第62話 異形の群れ

「何だここは?」

「しっ!」

 五郎丸の頭を鈴が押さえつけ地面に伏せさせた。頭上を、八尺はあろうかと言う巨大な数匹の魚が泳いでいる。その顔は大人の男のようで、肥満し垂れ下がった肉を震わせながら、空中を忙しく泳いでいる。さかんに何かを探しているようだ。

 森の中にいたはずなのに、あたりはすっかり様変わりしていた。見たことのない石畳の地面に、朽ち果てた円錐の石柱。異国の廃墟のようだ。よく見ると数軒先は元の森のようであり、その先には、ここと同じような廃墟と元の森が交互に続いている。

「どうしたわけか現世と冥界が混ざってきているんだよ。あの赤い太陽は、あたしがいつか見た冥界のものさ。」

 いつの間にか、鈴の尻からは尻尾が飛び出し、髪の中からは三角の狐耳が現れている。

「あいつは?」

 空を指さす五郎丸の腕を、そっと抑えながら鈴は小声で答えた。

「腐魚という冥界の番人のひとつさ。あいつは大食いでね、動くものは何でものみ込もうとする。飲み込まれたら最後さ、強力な胃液でたちまちに溶かされちゃうんだよ。」

「えっ!物陰に隠れないと危なくないか?」

「大丈夫、あいつは目がほとんど見えない、鼻も効かない。耳だけが頼りさ、それも良く聞こえるわけじゃない。気を付けて近づかないようにして、大きな音さえ出さなければ大丈夫。ただ、冥界にはもっと厄介な番人がいっぱいいるんだよ。この辺にはいないようだけどね。」

 鈴は、盛んに耳と鼻で辺りの様子をうかがっているようだ。

「そっと、元の森の部分に移動するんだ。空間の揺らぎが凄い、もし現世と冥界の混じり合いが何かのきっかけで解けた時、冥界側にいたら二度と現世に戻れないかもしれないよ。」

 五郎丸が真剣な顔をして頷いた。額には汗が一筋流れている。

 鈴と五郎丸は、腹這いながら森に向かって移動して行った。


 突然、頭上の腐魚たちが、一斉に太陽と逆の方角に向かって、猛然と泳ぎ出した。

「どうしたんだろう?」

「きっと、誰か大きな音でも立てたんだよ。」


「射よ射よ!こんな幻に脅かされるな!」

 島津本陣では、副将・町田久倍の大声が響き渡っていた。

 若衆(にせ)たちは、本陣の前に二列となって、空から襲い来る無数の腐魚に向かって矢を放っていた。

「こいが幻じゃち?!冗談もほどほどにして欲しかど!」

 弓の名手・中馬大蔵は矢継ぎ早に腐魚を射た。しかし敵の皮膚は鎧並みに固く、矢は跳ね返され、空しく地面に落ちて行く。

「大蔵どん!いけん(どのように)すっか(しますか)?」

 戦友の叫びに、大蔵は矢を構えながら叫び返した。

「あん太か口の中を狙え!どげん生き物でも口ん中は柔らしかもんじゃ!」

大蔵にも確信があったわけではない。南無八幡と放った矢は、迫りくる大魚の舌を射抜き、標的は悶絶して地面に落下した。尾をびちびちと地面に叩きつけて苦しがっている。

「よっしゃ!いくっど!」

 腐魚の知能は高くないようだ。仲間がやられても、平気で大口を開けて押し寄せてくる。死を恐れぬその姿が却って恐怖をあおる。若集たちの中から悲鳴にも似た叫びが上がった。

「こげん魚ごときにビビッていけんすっとか!撃て撃て!!」

 大蔵はぴゅんぴゅんと連続して腐魚を倒していく。若集たちもその姿に勇気づけられ、上空に向かって矢を放ち続けた。


「敵には凄い弓の名手がいるなー。」

 走りつつ五郎丸がのんきに呟いた。いつものことだ。鈴はため息をついた。

「異界で怖いのは腐魚ばかりではないわ。むしろ、異界に落ちた人間が一番怖いかも。」

「どういうことだ!?」

「異界はその人間の本性と共鳴する。その結果、邪悪な魂を持つものは。」

「?」

鈴の言っていることが難しくて意味が分からない。


ぐぉぉぉぉぉ

 突然、本陣脇で気絶していた三人の修験者が、胸をかき乱して苦しみだした。

「なんじゃ!別の化け物の攻撃か?」

 樺山らを守っていた若集たちが色めき立つ。

突然、苦しんでいた修験者たちがすくっと立ち上がった。三名とも、今度は頭を押さえて唸り始める。若集たちは色を無くし、遠巻きにすることしかできない。すると、修験者たちの体が、鍋の中の肉のようにぐつぐつと蠢き始めた。

ごぉぉぉぉぉぉ

 人の形をしていたその体は、みるみる膨れ上がり十尺を超える大きさになった。その姿は既に人の形を保っておらず、全身がぬめぬめと濡れ光り、まるで巨大なナメクジに手足の名残の突起がついたような姿。顔であった場所には巨大な口のみが残っている。

「うわぁあああああああああ!!!」

 若集たちの恐怖の叫び声が上がる。


「今度は何だよ!」

 五郎丸の叫びに鈴が答えた。

「あれに名などない。人でも魔でも無いもの。魔になり損ねた生成りよ。本当に恐ろしいのはこれから。魔と完全に共鳴し、魔物と化す人が現れる。」

 鈴に応えるように、別の陣から巨大な咆哮が上がった。


「源五右衛門、どうしたんじゃ!」

急に倒れ込み、七転八倒して苦しむ朋輩を仲間たちが取り囲んだ。

「!」

 驚く仲間たちを尻目に、源五右衛門の身体はみるみる膨張していく。額が裂け水牛のような角が現れ、あれよあれよという間に全身は黒い剛毛に包まれた。足は蹄となり、口は耳まで裂け、その顔は狼と山羊を併せたよう、もはや人としての痕跡は残っていなかった。

「ひぃぃぃ。」

 恐怖に倒れ込む兵たちを、「源五右衛門」であったものは大きく黄色い目でじろりと見た。そして鉤爪の付いた三本指の腕を振りまわし、辺りを血の海に変えていった。逃げ回る兵たちの中にも、源五右衛門同様に倒れ込み、異形へと姿を変える者が出てきた。宙を飛ぶ腐魚の群れは数を増すばかり、まさに地獄もかくやと言う状況であった。

 兵たちの中には、この戦場から逃げ出そうとするものも出てきた。


「逃げても無駄。」

 走りながら鈴が言った。

「この異界は霧島山を中心に、薩摩大隅日向へとじわじわと広がっている。そのうち、国境を越えて肥後へも伝播する勢い。この国全体を異界が飲み込もうとしている。」


「走れ桜!追いつかれる。」

「兄ちゃん、もう無理だよ。足が動かない。」

 いつものように湯之尾の滝で遊んでいた兵助ら子供たちは、水の中から突然現れた化け物から必死で逃げていた。あれが噂に聞くがらっぱ(河童)なのか。六尺を超える巨大な蝦蟇のような姿、足は六本で水かきは無く、地面をすべるように動く。目は無く、巨大な口にはまるで人のもののような歯が備わっていた。カチカチと音を立てて、歯を噛み合わせながら迫る化け物は、滝壺から湧くようにして次々と現れた。感じたことのない恐怖に襲われ、子供たちは悲鳴を上げ乍らばらばらに逃げた。兵助も妹の手を引っ張りながら、町へと続く一本道を必死に駆けた。後ろで悲鳴が上がり、バリバリと骨を砕くような嫌な音が聞こえたが、振り返る余裕はない。

 突然、妹の手を引いていた右手が重くなった。桜の足がもつれ地面に倒れたのだ。

「何をやってんだよ。早く起きろ、起きろ!」

 妹はうつ伏せに突っ伏したまま、嫌々をするように首を振った。

「馬鹿!食われちまうぞ!立て、早く!」

 思いっきり右手を引くが、妹は頑として動かない。突然、周囲が暗くなった。

「ひ!」

 いつの間にか化け物に取り囲まれている。化け物たちは、まるで嘲笑うように身体を小刻みに震わすと、一斉に大口を開け兵助たちにかぶりつこうとした。兵助は妹に覆いかぶさり、目を瞑ると一心に般若心経を唱えた。


「……?」

 辺りを静けさが支配していた。ひょっとして知らないうちに死んでしまったのか。その割に痛くも痒くもなかったけど。兵助は恐る恐る薄目を開けた。頭上をひゅんひゅんと高速で何かが通り過ぎる。そのたびに、どう、どうと重たいものが地面に転がる音がする。化け物たちが矢の雨を浴びて、次々と倒れていっているのだ。顔を上げた兵助に大声で注意する者がいる。

「そこな童、危ないから頭は引っ込めておけ!」

 兵助は慌てて伏せ直した。

「よーし!大方片付いたようじゃの。」

 先程、大声を上げた老武者が、馬に跨りながら部下と思しき兵たちに叫んだ。

「次へ行くぞ!」

 兵たちは応と叫んで町の方へ疾走する老武者の後へ続く。兵助は、呆気に取られてその姿を見送った。

「しかし、これは一体どうしたことじゃ。突然現れた大勢の化け物、この世の終わりでも来ると言うのか?」

 新納忠元は、馬上でひとり首を捻っていた。


「どうした!早く殺れ!」

 後方から町田久倍の金切り声が響く。

そう言われても。

じりじりと下がりながら中馬大蔵は眉間にしわを寄せた。

このナメクジの化け物は、魚のような化け物と同様に矢の攻撃を受けつけぬ。

しかも、魚のような化け物と大きさが違うので、口の中に矢を射こむことが困難極まりない。加えて、そもそも口のように見えるものは、機能的に「口」ではないらしい。それと言うのも、うっかり近づいた兵が、粘着質の胴体の中に取り込まれてしまったからだ。その兵は、化け物の半透明の胴の中で骨も残さず溶けてしまった。矢を射ることで、かろうじて化け物の接近を阻んではいるが、どうやって倒すか見当もつかないのが正直なところだ。


「うぎゃぁあああ!」

 陣の後方で叫び声が上がった。

 一隊を壊滅させた「黒山羊」の巨体がそこにあった。

町田・樺山の両将を庇うように取り囲んだ若衆が、恐怖で顔を強張らせる。

「黒山羊」の鉤爪が煌めいた。若衆たちは無駄と感じつつも、町田・樺山の前で槍衾を組む。凄まじい勢いで鉤爪が振り下ろされた。

 がっ!!!

 金属同士が打ち合うような音と一瞬の閃光、辺りに焦げたような臭いが漂う。

振り下ろされた「黒山羊」の鉤爪は、ひとりの「巨人」によって受け止められていた。

「おお祐秀!」

 後ろを振り返りながら、中馬大蔵が喜びの声を上げる。

七尺を超える巨人、薩摩の今弁慶と呼ばれている木脇祐秀は、受け止める薙刀に力を込めて「黒山羊」の鉤爪を弾き返した。


 そのとき、陣の前方、大蔵たちの戦いにも変化が訪れていた。

ずだーん、ずだーん

 とどろく銃声と共に「ナメクジ」たちが苦しみだし、その体はどろどろと溶けだした。

「どういうことだ?」

 いぶかしがる大蔵の目の先、十軒ほど先に二丁の種子島を構えた見覚え有る小男の姿があった。

「試しに使うてみたが、やはり銀の弾丸はあらゆる魔物に有効なようじゃの。」

「三郎!」

 叫ぶ大蔵を尻目に鉄砲三郎は走り去った。


 陣の後方では木脇祐秀が「黒山羊』相手に苦戦していた。打ち込まれる両手の鉤爪の攻撃は勢いを増すばかり、一方の祐秀は肩で息をし、明らかに消耗していた。相手の攻撃を薙刀で受けるのが精いっぱい、そのうち疲れて薙刀で受けるのは不可能となるのは誰の目にも明らか、しかし人間離れした戦いに誰も助勢など出来なかった。

「くっ。」

 相手の攻撃を押し返した勢いでよろけ、思わず片膝をついた。そこに「黒山羊」の鉤爪が襲う。

「あぶなか!」

 若衆が叫んだが、祐秀が防御のために振り上げた薙刀は間に合いそうもない。次の瞬間は祐秀の頭が切り裂かれることだろう、誰もがそう思い息をのんだ。

「!」

 つぎの瞬間、本陣にいた兵たちは信じられぬ光景を見た。猛威を振るっていた「黒山羊」が、あっけなくひっくり返り、猛然と胴体に飛びついた大きな黒い影が、巨大な杵を振るって、まさにあっさり化け物の頭部を粉々に砕いたのだ。

 木脇祐秀は地面に座ったまま、信じられぬものを見たように呆然と「黒山羊」の躯を見上げていた。そこから、ひょこっと頭をもたげた黒い影が祐秀に語り掛ける。

「たわけが!戦場で化け物の攻撃をまともに受けて如何(いけん)すっか!戦場は己の力を誇る場所に非ずじゃ!よう憶えておけ!」

 呆気にとられた祐秀は、命の恩人の黒い影に思わず頭を下げた。そのとき、後方から思わぬ怒声が響いた。

「鬼無か!相変わらず品の無い戦いぶり、お前の戦い方は昔と変わらぬ、ただの乱暴者、暴れ者の悪童よ。武士とはとても言えぬわ。」

 化け物の上の鬼無が振り返って肩を竦めた。

「ご老人こそ相変わらずで。数十年ぶりに敵味方となって相見えようとは思いもせなんだ。」

「謀叛人の片割れめ、古くからの因縁、今日こそお前を討ち取って片付けてくれよう。」

 ぶるぶると肩を怒らせて立ち尽くす樺山玄佐を見て、一瞬、喜内は亡き主君がするように、にやりと笑った。そして独鈷杵を肩に担ぐと、化け物に襲われている別の陣へ向けて駆け出した。その後ろ姿を見ながら、木脇祐秀がぽつりと呟いた。

「やはり強か、それも…物凄く。」

 いつの間にか隣に立っていた大蔵が続けて言った。

「あげな強者が七人も、果たして俺(おい)たちは勝っつとじゃろうか?」


「甚兵衛!」

 二刀を振るい化け物を斬りまくっていた甚兵衛のところに、喜内と三郎が合流した。

「民部は大丈夫かな?」

 三郎の問いには喜内が答えた。

「どこにいるかわからんが大丈夫じゃろう。あ奴もただの馬乗りではない。次右衛門と忠助の所も、半左衛門がいるから大丈夫じゃ。気になっているのは、五郎丸と鈴よ。」

 言われて三郎も甚兵衛も、心配そうに峠だった方を見た。


「やった!大弥五郎鎧だ!」

 腐魚に気付かれ逃げ回っていた五郎丸が、地面に伏せている大弥五郎鎧を見つけ小躍りせんばかりに喜んだ。

「見とけよ、仕返ししてやる!」

 滑り込むように大弥五郎鎧に乗り込むと、五郎丸は右手の鉤爪を一閃させた。腐魚が、まるで小石か何かのように弾かれて飛んでいく。

「へへん。ざまを見ろって。」

「油断しちゃだめよ!ここは普通と違うんだから。」

 いつものように得意になっている五郎丸を、鈴が叱りつけた。


 そのころ、異界と化した戦場のはるか上空で、酒呑童子が腕組みをして下の様子を見ていた。

「なんだい、まだ参加していないのかい!」

 突然話しかけられ、思わず振り返ると、そこには切り離された覇王太夫の首が浮いていた。

「だんまりかい、まぁいいや。」

 相手を確認しただけで黙り続ける酒呑童子を放って、覇王太夫は下の様子を探った。

「なんだい、弥五郎鎧はあの餓鬼が動かしているのかい。」

 腐魚を相手に暴れ回る大弥五郎鎧を見て、覇王太夫はクククと嗤った。

「あの狐も一緒のようだが、何も知らないんだねえ。異界の影響を受けるのは人ばかりに非ず、魂を持たない道具だって影響を受けるさ。ましてや、かって怨霊の依代となったことのある鎧なら特にね。」


 何か変だ。

大暴れしながら五郎丸は感じていた。大弥五郎鎧の動きはいつもと変わらない、いや、いつもより良い位だ。しかし、何か違和感が消えなかった。操縦した感じも、操縦席の感じも。

 何だ、何なんだ?

気のせいかもしれない、操縦席の闇がいつもより深い気がした。そう思った瞬間、闇が五郎丸に手を伸ばした。

 うわあーっ!

 足元から数百数千と言う地虫が這いあがってくる。操縦縄はいつの間にか蛇に変わり、五郎丸の両腕に巻き付いた。


 鎧の違和感は鈴も感じていた。いつもと違う。異界のせいなのか、ただのからくり兵士じゃなく、今日の大弥五郎鎧は、まるで魔人のよう。勇猛と言うより残忍な感じがする。そう思っていたとき、突然大弥五郎鎧の動きが止まり、全身が暗い紫の光を放ちだした。


「どうしたの?五郎丸、返事を、返事をして!」

 鎧を叩きながら叫ぶ鈴の声が異界に木霊した。






 











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