第3話
長老が部屋を辞し、透も京子に体を休めるよう言い残して出て行ってしまった。
残されたのは京子と、もう一人。
二人きりになるのを見計らったかのように、話の最中からずっと控えていた少女――アメラという名らしい――が声を掛けてきた。
「あ、あの。よろしければ、お部屋でお休みになられますか?」
「あー……ううん、大丈夫」
今のところ、特に疲れや眠気もない。京子は丁重に断った。
それよりは、この異世界とやらについて少しでも知っておきたいというのもある。
とは言え、勝手の分からないこの場所で、何から始めたものか――
あれこれと考えを巡らせていると、何やら無言の圧力のようなものを感じる。
その発生源に目をやれば、アメラが物言いたげな視線で京子を見ていた。
それも、主に京子の首から下に注がれているようでもある。
「……なに?」
不審に思って尋ねると、アメラは我に返ったようにわたわたと手を振る。
「い、いえ! さっきは、あの、ちょっとすごい格好で倒れていらしたから……その、妹の教育に良くないレベルで」
言葉を選びながら弁解してくるが、最後に余計な一言を付け足してくれた。気を遣うのかディスるのかどっちかにしてほしい。
だが、それで彼女の挙動不審の理由も合点がいった。
倒れていた京子を最初に発見したのは、このアメラと彼女の妹だという。だとすれば、コートやら何やらを脱ぐ前の服装も見ているはずだ。
ひょっとすると、今の今まで京子のことを行き倒れの変態か何かだと思っていたのかもしれない。
――変態、ねぇ。
アメラの服装をしげしげと眺める京子。さっきまで雪山に分け入っていたはずなのに、胸と腰周りを申し訳程度に覆っているだけ。
そんなほとんど下着のような格好で平然としている彼女の様子に、透の言葉が出任せではなかったのかも、と渋々認めざるを得なくなる。
そんなことを考えながらジロジロと眺めていたせいか、今度は彼女が不思議そうに小首を傾げてくる。
慌てて誤魔化し笑いを浮かべ、京子は立ち上がった。
そのまま部屋の扉を開けようとして……京子は振り返る。
「ありがとね、助けてくれて」
「いえ、お礼ならトール様に仰ってください。私も妹も、あの方がいなければ死んでいました」
その言葉に、お互い困ったように笑いあう。助けられた者同士、何か親近感のようなものが芽生えたのかもしれない。
彼女に見送られる形で部屋を出た京子は、ひとまず無目的に家の中を歩き回る。
窓が少ないため全体的に薄暗いが、かなり広く、部屋数も多い。屋敷と言っていいだろう。
しばらく廊下を歩いていると、扉が半開きになっている部屋があった。
覗き込んでみると、書庫か書斎のようだ。木製の本棚に、皮や布で装丁された分厚い本がぎっしりと詰まっている。
版型が統一されていないのか本の背丈は様々で、きちんと整頓されているにもかかわらずどこか雑然とした印象を受けるのが、いかにもファンタジーといった風情だった。
と、本棚の後ろで何か巨大なものが蠢くのが見えた――いや、違う。
何者かの影が、明かりによって影絵の要領で壁に映し出されているようだ。
「……誰かいるの?」
小さな声で問い掛けながら、そろそろと近付いていくが、反応はない。
辿り着いたのは本棚と壁に挟まれた空間。その奥まった場所に、誰かがしゃがみこんでいた。
後姿からすると少年のようだ。手に抱えた何かに、食い入るように見入っている。
よほど集中しているのか、先程の呼び掛けも、背後から歩み寄る京子の気配にも気が付いていないらしい。
「何見てるの?」
「ひっ!?」
肩越しに覗き込みながら少し大きめの声で尋ねると、少年の肩が撥ねた。
「あのその、これは……」
慌てて隠そうとしたのだろうが、手が滑ったのか、抱えていたものが床にゴトリと落ちてしまう。
「なにこれ」
反射的に拾い上げる京子。
水晶玉だろうか。驚くことにその中で、映像のようなものが動いているのが分かる。
二人の女性が楽しそうにおしゃべりしながら町を歩いている。ただそれだけの映像。
見れば、少年の足元の木箱には他にも大量の水晶が隠されている。
この世の終わりじみた表情で躊躇いがちに制止しようとする少年を無視してそれらに触れてみると、それぞれ映像が再生された。
どれも普通の女性が写っているだけで、おかしなところはない――強いて言えば、これだけの女性の隠し撮りを収集している彼自身に若干問題があるかもしれないが。
そんな少年はというと、反応の薄い京子を見て、何やら困惑の表情を浮かべていた。
「な、何だべこのねーちゃん……こんなエロ晶画見て平然としてるし、よく見たら際どいカッコだし……ま、まさかこれが噂に聞く痴女ってやつなんだべか……?」
小声で自問自答する彼の発言に思うところがないではなかったが、それよりも得心が先に立つ。
この世界での厚着は、元の世界の感覚でいう全裸のようなはしたない格好だという。
その水晶に映し出される女性は皆、民族風の独特の意匠ではあるが、丈が長く暖かそうな衣服に身を包んでいた。
つまりこの少年にとってこれらは、極めて刺激の強い、無修正もいいとこのお宝映像なわけだ。
「……どこの世界も、思春期の少年のやることは同じなのね」
だがそうなると、少々不思議な点もある――映像の中の女性たちは、そんな服装でいるというのに全く恥ずかしがるような素振りを見せていないのだ。
そんな疑問を深く考える暇もなく、少年が京子に縋り付いて懇願してくる。
「い、一生のお願いだ! オラがこれを持ってることは、誰にも言わねえでけれ! このコレクションが捨てられちまったら、オラ、もう生きる希望を失っちまう……!」
その必死さに、京子の胸中に生温かい感情が芽生えたような気がした。
大体、京子には一切理解できないこのエッチな映像が彼の教育上いかがなものかは分からないが、さりとて別に京子が口を出す問題でもないのだ。
「……分かった。秘密にしといたげる」
ごゆっくり、と意地の悪い笑顔で彼の頭をぽんぽんと叩いてから、京子は大人しく書庫を後にした。
と、扉をくぐったところで、自分の名を呼ぶ声が飛んでくる。
「あ、竜頭さん。ここに居たんだ」
透だった。二階に通じる階段を下りてきたところらしい。
「今、時間いいかな? ちょっと上の部屋で話したいことがあるんだ。そこならボタン留めてても誰も咎めないだろうから」
透に言われて、京子は自分が下着チラ見せの格好で歩いていたことを思い出す。慌てて服の前を閉じるように掻き寄せながらも――彼の言葉で気に掛かった部分を指摘する。
「……京子」
「え?」
「できれば、そっちで呼んで。名字、ゴツくて好きじゃないから」
学校ではクラスメイトたちにもそう呼ばせているくらいだ。初対面の相手など、名字を名乗らないことすらあった。
「あー、じゃあ……京子、さん?」
「京子」
「アッハイ」
短く訂正する言葉から何か有無を言わさぬものでも感じ取ったのか、赤べこじみて頷く透。
「ほら、早く行こ。透」
少し赤みを帯びた頬を透の視線から隠すように、京子は先に立って階段を上り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます