第28話 天と戦う大戦略
㈠
「忽然と消えたじゃと。そんなバカなことがあるものか!」
三成はこの手の話が嫌いである。みるみる顔が険しくなった。
「しかし、見物人も役人も同じことを言っており申す。しかも人相風体は、最先から殿下の宸襟を悩ましおる者どもにそっくり、詳しくお調べになったほうが良いのでは。」
大阪、石田屋敷の一室で、三家老のひとり舞兵庫が汗を拭いながら言った。
「調べるなど無用じゃ。どうせ手妻かなにか使ったのであろう。仮に、あの梅北国兼とやら申す老人だとしても放っておけ、二千石、わずか百の兵で、天下を相手に何ができる。こんな計算、赤子でも容易じゃ。」
三成は書類を抱え、忙しそうに登城していった。
島左近は、少し前自分も同じようなことを言ったことを思い出した。その結果どうなったか、梅北国兼をなめてはならぬ。また、あの言葉がよみがえった。
「ぃやーーーーーーーーーーーーっ!!」
早朝の静けさを切り裂いて、裂帛の気合が響く。
かっ、かっ、かっ
木と木が激しくぶつかり合う音が響く。
「それまで!」
宝蔵院胤栄の鋭い一言で、あたりは再び静寂に包まれた。
可児才蔵の鼻面の先で、十文字槍が止まっている。
傷だらけの顔を汗がツーと伝って落ちた。
「いや、参った。腕の冴えにますます磨きがかかったの。わしも負けずに頑張らねば。」
汗をぬぐいながら才蔵が言う。
「何を言う。福島正則家中の、笹の才蔵の名は、今や薩摩まで聞こえておるぞ。」
半左エ門の言葉に、才蔵は片手をぶんぶん振った。
「半さん!人をからかうな。それよりどうじゃ、また一献。」
いいねえという顔をした半左エ門を、師匠がたしなめた。
「お主等、早朝から酒を飲む気か!この罰当たり目が!」
半左エ門は肩をすくめた。
その姿に胤栄は高笑いしたが、弟子のわずかな変化が気になっていた。
槍が激しい。元々人を傷つけるのを嫌い、天分があるのに、槍が大人しいのが半左エ門の弱点だった。なのにこの激しさはどうだ。まるで人が変わったよう、しばらく見ない間に、この弟子に何があったというのか。
「半左エ門様にお使いの方が参られています。」
小坊主が伝えに来た。
山門に出ると見知らぬ男が立っていた。
何用かと聞くと、国兼の使いだという。
「梅北国兼様、『河内の千早赤阪村で待つ。』とのことでございました。」
㈡
河内の国千早赤阪村、かって楠正成が、ときの天下人といえる北条氏率いる鎌倉幕府の大軍二十万を相手に、たった百人で籠城して戦った地だ。国兼は三太夫と別れた後、まっすぐこちらに向かい、千早城跡や周辺の地形をつぶさに見て回った。
「こんなところで、戦うつもりだーか?」
猪三が珍しく口を開いた。
「いや、違うだろう。かって、幕府の大軍と戦い、ここは落城したが最終的に勝利した楠正成にあやかって、何か考えをまとめておられるのではないかな。」
喜内が言う通り、国兼は時折天を仰ぎながら、珍しくぶつぶつと独り言を言い、何事か熱心に書き付けていた。
敵は総勢四十万を超える。千早赤阪村に押し寄せた幕府軍の倍である。
今わかっている味方は、国兼の百、歳久の三千、菊池一族の二万、江上家種の三千、それに傀儡一族の一万で合わせても四万に届かない、敵の十分の一の数である。
もちろん戦は数ではない、しかも太閤に反感を持っているもの、唐入りに反対の者は全国に数多い筈だ。戦の動静次第では、その者たちが味方となる可能性が高い。つまり、勝ち目が全くないわけではないのである。
太閤に反発している者たちを把握し、連絡を取り合う必要があった。王になる話は辞退したが、協力関係を築いた傀儡一族が十分活躍してくれるはずだった。
問題は、その者たちを引き付ける大義、この謀反の大義だった。太閤を倒す、朝鮮出兵に反対するだけではいささか弱く、不満を持つ浪人くらいしか集められないだろう。大義は、この国の民百姓まで動かすものでなければ、最終的な勝ちは得られない。
㈢
国兼は千早城跡の、杉の切り株に腰を下ろした。
「お考え、少しはまとまりましたか。」
喜内の問いに、国兼は首を横に振った。
「勝ちを収めるには、もう一手、あと一枚、駒が足りぬ。」
ほう、勝ちまであと一歩というところまで考えていたのか。喜内は改めて主人の軍才に感心した。
ぼっけもん、無鉄砲という印象の強い国兼だが、実はきめ細かく緻密な思考力を持っている。家中で乱暴にふるまっているのは、それを隠す処世術だと喜内は思っている。黒田官兵衛がそうであるように、知略に優れることは味方の警戒の対象にもなるものだ。軍才を隠すのは、肝付家、島津家と渡り歩き、家中で苦労した国兼の生きる知恵のようなものだった。
向こうから、手を振りながら五郎丸たちが歩いてくる。比叡山を彷徨っていた五郎丸達のところにも、傀儡一族から連絡が届いたのだ。
しばらくして、槍を担ぎ、瓢箪に入れた酒を飲みながら、千鳥足の半左エ門が現れた。
「甚兵衛は?」
半左エ門が聞いた。
「それが、傀儡一族でも、その所在をつかめておらぬらしいのだ。」
喜内が答える。
「まさか、死んじまったなんてことはないだろうな!」
忠助が心配そうに言う。甚兵衛の腕、簡単にやられないのはわかっているが、自分たちが襲われたように覇王太夫が呪術を使って来たら、もしやとは思うが。
みんなが暗い考えを共有したとき、後ろに男が立っているのに気が付いた。いつの間に、国兼、半左エ門ですら気づかせず忍び寄れるとは。
どちらかというと小柄な男だ。しかし、甚兵衛同様、全身の筋肉が服の上からでもわかる。恐ろしく身体能力に優れた男だろう。顔の特徴はないが、そこがかえって不気味だった。
「梅北国兼様で?」
なまりの無い声で男は聞いてきた。
「そこを百も承知で話しかけたのではないかな。」
国兼の返事に、男は頭を下げた。
「失礼いたしました、ただの確認でございます。」
油断ならない。そういう印象は強くなった。
「梅北国兼に何用じゃ。」
男は顔を上げた。
「手前の主人が、国兼様に会いたがっておられます。ぜひご同道を。」
国兼は男をじっと見ていった。
「主人とは?」
「そこは!今はご勘弁くださいませ。」
「何者か、何用かわからぬのに、簡単についていくわけにはいかぬの。」
男は頷いて言った。
「そう言われるであろうと、手前の主人はこうも申しました。しかし、国兼殿はこの言葉を聞くと、必ずやってくるだろうと。」
どんな言葉か、皆が注目した。
「わしが足利尊氏になってやろう。以上です。」
「わかった。ついていこう。それでどこに向かうのじゃ。それだけでも教えてくれぬか。」
男は立ち上がって言った。
「ここより南、大和、柳生の里へ。」
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