発生。(その9)

 N市の住宅街と農地の境目あたり、県道から二本裏道うらみちへ入った所に、一軒の廃工場があった。

 十五年前に倒産したその小さな町工場の残骸を、三年前から月々三万円で借りている男がいた。

 毒虫どくむしライタ。二十四歳。

「もう、このツーベンにも飽きたな」

 金曜日の夕方、廃工場へ向かう中古ドイツ車の中でライタはつぶやいた。ひょろりとした痩せ型。長身。馬面うまづらに切れ長の目。

「そろそろ俺も新車の『Sクラス』5・5リッターV8くらい乗り回したって良いころだ……そのためにも、もっと生産量を増やしたいところだが……」

 カーオーディオの重低音が響く車内で、馬面うまづらの男がチッと舌打ちをする。

「ゲンタの野郎、このところ妙な作りにうつつをぬかしやがって……生産を上げるには奴を締め直さにゃならんが……我が弟ながら厄介やっかいな相手だ。さて、どうするか」

 廃工場に到着して、リモコン・シャッターのスイッチを押した。モーターのうなる音とともにシャッターが巻き上がっていく。

 ガランとして何もない廃工場の中にドイツ車を乗り入れて、再びリモコンのボタンを押しシャッターを下ろした。

 この廃工場を借りて、まず取り換えたのがこのシャッターだった。少々値は張ったが、この商売、戸締りだけは厳重にしておかないといけない。念には念を入れ、目立たないようにペンキ屋を呼んで、わざと汚れたような色に塗り替えさせた。

 つぎに、人間用の出入り口にも頑丈なスチール製のドアを取り付け、最後に全ての窓という窓に板を打ち付けて中が見えないようにふさいでしまった。

 シャッターが閉まり、真っ暗になった廃工場の中で、別のリモコンのボタンを押した。

 天井の蛍光灯が次々に点灯していった。

 エンジンを止めてクルマの外に出た。

 埃の積もったコンクリートゆかの上を歩いて工場の奥へ行く。

 工場の隅の、いかにも無造作に置いてある鉄板の下に指を入れ、少しだけ持ち上げて、ずらした。

 鉄板の下にはコンクリート打ちっ放しの下り階段があった。

 この手の建物にしては珍しく、この廃工場にはそこそこ広い地下室があった。それこそが、ライタが〈生産拠点〉にここを選んだ理由だ。

 鉄板をずらすと地下室から「きゃん、きゃん……」という小犬こいぬの声が聞こえてきた。

「ゲンタのやつ〈工場〉にペットを持ち込んだのか」

 弟に対するイライラがつのる。

 地下室には、巨大なフラスコや化学物質を入れたガラス瓶、一斗缶などが乱雑に置いてあった。ゆかにはスナック菓子の空き袋やファストフードの包み紙、発泡スチロールの容器などが散乱してた。

 奥の作業台の前に、太った男がこちらに背を向けて座っていた。

 半田はんだごてを手に、何やら回路をつなげている。隣で小さなかごに入れられたチワワ犬が甲高い声で鳴いていた。

 ライタは、わざと靴音を響かせて男のそばまで歩いて行った。

「よう兄貴」

 半田ごてを手にした男が、振り返りもせず不愛想に挨拶をした。

「『よう兄貴』じゃねぇ。ゲンタ、おぇ仕事サボって、何、オモチャ作りに精だしてんだ?」

 ゲンタと呼ばれた男が椅子をくるりと回してライタと正対した。

 毒虫どくむしゲンタ。二十一歳。兄のライタとは三つ違いだ。

 日本人にしては背の高い兄ライタと同じくらいの身長。

 体重は弟のゲンタの方がずっと重い。ライタの二倍くらいあるかもしれない。

 何を考えているのか良く分からない切れ長の目だけは兄とよく似ていた。

(俺と同じ形をしているだけに、ゾッとさせられるぜ……我が弟の目には、よ)

 兄の自分など足元にも及ばないほど凶悪な光が弟の瞳には宿っている……ライタは、そう感じていた。

「オモチャじゃないよ」

 ゲンタが作業台の上の物を振り返って言った。

だよ」

「武器だとぉ? そりゃあ良い。俺らの商売には武器が付き物だものな。……で、どんな銃を作ってくれたんだ? 45口径オートマチックか? フォーティーフォー・マグナムか?」

 ライタが皮肉っぽく言った。その目には、作業台の上に置いてある全く実用的とは思えない大げさな〈武器〉が映っていた。

「銃なんて、あんな野暮な物わざわざ作っても面白くないだろ。もう少し待ってくれ。もうすぐ〈二号機〉が完成する所だから」

 そう言ってドライバーを手にすると、今までいじっていた〈武器〉に金属製のカバーをめ、ネジで留めていった。

「ゲンタ! 先月は売り上げ目標の八割にも行かなかったじゃねぇか! 誰のせいで、こうなったと思ている? お前が真面目に生産しないから……」

 言いながら思わずライタは弟の肩に手を置いた。

「おいっ、兄貴……」

 ドライバーを回す手をめて、ドスの利いた声でゲンタが言った。

「研究の邪魔はするなと、言ったはずだぞ」

 振り返って、腹の底が凍るような冷たい目で兄を見た。

 身長は同じくらいで、体重は弟の方がずっと重い。しかも重くなった分すべてが「脂肪」というわけでもなかった。あの太い腕が繰り出すパンチには、太い腕なりの破壊力があった。ひょろ長い兄の骨をへし折るくらい造作も無いだろう。

 兄は、あわてて弟の肩に置いた手を引っ込めると、語気をやわらげて言った。

「わかった、わかったよ。お前の〈研究〉の邪魔をするつもりは無いって。ただ俺は、実験の材料を買うにも収入が必要だろ、と言っているだけで……」

 兄のライタは、体力的にも知力の面でも、弟のゲンタの方が自分よりはるかに上だと自覚していた。

 中学二年で学校に行かなくなって自宅に引きこもっていた弟より、自分の方が少しだけ世渡りの術を持っている……それだけの事だ。

 ライタとゲンタの兄弟はN市内のごく普通の家庭に生まれた。両親とも健在で、どちらも市役所に勤務している。あの真面目な父親と母親から何故なぜ自分たちのような兄弟が生まれたのだろうと、ライタは時々不思議に思った。

 中学二年生になった頃から、ライタは徐々に学校に行くのが阿呆あほらしくなっていった。

 ガラの悪い同級生や年上の少年たちとるむようになり、学校をサボる日数が増えた。

 両親と進路指導の教師の目を誤魔化ごまかすため中学卒業後にいた職場は三日で辞めた。

 それから数年はN市の夜の社会で、チンピラの使いっぱしりのような事をして過ごした。

 人生の流れが変わったのは、急に必要になった金を両親に「借り」ようと、数年ぶりに実家へ帰った時だ。

 玄関の呼び鈴を押して出てきたのは、目つきの悪い、太った少年だった。

「ひょっとして……兄ちゃん、か?」

 太った少年が言った。

「おまえ……ゲンタか……」

 数年前に家を出たころの弟は背が低く、どちらかというと痩せ形だった。

 それが兄の自分と同じくらいの身長になっていた。体重は下手をすると自分の倍くらいはありそうだった。

「バカ親どもは、どこへ行った?」

「今日は二人とも出かけて居ないよ。まあ、入んなよ」

 弟に言われるまま、久しぶりに我が家に足を踏み入れた。

 弟の部屋に入ると、ビーカーだのフラスコだの化学薬品の瓶だの高価そうなパソコンだの測定機器だので、二人が居場所を確保するのも大変なくらいだった。

「お前、この実験道具みたいなの、どうしたんだ?」

「親に言って買ってもらったよ。俺、一日中この部屋で化学実験をして過ごしているんだ」

「学校はどうした?」

「中二になった頃から行っていない。なんか、阿呆あほらしくなっちゃってさ」

 弟は、どこかで聞いたようなセリフを吐いた。

 中二で家に引きこもって怪しげな化学実験に没頭する弟に、両親は「兄さんみたいに不良になるよりはだから」と、高価な実験機材や薬品を次から次へと買い与えていた。

「けっ、差別してくれるぜ」

 吐き捨てるように言った兄に、弟がたずねた。

「兄ちゃん、今は〈夜の街〉とかって所で暮らしてるんだろ?」

「ああ。まあな」

「やっぱり、その……変なクスリとか、やったことあるの?」

「まあ、ひと通りは、な」

「そうか……ちょっと試してほしい物があるんだ」

 言いながら弟は、アルコールランプと、台と、アルミの皿と、ゴム栓をしたフラスコを持って来た。

 フラスコの中の液体を少量アルミ皿に移し、下からアルコールランプであぶる。

「すぐに沸騰するから、蒸気を吸い込んでみなよ」

 ライタは弟を疑いの目で見た。

「大丈夫だって。死にゃあしないよ」

 恐る恐る、アルミ皿に鼻を近づける。

 蒸気を吸った。

 突然、今まで味わったことも無いような幸福感が体じゅうに溢れた。

「俺の開発した〈新薬〉なんだけど……どう?」

 遠くでゲンタの声がした。

すげぇ……すげぇよ、ゲンタ……」

 視線を宙に彷徨さまよわせながら、ライタは言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る