第61話 地獄門 開く

 霧島山脈の奥深く、熊襲穴と言われる古代の遺跡のひとつに、覇王太夫は入って行こうとしていた。

「さて、あたしは計画通り、この大和に滅ぼされた熊襲の怨念が籠る穴の中で、即身仏ならぬこの世を地獄に変える大怨霊となる。酒呑童子、後は頼んだよ。」

 酒呑童子はそっぽを向きながら、こくりと頷いた。

「つれないねえ、相変わらず世のことには興味なしかい。」

「わしは面白ければそれでいい。」

 覇王太夫は、苦笑すると穴の中に入って行った。

「さて、冥界の扉を開け、この世を地獄と化してくれようかい。百地のじじい見ているかい、これがあたしのする革命だよ!」


「大殿、仰せのとおり、止め置いた若衆(にせ)共、集めましてごわす。」

 内城の書院の前で、側近の一人である町田久倍が報告した。

「うむ。」

 義久は何か書き物をしていたが、報告を受けて立ち上がり、久倍先導の下、中庭の方へと歩き出した。曇天の中、桜島がもうもうたる煙を上げている。


 君主は、時には修羅にならねばならぬ。


 いろは唄にはない、祖父日新公の密かな教えだった。

「このご時世、綺麗ごとばかりでは家は保てぬと言うことか。」

 ぽつりと言った独り言に、久倍が反応した。

「は、何かおっしゃいましたか?」

 義久は苦笑して言った。

「虎居の様子はどうか?」

 久倍は片膝をついて向き直った。実直なこの男らしいなと義久は感じた。

「は、公子様(きんごさま、歳久)未だ人事不省のご様子、城内は騒然としたままごわす。」

「そうか、又六郎の病状は?」

「徐々には、回復に向かわれておられるご様子。」

 義久は再び桜島を見た。その目はガラスのようで、何の感情も示していなかった。


「おお、知り合いがいた。祐秀、こいは何の集まりじゃ。」

 城の中庭に入りきれないほどの群衆を掻き分けて、中馬大蔵はひときわ大男の木脇祐秀に近づいて行った。

「おいも知らん。大殿さぁのお召しじゃち言うことしかわからん。」

 祐秀は素っ気ない。

「こげんこつをしている場合じゃなか。おいは早く、義弘様のおわす肥前名護屋に駆けつけんと。こんままでは朝鮮へ渡海できんち、難渋してござろうが。」

 義弘への忠義一途の大蔵が言った。

「そいは、おいも同じ気持ちじゃが、大殿さぁの鹿児島に留まれとの厳命には逆らえん。」

 大蔵は祐秀と顔を見合わせて言った。

「あそこに座っておいやっとは、樺山さぁじゃな。」

 樺山玄佐は今年八十歳になる老将だ。地味だが武功抜群の家中きっての智将である。しかし、戦場に出なくなって久しいはずだ。この引退した老人にまでお呼びがかかるとは、どのような役目なのか。


「しっ!大殿さぁじゃ。」

 義久は長身の体躯を揺らしながら、中庭を見渡せる縁に現れた。そして、樺山玄佐に気付くと、短く会釈した。

 付き従う町田久倍が、集まった家臣たちに声をかける。

「みなみな、本日はご苦労である。さて、集合してもらったは他でもない。先日、天下の逆賊がこの薩摩の地に入り込みおった。島津家えりすぐりの勇者である皆に、この逆賊を討ち取ってほしいのだ。」

 島津の領地に入り込むとは大胆な逆賊だ。誰もがそう思った。

「ここには、どう見てん五百名以上の若衆(にせ)どんがおりますどん。一体賊は何百人ごわすか?」

 大蔵が聞いたことは、皆が知りたいことだった。久倍は、怜悧な目で大蔵をちらと見て言った。

「七人じゃ。」

 中庭が蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。たった七人じゃと、対するにこの人数は、あまりに大仰ではないか。大殿はわしらを信じられていないのか。

「どこに居るかわからんので、捜索のためのこの人数ごわすか?」

 祐秀の問いに、中庭が静まった。なるほど、それなら納得できる。

「いや、賊は鈴山を越え、じきに平川村に到る。そこから船を使って姶良村へ向かうつもりじゃろう。」

 久倍の回頭に再び中庭は騒ぎとなった。


「黙れ!やかましかど!」

 老人とは思えぬ一喝であった。みな、座っている樺山玄佐から、とてつもない圧を感じた。

「大殿、どうぞ。」

 静まったのを確認して、玄佐は義久の発言を促した。

「たったの七人とは言えぬ。選りすぐりの勇者五百名でも少ないかもしれぬのだ。賊は、あの梅北七人衆じゃ。」

 玄佐の一喝とは別の衝撃が走り、中庭は凍りついたように静かになった。


 そのころ、東郷重位は曾木の滝にいた。大殿義久から打ち明けられ、命じられた任務は重い。気が進まぬというより、成し遂げられるだろうかと言う不安の方が大きかった。

「鶴田甚兵衛の剣は並みでは無い。しかも、主を失って手負いの猛獣のようになっておろう。下手をすると、集めた手練れ全てが討ち取られかねん。島津家中に人多しといえども、甚兵衛を止められるのは、丸目門下の弟弟子のお主しかおらぬ。」

 義久の期待が重くのしかかる。確かにタイ捨流の竜虎と呼ばれたが、当時の重位は、ただの一度も甚兵衛に敵わなかった。生まれ持った運動神経、反射神経が全く違う。特に甚兵衛の剣速は重位の倍ほども早く、気合と共に放つ剣は容易に跳ね返され、あるいは避けられて一本を取られた。その後修業を積んだが、それは甚兵衛も同じこと、極意を得たとかいう渦流陣もある。重位は今でも、全く甚兵衛に勝てる気がしなかった。

 せめて、何か攻略の糸口でもつかめればと、甚兵衛が奥義を極めたこの滝にやって来たが、滔々と流れる滝を見ても、何の攻略法も浮かんでこなかった。

「甚兵衛の剣は天賦の剣か。」

 師匠・丸目長恵の言葉が蘇る。

 甚兵衛の剣は天賦の剣じゃ。あやつは、人が十年かけて習得する技を、一瞬で身に着けおる。剣を振るうためにのみ生まれてきたような男よ。しかも、生まれついての運動能力も併せ持っておる。そのあ奴が剣を握ればまさに天下無双、無敵の剣がそこにあるじゃろう。

「しかし、」

 そうだ、たしか師匠の話には続きがあった。

 弥十郎よ、甚兵衛のそれを超える剣があるとするならば、それはお主にしか編み出せぬ剣よ。お主には天賦の才と言うものはなかった。しかし、こつこつと血のにじむような努力を重ね、ついには甚兵衛と肩を並べるような実力を得た。その剣は鍛錬の極み、極錬の剣とでもいうべきものじゃ。わしにはわかる。その極錬の剣は、ついには天賦の剣を凌ぐ日が来るじゃろう。

 超えてみたい。どうしても甚兵衛兄の命を終わらせねばならぬなら、自分がとの気持ちもある。しかし、どうやって。

 重位は逆巻く流れをじっと見た。甚兵衛兄の剣は、この渦のように、連綿で切れ目なく、変化に富み予測できない連続技から成る。その剣を見て、ほとんどの相手は攻めが激しいと感じるだろうが、実態は逆で受けの剣だ。相手に打ち込ませ、わざと打ち合って相手の剣筋を掴み、その裏を打って敵を倒すのが甚兵衛の剣である。言葉で表現すれば簡単だが、相手の剣をはるかに上回る剣速と、素早い身のこなしが無ければ出来ない技、おそらく鶴田甚兵衛を除き何者も習得できない剣だ。

 重位は流れに白刃を突き刺してみた。

この渦の流れを止められないのと同じに、剣速の劣る剣では渦流陣の餌食となるだけだ。打ち合ってはだめだ、しかし、打ち合わずしてどうやって勝てと言うのだ。重位はへなへなと河原に腰を下ろした。わからぬ、わからぬ。

 そのときだった。空中をきらっと光る何かが、物凄い速度で近づいてきた。

「何じゃ、鳥か?」

 青い光を放つ小さな物体は、真上から渦に向かって真っすぐに突っ込んで行った。

「!」

 その光が渦に飲み込まれた瞬間、飛び込んだ場所から方円状に波紋が広がり、一瞬、周りの渦をかき消していった。そして、渦が戻る前に、一羽のカワセミが魚を咥えて水の中から洋々と現れ、驚く重位を残し飛び去った。

「つかんだ!つかんだぞ!」

 重位はそう叫ぶと、馬に乗り、一路鹿児島目がけて走り出した。


 同じころ桜島

 溶岩が冷え固まった原に、ぼろぼろの男が寝転がっている。何日も洗っていない服は焼け焦げ、皮膚も所々火傷し、生傷の痕も痛々しい。

 どぅおーん。

 噴火の音を合図に、男はむっくりと起き上がり、両手の長刀を構えた。降り注ぐ火山弾を、凄まじい剣速で叩き切っていく。

「ぃよーし!今回調子いいぞ。いける、いけるぞ!」

 食いしばる歯の一本が折れた。それを口中で転がしながら、男は剣を振り続ける。雨のような火山弾も、終わりが近づいたように思われたとき、人の頭ほどの三つの大きな塊が降って来た。まるで狙うように、男目がけて振ってくる。左右の刀を振るっても、真ん中の塊が頭を直撃するだろう。しかも、避ける暇はなさそうだ。

「なんのー!」

 男は叫ぶと、左右の剣をぶんと振るった。右と左の塊が砕け散る。最後に真ん中の塊目がけ、男は口中の歯を思いっきり噴き出した。信じられぬ勢いに、塊は軌道を変え、男の頭をかすめて落ちた。

 周囲の落下した溶岩弾を見回し、男は歯の抜けた顔で、がははと満足そうに笑った。

「出来た、出来たぞー。名付けて火硫陣、鶴田甚兵衛、待っているがいい。右手の正宗と左手の村正、そして第三の刀。薬丸伴座衛門の三刀流がお主を倒す!」


「ここを下りれば平川村だ。」

 七人衆と五郎丸、鈴は、加世田津から川辺、鈴山の山道を通って鹿児島に入ろうとしていた。困難な任務の筈が、むしろのんびりした道程に、うららかな陽気も手伝って、先程から五郎丸はあくびが止まらない。

「殿はああ言ってたけど、大したことなかったね。」

 忠助が親指を立て片眼をつむって見せた。

「油断大敵、鹿児島に入ったとて注意は怠れぬぞ。」

 五郎丸が言い返した。

「島津家のおひざ元で、いったい誰が襲ってくると言うんだい。だって、義久様もこの謀叛の仲間なんだろう。」

「それはそうじゃが。」

 忠助が困って何か話そうとしたとき、前から猛然と迫る人影が現れた。七人衆に、一瞬緊張が走るが。

「おお、手長、足長の二人ではないか。」

 対となって動く傀儡衆の連絡役が、緊張した面持ちで現れて言った。

「このまま、峠を下りてはなりません!下で敵が待ち受けております。」

「敵とは何者か。」

 喜内の問いは、皆の問いだった。

「島津勢にございます。樺山玄佐を大将、町田久倍を副将とする五百もの兵が、麓に陣を張っております。」

 一同に衝撃が走った。


「なるほど、蟻一匹逃がさぬとはこのことだな。」

 峠から麓を眺め、呑気な口調で半左衛門が言った。

「変わった陣だな、見たことが無い。」

 甚兵衛の問いに喜内が答えた。喜内は島津本家に仕えていたとき、玄佐の組下で働いたことがあった。

「八門禁鎖の陣であろう。軍学好きのあの老人らしいわい。」

 麓には、峠の街道口を中心に柵が設けられ、出入りする人間を全て検める関所の役割を果たしている。本陣と思しき奥の陣には国崩しらしい砲の姿も確認できる。

「義久様もお仲間なんじゃろう。この構えは、豊臣家の手前ではないのか。いっそ、書状を義久様にお渡ししてはどうじゃ。」

 忠助の提案に、次右衛門が頭を横に振った。

「もし義久様に渡せる書類なら、殿は最初から義久様に届けよと言われた筈じゃ。あくまで朱鷺の方様へ届けよと言われた以上、我らの一存で義久様に渡すことは出来ぬ。」

「ではどうするのじゃ。」

 八方ふさがりではないか、忠助はそう言いたげな顔をしている。その肩を甚兵衛が叩いた。

「突破するのみ、それが梅北衆のやり方じゃ。なぁ忠助。」


「まず、五郎丸と鈴、お前たちは下の警戒が解けるまで、手長足長とこの森の中に隠れているのだ。」

 喜内の言いつけに五郎丸は明らかに不満そうな顔をして、鈴に尻をつねられた。

街道から少し入った森の中、たまたま見つけた洞窟の中が、梅北勢の本陣代わりだ。

「わしらも囮にくらいはなれまする。わしの目は遠くまで見通せ、長い腕は熊をも殴り殺せまする。」

「どうか役立てておくんなさい。わしの足は並みの人間には捕まりませぬ。」

 手長足長の必死の願いを喜内は受け入れた。囮の人数は多い方が良いのだ。

「よし、作戦を確認するぞ。まず次右衛門殿がこの洞窟の中で祈祷し、霧を起こす。霧はこの策の要ゆえ、半左衛門と忠助は洞窟を守って敵を寄せ付けぬようにする。」

 次右衛門、半左衛門、忠助が頷いた。これも梅北勢伝統の策だ。

「次いで、わし、甚兵衛、三郎の三名が麓に降り、三方向から霧の中を出会った敵を倒しながら本陣を目指し、敵を引きつける。」

 甚兵衛と三郎が頷く。

「最後に民部だ。霧の中、馬を駆って敵の間を突破し、書簡を朱鷺の方様まで届けるのだ。」

 民部が、愛馬・蒼の鼻づらを撫でながら頷いた。

「その後はどうするんだい。民部さんが包囲を抜けた後は?」

 五郎丸の問いに、喜内は珍しく言葉に詰まった。その後か。

「そりゃあ、三々五々逃げるのさ。湯之尾でいつの日か落ち合えば良い。」

 半左衛門の答えに五郎丸は納得したようだ。

 喜内は内心苦笑した。どうやら、誰も生き残ろうとは考えておらんようだ。

 ここが死に場所か。せいぜい、心残りが無いように暴れるとするか。

「よし!それぞれ配置に付け。」


「霧が出てきたようじゃな。昼の日中に面妖な。これは梅北衆の宮内次右衛門の仕業か?」

 玄佐の問いに町田久倍が頷いた。

「やはり恐るべき敵。味方のときは頼もしうても、敵となれば、その頼もしさの分恐ろしうござる。ただ、御懸念無用、こういうこともあろうかと準備万端にて。」

 久倍が手を叩くと、本陣に三名の修験者の格好をした男たちが現れた。

「我ら、羽黒山、石槌山などで荒業せし僧にござる。わしは鳥海坊、これなるは磐梯坊に阿木名坊。陰陽なる下賤の技など、われらが御仏の力でかき消してくれましょうぞ。」


「霧が薄まって来たぞ、どうしたのだ?」

 半左衛門が洞穴の中へ叫んだ。

「この声が聞こえぬか、読経の音が呪言を遮っておるのじゃ。」

 そう言えば、かすかに念仏の声が聞こえてくる。

「わしの出番だな!」

 忠助と半左衛門、五郎丸に鈴は、協力して朽ち木などを洞窟の前に積み上げ、簡易の太鼓台を作った。

「五郎丸、鈴、すぐに森の奥へ隠れるのだ。霧が復活しても、甚兵衛たちが暴れ回っても、太鼓の音を目がけて、敵の一部が間違いなく押し寄せてくるぞ。」

 五郎丸は鈴に促され、恨めしそうに大弥五郎鎧の方を振り返りながら森の奥へ消えた。

「よーし、始めるぞ!」

 どんどんと腹に響く音が森中に木霊した。忠助は、単純に太鼓が叩けるのが嬉しそうだ。


「どうした!また霧が濃くなってきたぞ!」

 久倍の叫びは修験者たちの耳に届いたかどうか、三名はだらだらと脂汗を流しながら読経を続けていたが、ひとりまたひとり泡をふぃて倒れていった。 


「よし今だ!甚兵衛、三郎行くぞ!」

 喜内の叫びに、甚兵衛と三郎は濃い霧の中、森から飛び出した。喜内も後に続こうとしたとき、ぐらりと地面が揺れた。

「何だ、こんなときに地震か!」


「こっちもそろそろ逝くわよん!」

 熊襲穴の奥深く、短刀を手にした覇王太夫が叫んだ。

「われ、この世に仇なす怨霊とならん。わが祈りと命に応えよ、滅ぼされし熊襲の霊よ、数百年の戦で、理不尽に命奪われし怨霊どもよ。冥府のふたを開け、この世とあの世をつなぎ、いざ現世を地獄へと変えん!」

そう言うと、おのが首を一気に掻き切った。噴出する血に押されるように宙に飛んだ首は、そのまま穴を出て空へと昇っていく。


「空が!」

 鈴が指さした空は、先程の曇り空ではなく、不気味に赤く染まっていた。そして、中空には真っ赤な太陽が輝く。

その間も立っていられないほどの揺れが続いていた。

「どうした!?」

 伏せている五郎丸が、空を見上げてぼうっと立っている鈴に叫んだ。

「冥府の門が…。」

「なに?!」

「地獄門が開く…。」



















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