第29話 柳生の里

 大和の国、古都奈良の南方の山中に柳生の里はあった。領主柳生石舟斎は、柳生新陰流の二代目であり、諸国に多くの門人を抱えている。隅に雪がまだ残る山道を、柳生石舟斎の高弟である荘田喜左衛門、村田与三、木村伊助の3人が歩いていた。

「お主知っておるか。若殿宗矩さまのお客人が、柳生の里に数日逗留されているらしい。そうとうにお偉い方らしいぞ。しかし、こんな何もない山里に何用かの。」

与三が言った。

「しっ、その話は他言無用であるらしい。何やら仔細があるようじゃ。」

一番古株、兄弟子の喜左衛門が言った。

「かまうものか、こんな山の中、猿や鹿はともかく、誰かに聞かれる可能性はないわい。」

与三はむっとしたようだった。

「二人ともやめぬか。」

一番年上の伊助が言った。この男は浪人だったが、最近柳生家に仕えるとともに弟子入りした男だ。筋が良くみるみる高弟の仲間入りを果たした。伊助には息子があり、その息子十歳の助九郎も石舟斎の弟子となっているが、父より筋が良いともっぱらの評判である。

村の入り口まで来た三人は、何やら騒ぎが起きているのに気が付いた。

思わず駆け出した三人は、どろどろに汚れた一人の男が村人ともめているのを見た。


「だから、雪の山中を彷徨って七日、何も食べておらんのだ。申し訳ないが握り飯のひとつでも食わせてもらえんかと頼んでおるだけだ。」

村人は同じ言葉を繰り返している。

「今は大切なお客様だお出でで、殿さまから誰も村に入れてはならんときつくお達しが出ておるのです。お引き取り下せえ。」

その男は道に座り込んだ。

「そう言っても、腹が減って一歩も動けそうにない。頼む!おも湯いっぱいでもよいから。」

困っている村人の向こうから、わらわらと門人たちが走ってきた。

「こいつか、怪しい奴は。」

「なるほど、こんな雪山の中にいるには、軽装過ぎる。怪しいぞ!」

「腰にさしている刀を見ろ、普通のものではない。こやつ、どこぞの忍びではないのか。」

「かまわん、斬り捨てよ。」

誰かが叫んだのを合図に一斉に刀が抜き放たれた。


「あーあ、いかんぞ。」

伊助が叫ぶ。遠目にも所作でわかる。門人どもが敵う相手ではない。

その分、怪しい奴と言うことは間違いないが。

案の定、男は門人の一人の刀をあっさりと奪うと、十数人の門人をあっという間に地面に這わせた。どうやら、斬ってはいない。峰打ちのようだ。

村人が慌てて逃げ出した。

村の入り口に着いた三名は、怪しい男を取り囲んだ。


「お主、何者だ。この柳生の里に何用だ。」

喜左衛門が、油断なく構えながら問うた。三人で男の周りをじりじり回る。


「なんだ、ここは柳生の里だったのか。おおちょうど良かった。大阪まで来たついでに、一度石舟斎殿にお目にかかりたいと思っていたのだ。」

とぼけた調子で言う男に、三人の疑念は深くなった。

「我が主の名を知っておるとは、やはり怪しいやつ、どこぞの間者か?それとも、先生に恨みでもある者か?」

与三が刀に手をかけた。


「おいおい、こっちは争う気はないんだ。」

男は、ぽいと奪った刀を放った。

「うちの門人を打ちすえておいて、何をとぼけたことを言う。ますます怪しいやつ。喜左衛門、ここは新参のわしが相手をしよう。」

伊助の言葉に、喜左衛門は男から目を離さず言った。

「わかった。ただし殺すなよ。何の目的か確かめる必要がある。」

承知と言いながら、伊助はすらりと刀を抜き放った。


「やれやれ、少しは腕の立つ相手と見た。ちょっとばかし本気を出すとしようか。」

甚兵衛は、そう言って宝刀『神威・古丹』を抜き放った。


「なんだ、この剣法は。」

喜左衛門が驚いて言った。

「こんな剣、今まで見たことが無い。」

与三の額に汗が光った。


出足鋭く打ち込んだ伊助の剣が弾かれた。

後は、四方八方から高速で飛んでくる相手の剣に防戦一方だ。

まるで激流に翻弄される木の葉、

きりきり舞いする伊助が生きているのは、敵に殺す気が無いからだろう。


ますます怪しいやつ、これほどの腕の武芸者が何の目的か。

若殿の客人の命か、それとも師匠の命か。

師匠が後れを取ることはないだろうが、もしやのこともある。

とにかく、これ以上、この男を村の中に入れることはできぬ。


しかし、伊助でもこの始末、単独で戦っても、わしや与三でも敵わないだろう。

ここは、我ら三人、命がけでかかるほかない。


「与三、伊助、どうやら命のかけ時の様だ。柳生新陰流奥義三位一体を使うぞ。」

おおと叫んだ伊助は飛びのき、その後ろに与三、喜左衛門の二人が並んだ。


聞いたことがある。

甚兵衛は思った。

柳生石舟斎が、戦場での実戦剣法として編み出した奥義。

三名が一体となって動き、先頭の者がわが身を犠牲にして相手の剣を奪い、

後方の一名が相手の動きを抑え、残る一名で止めを刺す。


聞いた通りだ。

先頭の伊助は刀を捨て、両手を広げて構えている。

柳生新陰流無刀取りの構えだ。

後ろの与三、喜左衛門の二人は左右に開いて、

それぞれ右前、左前に霞の構えをとっている。

むやみに突っ込んでは、伊助に組み止められ、

残りの二人が、伊助ごと甚兵衛の身体を真っ二つにするだろう。どうするか。


瞬間の判断だった。

甚兵衛は、伊助に真っ直ぐ突っ込んでいく。

体格に優れた伊助が、小兵の甚兵衛を組み止めようと手を伸ばす。

その手をかいくぐり、高く跳躍した甚兵衛は、伊助の頭を踏みつけた。

そのまま、さらに高く飛んだ甚兵衛に、後ろの二人は意表を突かれた。


「俺を踏み台にした!」

降下してくる甚兵衛に、慌てて斬りつけた与三の刀を身を捻って躱し、身をかがめて下へ潜り込むと、あごを刀の柄で強かに打った。

与三はのけぞると、そのまま地面に倒れ頭を打って気を失った。


しゃがんだ甚兵衛に、今度は喜左衛門の刀が振り下ろされる。

その刀を、神威古丹を交差して受け止めると、

神威を滑らせ、喜左衛門の水下を柄で激しく突く。

息が詰まり、うっと蹲る喜左衛門を振り返りもせず、

刀を拾って斬りつけてきた伊助に向かい、素早く古丹を振るうと、

伊助の刀はその手を離れて宙に跳ばされた。

肩を脱臼したのか、伊助は右肩を押さえて転げまわっている。


あっという間の出来事だった。

地面に倒れている門弟たちも、いや、喜左衛門ら高弟ですら、一体何が起きたか正確にわかっているものはないだろう。

甚兵衛はやれやれという顔をして、神威・古丹を鞘に収めた。


「面白きものを見た。いや、長生きはするものじゃて。」

この甚兵衛が、気づかなかった。

甚兵衛は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

いつの間にか、後方に老人が立っていたのだ。


「不肖の弟子どもが失礼したの。」

老人が周りを見ながら言った。何とも言えない表情をしている。


「柳生石舟斎どのか?」

甚兵衛が問うた。その場を動けない。丸腰にもかかわらず、平静に語るこの老人からは、物凄い殺気が放たれているからだ。


「そうじゃ、と言えば、どうする?」

老人の殺気が大きくなったように感じた。

「剣の道を究めんとする者の願いはひとつ、強き者との戦い。ぜひ一手、ご指南いただきたい。」

老人の口の端が微かに上がったように見えた。

「柳生は他流試合を禁じておる。それでもし合うというなら、それ即ち、命のやり取りじゃ。」

言いながら、先程の伊助のように、腕を左右に開き腰を落とした。

甚兵衛も再び神威・古丹を抜き放つ。

「九州に、同じ新陰流から発しながら、足さばきを重視した変わった流派があると聞いたことがある。名は確かタイ捨流、お主の素早い足さばきは、その流派のものか。」

甚兵衛は頷きながら、じわじわ回り込む。石舟斎は腰を落としたまま動かない。

「お主の剣、二刀を操りながら、まるで切れ間ない川の流れのように一連の動き、その攻防の素早さは、相手をして、その剣の本質を見失わせる。わしの弟子たちが、素早い攻撃の剣と感じたようにな。」

何を言おうとしているのか。甚兵衛は油断なく、動きを止めない。

「その剣、多彩な動きは攻めのように見えて、さにあらず。相手の動きに合わせた守りこそ、お主の剣の極意と見た。相手の動きに合わせ、相手と一定の調子を作る。まるで笛か太鼓の共演のようにの。そうして、相手が一定の調子にのったところで」

汗が噴き出すような気がした。一瞬で、立ち会わずして、そこまでわかるものか。

「裏を打つ、調子を変える。崩れた相手を討つのは容易い。」

石舟斎も、甚兵衛に併せじわじわ動き出した。

「お主の奥義を見せてもらった礼に、ひとつ教えてやろう。いくら見せても、不肖の弟子にはわからんことをな。柳生新陰流奥義無刀取りとはな」

徐々に間合いが詰まって来る。

「お主の剣と真逆よ。守りに見えて攻め、積極的に相手の剣を奪って、己の武器とすることこそ、その奥義じゃ。無刀とは刀を持たぬことではない。戦場に無限の刀を持つことじゃ。敵の刀はすべて我が刀よ。」

さらっと恐ろしいことを言う。


甚兵衛は死を覚悟した。

お屋形様、申し訳ござらぬ。成り行きとは言え、己が道に死すわがままを許してくだされ。

腰をかがめ、左右の刀をぐっと握る。

共に行くぞ。

今は亡き、神威・古丹の持ち主、甚兵衛を愛した双子の戦巫女に声をかける。


前にいる石舟斎を見るな。

無心になれ、無心で、ただただ、我が奥義”渦流陣”をぶつけるのみ。


突然、周囲に風が渦巻いてきた。


極限の緊張を割くように

カッポカッポと、馬のひづめの音が聞こえてくる。

「なんだ甚兵衛、ここにいたのか!」

呑気な忠助の声が聞こえ、石舟斎の殺気が消えた。


国兼一行が、柳生の里に到着したのだった。










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