第30話 天下を望むもの

「じいさん、酒はあるかい。」

みんなに酒を注ぎまわっていた、気のよさそうな作業頭が聞いてきた。

「へえ、ありがとうございます。」

老人は欠けた木の椀を差し出した。白濁したどぶろくがなみなみと注がれる。

「今宵は特別、黒田の殿様からの振る舞い酒だ!まだまだ、たくさんあるぜい。みんな、飲んでくれい!」

全員がおおと声を上げた。みんなにほっとした空気が漂っている。海の近くで、所々に地下水だまりなどがあり、難航を極めた城の地下道の工事がやっと終わったのだ。

老人はだらしなく酔っぱらう職人たちを見ながら、椀を口に運んで、一瞬うんと眉をひそめたが、いい匂いのする酒を、そのままくいと飲み干した。

「あれれ、うまい酒に酔いすぎたかな、足腰が立たねえ。」

先ほどの頭が、よろよろしている。

「これは!体がしびれて……。」

あちこちで、うめき声が上がりだした。

それが合図のように、宴会場となっていた砂浜に数人の侍が走りこんできた。刀を抜き放つと、次々に動けぬ職人たちを斬り殺していく。


(二)

「済んだか?」

庭先に平服する又兵衛に、官兵衛は聞いた。

「はは。」

短く答える又兵衛に官兵衛は再び確認する。

「間違いなく全員か?」

「作業人別帳と、人数を照らし合わせましたので間違いございませぬ。」

そうかと官兵衛は月を見上げた。少し安堵の表情が見える。

「ひとつ、お聞きしてもよろしゅうございますか。」

この武骨者には珍しいことを言った。

「何だ。」

月を見上げたまま官兵衛は言った。

「合点がいかぬのは、あの長大な地下道の出入り口でござる。大きさからして緊急時の脱出用でなく、攻防時に兵が出入りするためのものでござろう。しかし、まず城側出入り口でござるが、兵が城に出入りするためのものにしては不便な、城内数か所の空井戸の底に隠すように置かれておる。外の出入り口はますます面妖、城から大分離れた林や山の裏側に続いておる。これでは、防御戦で敵を奇襲するのに不便でござる。まるでこれは城を守るというより…。外から侵にゅ……。」

ここまで言って又兵衛は気が付いた。地下道の工事の秘密は厳密に守られてきた。職人どもを皆殺しにしたのもそのためだ。しかし、普請を共に行う加藤勢や細川勢など他の大名家にまで隠す意味は何だ。恐ろしいことだが、思い当たることは一つだった。

「どうした。続けぬか。」

官兵衛が又兵衛の内心を見透かしたように言った。

言葉に詰まる又兵衛に追いかぶせるように問う。

「又兵衛よ、この城は何のために縄張りしたと思う。」

「それは、唐入りの前線基地として。」

「そうじゃ、巨大な町家を整備し、大阪のように、多くの民を移住させたのは、確かにそのためよ。それでは、海を隔てての前線基地に、数十万の軍勢にも耐えられる防備を敷いたのはなぜじゃ?」

「それは、万が一大陸から明、朝鮮の軍勢が攻め寄せた場合の防備として。」

戦術家でもある又兵衛は、はっとした。

「そうじゃ、海からくる敵が、なぜわざわざ防備の整ったこの城を狙う?わしだったら、こんな城は置き捨てて、直接博多に上陸する。」

主人の言いたいことがすべてわかった気がした。体が震えてくる。

「それでは、この城は!太閤殿下のための城では無く……。」

官兵衛は答えず、また月を見た。その顔は、うっすらと笑っているようだった。


半ば完成した城の屋根で黒い影が動いた。

先ほどの老人である。

「天下の軍師官兵衛。やはり、只者ではないの。」

一言そう言うと、山蜘蛛は闇に溶けるように消えた。


「こちらでございます。」

 千早赤阪村に迎えに来た小男が、国兼たちを柳生屋敷の奥へ案内していく。

この屋敷の主である石舟斎すら、奥へ行くのは禁じられている様子、いったい何者が待つというのだろう。考えてみたが、半左エ門には見当がつかなかった。先ほどから握り飯にむしゃぶりついている甚兵衛はもちろん、忠助や五郎丸も何も知らされていないようだ。国兼と喜内のみ、その正体にうすうす気が付いているようだった。それも何だか面白くないような気がする。珍しく半左エ門はそう思っていた。

奥の間の入り口に、若い侍が正座していた。長身で目元爽やかな好漢だ。

国兼を見るとにこりと微笑んで一礼し、中に何やら声をかけて障子を開けた。


中には二人の男がいた。

長身で無表情、冷徹な感じのする中年男。

背が低く、陰鬱な表情を浮かべて、畳に埋もれるように座る痩せた初老の男。

初老の男が案内してきた小男に行った。

「半蔵、ごくろう。」

小男は一礼して下がった。

国兼のみが通され、障子が閉められた。

国兼は周囲を見回し、無礼な感じで、どっかと腰を下ろし胡坐をかいた。

初老の男のこめかみがピクリと動いたが、男は何事もなかったように話し出した。

「梅北国兼殿か?」

国兼はじろりと睨んで言った。

「人に名を問うなら、己から名乗るが礼儀であろう。」

瞬間、長身の中年男が片膝を立てた。初老の男が片手で抑える。

「失礼した。しかし、初対面の相手に胡坐を組むのは薩摩の礼儀か?」

国兼はフフンと鼻で笑って言った。

「理由も聞かせず、何者かもわからず、突然呼び出しておいて礼儀も何もなかろう。」

中年男がむっとした顔をしたが、初老の方は楽しげに笑った。

「気に入り申した。そうでなければ、このような大事は話せぬ。」

初老の男は、正座をやめて胡坐を組むと言った。

「わしの名は本田正信。これなるは石舟斎殿の嫡子、柳生宗矩殿じゃ。二人とも、内大臣徳川家康公の家臣にござる。」


「内府の家臣が、わしに何用じゃ。」

傲岸不遜な感じの国兼に、正信はニタニタと、気持ちの悪い笑みを浮かべている。

「お隠しあるな。そちたちが企み、全て調べはついておる。」

「何のことだ?そちたちとは誰のことだ。」

表情を変えない国兼に、宗矩がいらいらした様子で言った。

「とぼけるな!伊賀の半蔵の手の者によって、半年前から調べはついているのだ。」

「だから、何のことだ。」

ぞわりと空気が凍り付いた。外へも緊張が伝わる。


甚兵衛たちは気づいていた。この屋敷、囲まれている。百や二百ではなかろう。柳生の手勢ではない。柳生だけでもやっかいだが、この目の前の若者も尋常な腕前ではない。呼び出した主は、ほかにも相当な手練れを用意しているのだろう。

「交渉が破れたら、ひとりも生かしては返さぬ気じゃな。」

喜内が呟いた。

忠助の額に汗が浮かぶ。


「太閤殿下への謀反!謀主島津歳久の下、お主は動いてきたのではないのかな。」

じりじりした様子で正信が言った。

「わしは誰の指示でも動いておらぬ。調べているなら、わかっているはずじゃ。」

国兼は顔色一つ変えない。

「嘘をつくな!お主が虎居から阿蘇、菊池、そして京大阪と動いたことはわかっておるのだ。わしらが最前から掴んでいた謀反と呼応した動き、お主が謀反に加担しておる何よりの証拠じゃ。」

宗矩が大声で怒鳴った。

「何が嘘か!滅茶苦茶なことをいうでない。お主らが謀反と呼ぶ、その関係者と会っただけでわしが謀反に加担したことになるのか。」

国兼の指摘に、宗矩はうっと詰まった。


「何か勘違いしてはおられぬか。」

正信の声の調子が変わった。

「わしらは謀反を暴き立てたり、責め立てるつもりはない。そんなつもりなら、こんな山里で密かに会ったりはせぬ。なぜなら、わしらも最近の太閤殿下のなされようには疑問を感じておるからじゃ。特に唐入りは、何の得もない暴挙じゃとすら思っておる。腹の探り合いは、もうやめようぞ。」

今度は国兼が問う番だった。

「それは、五大老筆頭たる徳川殿の考えか?」

正信は、迷いなくそうじゃと答えた。

「ならば殿下に意見されれば良い。大老筆頭ならば、それは可能じゃし、豊臣家に忠義を尽くすならばそうすべきではないのか。」

また、宗矩が立ち上がりかけるのを正信が抑えた。

「そう出来るなら、とうにやっておる。大変失礼ながら。」

正信が声を潜めて言った。

「最近の殿下は物狂いなされておる。何の甲斐もない唐入りに憑りつかれ、まっとうな意見を聞く耳、全く失われてしまって居る。残念なことじゃ。」


「唐入りに甲斐なしとはどういうことじゃ。」

正信の一言は国兼の興味を引いた。


「考えてもみよ。敵と戦いながら、一国を手中にするのは大変なこと。言葉の通じぬ異国ならばなおさらじゃ。しかも、最終的な敵は明軍数百万、総兵力40万に届かぬ我が国にとってこれほどの大戦、大将の作戦の下全員一丸となって戦わねば勝利は難しい。もしこの戦、本気で勝ちを収めるつもりなら、大将は戦況の変化などに素早く対応するため、少なくとも大陸におる必要があろう。しかし殿下は本拠を海を隔てた肥前名護屋に置かれ、そこから指揮を執るという。国兼殿、おぬしは武将として、何百里、波濤を隔てた指揮、目の前の状況を何も見ない指揮に従って勝てるとお思いか。」

この意見には、全く同感であった。豊臣家中枢にもこういった意見があるのか。


「さらに、大戦で肝要な兵糧の手配が甘い。加藤清正などは、足りぬ分は現地で調達すればよいなどと素人のようなことを言って居る。殿下に気合を示したいのであろうが、無用な追従じゃ。兵糧を誤って勝てた戦など今まで無いというに。不思議なのは三成じゃ、あれほど計算が立つ男が、まるでわざとのように兵糧の手配をいい加減にしよる。噂になっておる戦い前からの和平交渉、本当の話と思わざるを得ん。しかし、本陣が和平交渉をしているのを知らされず、命がけで戦わされる武将や兵たちはどうなのじゃ。ゆえにこの戦い、甲斐なしと言ったのじゃ。」

国兼は頷いた。全く同感である。


「で、徳川殿はどうしようと思われているのじゃ。」

国兼の率直な問いに、正信の声が一層低くなった。

「唐入りを止めねば、この国が傾く。しかし、太閤殿下が生きてござる以上、止めることは不可能じゃ。となれば答えは一つ。」

国兼に顔を近づける。

「太閤殿下のお命をいただき奉る。これしかあるまい。のお、国兼殿。」

正信の目が、猫目のように怪しく光った気がした。


「どうやって、命をいただく?」

もはや腹芸は無用だった。ここからは、お互い命を懸けた問答になる。

「さて、そこよ。島津歳久殿と通謀しているにせよ、せぬにせよ。おぬしに謀反の志あることは疑いなしと見た。殿下と面談のあと、千早赤阪村を訪ねたのが良き証拠じゃ。ここからは、おぬしの存念を聞かせてはくれぬか。」

正信の要請に国兼は首を振った。

「一味同心で無い者に、仔細を明かすことはできぬ。」

正信の語気が強まった。

「我らとて、ここまで腹を割って話しておるのじゃ。楠正成に準えたお主に対し、内府様は共に北条家に謀反した足利尊氏になろうとまで言われた。我らは、すでに一味同心ではないか。」

しかし、国兼は首を振り続ける。

「内府ご本人からお話を聞くまで信用ならぬ。」

これを聞いて正信は怒鳴った。

「内府様の、一の謀臣たるわしが信用ならぬてか。」

「だからこそじゃ、信用ならぬ。たばかられては大変じゃ。我ら命を懸けるのじゃからな。襖の後ろで息を殺し、聞き耳を立ててござる御仁と、話をさせてくだされ。」

「!」

宗矩が刀に手をかけて立ち上がった。今度は正信も止めない。

国兼は座ったまま、不敵な笑みを浮かべて動かない。

正信の後ろの襖が、がらりと空いた。

でっぷりと肥満した初老の男が立っている。

男は国兼に向かい、ぶっきらぼうに言った。

「わしが家康じゃ。」


 国兼と家康の対面は、ぎすぎすとした緊張感に包まれて始まった。

初対面ではない。先日、聚楽第の歌舞伎で、お互い顔くらいは確認している。

持って生まれた相性もあるのだろう。

一味同心となるべき両者の溝はなかなか埋まらないように思えた。


「ここまで言うても信用できぬか。」

「謀反が必要ということはわかり申した。では、お聞きしたい。徳川殿は天下をお望みか?」

ごくりと、唾をのむ音が聞こえた。

「望む。と言うたらどうする?」

家康が逆に問うた。

「それが思い描く民のための世になるならば、わしは徳川殿の天下でも別段悪くはないと考え申す。」

正信が言った。

「わが領地の民の声を聴いてみよ。みな、内府様に感謝しておる。」

国兼は頷いた。

「徳川殿が、民百姓を大切にされているのは世間に聞こえており申す。わしが望むのは、百姓ばかりでない民のすべてが自由に活き活きと暮らせる社会。」

国兼の言っている意味が、家康には今ひとつ分からなかったようだ。

「どういうことだ?」

「まず、太閤殿下が定められた身分を失くす。今四民に加えられておらぬ者も含めて、四民平等にして、民のための制度を整備する。施薬や衛生を整え、街道を整備し、自由な商売を可能とする。政をなすものとして、原点に立ち返り、民のために太平の世を作っていくこと。」

正信が鼻で笑った。

「そのような世、実現できるか。」

国兼の声が大きくなった。

「なると思えばなる。ならぬと思えばならぬ。」


家康は頷いた。

「民のための政も、太平の世もわしが若いころから望んだことと同じじゃ。約束を致そう。」

国兼は続けて言った。

「あとひとつ、一味同心のものを募るにあたって、次の天下人は徳川殿と決まっておるのでは、いかにも都合が悪い。個人の野心に加担する謀反に成り下がる恐れがあるからの。結果としてそうなるのはやむを得ないとしても、徳川の天下取りのための謀反加担でないことは明言いただきたい。」

顔を真っ赤にして立ち上がりかける正信と宗矩を抑えて、家康は頷いた。

「承知しよう。」


「最後に、誓詞を入れていただく。ここに熊野護王の誓詞がある。徳川殿の太閤殿下に対する謀反への加担は、この誓詞に誓っていただこう。」

聞いて家康も一瞬立ち上がったが、この場は仕方ないと腹を決めたようだった。

家康は筆を持ってこさせ、国兼とともに誓詞に署名した。


「これで我らは一味同心ということでいいな。」

家康の問いかけに国兼は頷いた。

「よかった。謀反の全てを教えてくれ。その前に。」

家康は手を打った。

先ほどの若侍が現れた。

「これはわが近習、武田家旧臣、秋山信友の末裔であって、名は秋山和之進と申すもの。年若じゃが、気の利いたる者で、剣豪伊藤一刀斎の秘蔵の弟子じゃ。今後、我らの連絡役をやってもらう。よろしく頼むぞ。」




















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