飼いにしないか?」

「放し飼い、ですか?」

「今までは家の中で飼っていたんだろう?」

「そうです、けど」

「今日から、犬には基本、家の外に居てもらうのさ」

「猫けですか?」

「それもあるし、番犬、という意味もある」

「対、人間用?」

「考えすぎかもしれんが、な……『人間の敵は人間』という日が来るような気がしてならないんだ」

 それから二人の男たちは、相変わらずハイブリッド・カーの中で眠っていた沖船おきふね由沙美ゆさみの肩と足を持ち、えっちらおっちらと屋敷の中まで運んだ。

華奢きゃしゃなように見えても、やっぱり人間一人を運ぶのは骨が折れますね」

 沖船由沙美の脚を持ちながら、はだけた制服のスカートから目をらして、禄坊が風田に言った。

 禄坊に答える風でもなく独り言のように風田がボソリとつぶやいた。

「足手まといだ」

「え?」

「ヤク中の女子高生なんぞ、足手まといだと言ったんだよ。もともと反抗的な性格で、集団生活には馴染なじまないタイプみたいだし……だからといって一緒にいる限り、ことさら彼女だけ邪険に扱う訳にもいかない」

「そりゃ、そうでしょうよ」

「だから、彼女たちとは別れる」

「わ、分かれる? そりゃ、いったい、どういう意味ですか」

「どういう意味も、こういう意味もあるものか……このまま、この女子高生と一緒に居れば、いずれ彼女は集団を危険にさらす。そうなる前に、タイミングを見計らって別れる、って事さ」

「そんな……こんな体で僕らに見捨てられたら絶対に生きていけませんよ。それに奈津美ちゃんは、どうするんですか? 妹の奈津美ちゃんは?」

「一緒に分かれる」

「だって、まだ小学六年生ですよ? ヤク中の姉の面倒を見ながら、〈噛みつき魔〉のうろつく世界で生きていける訳ないじゃないですか」

「そこまで責任は持てないし、持つ必要もないと思っているよ。この女子高校生が麻薬に手を出したのは俺たちの責任ではないし、小学生の女の子にヤク中の姉が居るのも、俺たちの責任ではない。小学生でヤク中の面倒をみなきゃいけないのは可哀かわいそうだし大変だとも思うが、別れてしまえば俺たちには関係ない」

「風田さん……あんた……常に冷静だし、頭も良いし、尊敬している部分もあるけど……時々、ブン殴りたくなる事がありますよ」

「そりゃ、どうも」

 その時、由沙美が「う、うーん」と寝息を吐いた。

「やばい……い、今の話、聞こえちゃったんじゃないですか?」

 心配そうに由沙美の顔を見る禄坊に、風田が平然と答えた。

「聞こえちゃいないさ。お花畑の幻覚でも見て気持ち良くなってる頃だろ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る