第32話 肥後の風雲

 「戦のためとかで、税の取り立てに注ぐ取り立て、

 このままでは暮らしが立ちゆきまっしぇん。

 ご領主さま、どげぇかしてくださいませ。」

 「この四月に、異国に戦に行くように命令されております。

 田植えなどで忙しくなっときに、

 男手じぇえんぶ(全部)とられてしもうては、仕事になりまっしぇん。

 しかも、生きては帰れぬとか。あんまりでございます。

 何とかしてくださいませ。」

 「このままでは一揆しかないど。

 刀や槍は盗られてしもうたけんど、

 鍬や鎌を作り直して戦うどと,皆で話しております。」


 訴えに押し寄せた百姓や、その妻たちの勢いに、

阿蘇大宮司、わずか十二歳の惟光は困り果てた。

 「無理を言うな。かって五千の兵を動かし、肥後東部に覇を唱えた阿蘇家は、

 太閤によって所領を減らされ、残念ながら、今や大宮司様は大名ではない。

 わずか千石、五十名の兵しか持たれぬ。

 いくら元々の所領のこととはいえ、現領主加藤清正公や太閤殿下と掛け合える立場ではないのだ。」

 家老である仁田水図書がずけずけと言う。

この男、悪気はないのだが、繊細な物言いができない性格だった。


「みなさんのご苦衷、痛いほどわかりました。

まだまだ若輩ですが、私に出来る限りのことをやりたいと思います。」


突然、一陣の爽やかな風が吹き抜けたようだった。

決意に満ちた顔で、阿蘇惟光はきっぱりと言った。

この殿さま、将来、間違いなく名君となるであろうと、その場にいた誰もが思った。


「清正殿との面会も叶わぬ。嘆願書も受け取らぬとはどういうことじゃ!」

熊本城の一室で、仁田水図書が吠えまくった。


加藤家家老の並河宗照が面倒くさそうに言う。

「殿は肥前名護屋城の普請と肥後の政務を、肥前と肥後をひっきりなしに動かれながら行われておる。わずかの時間も取れぬのじゃ。

また、唐入りの件は、一大名の管轄ではない。太閤殿下に直接申し上げられるがよい。大名でもご面会が叶わぬ殿下に、田舎の宮司ごときが会えるとは思えぬがの。」

宗照の口の端がわずかに上がったのを、図書は見逃さなかった。

「今、笑うたな!しかも、田舎宮司じゃと!

神代から続く、尊き阿蘇大宮司家を馬鹿にすることは、

いくら加藤家家老でも許さぬぞ!」

言われて宗照も気色ばんだ。

「笑うてなどおらぬ!これ以上話すことはない。帰れ帰れ!まだ不満があるなら…。」

立ち上がりながら、今度は明確に嗤って言った。

「今度は、加藤勢七千、太閤殿下の配下、指折りの武門の家として、弓矢にかけてお相手しよう。歴史ある阿蘇様に、その勇気がおありならじゃが。」


弾かれたように、刀に手をかけて立ち上がる図書を、惟光の小さい手が押さえた。

「殿……。」

へなへなと座り込む図書の耳に、宗照の哄笑が聞こえてきた。


幼い惟光を無力感が襲っていた。

私は目の前の民さえ救うことが出来ないのか。

横で、図書がぶつぶつと、独り言で不満をぶちまけている。

図書も、どうにもならないと思っているようだ。

阿蘇へと向かう足取りは重い。


惟光には、不思議と思い出される顔があった。

奥目に高い鼻、不愛想な長い顔に、ぴんと張った白いひげ。

なぜか、安堵感のようなものに満たされる気がした。

あの老人と、もう一度話してみたい。


そう思ったとき、目の前に人影が立ち塞がった。

夕暮れ迫る道に、ひときわ大きな姿。


「なにやつ!」

刀に手をかけて、惟光の前に出る図書に、人懐っこい笑顔で大男が話しかけた。

「図書殿、わしじゃわし。隈部親泰じゃ。」

 図書は驚愕した。肥後国人一揆の首謀者である親泰は、太閤の命により、捕らえられ、小倉で処刑されたと聞いていた。

 だが、目の前にいる男は、明らかに旧知の隈部親泰その人だ。

何かのまやかしでも見せられている気がした。


 親泰は、惟光の前で平伏した。

菊池三家老家の一つである隈部家は大名で、石高も動員数も阿蘇氏より上だったが、大宮司阿蘇家はこの肥後において別格、特別な存在だ。

 加藤家で無礼な態度を受けていた図書は、その態度だけで救われる気がした。


「また一揆をおこすのか!」

三人は、夜の闇が濃くなってきた菊池川の河原に腰を下ろしている。

性懲りもないやつ、仁田水の顔にそう書いてあった。

「当たり前だ。民の苦衷は、佐々家の専横のときよりずっと酷い。わしらは肥後の武家として、肥後の国民を守る義務がある。そのためなら、命ある限り戦うさ。」

親㤗は固い決意に満ちた顔で言った。

「しかし、勝てるか?前とは違う。この苦衷は太閤自らもたらしているもの、つまり太閤率いる何十万もの兵と戦うことになるのだぞ。」

以前の国人一揆では、序盤は菊池一族三万の兵が佐々勢五千を圧倒し、織田家有数の勇将佐々成政を、肥後から追い出した。その時ですら、押し寄せる太閤本隊に、親㤗は惨敗を喫しているではないか。


「今度は大丈夫だ。」

親㤗は自信に満ちて言った。

「なぜなら、菊池一族に伝わる伝説が、現実のものになったのだから。」


(四)

 にわかには信じられない話だった。

菊池一族に伝わる伝説のことは聞いたことがある。

あるとき、菊池一族に守り神、龍の生まれ変わりたる姫が誕生し

菊池一族を率いて天下を治めるといった話だ。

龍の生まれ変わりなどあろうはずがない。

長年、阿蘇大宮司家に仕える図書ですらそう思った。

しかし、親㤗はそう信じている。自分が生きているのが、何よりの証拠だと言う。


「仮にそうだとして、何十万もの軍勢と、どう戦うのじゃ。」

まさか、龍が現れて敵と戦うのではあるまい。半ば正気を疑いながら聞いた親㤗の戦略は、意外にしっかりしたものだった。

 既に島津、大友、龍造寺などの一部と協力関係を作り、兵力は菊池一族が三万、島津で五千、龍造寺二千、大友一万、他の九州の協力大名を合せて五万以上の兵力を確保している。

 太閤が肥前名護屋城に入り、豊臣方の九州諸大名がおおむね渡海した隙をついて挙兵し、五万の兵で海と陸から太閤を急襲する。

袋の鼠となった太閤を討ち取れる可能性は高い。このようなものだ。


「どうじゃ、阿蘇大宮司家も一味に入って下さらぬか。阿蘇家が一揆に加担したと広まれば、太閤に不満を持つ旧臣たちや兵など五千近くが集まって来るじゃろうし、肥後地場の大名である相良家三千などは間違いなく味方となるはずじゃ。」


 今となっては、民の苦衷を救うには他に手段は無いようにも思えた。しかし、失敗すれば家や命に関わる重要な決定である。惟光は返事を保留し、家臣や姉の火弥呼に相談することにした。


「阿蘇大神、健磐龍命様にお伺いを立てましょう。」

悩む家臣たちの前で、火弥呼が言った。

それしかない。阿蘇家の意思決定としては、それが一番の方法だった。

翌日、さっそく煙を上げる阿蘇中岳に祭壇が築かれ、火弥呼の祈祷が開始された。

榊と橘を両手に持った火弥呼は、華麗に舞いながら祈祷を続ける。

祈りは一刻以上続けられた。

阿蘇の地響きが次第に強くなっていく。

「惟光様、これ以上は危険です。」

図書が言う。惟光も心配だったが、神事を止めることはできない。

火口から火柱が噴出した。皆思わず地に伏せる。

一瞬の火柱が収まった後、火弥呼は祭壇に倒れていた。

駆け寄って抱き起す惟光。


火弥呼は目を開けると、弟の頬を触り涙を流して言った。

「全ては定められたこと。それがどれほど過酷なものでも。

我らは神の血筋として運命に従わねばなりません。」


惟光は、姉の言葉に静かに頷いた。











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