第4話

 透が借りて寝起きしているという部屋に入ると、京子はそそくさとブラウスのボタンを留める。脱いでいたセーターを被るように袖を通し、ようやく人心地ついたようにソファに腰を沈めた。

 透も向かいのソファに座ると、早速とばかりに話を切り出す。

「……京子は、どうしてこっちの世界に来たのかって覚えてる?」

「どうして……?」

 どうやって。どのように。

 思い起こされるのは、京子にとって日本での最後の瞬間の記憶。

 目に焼きついたその光景を、京子は語る。

「多分、トラックに轢かれた……んだと思う。その寸前までしか覚えてないけど。目を覚ましたらほっぺた叩かれてた」

 目前に迫る白いヘッドライトと、どアップの透の顔。その二つは京子にとって、ちょっとした場面切り替え程度の幕間を挟んで連続する記憶だ。

 京子の答えに、透が身を乗り出して食いつく。

「マジで、僕もトラック。実際やっぱ多いらしいんだよ、事故がきっかけって人」

 何故そんなに嬉しそうなのかは分からないが、腕を組んでしたり顔でうんうんと頷く透。

 ――と言うか、その口ぶりからすると他にも居るのか。事故って異世界に来た人。

 向こうの世界でも異世界召喚といえばトラックみたいな風潮があったし、ひょっとして乗り物だと思っていたあれは実は転送装置か何かだったのだろうか。

「……えっと、で、それがどうしたの?」

 自己完結気味に話を終わらせてしまった透に、続きを促す。

 すると透は、今度は言いたいことが纏らない、といった様子で言葉を選び始めた。

「うーん、何て言うのかな。ほら、よくあるじゃん、気付いたら謎の空間で目が覚めて、女神様とかに事情を聞かされるやつ。おお透よ死んでしまうとは何事だ、って」

「……何を以ってよくあるとするかはともかく、まあ分からないではないけど。あとそれ王様の台詞ね」

 細かい指摘は豪快に無視し、話を続ける透。

「僕はそういうのなくて、いきなりこっちで目覚めたんだ。要するに、こっちに来た明確な目的とか、何もないままなんだよね」

 そこまで聞かされて、京子はようやく透の言いたいことを汲み取る。

 つまり、さっきの“どうして”には、“何のために”も含まれていたのだ。

 もしも女神の一人でも現れて、異世界で成すべきことを告げてくれたならば話は早い。その目的の達成こそが事態の解決――早い話が元の世界への帰還に直結していただろうからだ。

 だが、そこに関して京子は透と何も変わらない。

「ひょっとしたらって思ったんだけど……やっぱり、京子も僕と同じみたいだね」

「ええ……」

 自分に責任があるわけでもないのだが、役に立てなかったことに申し訳なさが滲む。

 そのまま、しばらくの沈黙が訪れたあと。

「それで、これからのことなんだけど。京子、君はどうしたい?」

「どうって……」

 透の質問の意図は明白だ。

 そして、それに対する答えもすぐに決まった。

「もちろん、帰りたいけど」

 京子とて、この手のシチュエーションに全く興味がなかったわけでもない。

 だが実際そうなってみて頭に浮かぶのは、家族や親友の顔、好きな本の続き、好物のジャンクフード――

 要するに、未練は山ほどある。

「ま、そうだよね」

 同感とばかりに頷く透。

「でも残念ながら、今のところ手掛かりの一つもない……つまり、当面の間はこの世界で生きていくしかないんだ」

 透のその言葉には、ほんの少しだけ自らに言い聞かせるような色が滲んでいた。

 きっとそれは、先にこの世界を訪れていた彼が、今日に到るまでに見つけた答えなのだろう。

 下手な希望を与える前にそれを突きつける……残酷ではあるが、その率直さがむしろ京子には好ましいと感じられた。

「しばらくはこの村でお世話になってもいいと思うけど、いつかは自分で生活基盤を確保しなきゃならなくなる。僕は冒険者の真似事みたいなことをしてるけど」

 要するに、食い扶持の確保。だが――

「私、得意なことなんて何一つないのが自慢だったんだけど」

 バイトの経験すらないのに、生活基盤とか言われても困る。唯一の特技だと思っていたゲームの腕すら、この間友人の兄にボコボコに負けて井の中っぷりを思い知ってきたところだった。

「僕だって、同じようなもんだったよ。まあでも……」

 ふと、透が何かを思い出したように言葉を切り、

「……うん、そうだね。まずは京子の『外なる理律アウターズ・ロウ』を調べてみてからでも遅くはないか。ひょっとしたら、なんか凄いの引いてるかもだし」

次いで、聞き慣れない言葉を口にする。

「何その……何?」

「あーうん、平たく言えば……向こうから来た人が持つ特別な力、かな?」

「特別な……力……?」

 顔には出さないものの、京子の中で俄然テンションが上がる。

 確かな予感に粟立つ気分を抑えながら、透の言葉を待つ。

「僕たちがこの世界に飛ばされる時、双方の世界の法則の違いのせいで、100パーセントそのまま転送ってわけにはいかないらしいんだよね。その際に生まれる齟齬が具体的な効果を伴う“能力”として表れたものを、僕たちは『外なる理律アウターズ・ロウ』って呼んでるんだ――」

 誰が呼び始めたのかは知らないが、何だかスゴ味を感じる字面だ。

 しかし――やはり“能力”か。いつ発現する? 私も行使したい。

 始まってしまうのだろうか。チートのチートな冒険が。

 お約束の役満に、胸躍らせる京子。

「――まあぶっちゃけ、世界間移動で生じたバグみたいなもんだよ」

 ぶっちゃけ過ぎて、スゴ味が一瞬で霧散してしまった。

 だが思い返してみれば、この村での透の扱いは妙にいい気がする。ひょっとしたら、彼らの感覚で言えば透は異世界から来た勇者様みたいな感じなのかもしれない。

「なるほどね……さっき長老さんたちがやたら感謝してたけど、村の人を助けたんだっけ。それもその特別な力ってやつのおかげ?」

 言外に『異世界チートって凄いんでしょ』という期待を篭めて聞いてみる――が。

「……へ?」

 京子の言葉に、透は間の抜けた声で答えた。

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