亜希子

 屋敷の玄関前に、二人の男が立っていた。

 ひと目で金持ちのお屋敷と分かるその家は、しかし、今は異様な雰囲気を漂わせ、不気味に、しん、と静まり返っていた。

「屋敷の中に入るぞ……準備は良いか?」

 二人うち、年上の方……三十代前半に見える精悍せいかんな顔つきの男が、まだ少年の面影おもかげが残る若い男に言った。

「は、はい」

 若い男がゴクリとつばを飲んで答え、銃を構えなおす。

「行くぞ」

 あらためて、リーダーらしき年上の男が言った。

「いち、に、さん!」

 同時に玄関の扉に思い切り前蹴まえげりを食らわせる。

 ボルトはじけ飛び、扉がもの凄い勢いで内側にスイングした。

 銃を持った若い方の男が、先に屋敷の中へ飛び込む。

 続いて、年上の男。

 先鋒を務めた若い男が、銃口を左右に振って安全確認クリアリングする。

 ……誰も居なかった。

 物音ひとつしない。

 その静けさが、かえって二人の男を緊張させる。

 年上の男が、二階へ上がる階段に向かって顎をしゃくった。

「まずは二階うえから確認しよう」

 銃を構えた若い男が、もう一度ゴクリと唾を飲みこんで、うなづいた。

 おそおそる、一段一段、縦に並んだ二人の男たちは階段を昇っていく。

 銃を構えて先を行く若い男にとって、ここは勝手知ったる我が家……の、はずだった。

 しかし今は、異界の化け物屋敷のように感じる……

 階段を昇り切り、二階の廊下に出たところで、

 廊下の奥……つき当たりに立ってジッとこちらを見つめる少女。

 年齢としは七歳……小学一年生だ。

 青白い顔。不気味な眼光。血で真っ赤に染まった口の両端が、ニュウウーっと吊り上がる。

 本能的に、若い男は銃をその少女へ向けた。

「撃てぇ!」

 後ろからリーダーが叫ぶ。

「で、できません!」

 銃を少女に向けながら、若い男が嫌々いやいやをするように首を振る。

「か、彼女は……ぼ、僕のめいです……兄貴の一人娘……僕に残された、たった一人の家族なんです!」

「馬鹿っ! あの少女は、だ! それが分からないのか! 彼女は、もう!」

「嫌だ!」

 突然、少女が走り出した。

 とても八歳の女の子とは思えないスピードだった。

「撃てぇぇぇぇぇ!」

 リーダーが叫び、その声にかぶせるように、銃を構えた男が「ちくしょおおおおお!」と叫ぶ。

 ……どぉん!

 屋敷の中に銃声が響いた。


 * * *


 午後の洋画劇場。

『エクソシスト・コマンドーPART5 ~新たなる旅立ち~』


 * * *


 金曜日の午後。

 テレビの隅にタイトルが出て、CMに切り替わる直前、テレビの電源がプツンッと切れた。

 禄坊ろくぼう亜希子あきこが振り向くと、祖父の禄坊ろくぼう一雅かずまさがソファの横にリモコンを持って立っていた。

「まったく……」

 亜希子の祖父は、苦い顔でスイッチの切れたテレビの黒い画面を見つめていた。

昼間ぴるまから、こんな下劣な映画を放送しおって……最近の民放は、どうなっているんだ」

 祖父は、残念そうに口を尖らせる亜希子に顔を向け「アキちゃんも、こんな番組なんか観たら駄目だぞ」と言った。

 亜希子が「はあい」と不満げにうなづく。

 突然、禄坊一雅が相好そうごうを崩し、猫撫ねこなで声で孫娘に言った。

「ところで……これからお祖父ちゃんは市街地まちのホームセンターまでお買い物に行くんだけど、アキちゃんも一緒に街までドライブするかい?」

 孫娘は、足元に寝そべる猟犬アルテミスの頭をなでながら「亜希子、行かな~い」と言った。

「アイス買ってあげるぞ?」

「うーん……やっぱ、行かな~い」

「そ、そうか……」

 残念そうな顔の禄坊一雅に、台所から居間に入って来た妻のヨシ江が言った。

「あなた、市街地まちへいらっしゃるの? ちょうど良かったわ。スーパーでもコンビニでも、どこでも良いから、牛乳一リットルと卵一パック、買ってきて下さらない?」

「あ、ああ……」

 孫娘に振られ、妻におつかいを頼まれ、禄坊一雅は肩を落として、玄関から裏木戸を通って、ガレージへ向かった。

 祖父が出て行ったのを確認して、亜希子はすぐにテレビのスイッチを入れた。

 悪魔に取りかれた少女が〈エクソシスト・コマンドー〉たちに銃撃され全身から血を流しているところだった。

「ねえ、お祖母ばあちゃん……悪魔って、ほんとうに居るの?」

「さ、さあねぇ……」

「亜希子も、悪魔に取り憑かれると思う?」

「アキちゃんは、良い子だから、悪魔になんか取り憑かれないわ……悪魔は、良い子には憑かないの」

「ふうん……」


 * * *


 ホームセンターへ用を足しに行き、ついでに牛乳と卵を買ってくるはずだった亜希子の祖父が血相を変えて帰って来たのは、それから四十分後の事だった。

 車をガレージに戻し、裏木戸から入って鍵をかけ、玄関から母屋に入ってすぐに、普段は開け放してある電動式正門のスイッチを操作した。

 スライド式の門扉もんぴがゆっくりと閉じていく。

 異変を感じたヨシ江が、玄関まで来て夫にたずねた。

「あなた……どうなさったの?」

「わからん……まったく、わからん……」

 禄坊一雅は、しきりに「わからん、わからん」と言いながら、家の固定電話の受話器を取った。しかしすぐに叩きつけるように置く。

「駄目だ……固定電話も通じない……携帯電話も……会社にも、一義かずよしにも通じん」

「あなた、いったい何が……」

 心配そうに夫の様子を見つめるヨシ江に、一雅は「おまえの携帯電話を持って来なさい……理佐りささんに電話をかけてみるんだ」と言った。

 一義というのは一雅とヨシ江の長男の名で、理佐はその嫁の名……亜希子の両親だ。

 何が何だかわからなかったが、とにかく夫の言うとおりにしようと、ヨシ江が自分の携帯電話を取りに行く。

「どうしたの?」

 ソファに座る亜希子が、祖父にたずねた。

 主人の異変を感知したのか、ソファの足元に寝そべっていたアルテミスが立ち上がって心配そうに一雅を見た。

「わからん……」

 祖父が亜希子に言う。

「市街地へ出たら、町中の人間が、互いにんだ。親が子を、子が親を……夫婦が、恋人同士が……どろんとした目で、よたよた歩きながら、口を真っ赤に染めて……あちこちで事故が起きて……市の中心部は大渋滞だ」

「あなた……携帯電話、つながらないわ」

 携帯を手にヨシ江が居間に入って来た。夫が「やっぱり、そうか……」とうめく。

「やっぱり、受話器の故障なんかじゃなかったか……インフラ自体がちまってるんだ……」

 テレビのリモコンを取った祖父に、亜希子が「観られないよ」と言った。

「さっき、急にテレビが映らなくなったの。『エクソシスト・コマンドーPART5』の途中で。いきなりプツンって」

 念のため、テレビを点けて、チャンネルを変えてみる。どのチャンネルも駄目だった。

「な、何があったんだ……いったい」

 ソファにどっかりと尻を落とし、頭を抱える一雅に、ヨシ江が「ちょっと納屋へ行ってきたいのだけれど」と問う。

 夫は、妻を見上げ「ああ……」とうなづいた。

「正門も裏木戸も閉めてあるからな……大丈夫だろう……くれぐれも塀の外へは出るなよ」

 妻は「わかりました」と言って、玄関へ向かった。


 * * *


 ソファの横に伏せていたアルテミスが、突然、立ち上がって窓へ歩み寄り、窓ガラス越しに庭を見て吠え出した。

 何事かと亜希子と祖父が庭を見ると、芝生の真ん中にヨシ江が立っていた。

 一匹の猫が、植木を駆け上がって枝から塀へ跳び移り、そのまま外へ消えるのが見えた。

 ヨシ江は、まるで泥酔でもしているかのように、ふらふらと覚束おぼつかない足取りで芝生の上を彷徨さまよっていた。

 市街地まちで見た光景が一雅の脳裏をよぎる……うつろな目でふらふらと歩き、互いにみあう市民たち。

「きゅ、救急車!」

 叫んで、受話器に飛びつき、電話は駄目だと気づいて受話器を置く。

(どうすれば良いんだ……どうすれば……)

 こうなったら自分で車を走らせ妻を病院まで運ぶしかないと決心し、そこで再び、街の光景を思い出す。

 妻が夫に噛みつき、やがて倒れた夫がムックリと起き上がって別の誰かに噛みつく……

「アキちゃん……」

 祖父は孫娘の前にしゃがんで、その肩をしっかりと両手でつかみ、一語一語、ゆっくりと話し始めた。

「いいか、これからお祖父じいちゃんが言うことを良く聞くんだ」

 気おされながら、少女がうなづく。

「う、うん」

「お祖母ばあちゃんは……どうやら、あ、悪魔に取り憑かれちゃったみたいだ……」

「えっ?」

「窓の外のお祖母ちゃんを良く見るんだ……ああやって、目がドロンとして、酔っぱらったみたいに歩くのが、悪魔に憑かれた証拠だ」

「ほ、本当なの?」

「ああ。そうだ。お祖父ちゃんは、これからお祖母ちゃんを連れて病院へ行く。悪魔に取り憑かれたお祖母ちゃんをお医者さんに直してもらいに、な」

「な、治るの? 病院で治るの?」

「治るさ……でもね……お祖母ちゃんに近づいたら、お祖父ちゃんまで悪魔に憑かれちゃうかも知れないんだ」

「嫌だ……そんなの、嫌っ」

「いいから、聞きなさい! もし、お祖父ちゃんまで悪魔に取り憑かれて、あんな風にドロンとした目でふらふら歩くようになったら、絶対に玄関の鍵を開けちゃ駄目だ……でないと、アキちゃんまで悪魔に取り憑かれてしまうんだ。分かったね?」

 孫娘がこっくりうなづいたのを確認して、禄坊一雅は、立ち上がり、アルテミスを連れて玄関へ向かった。

(アルテは優秀な犬だ……何かあったら、助けてくれるだろう)

 そして(何かとは、何だ?)と自問する。

 玄関を開け、アルテミスと一緒に庭へ出て、外から鍵を掛ける。

 振り向いて、芝生の真ん中でこっちを見ている妻のほうへ、ゆっくりと歩いて行った。


 * * *


 居間の窓から、亜希子は庭の様子をジッと見ていた。

 祖父が祖母に近づき、その体を抱き抑えようとする。

 アルテミスが、少し離れたところで祖母に向かって吠えている。しかし、吠えるだけで一定距離以上近づこうとしない。

 祖母が、祖父の喉仏に噛みつくのが見えた。

 血が噴き出して、芝生を真っ赤に染める。

「お祖父ちゃん!」

 芝生の上に倒れ、苦しそうに藻掻もがく祖父……

 やがて、祖父は立ち上がり、ドロンとしたうつろな目で、居間の窓越しに亜希子を見据みすえた。自分の喉から流れ出る血を、もう気にも留めていないようだった。

「お……お祖父ちゃんも……悪魔に取り憑かれちゃった……」

 全ての窓と扉に鍵のかかった屋敷の中で、亜希子は絶望に震えた。

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