第24話 文禄大歌舞伎

(一)

 書状がばんと叩き付けられたが、左近は顔色一つ変えない。

「いつも言っておるだろう。報告は細かく迅速に。重要度を自分で判断するなと。」

 主人には珍しい激高ぶりだ。その分衝撃が大きかったということだろう。念のために打った手で大事には至らなかったとはいえ、一つ間違えば太閤に危険があったのだから。何よりも、左近はじめ石田家の猛者が手玉に取られたことは、それだけで大きなことである。何者が何の目的でああいうことをやったのか、詳しい情報が必要だった。しかも、事前に伊集院忠棟から注意が来ていたのに、左近が握りつぶしてしまったのだ。いくら信頼する家臣とはいえ、ことの大事を思えば、三成の怒りは当然だった。

「それで、梅北国兼とやらの行方は分かったのか。」

三成はいらいらした様子で郷舎に聞いた。

「皆目。天に上ったか地に潜ったか。ひょっとして、もう都にはおらんのではないでしょうか。」

 呑気ともとれる返答に、三成のこめかみがピクリと浮いた。息をすうっと吸って気を落ち着ける。

「忠棟の家臣とやらいう三人はどうだ。」

「配下に探させてはおり申すが、島津屋敷にも立ち寄っておらぬようで、どこへ行きましたやら。」

 しれっと答える左近に、再び三成の血圧が沸騰した。

「よいか!これは天下の一大事じゃ。草の根を分けても、梅北国兼とその三人、必ず探し出せ!」

 左近と郷舎は深々と平伏した。


 年が明け、年号が改まって文禄元年となった。正月早々、ここ京の都の話題は、四条河原で行われる新しい出し物のことで持ち切りだった。

 人気の舞姫”出雲阿国”と、新進気鋭の猿楽師”蜷川幸若”が手を組んで行う全く新しい試み。歌舞伎踊りとも、能や狂言とも違う。芝居、踊り、歌、音楽、様々な要素を組み合わせ、大掛かりな舞台装置で行われるこの演目は「大歌舞伎”日良丸出世語(ひよいまるしゅっせがたり)”」と呼ばれた。

 大まかな筋立ては、こうである。

 とある田舎の百姓の子日良丸(ひよいまる)は、あるとき自分がやんごとなき方の落とし胤であることを知る。家を飛び出し放浪する日良丸は、山賊”蜂大夫(はちだゆう)”を大立ち回りの末打ち負かし子分にすると、相模の若き武将”大田常陸の介”の小者となる。常陸の介に気に入られ、どんどん出世する日良丸は、隣国の大名工藤山城守を一夜城の奇策で打ち破った功で城持ちとなる。そんなとき、主君常陸の介が、家臣の惟宗備前の謀反で命を落とす。

 日良丸は蜂大夫ら家臣とともに大決戦の上、惟宗備前を討ち取り主君の仇をとった。その後、やんごとなき方である父と出会った日良丸は、天への階段を昇っていく。

 まるで太閤の半生をなぞったような内容と共に、突然現れる一夜城、花びらを巻きながら、客席の上を飛び回る天女など、大掛かりな舞台装置、しびれるような太鼓の響き、阿国達による斬新な踊りなど、観客の目を奪う大胆な演出が目白押しで、新し物好きな都雀の心をとらえて離さなかった。


「そうではない。もっと気持ちを込めて動くのだ!」

客席から、幸若が煙管を吹かしながら怒鳴る。

「おいおい、厳しくするのはいいけど、また若い子に煙草箱を投げつけるのは止めておくれよ。竦みあがって芝居になりゃしないんだから。」

阿国が袖から出てきて文句をつけた。

「新しいものを作るのに妥協したくねぇんだ。それが嫌なら、俺はいつでも降りるぜ。」

ふぅーっと煙を吐きながら幸若が言う。

「はいはい。あんたがいなけりゃ成り立たないのはわかってるよ。」

やれやれという感じで阿国が言った。

「それにしても。」

袖にいる国兼たちを振り返って言う。

「やっこさん、そろそろ餌に食いついても良い頃あいだがねぇ。」


「とにかくもう素晴らしいの一言ですわ。」

 珍しく大蔵卿局が興奮して言う。

「そんなに?名人と言われる能や狂言はたくさん見たけど、どう違うのです。」

退屈そうに肘掛けに頬杖をつきながら淀の方は言った。あの清水寺参詣以来、聚楽第からの外出を禁じられ、毎日本当に暇で暇で、若い淀には耐えられなかった。


「全く違うものです。踊りの衣装が艶やかなことはもちろん。舞台演出も斬新で素晴らしいですわ。特にあの音曲、聞いたことのない見事な太鼓の響きには、我を忘れて夢心地になりました。素敵な殿方との寝屋での秘め事のように、わが胸の内がトロトロになりましたわ。」

 思い出して潤んだ眼をする乳母を見て、淀の方は少女のようにキャッキャと笑った。

「いやーねぇ、年甲斐もなく。」

「こんなことに年は関係ありませんのよ。姫様もぜひ、ご覧になったらよろしいのに。」

そうだな、太閤殿下を褒めちぎった内容らしいし、今度殿下におねだりして見よう。殿下が私の頼みを拒否するはずはないけれども、そう淀の方は思った。


「そんなに評判になっておるのか。」

太閤の問いに京都奉行前田玄以は微笑んで答えた。

「いやもう、すごい人気で。注目すべきは、芝居の人気とともに殿下の人気も上がっていることです。こちらが巻きました帝のご落胤との噂も、芝居の前は物笑いの種にしか過ぎませんでしたが、今や真かもしれぬと大半の者が思い始めておる様子、日ごろ目をかけてやった阿国の手柄ですな。」

そうかそうかと太閤の目じりが下がったが、内心では”物笑いの種”といった玄以を許さぬ気持ちも起きていた。

「殿下、朝鮮出兵を盛り上げるいい機会かと。」

太閤は、最近疎ましく感じ始めていた玄以の注進を、久しぶりに採用してみようかとの気持ちになった。


「いつまでこんなことを続けるんだ。おらは役者になりたいんじゃないぞ。」

鈴の前でしか言わない愚痴を五郎丸が言った。

「いいじゃん。主役だから。私なんて天女に変化させられて、客席に花びらまくだけの役だよ。しかも、何かのからくりだと思われて、いいことひとつも無いんだよ。」

 鈴も本音を言えば不満たらたらだった。私は誇り高い金毛九尾の直系なんだ。芸を仕込まれた犬のような感じで舞台に立っていることが碧眼翁に知れたら?ブルブル、考えたくもない想像だった。

 同じ不満は蜂大夫として顔中にくま取りを描かれ、舞台に立たされる喜内、常陸の介役の半左エ門も抱いていた。こんなことを続けて秀吉に会えるのか?お国を儲けさせているだけじゃないのか。忠助が、いつの間にか娘のような年の阿国と良い仲になってしまい、座頭気取りで振る舞っていることも癪に障った。


 二人は、阿国を見つけると日ごろの不満をぶちまけた。そもそも、こんな河原での営業に一般客に混じって太閤が来るはずがない。忠助の太鼓や鈴の変化が演出上欲しいだけで、我々を騙したのじゃないか。

 国兼は幸若の隣の客席に座り、目を閉じて黙って聞いている。五郎丸も一緒になって阿国に詰め寄っている。とうの阿国は、もう少しの辛抱だの一点張りで、忠助は間に入って、ただただおろおろしている。


 そうこうしているとき、座員の一人が走りこんできて阿国に耳打ちした。阿国の顔がぱっと輝く。にこりとして、国兼たちを振り返って言った。


「お待たせしたね。大きい獲物がえさに食いついてきたよ。十日後、聚楽第で太閤らと大名の前で、この大歌舞伎を披露するよ!さあ勝負だ!これが芸に生きる者の、命がけの大勝負だよ。」




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る