第3章 徳田と兼崎の聴取
「探偵?」
私と
「探偵って、こんなかわいらしいお嬢さんが? そちらは助手の方?」
兼崎が続けて私に視線を向けたので、私は「はい」と答えた。徳田は、もう一度、「あらまあ」と言ってから、
「私、丸柴さんの時も、こんな美人の刑事さんがいらっしゃるんだって、びっくりしたんですけれど……華やかな時代になりましたね。こんなかわいらしい女の子のコンビが探偵さんだなんて。私、未だに探偵って聞くと、金田一さんみたいなおじさんを思い浮かべますわ。私、
ええ、まあ、そうですね、などと、理真は当たり障りの、そして意味のない答えを返している。
理真と一緒に官民問わず聞き込みや聴取に行くと、初見の人からは決まって今の徳田のようなことを言われる。お約束と化している。そして、理真も私も、ついでに丸柴刑事も、かわいいだとか、美人だとか言われたことをそのまま受け入れるのもお約束なのだ。だって、せっかく「美人」だとか「かわいい」って言ってもらったのを否定する必要ないでしょ? 自分で言ったんじゃないんだし。
全く関係ないが、理真は今徳田が口にした、石坂浩二版金田一耕助のものまねを得意としている。本人曰く、『
理真は捜査一課の城島警部のものまねなどもたまにするが、やはり似ていない。本人は得意顔で披露する手前、はっきりと言いづらいのだが……余計なことを考えてる場合じゃない。集中。
「事件の早期解決に寄与するのであれば、探偵が捜査に入るのも、もちろんやぶさかではないが……」
兼崎は理真の捜査への介入を承諾した。
いかな不可能犯罪の捜査に市民権を得たといえる素人探偵も、万人が万人その存在を受け入れてくれるわけではない。一般の人はもとより、警察内部にも素人探偵を疎ましく思う警官は少なくない。今一緒にいる丸柴刑事や、事件の陣頭指揮に当たっている捜査一課の
今でこそレジェンド探偵と呼ばれるような先輩探偵方も皆、同じような経験をしてきているのだ。だからこそ、少しでも話を訊く相手に好印象を与えなければ。
今日の理真は、丁寧にブラシを入れた広げたままの艶のある髪。白いシャツの上に薄い青色の上着を羽織り、細身のデニムを履いている。少しラフな出で立ちで顔には化粧っ気もないが、素材がよいし、理真は女性に好かれるタイプの美人なので、老若男女問わず、人に清潔感と安心感を与える。
民間人という立場で犯罪捜査に介入している手前、身なりにも気を遣わねばならない。
名探偵とはいえ、もじゃもじゃ頭をかき回してふけを飛ばしてよかった時代ではないのだ。いや、偉大な大先輩をディスってるんじゃないよ。念のため。
当然、身なりに気を遣うのは私も同じだ。トレードマークの縁なし丸メガネ。肩まで伸ばした髪が跳ね気味なのは、癖っ毛のため仕方ない。藍色のセーターにベージュのキュロットパンツ。ちょっと地味だけど、探偵を引き立てるのもワトソンの役目だからね。理真や丸柴刑事と同じく、私も会った人には、ほぼ「かわいい」って言われるから抑えなきゃ。なんてね。おっと、集中するんだった。
「で、何を訊きたいのだね」
と兼崎。
「できれば、おひとりずつお話を伺いたいのですが……」
理真の希望は聞き入れられ、応接室に理真、私、丸柴刑事と徳田の四人だけが入り、聴取が開始された。
「徳田さんは、兼崎さんがすんなりと身代金を出したことに懐疑的だそうですね」
開口一番、理真は訊いて、徳田は思わずといったふうに応接室のドアに目をやった。
ドアの向こうで兼崎が聞き耳を立てているという心配はないと理真が念を押した。所轄からひとり制服警官を借りて、兼崎の見張りをしてもらっているのだ。当然、兼崎に聴取するときは逆に徳田を見張ることとなる。
「え、ええ」
おっかなびっくり、といった調子で徳田は語り出した。
「私、びっくりしまして。脅迫状のことよりも、そっちのほうに驚いたくらいです。確かに丸山さんは会社にいなくてはならない、旦那さんの右腕のような方だそうですけれど、まさか二千万円もの大金を、と思いまして」
「兼崎さんは随分な倹約家だそうですね」
「はい、倹約家というか、ケチですね」
雇い主に聞かれていないと分かると歯に衣着せなくなるようだ。
「食費や洗剤などを購入する資金も、私の家とほとんど変わらないのではないでしょうか。うちはもう子供が独立して、今は主人と二人暮らしなんですけれど、それをさっ引いても、かなり倹約していると思います。金融会社の社長なんて稼ぎもかなりあるでしょうに。エンゲル係数っていうんですか? あれを計算してみたら、この家はとんでもなく低い数値が出ると思いますよ。そうそう、身代金を持っていったあの日のタクシー代も、会社のタクシー券で支払ったらしいですよ」
それは経費で落ちるのか? タクシー代の出所はともかく、理真は質問を続け、
「丸柴刑事から聞きましたが、身代金を入れた鞄も、捨てるはずのものを使用したとか」
さすがの理真も、公的な場にいるときは、丸柴刑事に対する呼び方も変わる。徳田は、
「はい、そうなんです。あの鞄を捨てると決めた時には、服は捨てる前に雑巾にでも出来るが、鞄は何の役にも立たないな、なんていうこともおっしゃっていました」
最後の最後に大仕事を任命されたわけだ。
「その鞄は、もう捨ててしまわれた?」
「さあ……あの日、戻ってきた鞄を私は見ていないんです。旦那様が警察から鞄ごと受け取って、お部屋に持って行かれました。翌日、そのまま会社に持って行ったようですよ」
「会社に? その現金はここで用意したものなんですよね?」
「ええ……」
徳田は頬に手を当てて当惑したような顔になり、
「私、それにも驚いたんです。まさかこの家に二千万も現金があっただなんて」
「兼崎さんは、普段は手元に大金を置かない?」
「はい、大金どころか、現金自体もあまり持ち歩かれません。買い物はほとんどカードでされているはずです。私も一枚カードを預けられて、食料や日用品の支払いは全てそれでやっています」
「何か理由があるんでしょうか?」
「はあ、恐らく、ただのポイント目当てかと」
ずっこけそうになった。ポイントかよ! 確かに頻繁に使えばばかにならないけれど!
理真は質問を再開して、
「事件当日のことをもっと詳しく訊かせてもらいたいのですが……脅迫状を読んだ兼崎さんは、警察に通報はするなとおっしゃったんですね?」
「そうです。私は通報するべきだと申し上げたのですが。丸山さんの身の安全が第一だからと」
「でも、徳田さんは結局通報した」
「はい、旦那様が身代金の受け渡しに行かれてひとりになったこともあり、不安になってきまして」
「賢明な判断です。それで、身代金の受け渡しに行くとき、兼崎さんは脅迫状を持って行かなかったそうですね」
「ええ、大事な証拠なので、途中で落としたりしてしまうといけないから、と」
「兼崎さんが受け渡し場所の公園を間違えてしまったことについては、どうですか?」
「どう、と言われましても、不運だったとしか……」
「兼崎さんが公園を間違えてしまったのは、仕方がないとお考えですか?」
「ええ、私も聞きましたが、よく似た名前の公園で〈やすらぎ〉だか〈きらめき〉だか入るかそうでないかだけの違いだったそうですね」
正確には〈ふれあい〉だ。徳田は続ける。
「旦那様は向こうの方に土地勘はないと思いますし、間違えても致し方ないかと」
「もし、兼崎さんが脅迫状を持って行っていたら、公園を間違えることはなかったですよね。しっかりと公園名が書かれているから」
「ええ、そう考えることもできますね……」
「……ありがとうございます。では、兼崎さんを呼んできていただけますか?」
「どうして警察に通報しなかったのですか?」
兼崎に対する開口一番の理真の質問はそれだった。
「脅迫状に書いてあったからに決まってるだろ。
「すぐに通報するべきでした。そうすれば、丸山さんは助かったかもしれない」
「結果論だ」
兼崎が突っぱねたので、理真はこの話題は切り上げて別の質問に移った。
「身代金は兼崎さんがご用意なさってものですか?」
「当たり前だろ」
「二千万円。かなりの大金ですよね。普段兼崎さんはあまり現金を近くに置かないとお聞きしましたが」
「タンス預金だよ。いざというときのためのな。普段から私が手元に現金を置かないと吹聴していれば、まさかそんな大金が家にあると思うものはいまい」
「なるほど。で、一週間前、そのいざというときが来た、と。……失礼しました。タンス預金はちょうど二千万だった?」
「そうだよ」
「ということは、犯人は兼崎さんの家に二千万円の現金がある、と知っていた人物かもしれません。心当たりはありませんか?」
「分からんよ。家に大金を置いているなんて、わざわざ言い回ったりしないからな」
「もっともです。で、その虎の子の二千万を差し出しても丸山さんを助けたかった」
「当たり前だろ。金額の問題ではない。人道面からも、会社の経営面からもそうだ。丸山がいなくなったら会社が立ちゆかなくなる」
「兼崎さんの右腕だったそうですね。でも、その丸山さんは残念ながら亡くなってしまいました。会社は大丈夫なんですか?」
「ああ、他の社員の頑張りで何とかやっている。社員のみんなには感謝しとるよ」
だから特別ボーナスを弾む、とは口が裂けても言いそうにないな。
「身代金の受け渡しに、脅迫状を持参されなかったそうですね。これはなぜ?」
「なぜって、大事な証拠品だからに決まってるだろ」
「コピーを取るとか、メモを取るとかもなさらなかった?」
「気が動転していて、そこまで考えが及ばなかったよ」
「受け渡し場所を間違えてしまいました」
それを聞くと、兼崎は、はあ、と息を吐いて顔を伏せた。
「私のせいだ。私が公園を間違えさえしなければ……丸山は……」
項垂れて私たちに白いものが混じった頭頂部を見せている兼崎に理真は、
「でも、そのおかげで身代金は戻ってきた」
「何が言いたい?」
兼崎は顔を上げた。
「私が金惜しさにわざと公園を間違えたとでも言いたいのか。私が丸山を見殺しにしたとでも」
「いえ、決してそんな……」
「おい、刑事」
兼崎は矛先を理真から隣に座った丸柴刑事に向けて、
「あの件はいったいどうなってるんだ?」
「あ、はい。苦情の件ですよね。ここ、ご自宅と会社の周辺を重点
丸柴刑事は急に向けられた矛先を何とかかわしたようだった。
「それでは足りん。警官を常時立たせておけと言っただろ」
「それにつきましては現在、上と検討中ですので……」
「警察も所詮お役所か。実害が出てからでないと動けんというのだな」
「あの……」
理真が声を掛け、兼崎の矛先を再び自分に向けさせて、
「鞄を見せていただきたいのですが」
「鞄?」
「はい、身代金を入れていた鞄です。今どこに?」
「捨てたよ。徳田から聞かなかったのか? もう捨てるはずだった鞄だ」
「……そうですか。これは警察の聴取とも重複する質問になるかと思いますが、誘拐犯に心当たりはありますか?」
「分からん。どうせ私のことは調べてあるんだろ。私は敵が多いからな。怪しいと思えば、どいつもこいつも怪しく思えてくる」
「丸山さんが人質となったことについてはどうですか? 犯人は、あなたから身代金を引き出すには丸山さんを人質に取るのが一番よいと判断したと思われています」
「それについては、会社の人間を始め、取引先の人間なんかも承知しているだろう。顧客の中にも、
「……分かりました。ありがとうございました」
兼崎邸を辞して覆面パトに乗り込んだ私たちは、捜査本部と理真の車が置かれた
「丸姉、兼崎さんが言ってた、自宅と会社の警邏云々って、何?」
私たち三人しかいない車内。理真の呼び方はいつもに戻っている。フランクに呼びかけられた丸柴刑事は、
「ああ、あれ。数日前かららしいけど、兼崎さんから、暴力団らしき輩が自宅や会社周辺をうろついてるから何とかしてくれって、通報があったのよ」
「暴力団?」
「そうなの。近所の聞き込みで、確かに柄の悪そうな男どもがうろついてるって言う人もいたからね。何人かは会社前の道路の防犯カメラに映ってたわ。クロさんに確認してもらったら、龍神会の連中じゃないかって」
「また龍神会?」
「そうなの。調べてみたんだけど、兼崎金融は確かにケチで取り立ても厳しいけれど、暴力団との繋がりはないわ。一応真っ当な金貸しよ。ま、そのケチさから、前も言ったけど敵は多いらしいけどね」
「敵と言えば、誘拐犯の容疑者絞り込みのほうはどう? うまくいってるの?」
「そっちのほうは全然ね」
丸柴刑事は肩を落として、
「兼崎さんは確かに敵が多くて恨みを持ってるような人間もいるけれど、アリバイがはっきりしてる人がほとんどね。それに、どうも社員を誘拐して身代金を奪う、なんて考えそうな人はいないんじゃないかしらね。どちらかと言えば、夜道に、いきなり後ろから鈍器で頭を殴りつけて恨みを晴らそうとしそうな人ばかり。兼崎さんがあまり外出したがらないのも、そういった理由もあるのかもね。
ちなみに、凶器のナイフはどこにでも売ってる普及品だし、指紋も出なかった。付近で怪しい人物を目撃したとかの証言もなし。見るからにやくざっぽい連中が走り回ってたって目撃情報はあったわね。龍神会の連中だろうけど、何をしてたのかは分からないわね」
「丸山さんが死体で発見されてから引かれた緊急配備にも、龍神会の構成員が引っかかったんだよね」
「そう。兼崎さんとは何の関わり合いもないし、目撃された走ってた連中も含めてシロっぽいけれどね」
「身代金の代償として犯人が誘拐したのが、会社の専務ってのもね」
「そうね。でも、兼崎さんに家族はいないし、家政婦の徳田さんも言ってたけれど、兼崎さんが身代金を払ってまで助けたいって思える人物は、経営の右腕、丸山さんくらいだったのかもね」
「犯人は、当然そのことも知ってたってことだよね」
「そうね。丸山さんこそが、兼崎さんが大金と天秤に掛けうる唯一の人間だってね……着いたわよ」
西堀署に到着し、丸柴刑事は駐車場に覆面パトを滑り込ませた。
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