発生。(その12)
ユウ少年の〈解剖〉に飽きたのか、
足元には切り裂かれた少年の手・足・胴体と内臓が散乱していた。
「あー、さすがに疲れたわ」
ゲンタが低い声で
「どうすんだよ? そんなに散らかして……ちゃんと片付けろよ」
壁に寄りかかった兄の
「わかってるよ」
足元の肉片を見ながら弟が答えた。
「かったりいなぁ。地面に人間一人分の穴を掘るのって、意外と骨が折れるんだよな。とりあえず、腹へった。コンビニ行って何か買ってくるわ」
「クルマは貸さないからな。それから死体を散らかしたままシャッターを開けるなよ。外から見られたらマズい」
「それくらい分かってるよ。ゆっくり歩いて行くさ。なんか要る
「ビール」
ゲンタは兄の言葉に
「まさか、その格好で外へ出るんじゃないだろうな? 自分の服を見ろ」
血だまりの中に座って「解剖」に没頭していたせいで、手も足もドス黒い血でぐっしょり濡れていた。
「ああ……忘れてた」
血まみれの弟は廃工場の奥に戻って、鉄階段を昇った。
小さな町工場だったこの建物は、基本的には、天井まで吹き抜けの体育館のような構造だが、奥の一部分だけが二階建てになっていた。
建物内に張り出したバルコニーの
かつてこの工場が稼働していた時には、その小さな二階スペースに事務所、小さな流しとガスコンロ付きの休憩室、更衣室、トイレがあった。
三年前この廃工場を借りた時、電気、ガス、水道を開通させ、ついでに二階の隅に簡易シャワー室も設置した。
以来三年間、ゲンタはこの建物で寝泊まりしている。
弟がシャワーを浴びに二階へ上がり、ガランとした空間には兄のライタと、肉片になってしまった少年の死体だけが残された。
「ゲンタの奴め……よく、こんな状況で食欲が湧くもんだ」
暇つぶしにゲームでもやろうと、ポケットから携帯電話を出す。
「圏外」だった。
「チッ、まだ
ライタは誰も居ない工場の空間に向かって文句を
壁に頭をつけ、目を閉じる。
(気に入らねぇぜ……)
地下室で弟がオモチャ作りに没頭していたときも「圏外」のサインが出てゲームが出来なかった。
あれから、ずいぶん時間が
地方都市とは言えそこそこ人口の密集しているこの場所で、大手携帯電話会社ともあろうものが、こんなに長いあいだ回線障害を放置するだろうか?
この工場を借りたとき全ての窓に板を打ち付けさせ、
古びたシャッターとドアを頑丈な物に
逆に言えば、この廃工場に閉じこもっている限り、外の様子は
「そうだ、ツーベンのラジオ……」
思いついて、廃工場内に乗り入れた中古ドイツ車の所まで歩く。運転席に乗り込み、エンジンは掛けずに主電源だけを入れてカーナビを起動させた。
ナビは正常に動いた。しかし、ラジオとテレビの受信は出来なかった。
全ての周波数帯、全てのチャンネルを試す。
駄目だった。映像も音声も全く入って来ない。
(ますます気に入らねぇ……)
鉄階段からカン、カン、カン、という足音がした。振り返ると、体の血を洗い流して着替えた弟が降りて来るところだった。
嫌な予感を
「おい、出る時は必ず監視カメラで外を確認しろ」
「大丈夫だって。こんな廃工場、誰が注目するんだよ? 警察の麻薬捜査課? ありえないね」
モニター付きインターフォンの端末は出入り口横の壁にもあったが、ゲンタは見向きもしないでスチール・ドアの鍵を開けた。
いきなり、ドアが内側へ勢いよく開いた。
不意を突かれ、ゲンタがドアに
転げ込むようにして入って来たのは、スーツ姿のサラリーマンだった。
「助けてくれ! か、噛みつき魔だ! 噛みつき魔たちが集団で……」
叫びながら、あっけに取られている弟の胸倉をつかんだ。
「早く! 早く、扉の鍵を閉めるんだ!」
あっけに取られたのは兄のライタも同じだ。
(こいつ、誰だ?)
サラリーマンとライタの目が合った。ゲンタでは
「早く! 早く鍵を閉めないと、やつらが追いかけて来る!」
「やつら?」
サラリーマンの足がピタリと止まった。
……見てしまった……血だまりの中に散乱する少年の死体を。
「チッ」
兄が舌打ちをした。
サラリーマンは一瞬「狼の群れから逃げようと飛び込んだら、虎の巣穴だった」とでも言いたそうな顔をして後ずざり、振り返って出口へ走った。
我に返ったゲンタがスチール・ドアを閉め、鍵を掛けた。
逃げ道を
さっきは不意を突かれて弾かれるような格好になったが、まともにやりあえば巨漢のゲンタと中肉中背のサラリーマンでは勝負にならない。
もちろん、逃がすつもりは無かった。
「……しょうがねぇなぁ……」
つぶやきながら、兄のライタは壁に立てかけてあった〈サンダーボルト・シャーク・デス・セーバー〉を手に取り、ゆっくりとサラリーマンに近づいた。
「死体を埋める穴が二つになっちまうじゃねぇか」
セーバーのダイアルを「切」から「拷問(強)」に切り替える。
ブーンという低い
はさみ撃ちにされ身動きの取れないサラリーマンの腹を、二股に分かれたセーバーの切っ先で軽く突いた。
「ぎゃあああ!」
廃工場に男の叫び声が響いた。
サラリーマンはその場にくず折れ、
「男のくせに凄げぇ悲鳴だったな……それにしても兄貴、何で一発で殺さなかったんだ? ご近所さまに迷惑だろうが……」
誰かに悲鳴を聞かれたらどうする? と、遠回しに言っているのだ。
「こいつの言った事が気になったんでな……『噛みつき魔が追ってくる』とか、何とか……殺すのは話を聞いてからだ」
弟が、こめかみの辺りで指をくるくる回した。
「頭のおかしな奴なんだよ。こんな奴さっさと殺しちまった方が世のためだ」
「そうとも言い切れねぇ。さっきから、携帯電話が
弟はブツブツ文句を言いながらも奥からロープを取って来て、痙攣の収まったサラリーマンの両手を背中で縛った。
ドンッ、ドンッ……何者かがスチール・ドアを叩く音がした……
兄弟の間に緊張が走った。
兄のライタがインターフォンの端末に駆け寄って、モニターのスイッチを入れた。
「こいつぁ……」
驚きで、ライタの目が大きく開いた。
「おいゲンタ、監視カメラの映像を見てみろよ」
弟を振り返り、端末に向かって
ドアの外を
十人……いや、二十人近く居るかもしれない。
警察か?
……違う……男、女、年寄り、子供、年齢も性別もバラバラだった。皆、酔っ払いか夢遊病者のように目が
「何だよ……こいつら……おかしいよ」
弟のゲンタが低い声で言った。
兄のライタが冷静な口調で応じた。
「そいつらが、このリーマンの言っていた〈噛みつき魔〉って事だろ? ……おい、起きろ」
サラリーマンの横にしゃがんで頬をペチッペチッと軽く叩き、目覚めたところで髪をつかんで上体を起こさせ、顔を近づけドスの利いた声で
「外にいる連中、ありゃ一体、
サラリーマンの話は荒唐無稽だった。外の様子を見ていなければ、とても信じる事など出来なかった。
……誰かれ構わず他人に噛みつき始めた人々……噛まれた人間が立ち上がって、今度は別の誰かを襲う……その連鎖。
「兄貴、どうする?」
困惑した顔でゲンタが聞いてきた。
「どうするって……」
俺に聞かれても困るという顔を作るが、
「おいゲンタ。良い考えがある。実験をしてみようぜ。お前の好きな実験を、よ」
「実験?」
弟は不審顔になったが、兄がチラリとサラリーマンに視線をやるのを見て、理解した。
「ああ、なるほど、そりゃあ良い」
ゲンタが立ち上がって入り口まで行き、スチール・ドアに体を付けてドアノブに手を添えた。
ライタは右手に持った〈サンダーボルト・シャーク・デス・セーバー〉のダイアルを「即死」に入れた。
左手でサラリーマンの髪の毛をつかんで強引に立ち上がらせ、出口まで引き摺って行った。
「くれぐれも刃をスチール・ドアに
掛け声と同時にゲンタが鍵を開け、人間一人がやっと通れるくらいの幅でドアを開けた。
〈噛みつき魔〉どもが一斉に入ろうとドアに押し寄せる。
「あ、兄貴、早く! も、持たねぇ」
巨漢の弟がドアを押さえながら苦しそうに言った。
ライタがドアの隙間から剣を突き出し、一番手前の〈噛みつき魔〉の腹を刺した。
「ぶりゅるるるるる」
意味不明の声と、悪臭を放つドス黒いゲロを吐きながら〈噛みつき魔〉が体を痙攣させた。
そのまま後ろへ倒れる。
ドアを押す圧力が減った。
ライタがドアの隙間から外の〈噛みつき魔〉どもを次々に刺していく。
一瞬、圧力が無くなり、ドアと〈噛みつき魔〉のあいだに
入れ替わりに、左手で首を絞めていたサラリーマンをドアの外に突き出し、尻を蹴った。サラリーマンが、ドアの外に倒れている「噛みつき魔」たちの上に重なるようにして倒れ込んだ。
弟がドアを閉め、鍵を掛けた。
「外の奴ら……ありゃ、確実に
ゲンタが端末のモニターを見ながら「兄貴……す、凄げぇよ……」と
弟と交代して、ライタがモニターの前に立った。
「こ、こりゃぁ……」
ドアの向こうで〈噛みつき魔〉がサラリーマンに襲いかかっていた。顔、肩、わき腹、足……六、七人が群がって、全身に噛みついている。
一分……二分……噛みつかれていたサラリーマンに異変が現れた。
まず〈噛みつき魔〉たちが一斉にサラリーマンから離れた。
「もうお前には興味無い」とでも言うように。
続いて、サラリーマンが全身から血を流しながら立ちあがった。
後ろ手に縛ったはずのロープが
目が虚ろだった。
フラフラしながら出入り口の前に立ち、他の〈噛みつき魔〉と一緒にドアをドンッ、ドンッ、と叩き始める。
「つ、つまり、やつの言ったことは全部本当だったって訳だ」
振り返って、弟の顔を見た。
「兄貴、俺たち……」
「ああ。閉じ込められちまった」
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