第31話 百鬼夜行
㈠
丹後の国大江山、かって伝説の鬼が根城にしたと伝えられる山道を、一人の僧が歩いている。
峠の近くまで来たとき、月明りの下、ひゃあひゃあと掛け声を出しながら、藪から数十人の野武士たちが現れた。
「おお坊主、身ぐるみ脱いで置いていけ。」
髭だらけの大男が叫ぶ。
笠の下に頭巾をした旅の僧は尋ねた。
「最近、ここ大江山を荒らしまわっている鬼面党とは、そなた達か?」
髭だらけの大男が高笑いした。
「がははは、世間に聞こえたか!そうともよ、俺たちは泣く子も黙る鬼面党!俺はその首領、百人力の地獄極楽丸さまだ!」
どさっ。
高笑いしたまま、首が胴から離れて夜の山道に落ちた。
そのまま麓へごろごろと転がり出す。首を失った胴体は、所在無げに立ち尽くしていたが、切れ目から噴水のように血を吹き出すとどうと倒れた。
「ひぃぃぃぃぃ!!」
野武士たちが腰を抜かしてじりじり下がっている。
「鬼面党だって、地獄極楽丸だって、よく言うよ。ただの馬鹿力が!」
僧侶はそう言うと、腰を抜かしている野武士たちを振り返った。
月明りに目が怪しく光る。頭巾の中から焼け焦げた顔が覗く。
「ば、ば、化け物。」
誰かが叫んだ。聞いた覇王太夫はにやにやしている。
「そうだよ、化け物だよ。しかし、お前たちはどうだい。
人を殺し、犯し、財宝を奪う。老若男女変わりなくだ。
民にとっちゃあ、お前たちの方がよっぽど化け物じゃないのかい。」
這いながら逃げようとする一人の襟首をつかんで引き起こし、耳元で囁いた。
「お前たちの砦に案内してもらおうか。
金に女、そうとう貯めこんでいるんだろう。」
㈡
野武士たちの砦は、山中の洞穴、
かって京を荒らしまわった鬼、
酒呑童子が根城にしたと言い伝えられる場所にあった。
そこには、地獄極楽丸が里からさらって情婦にしていた
数人の若い女たちと、溢れんばかりの財宝があった。
「お坊様、お助けください!」
娘たちは、救い主とばかり、覇王太夫にむしゃぶりついてきた。
「よしよし、お前たち、怖い目に会ったね。
おお柔らかい。趣味は違うけど悪い気はしないね。」
野武士たちがおずおずと聞いてくる。
「あのー、案内しましたんで、わしらはもう行ってもよろしいか?」
娘たちをまさぐりながら、覇王太夫はとぼけた感じで言った。
「そうねえ、手間の省ける場所に砦もあったことだし、
儀式には人数も十分、そろそろいいかしらね。」
野武士たちが何かを感じて逃げようとする。
その手や首にしゅるしゅると黒いものが巻き付く。
「なんだこれ!」
「髪だ!髪の毛!」
野武士たちの悲鳴が響き渡る。
「忍法髪切り丸!久しぶりに使うねえ。」
方々で間欠泉のように血が噴き出した。覇王太夫の腕の中の女たちも倒れる。
「調子が悪いねえ。まだ体が完全にくっついてないからかねえ。」
ひとりになった静寂の中で、珍しく覇王太夫は愚痴った。
「とにかく、国兼も謀叛に向けて仲間を増やしたことだ。
我もこの世を地獄にするため、強い手下を得る必要があるね。」
死体を集めると、蝋燭を地面に十字に配置し、聞いたことのない呪文を唱えだした。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり。なんてね。」
呪文に併せて、死体から血が斬りのように吹き出し、何かの形に固まっていく。
「ここ大江山で、ときの支配者に滅ぼされし
酒呑童子よ、茨木童子よ。
今こそ復活の時、
我に手を貸し、にっくき人間どもを滅ぼし、この世を地獄に変えるんだ。」
㈢
大坂茶臼山、
満月の明かりの下、大阪城が一望できるこの山に国兼たちはいた。
「太閤は、大坂にいるのかな。」
五郎丸の問いに、半左エ門が首を横に振った。
「わからん、だが聚楽第を関白に譲った以上、いる可能性は高いな。」
城をじっと見つめる国兼に、喜内が言った。
「いよいよ、始まりますな。今度は、我々侍の命をかけた大勝負が。」
目線をそらさずに国兼は言った。
「侍のみの勝負ではない。未来を求める全てのものの勝負だ。」
甚兵衛と忠助が頷いた。
そのとき、鈴の髪の間からぴょこっと耳が飛び出した。
「何か来る!」
不思議な感覚だった。みんな首の後ろがちりちり気持ち悪い。
月明りを隠すように、空一面に黒いものが、まるで沸きだすように広がっていった。
「あれは何じゃ。」
天守で淀の方などと月見の宴をはっていた太閤秀吉は、突然暗くなった空を見た。
淀の方が魅入られるように暗い夜空を見上げている。
侍女たちから悲鳴が上がった。
ぎゃっ、ぎゃっ
気味の悪い鳴き声が木霊する。
黒いものは次第にその正体を現していった。
骨だけの烏、翼のある骸骨、青白く燃える火の玉、
何千何万という妖が空を埋め尽くしていた。
「これはどうしたことじゃ。わしは悪い夢を見ておるのか。」
太閤は何かに操られるように、よろよろと窓際に進んだ。
後ろから石田三成がしがみつく。
「殿下、危のうございます。」
「おお、佐吉か、これは一体何じゃ。」
うつろな目で秀吉が聞く。
「こんなことが現実に起こるわけはありませぬ。何かのまやかしかと。」
三成の言葉は、響いてきた高笑いに遮られた。
㈣
「おほほほほ、愚か愚か、現実か幻かの区別もつかず。
理解できぬものを全てまやかしと説明するとは。
石田三成、たいした知恵者ではないのお。」
妖の中心に、豪奢な小袖を着流し、鬼の面を被った男がいる。
宙に浮いて!
「何者じゃ!太閤殿下の御前で無礼であろう。このまやかしを解け!」
気丈に言い放つ三成を、覇王太夫は笑い飛ばした。
「あははは、まだまやかしと言うか。いいだろう、まやかしついでに紹介しよう。復活なった伝説を。太閤よ、しかと見るがいい!」
彼方から高速で真っ赤な火の玉が飛んでくる。
ぶつかる!天守にいる人々は、三成含めて必死に床に伏せた。
火の玉は、天守の窓の外ぎりぎりで静止した。
赤い炎を全身にまとった、
軽々と十尺を超える筋骨隆々の裸の大男が宙に浮いている。
黒い長髪をなびかせ、すっきりと凛々しい顔立ち。
しかし、肌の色は炎より赤く、額には二本の長い角、
口から飛び出した二本の牙が上に伸びている。
「どうだい、美々しいだろう。
これがこの国の鬼の頭領にして、伝説の邪龍”八岐大蛇”の息子、
赤鬼”酒呑童子”だ。」
驚く間もなく、空に青白い稲妻が走り、
轟音と共に大阪城の天守の屋根の一部を破壊した。
大地震のような振動に、侍女たちの金切り声が上がる。
いつの間にか、酒呑童子に寄り添うように、
青い雷をまとった裸の女が、窓の外に浮いている。
六尺を越えた長身に筋骨隆々の身体、美しい顔に一本角、
口から下に向けて生えた二本の牙、
そして酒呑童子と異なり、全身が青白い姿。
「怒っているねえ。
こやつの方が、ときの支配者への恨みは強いようだねえ。
見たかい、これが火雷天神の娘にして、酒呑童子の妻、
青鬼”茨木童子”さ!」
「お前の声、聞いたことがある。
あの時の坊主だな。一体、何の目的でこんなことをする。」
三成の問いに、覇王太夫は鼻で笑って答えた。
「よく覚えてたね。そこは流石と言っておこう。
いやね、今日は日の本の支配者様へのただのあいさつさ。
これからこの国を地獄に変えるよってね。」
天守に、ばらばらと鉄砲を携えた武者たちが駆け上がってきた。
一斉に銃口を覇王太夫たちに向ける。
覇王太夫、酒呑童子、茨木童子は、その姿を見て哄笑した。
「いいねえ、面白いじゃないか。やってごらん。」
覇王太夫を睨み付けて、島左近が叫ぶ。
「放て!」
轟音と共に硝煙が天守を包む。
煙が晴れたとき、何食わぬ顔で笑う覇王太夫たちの姿がそこにあった。
「あははは、太閤殿下、己の無力さを思い知ったかい!」
左近が、ぎりぎりと唇をかみながら指示を下す。
「弾こめ、急げ!」
「無駄だよ!」
初めて口を開いた茨木童子の放った雷は、波形を描きながら、
窓に並ぶ武者たちを吹き飛ばした。再び響く哄笑。
その哄笑を中断させたのは、茶臼山から放たれた一閃の青い光だった。
何万という骨の烏や翼もつ骸骨たちが、悲鳴をあげ乍ら溶けて落ちる。
「ちぃぃぃ、あのじじいが近くに居たのか!」
覇王太夫は忌々しそうに茶臼山を見て、酒呑童子たちに目配せした。
「太閤殿下、今日はこれにて。これから巻き起こる地獄の様をお楽しみに。」
そう言うと、赤黒い炎に包まれ、二人の鬼を引き連れた覇王太夫は、百鬼夜行ともども何処へか飛び去った。
「殿下、お怪我はございませんか。」
頷く太閤は、おろおろと窓の外を見た。
「なに、ただのまやかし、何かの手妻にございます。」
そう言う三成に、秀吉は頭を振りながら怒鳴った。
「佐吉!よく見よ。これがまやかしか!」
秀吉の示す先には、瓦礫と化した天守の一部と武者たちの亡骸があった。
㈤
「大丈夫ですか。」
胸を押さえて座り込む国兼に、喜内が手を差し出す。
国兼は手を振り、よろよろと立ち上がった。
降魔の槍の使用による肉体の消耗が激しくなっている。
命がいよいよ残り少なくなっているようだ。
「覇王太夫め、一体何を。」
そういう半左エ門にも、国兼は頭を横に振った。
何をする気かはわからないが、大変なことが起きようとしているのは間違いない。
それでも、国兼たちにはやるべきことがあった。
それに向けて進まねばならない。
「薩摩へ、引き上げるぞ。」
国兼たちは、再び戦乱の地となる九州へと向かっていった。
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