第47話 謀叛の吉凶
㈠
「日本軍は順調に勝っておるようですな。しかし、李氏朝鮮、屋台骨が腐っておると前評判はあり申したが、これほど弱いとは。この勢いなら、明軍も蹴散らしてしまうのではございもはんか。」
初老の東郷甚右衛門が腕を組み、考え考え言った。
「このまま、順調に勝ち続けるとは思えぬ。いや、ここまでが予定外に順調すぎたのだ。
そのため、前線が突出し、釜山からの補給線は伸び切っておる。我らの九州制覇戦の時と同じよ。早く補給線上の町々の民心を安定させ、補給線の安全を確保せねば、補給分断によって前線が苦境に陥ることは明白じゃ。しかし、渡海の各隊は、朝鮮軍の弱さに驕り高ぶり、はや明に攻め込まんと前しか見ておらぬ。
山がちな朝鮮の陸路の補給が滞る場合、海路を使うしかないが、名将李舜臣の水軍が健在なうちは、それも危ういものじゃ。いずれにせよ、ここ半年が勝負であろう。」
相変わらず、歳久の分析は冷静で合理的だ。しかも、九州制覇戦の自己の失敗に基づいている。説得力は十分であった。
「いずれにせよ、今は国中が勝ち戦に沸いている状態、この時期に謀叛を起こしても、民心はついてこぬのではござるまいか。却って、明や朝鮮との通謀を疑われ、単なる国賊となる恐れすらあるのでは。ここは行動を控えて、日本軍が苦境に陥り、民心が太閤から離れるのを待って事を起こしてはいかが。」
田尻但馬は、元々伊作の百姓であったものを、大力無双の評判を聞いた忠良が士分に取り立てた男だ。諸戦で手柄を重ね、地頭にまで出世したが、それが蛮勇のみによらないことは、この発言からも明らかだった。豪放な見た目によらず、この男の軍隊指揮は、冷静で堅実なものだ。
「いや。」
但馬の言葉を国兼が遮った。
「それでは、渡海軍の犠牲が大きくなってしまう。
この謀叛は、朝鮮出兵の愚行を非難し、軍費調達のため民に塗炭の苦しみを負わす太閤に、もはやこの国を委ねられぬとして起こすもの。予見しつつ太閤の失敗に乗じれば、それ即ち太閤に加担したも同じことじゃ。太閤の出兵による大被害が起きる前に立ってこそ、我らの大義は成り立つ。」
歳久が大きく頷いた。忠辰が口を挟む。
「とにかく急いでくれ。このままでは、江上殿同様、我が軍も渡海を余儀なくされてしまう。」
歳久のこめかみに青筋が浮いたが、国兼の目が短気を諫めていた。公子は大きく一つ息を吸うと、国兼に向けて問うた。
「佐敷の加藤重次は、先日佐敷、熊本から追募した三千の兵を率いて渡海したと聞いた。それでも佐敷には、周辺の村々の情勢不安もあって二千の兵が残っておる。難攻不落に加えて、予想より多くの兵が残ってしまったが、攻略はお主と甚右衛門、但馬の兵、併せて七百で大丈夫か?」
国兼は目を閉じ、腕を組むとしばし考えたのち、大きく頷いた。
「大丈夫でござる。拙者に少しばかり策がござる。」
但馬が大きな目でぎょろりとにらみながら言った。
「本当に大丈夫か。失敗は出来ぬのだぞ。」
国兼は、その全てを吸い込むような清んだ瞳で但馬の目を見つめた。
「大丈夫じゃ、お信じあれ。」
但馬は、初めて見るこの老人の圧力に、脂汗を流しながら何度も頷いた。
㈡
その頃、朝鮮に渡った日本軍は、歳久が予想した通り徐々に補給に苦しみだしていた。ひとつは、補給路に次々と現れ出した義勇軍の存在である。最初の頃は、ひとつの軍の数は多くても三千というところだったが、徐々に軍の規模は大きくなり、万単位の軍隊が補給路に立ちふさがるようになっていた。戦いに慣れぬ民兵のこともあり、軍としての強さは恐るべきものではないが、その気迫はすさまじく、全滅するまで戦い続けることは少なからずあった。そのため、日本軍の犠牲は徐々に無視できぬほど大きくなっていった。そして、それは人より物資に大きく影響した。義勇軍は叩いても叩いても、どこからか湧き出すように現れた。
これは、”張智賢”率いる義勇兵二千の、壮絶なる全滅に影響されたものだった。李氏朝鮮の悪政に疲れ切っていた朝鮮人民は、最初こそ日本軍を歓迎した。しかし、義勇兵の戦いぶりと全滅は、その民族意識を揺すぶった。冷静に考えれば、我々は謂れのない侵略を受けているのだ。義勇軍は、朝鮮人民の中に、そういった意識を目覚めさせてしまった。
もうひとつは、海路における李舜臣率いる水軍の活躍である。日本水軍は全力を挙げて、これを撃退すべく東奔西走したが、地理に明るい朝鮮水軍は、巧みに追撃を逃れ、逆に奇襲を繰り返した。この朝鮮水軍の活躍によって、海の補給路も不安定となり満足に物資が前線に届かなくなった。このことで、前線の軍は、補給を現地調達に頼らざるを得なくなった。しかも、義勇軍の存在が調達を苛烈にした。日本軍の中に、おとなしい顔をしている民が、裏で義勇軍となっているのではないかという疑念が渦巻いていたからだ。民心慰撫はどこへやら、兵糧調達に逆らう民は容赦なく処刑した。最初は日本軍を歓迎していた漢城府周辺の民も、次第に李氏朝鮮の政治のほうがましだったと思うようになっていった。
㈢
謀叛の第一軍として、いよいよ出兵する国兼、但馬、甚右衛門と歳久は、霧島山中にある霧島神宮に参拝に訪れていた。ここは、島津氏が重大な戦の前に必ず参拝する薩摩の国一之宮である。島津氏は、ここで戦勝を祈願し、様々な困難な戦を乗り越えてきた。この宮の神は、特に戦において霊験あらたかであるとして、薩摩中の国人の尊崇を集めていた。
「かの惟任日向守も、謀反の際、琵琶湖竹島の神社に参拝したそうな。その際、不思議なことに、何度引いても卦が凶だったそうじゃ。」
甚右衛門が訳知り顔をして言う。それを但馬は余計な話をすると横目で睨み付けている。一行は無言のまま、長い階段を上ると社殿へと至った。宮司が利久を見つけ、駆け寄ってきて挨拶をした。
「これは、これは公子様。朝鮮へ渡海される前の御祈願でございますか。」
歳久は黙って頷く。
「良きお心がけ、義弘様、久保様、豊久様はお出でになりましたが、義久様をはじめ、ほかのご一族の方がお出ましにならないのを気にしておりました。異国での大変な戦、存分に御祈願くだされ、きっと、霧島神宮の神”天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊”様はお力添えくださいますぞ。」
一行は社殿に上がり、宮司による祈祷を受けた。
祈祷が終わった後、田尻但馬が神籤を引こうと言い出した。島津氏は何度もこの神社に参拝するとともに、吉凶を占ってきたのだ。そして不思議なことに、島津氏にとって悪い卦が出たことは一度もなかった。但馬もそのことを知りぬいている。それだけではなく、おそらく、神宮側が、島津氏を勢いづけるために、わざと良い卦が出るようにしているのだろうと推測していた。よって、この度も、悪い卦など出るはずがない。そう高をくくっていた。
歳久も賛同し、一行はそれぞれ神籤を引いた。
紙を開いた歳久の顔が曇る。続いて甚右衛門、但馬もあっという顔をした。但馬は顔を真っ赤にして宮司を怒鳴りつけた。
「これはどういう悪戯じゃ!ことと次第によっては、いくら薩摩一之宮の宮司といえど容赦せぬぞ!」
あまりの剣幕に、宮司は顔を真っ青にして腰を抜かした。
「なんのことでござりましょう。私には何のことやら一向に。」
但馬は神籤を突き付けながら言った。
「まだしらを切るか。こんな馬鹿なことがあるか!」
突きつけた御籤は”凶”、甚右衛門のそれも、歳久も同じく”凶”だった。
「国兼!お主は?」
但馬の問いに神籤を開いた国兼は、そのまま袂へ入れた。
「なぜ見せぬ。どうせお主も”凶”なのであろう。こんなことはありえぬ。何かの謀に相違ない。この宮司、絞り上げて吐かせてくれる。」
その言葉を聞いて、宮司はぶるぶる震えながら言った。
「それがご神託なら、仕方ないではございませぬか。霧島神宮は、天地神明に誓って小細工などいたしませぬ。それは、神を冒涜する行為だからでござる。」
まだ言うかと、宮司に殴りかかろうとする但馬を、歳久が抑えた。
「落ち着かぬか!お主らしくもない!」
珍しく怒鳴った歳久の様子に、但馬はへなへなと崩れ落ちた。
「御籤というものは。」
場が落ち着いたのを見て国兼が言った。
「宿命に対して警告を発するもの。宿命というものは定められ、変えようのないものじゃ。警告に関しては、気を付けて事を運べばよい。それだけのこと。」
宮司と歳久が頷き、事情を知らぬ宮司が続けて言った。
「さすがは筥崎宮の縁者にあたられる梅北殿。そのとおりでござる。さてはこの朝鮮での戦、大変なものとお見受けいたします。私も微力ながら戦勝を毎日お祈りいたしましょう。」
そのころ、同じ霧島山中では覇王大夫に命じられた酒呑童子と茨木童子が、”鎮護の珠”と言われる宝珠を探し、破壊する作業に追われていた。
「御山を守護する珠を破壊して、覇王太夫の野郎は何をしようっていうんだい。」
茨木童子の問いに、酒呑童子は首を振った。
「この世を地獄にしようとするためとしかわからぬ。我らは、面白ければあとはどうでもよいのだ。」
「そりゃ、そうだね。」
残る鎮護の珠は十個を切っていた。
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