第25話 天下人の心底

 文禄元年一月十日、豊臣家の主だった諸侯が京の聚楽第に集められた。新年の祝賀と唐入りの景気づけのためだと言い、詳細は伝えられなかった。こういう場合、秀吉はあっと驚く趣向を用意しているのが常だったので、参集した諸侯は期待を持って集まっていた。集められたのは、五大老の徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、上杉景勝に、関白の豊臣秀次、有力諸侯の伊達政宗、佐竹義重、細川幽斎、秀吉の股肱の臣である福島正則、堀秀治、蜂須賀小六、五奉行の浅野長政、石田三成、増田長盛、前田玄以、長束正家などである。

 大広間に集まった諸侯から年賀のあいさつを受けた秀吉は上機嫌だった。隣に座る淀の方も珍しくニコニコして機嫌がいい。よほど面白いことをしようとしているのだろうと、少し期待して政宗は思った。一方、家康は少々嫌な予感がした。以前、秀吉が仮装大会を企画したことがあった。そのとき家康は”あじか売り”を熱心に演じたが、あのような茶番は二度とごめんだと言うのが本音だった。秀吉は平安貴族と、尾張の土俗を併せたような倒錯した美意識を持っている。自分の趣味はどういうものでも勝手だが、人に押し付けるのは勘弁してほしかった。


 三成はふさぎ込むようにして何事か考えている。忠棟が遣わした三人は見つかり、梅北国兼の話は聞くことができたが、結局、国兼が何をしたいのかさっぱりわからなかった。太閤暗殺などは考えておらぬようだが、三名に付き添ってきた黒雲とかいう山伏が妙なことを言った。国兼は、妖力を秘めた恐ろしい槍を持っていると言う。この聚楽第など、国兼がその気になれば木っ端みじんに吹き飛ばせるのだと言う。思わず言った。

「馬鹿な、そんなことは大筒でも無理じゃ。南蛮のことも調べておるが、そのような兵器がこの世にあると聞いたことはない。妖力、魔力など非合理極まりない迷信じゃ。これからの世は合理的な計算、理が支配するものでなければならぬ。」

 わしの言葉を聞いて、黒雲という坊主は嗤いおった。

「国兼の槍の仕組みは、極めて合理的でござる。ただ、今の世の学問がその仕組みを理解するに追いつかぬだけのこと、そもじの頭の中同様にな。」

 話にならぬと思った。妖言で世間を惑わそうとする輩、左近に命じて捕縛しようとしたところ、その坊主はどんなまやかしを使ったか溶けるようにいなくなった。忠棟家臣の三名も、どんな坊主かよくわからないと言う。わかったことはひとつ、梅北国兼に油断してはならぬということだった。


「さあさ方々、堅苦しいことはここまでにして、今宵の趣向をお目にかけよう。」


 秀吉がパンパンと手を打った。中庭と大広間を隔てていた障子が開け放たれ、巨大な能舞台のようなものが現れた。

 篝火の明かりの中、能舞台の真ん中に女性が平伏している。やおら顔を上げるとその美しい女性は言った。

「みなさま、今宵は出雲阿国、蜷川幸若の手によります文禄大歌舞伎へようこそいらっしゃいました。一座のもの懸命に努めますゆえ、絢爛豪華な夢物語、ぜひお楽しみくださいませ。」

 言い終わると、能舞台の横に設けられた櫓から、最初は小さくだんだん大きく、太鼓の音が響いてきた。妙なる旋律、高く低く切れ間なく、なんとも心地よい、踊り出したくなるような見事な太鼓だ。戦国の荒武者たちも、膝を乗り出さんばかりにして聞き入っている。

 太鼓の音がひときわ大きくなると、舞台の右袖から白一色の衣装を着た踊り子五名、左袖から赤一色の衣装を着た踊り子五名が現れ、手を振り足を上げて舞台狭しと踊り始めた。

「これは合戦を表しているのじゃな。」

政宗の言葉に、周囲の諸将はなるほどと膝を打った。

 ひとしきり舞い終わると、舞台の真ん中がせり上がり、端切れを縫い合わせた小袖を着た少年(五郎丸)が現れた。赤白の踊り子たちは下がり、代わりに茶一色の小袖に袴の先を絞った衣装を着た踊り子が、一列になり、腰を曲げ片手を振りながら部隊の右から左に進み始めた。少年の同じ動きをして後に続くが、すぐ放り出して座り込んでしまった。

「なるほど、わしにもわかる。これは農作業じゃな。」

前田利家が得意そうに言った。

「日良丸!なぜ真面目に働かないんだい!」

突然、芝居が始まった。左袖から現れた中年の婦人(阿国)が少年を叱っている。少年は頭の後ろで手を組み、ふて腐れているように見える。

「おっ母、毎日あくせく働いても、百姓暮らしはちっとも良くならないじゃないか。おらは嫌だ。毎日毎日、ただ牛馬のように働いて死んでいくのは。」

中年の婦人は少年の前に立ち、少年の頬を平手で殴った。

「罰当たりなことを言うんじゃない。一生懸命働いて食べ物を作るのが私ら百姓の務めだよ。食べ物がなきゃ人は生きていけないんだ。神様が下さった尊い仕事なんだよ。」

少年は反発して言った。

「あくせく作った米を、働かない侍が奪っていくじゃないか。おらたちは侍の牛かい、馬かい?おらは嫌だ、奪われると分かって働くのは。」

母がまた叱った。

「お侍さんたちは、納めた米で私らを守ってくれるんだよ。その他にも道を作ったり、堤を作ったり、お侍さんがいるから私たちは安心して働けるんだよ。」

利発な少年はこれにも反発した。

「それだけかい。お侍たちは、百姓が作った米で、百姓より良いもの食べて、百姓よりいい暮らししているじゃないか。道を作ったり、自分を守るのは百姓が自分ですればいいんだ。」

母は溜息をついた。

「できやしないよ。私らは力が弱い、学問も無い。とても、侍と同じことなんて無理さ。」

少年はすくっと立ち上がって力強く言った。

「おらは侍になる。侍になって天下を取る。そして、母ちゃんが、百姓が楽できる世の中をつくる。」

そう言うと、駆け出し舞台右袖に引っ込んだ。日良丸、日良丸と連呼する母の声が舞台に響き、篝火が消されて暗転した。


 秀吉は、我を忘れたように舞台から目が離せない。

居並ぶ諸将の中で前田玄以がぼそっと言った。

「この芝居、聞いていたのと筋が少し違うの。」


 舞台は再び明るくなった。舞台真ん中に作られた大きな橋の上で、少年が寝ている。そこに”蜂太夫(喜内)”率いる山賊たちが通りかかり、日良丸と大立ち回りになった。立ち回りは三河狂言さながら滑稽に表現され、蜂須賀小六は複雑な表情をしていたが、秀吉含め居並ぶ諸将は腹を抱えて笑った。

 蜂太夫を懲らしめ家来とした日良丸は、ひょんなことから、若き大名”大田常陸之介(半左エ門)”に仕えることになった。冷酷で残忍と恐れられていた常陸之介を、日良丸が頓智でやり込める光景は、また爆笑を誘った。

 なぜか日良丸は成長せぬまま、隣国との戦の場面に突入し、今度は赤と黒の甲冑を着た武者たちが舞台上を駆け回った。強大な隣国大名の工藤佑経(甚兵衛)に連戦連敗の常陸之介は、蜂太夫らを率いた日良丸の一夜城の計略によって救われる。舞台中央に、忽然と現れた城(鈴の変化)の姿に、諸将の歓声が上がった。

「どういう仕掛けかの。」

 上杉景勝が後ろに付き従う直江兼続に尋ねたが、知恵者の兼続も見当がつかぬらしく首を捻っている。

 天下統一に近づいた常陸之介は、京の都で、部下の惟宗の裏切りに会い炎の中に消える。木造の舞台の上で、水柱に篝火を映した数々の炎が吹きあがる演出は、見ていた諸将が思わず袖で顔を覆うくらい本物っぽいものだった。

 そのころ、毛受氏と戦っていた日良丸は、天女(鈴)の導きで常陸之介の死を知り、蜂太夫ら軍勢を率いて都に戻った。この舞台の最大の見せ場である合戦場面が始まった。忠助の叩く勇壮な太鼓の響き、赤、黒、白の衣装を着た踊り子たちが舞い踊る。甲冑を着て舞台所狭しと駆け回る五郎丸たち、花びらを巻きながら空を飛ぶ天女。

 まるで夢の中にいるような心地で、秀吉はじめ諸将は皆舞台から目が離せない。太鼓の音がひときわ大きくなったのを合図に、合戦は佳境を迎え、日良丸が惟宗を討ち取った。観劇する諸将から拍手が巻き起こる。舞台は再び暗転し、評判通りならこの後、日良丸が天下人への階段を上って終幕となる筈だった。


 篝火が焚かれ、再び明るくなった舞台中央に現れたのは、白地の絹で作られ、金糸銀糸をあしらった豪華な羽織を着た老人(国兼)だった。背が高いことと、白髭があることを除けば、どう見ても秀吉の姿を映したものだ。それだけでも、無礼と言われかねなかった。ざわざわと諸将に動揺が走る。それを制したのは秀吉本人だった。舞台を凝視したまま、諸将に向け手で座るように促す。舞台袖から日良丸が登場し、二人きりでの芝居は続いた。


「ついに天下を取ったぞ。よし、今度は明国じゃ。ものども、船をしたてよ。兵を集めよ。百姓どもから税を取り立てよ。明国との大戦を始めるぞ。」

国兼が吠えるように言った。

「おらは何のために天下を取ったんだろう。遠い昔の話で、すっかり忘れてしまったのかな。」

五郎丸が呟いた。

「わしの支配をどんどん広げるぞ。この世の全てを手にするのじゃ。奪え、殺せ。宝も美女も富も、全てはこの日良丸のものぞ。」

国兼の高笑いが響いた。なかなかの役者ぶりである。科白を重ねるように、五郎丸が呟く。

「なぜだろう心が空しい。どれだけの宝を手にしても、美味しいものを食べても、ぜんぜんつまらない。せっかく天下を取ったのに、この空しさは何だ。」

そのとき、舞台右袖から米俵を積んだ荷車を数人の兵が押して現れた。引き続いて、数人の百姓と思しき男女が転び出て、荷車に取りすがった。口々に叫ぶ。

「その米を持っていかれたら、明日の暮らしが成り立ちませぬ。なにとぞ、ご勘弁を。」

その中にある女性の姿を見つけ、五郎丸が叫んだ。

「おっ母!」

 阿国演じる日良丸の母は、兵に取りすがって跳ね飛ばされた。その姿を見て五郎丸が叫ぼうとしたその瞬間


「やめろー!」

あたりに甲高い声が響いた。諸将が驚いて振り返った。太閤が立ち上がっている。

「もう十分じゃ、もうやめよ。」

肩で息をしながら、秀吉は舞台に向けて言った。


「この芝居を仕組んだものがおろう。前へ出よ。」

太閤が命じると、阿国が出ようとするのを抑えて国兼が前へ出て平伏した。

その姿を見て、あっと思った三成が立ち上がろうとするのを、秀吉が手で制した。

「ほう、お主、侍であろう。顔に化粧を施しても、所作は隠せぬぞ。顔をあげよ。」

国兼は顔を上げて太閤を見据えて言った。

「薩摩の国、湯之尾地頭の梅北国兼でござる。この度は、太閤殿下にお尋ねしたきことありまして推参しました次第。」

諸将の手前もあり、秀吉は威儀を正しつつ言った。

「島津殿の配下か。この仔細、義久殿はご存知か。」

国兼は頷いた。秀吉と面会したいとの話は島津家も承知の上だ。

「いい芝居を見せてもらった褒美じゃ。苦しゅうない、なんでも申せ。」

太閤の許しはあっさりと出た。

「それではお聞き申す。この度の唐入り、太閤殿下におかれましては、どのような心づもりでおられるのか、是非ともお聞かせいただきたい。」

何じゃそんな事か、秀吉は笑顔になった。

「知れたこと、朝鮮と明国を従えるためぞ。」

「なにゆえ、朝鮮と明国を従えねばなりませぬ。」

「おかしいことを聞くのお、逆に問う。なぜ攻め入ってはならぬ。」

「殿下もよくご存じのとおり、命をかける戦には大義が無ければなりませぬ。国内で戦うは、攻めるにせよ守るにせよ、我と家族、わが財産を守るため、戦国の世ならばいたしかたなきこと、みな納得する大義が立ちまする。しかし天下統一し異国に攻め込む戦には、新たな大義が必要かと。そうせねば、盗人と同じかと存じます。」

 盗人と聞いて、福島正則が立ち上がりかけたが、秀吉が制した。

「いや、国内と同じことじゃ。陸地は続いておらぬが、海を介し国境を接しておる。しかも過去、攻め寄せられたこともある。勝てるうちに攻め取っておくのは戦の常道じゃ。」

「過去に攻めてきたのは、明や朝鮮ではありますまい。特に朝鮮国は軍隊を持たぬ国、攻められる前に攻めると言う理屈は成り立ちませぬ。」

「今は持たぬが先まで持たぬと言う保証はあるまい。彼の国も、三国分立し相争っていた歴史があり、そのときは軍隊を持っていたのじゃ。」

「分からぬことを言われる。先のことや過去のことは、今攻める理由にはなりますまい。」

「いや、なる。よいか、天下人と言うものは国家百年の計に立って動かねばならぬ。天下を統一した以上、先々までこの国の安寧が続くよう算段せねばならぬ。国力を高め、他国の侵略を受けぬようにせねばならん。そのため、場合によっては、他国を攻め取り領土を増やすこともせねばならん。攻め取ること自体は罪ではない。前領主より善政をしけば良いだけじゃ。戦国の世でも同じことじゃったろう。お主の島津家も、他国を攻め取っていったではないか。」

「今の明や朝鮮に、他国を攻める力はござりませぬ。十分ご存知の筈、一体どの国が攻めてくると言われるのか。」

そう来ないとな。議論を手のうちにした!秀吉はにやりと笑っていった。

「知らぬか、田舎の地頭には無理もないことよ。それは南蛮の国々よ、のぉ政宗。」

急に指名されたが、南蛮好きの政宗は深々と頷いた。


「信長さまの小姓に、”弥助”なる黒き民がおったのは知っておるか。」

国兼は頭を振った。

「そうか、弥助は南蛮の南にある”黒き大地”の出身よ、あるとき鉄砲を持った南蛮人が大挙して押し寄せ、国を乗っ取り、人々を奴隷にしたそうじゃ。奴隷とされた者たちは、遠き異国に売り飛ばされ、牛馬のようにこき使われて死んでいくそうじゃ。わしは日の本の天下人として、我が民をそのような目に会わせたくない。たとえ遠い先のことじゃとしてもだ。南蛮の力は、大筒や鉄砲を見ればわかる筈、それに対抗するには、さらに強い力が必要じゃが、我が国は狭すぎ、資源も限られ、強くするには限界がある。唐入りはやむを得ぬ仕儀なのじゃ。」

なるほどと納得できる部分もある。しかし、なお確かめたい部分があった。

「南蛮の脅威は明、朝鮮も分かり切っている筈、三国で十分に話せばよいのではござらぬか。」

待ってましたとばかりに、秀吉は膝を打った。

「そこよ、わしもそう思い何度も使節を送った。しかし、明も朝鮮も我が国を侮り、わしの好意に無礼をもって返してきた。あの国々は腐りきっておる。民衆も苦しんでおるじゃろう。わしが行って救ってやらねばならぬ。そのための唐入りよ、そのためには銭がいる。臨時の税で百姓どもが苦しんでおるのは承知じゃが、国家百年のため耐えてもらわねばならぬ。」

今度は五郎丸が立ち上がりかけたが、慌てて半左エ門が押さえつけた。

「本気で攻め取っていくおつもりか?攻めるは良し、攻め取るための算段がまだまだ不足のようにお見受けする。殿下の言われることは理解でき申す。しかし、本気かどうか疑わしいのでござる。裏で、戦う前から和平を進める者がおるとの噂もござる。これが我らが命をかけるに値する戦いか、そうでなければ困る。」

秀吉は勝ちを確信したのかにやりと笑い、諸将を見渡して言った。

「我が国初めてと言って良い戦いじゃ、足りぬところは多いじゃろう。しかし、諸将知恵を出し合って、この大戦を勝ちにつなげてほしい。和平の噂は儂も知っておる。この戦が不安故に出ておるものじゃろうて、しかし、みなみな、この秀吉を信じてくれい。先の芝居にもあったが、尾張の百姓の子倅に過ぎぬ非才の儂が、天分極まりなき信長さまを差し置いて天下人となったは、まさに天の意思と言う他はないわ。芝居を見ながら考えさせられた。天下人となった以上、儂は儂の信じる正義、国家百年の計を進めるのみじゃ。今一度お願い申す。みなみな、この秀吉を信じて、ついてきてくれ。」


諸将に、一種の感動が走った。みな深々と平伏している。

自らに不利な芝居の内容すら利用し、有利に導く。

これが秀吉、天下を取った人蕩らしの力か。

納得したわけではなかったが、一種の敗北感のようなものが国兼を襲っていた。














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