発生。(その15)
金曜日。夕方。
「ここよりN市」と書かれた国道わきの標識を通過した。
F市のインターチェンジで高速を降りてから一時間二十分ほど。
「やれやれ……少々のんびりし過ぎたな。まあ、それでも日が暮れるまでには市の中心部に到着するか」
メタリック・ブルーの全輪駆動セダンの車内で
「その前にトイレ……」
前方の国道沿いにコンビニエンス・ストアの看板が見えた。
「喉も渇いたし、ちょっと寄ってペットボトルでも買って行くか」
ウィンカーを点滅させ、コンビニの駐車場にクルマを入れた。
車外へ出て、クルマをロックし、店の自動ドアへ向かう。
どこから見ても、ありふれたビジネス・スーツを着た
四か所だけ、大多数のサラリーマンとは違う点があった。
鷹のような鋭い目。格闘家のような無駄の無い身のこなし。履いているのは革靴ではなく真っ黒なスニーカー。そして、素早く
「いらっしゃいませ」
店内に入ると同時に、レジに立つ初老の男が声をかけた。
素早く店内を見回し、人間の数を確認する。
レジの男の他には、突き当りの冷蔵ショーケースに商品を並べている若い従業員が一人。窓際で雑誌を立ち読みしている制服を着た男子高校生が一人。
(従業員と客を合わせて3人か)
立ち読みをしている高校生の
* * *
金曜日。夕方。
「もう少しでN市と隣町との境だ。あと一時間二十分って所かな」
ハンドルを握るシンジが言った。
「その前に、コンビニに寄ってペットボトルでも買うか」
「賛成!」
助手席の
「
ルーム・ミラーを見ながら、運転手が後部座席に座る
「ぼ、僕は、いいかな……クルマの中で待ってるよ」
太史が答えた。
「わたしも、いいです」
美遥の声は低く暗かった。
よほど
(まったく、勘弁してくれよなぁ……妙な過去話を言い出した玲も玲だし、あの程度の事で急に暗くなる
そんな事を思いながら、運転席のシンジは道の左右に視線を走らせた。
前方にコンビニの看板が見えた。ウィンカーを出し、駐車場にハッチバックを入れ、ブルー・メタリックのスポーツ・セダンの隣に停めた。
「うわあ、カッコ良いクルマだな」
後部座席の窓から青いセダンを見ながら太史が言った。
トランクの上の大きなウィング。プレアデス星団……通称「すばる」を
「そうかぁ? 俺には、その辺を走っている普通のセダンに見えるけどな。っていうか、あのトランクの上のでっかい羽根みたいなの、ダサくねぇか? 有名なクルマなのか?」
「よく知らない」
「なあんだ……それじゃ、俺、ドリンク買ってくるわ」
良いながらシンジがクルマから降りて店の方へ歩いて行った。
「私も行くぅ!」
助手席の玲も慌てて外に出る。ドアを閉める直前、車内を振り返り、太史の顔を見てニヤリと笑った。
「
そう言って
恋人のシンジが変な気を起こす前に、さっさと
駐車場でシンジに追いついた玲は、彼の左
車内からその様子を見ていた太史は、思わず「うへぇ」と
(玲さんって、すごい肉食系なんだな……見ているこっちが赤面しちゃうよ)
隣に座る美遥に視線を移す。
(言われなくたって、美遥さんみたいな美少女なら、ぜひお近づきになりたいけど……)
美遥の表情は相変わらず硬いままだ。
(自分で友だちを不機嫌にしておいて、僕にどうしろっていうんだよ! 玲さん!)
シンジと玲がドリンクを買って来るまで与えられた、貴重な二人きりの時間だ。とにかく声を掛けてみることにした。
「あ、あの……志津倉さんて、しゅ、趣味とかあるんですか?」
美遥が太史の方に顔を向けた。
(やった、反応があった!)
さらに質問してみる。
「こ、高校生の時は、何か部活とかやっていたんですか?」
「えっと……り、陸上部に……」
意外な答えが返って来た。
「へええ! 運動部だったんですか? 意外ですね。僕はてっきり文芸部とか、そういう所だと思っていましたよ。勝手な思い込みだけど、なんか志津倉さんって文学少女っていうイメージだから」
「そうですか?」
「大学でも、やっぱり陸上をやるんですか?」
「いいえ……陸上は、もういいかな、って思っています。そんなに才能無かったし、成績もせいぜい地区大会で真ん中くらいが良い所だったし、走るのは嫌いじゃなかったけど、じゃあ好きかって聞かれると、それ程でも無いんです」
「な、なるほど……」
硬かった美遥の表情が、かなり柔らかくなっている。
(やった! 結構しゃべってくれたぞ! 良い感じだから、もう少し押してみるか……)
「大学では何もしないんですか? サークルとか入っていないんですか?」
「今の所は。なんか、自分でも何がしたいのか分からなくって……でも、もし入るなら文化系が良いかな、とは思っているんです。……今、
「だ、大丈夫ですよ! 実は僕、文芸サークルなんです! うちの大学と志津倉さんの大学の文芸サークルって交流あるみたいだから、協力できることも有ると思います!」
太史は賭けに出た。『君の力になれそうだよ』という事を匂わせつつ、さりげなく手を伸ばし、美遥の手を握った。
美遥が反射的にサッと手を引っ込めた。
「あ、あの……ご、ごめんなさい! わ、私、やっぱりジュース買ってきます!」
ハンドバッグを持って急いでドアを開け、車外に飛びだして小走りにコンビニへ向かった。
その後ろ姿を悔しそうな目でしばらく見つめたあと、太史は後部座席の背もたれに背中を預けて天を(ヨーロッパ製ハッチバックの天井を)仰いだ。
「あーあ。
ふと窓の外を見ると、頭の
「何だ? あの禿げ親父……」
足元がフラついている。
「日も沈まないうちから酔っぱらっているのか?」
* * *
「なんだ、結局、美遥も来ちゃったの?」
言いながら、玲は恋人に
「おいおい、そろそろ離れようぜ。人前で恥ずかしくなってきたよ」
シンジが玲に言った。明らかに美遥の来店を意識してのセリフだった。
玲はムッとして、さらに強い力で自分の胸をシンジの腕に押し付けた。
二人は
美遥は雑誌売り場の前を通って、奥のドリンク冷蔵ケースに歩いて行った。
美遥の後から、禿げた初老の男が店内に入って来た。様子が変だった。足元がフラついている。
おぼつかない足取りでレジ・カウンターの前に立っていたシンジに近づいて来た。
「チッ、日も暮れないうちから酔っ払いかよ」
シンジがつぶやいた次の瞬間、その酔っ払いらしき禿げ男がシンジに抱き着いた。
「ちょ、ちょっと、あんた、何やって……」
禿げ男がシンジの頸動脈に喰らい付いた。真っ赤な血が天井に届くほどの高さまで吹き上がった。
「ぎゃあああ!」
「きゃあああ!」
シンジの叫び声に、玲の叫び声が重なる。雑誌を見ていた高校生が振り返って「ひいい」と息を呑んだ。カウンターの向こうに立つ店の親父は、あっけにとられて声が出ない。声が出ないのはドリンク売り場の美遥も同じだ。
最初に動いたのは陳列をしていた若い店員だった。
「ちょっと、お客さん! 何やってるんですか!」
シンジと禿げ男の間に割って入ろうとする。
禿げ男がシンジの体を離した。尻もちを突いたシンジの横に玲が膝を突いて「大丈夫? 大丈夫?」と繰り返す。
「あんた、どういうつもりだ!」
そう言って詰め寄る若い店員の右手に禿げ男が噛みつく。
「うあああ!」
店員が叫びながら男の口から自分の手を抜こうとした。
軟骨の砕けるコリコリッという音と共に、男の前歯が店員の人差し指から薬指までの第二関節に食い込み、噛み切った。店員の悲鳴がさらに高くなる。
雑誌売り場の高校生がへっぴり腰で店の外に逃げた。
「そ、そうだ……警察……いや、まずは救急車」
我に返った美遥がハンドバッグから携帯電話を出す。緊急通報モードで電話を掛けようとした瞬間、店のトイレからサラリーマン風の男が飛び出してきた。
走りながら、前ボタンの開いた上着の懐に右手を突っ込み、鈍く光る金属の物体を取り出す。
レジ係の親父が「マサオォォォ」と叫びながら板を跳ね上げてカウンターの外に出たのと、トイレから出てきたサラリーマン風の男が金属の塊……357マグナム・リボルバーの銃口を禿げ男のこめかみに付けるのが同時だった。
炸裂音が店内に響いた。
禿げ頭の左半分が吹き飛び、レジカウンターの背面いっぱいに並んだタバコに血と脳漿をぶちまけた。
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