第19話 壇ノ浦の戦い

(一)

 国兼たちが、大阪へ向け大黒屋の安宅船で博多港を発したのは、天正十九年十月末のことである。旧暦十月の海は荒海玄海灘と言えど穏やかで快晴が続き、航海はつつがなく、瀬戸内を抜けての大阪までの旅は、気の重い内容を忘れるくらい快適なものだった。ひとり甚兵衛を除いては。船に弱い甚兵衛は、船べりにへばり付いて離れない。

 「まったく、地上では無敵なのに、海の上では全くの役立たずよ。不思議な男じゃ。」

 喜内がやれやれと言った顔をした。対照的に、半左エ門は、舳先にゆったり座って酒を飲んでいる。船旅が初めての五郎丸は、甲板の上で鈴を追いかけまわし、走り回っている。忠助と猪三は、うららかな陽気に、二人重なって、こっくりこっくり甲板の上で船を漕いでいる。

帆柱に、誰か縄で括り付けられている。甚兵衛を狙って、密航していた薬丸伴左衛門である。先程まで、縄を解けだの勝負だの喚き立てていたが、疲れたのかうなだれて眠っているようだ。

潮の流れが複雑になった。さしもの大型の安宅船も揺れ出す。

 「この辺りは?」

国兼の問いに、辺りを見回して喜内が答えた。

 「そうですな、ちょうど壇ノ浦の辺りですな。」


 大黒屋の安宅船に、後ろからつかず離れず追いかける船がいる。国兼たちの船より、少し小型の安宅船で、一文字に三ツ星の毛利家の家紋を帆に付けている。

「黒雲殿、こちらがつけているのがわかってしまう。もう少し、速度を落としてはどうじゃ。」

月野平左衛門が言った。

「ここで襲おう。大阪になど行かすものか。古の平家同様、壇ノ浦の藻屑としてくれる。」

長迫蔵人は、盃に注いだ酒をぐいと飲み干し、奮い立っている。

長迫たちは、伊集院忠棟の命で、大阪に向かった国兼たちの動向を探り、あわよくば殺してしまうつもりで後をつけていた。

黒雲は頭巾の中の顔を、にんまりと歪ませた。

「その勇ましさや良し。長迫殿、良い考え、拙僧が良い酒興を思いつきましたぞ。」

そう言うと、誰も入ってこぬようにと言い残し、船の中へ入っていった。


(二)

 快晴の空が一転にわかに掻き曇り、昼間だと言うのに辺りが暗くなった。いつの間にか、海上には濃い霧が立ち込めてきている。

「こんなこと、あるはずがねえ。空は雨が降り出しそうに曇っているのに、濃い霧が出るなんぞ。船頭を何十年もやっているが聞いたことがねえ。」

「何か、海の神様がお怒りではねえのか。」

「ぶるぶる、嵐でも来るんじゃあねえか。」

 荒くれ者である熟練の水夫たちが、恐れおののいている。


国兼は、じっと気配をうかがっている。何度も化け物と戦ってきた勘が教えてくれる。何かがやって来る。おそらく、とんでもないものが。

「嫌な場所で霧が出ましたな。」

喜内が言うのは化け物のことではない。ここ壇ノ浦は、ただでさえ潮の流れが複雑で、一つ間違うと陸地に吸い寄せられ座礁の危険があった。


そのとき、人に変化している鈴の狐の耳がピンと立った。

遠くから法螺貝の音が聞こえてくる。

そして、うぉーつと鬨の声も。

霧の中からぼんやりと、無数の小舟が姿を現した。

ボロボロの赤い旗をかざし

藤壺や海藻の絡んだボロボロの甲冑を着た骸骨武者が、小舟の上、所狭しとひしめき合っている。

「でたー、平家の怨霊じゃ。」

「恐ろしや、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

水夫たちが恐慌に陥っている。風は止み船の足は止まっているが、とても操船どころではない。


国兼は降魔の槍を構えた。蒼い光が徐々に強さを増す。

その前に喜内が立ち塞がった。

「殿、降魔の槍の出番はまだでござる。これほどの敵に使われたら、体力の消耗は計り知れず、命にもかかわりますぞ。」

降魔の槍は、使うたび使い手の体力、そして寿命をも奪っていく。人並み外れた体力を持ち、長命の家系である国兼だからこそ、七十を過ぎても槍を振るえるが、最近は、槍を使った後に立ち上がれぬほど消耗することもしばしばである。

「ここは我々にお任せを。半左エ門、甚兵衛、っと海の上で甚兵衛は戦力にならぬか。」

甚兵衛は立ち上がろうとするが、よろけて甲板に突っ伏した。

喜内はやれやれと言う顔をして、船室から不思議な武器を取り出した。

大きく重く複雑な形。

これぞ仁王の武器に相応しい。

郡山の仁王と呼ばれた悪童時代、山奥の廃寺から盗んだ仁王像が握っていた独鈷杵(どっこしょ)。一本の千年杉を彫り込み、重さは二十貫(75㎏)、長さは五尺(150cm)、複雑な形状は、刀や槍を挟んで折り切ることができ、厚みもあるので盾としても使える。

ゆらりと半左エ門も舳先で槍を構えた。猪三と忠助も槍を握る。甚兵衛は、相変わらずへたり込んでいる。

鈴と五郎丸は船室へ隠された。

周りを囲んだ無数の小舟から、雨のごとく矢が放たれた。

矢に当たって水夫たちが倒れていく。

「この矢は本物じゃ。」

独鈷杵で防ぎながら喜内が叫んだ。

半左エ門は槍を風車のように回転させ、矢を打ち落としている。

甚兵衛は、えずきながら何とか矢を躱している。

忠助と猪三は、慌てて頑丈な帆の後ろに回った。

帆柱で伴左衛門が、じたばたしながら縄を解けと叫んでいる。忠助がうつぶせに寝そべり乍ら近づいて縄を解いた。自由になった伴左衛門は、矢を躱し乍ら、船室へ刀を取りに行った。

国兼は降魔の槍を手に甲板に立っているが、不思議と矢は当たらない。


(三)

 矢が尽きると、無数の鉤縄が安宅船に放たれ、骸骨武者たちが、わらわらと甲板に上がってきた。喜内が独鈷杵を、半左エ門が槍を振るたび、骸骨が粉々に砕け散った。伴座衛門も両刀を振るい、骸骨相手に奮戦している。国兼は、素手で骸骨を殴り倒している。一体一体は決して強くないが数が多い。わらわらと船虫のごとく押し寄せる骸骨武者に、体力が確実に奪われていった。

「これでは、きりがない。半左エ門、忠助、何か策は無いか。」

肩で息をしながら、喜内が叫ぶ。

「以前のように術者が操っているなら、それを倒せばよい筈じゃが。」

半左エ門が叫び返した。

「鈴、術者がいるか分からんか。」

忠助が、骸骨から逃げ回りながら叫ぶ。

「ちょっと待ってよ。いま探ってるから!」

船室から鈴の声が聞こえた。

そのとき、骸骨武者の群れを割って、ひときわ大きい骸骨が船に上がってきた。喜内の二回りは大きく、降魔の槍と同じくらいの大きさの豪槍を持っている。

「ワレハ、ノトノカミノリツネ。ゲンジノタイショウ、イザショウブジャ。」

槍をごっと振ると、帆を結ぶ太い綱が、まるで細い糸のようにぷつぷつ切れた。

「能登守教経か、古の豪傑が出てきおったわい。ヒック。」

半左エ門が叫ぶ。船の中央に立った平教経の前には、喜内が立ち塞がった。

「わが川畑家は藤原氏の流れじゃが、川畑喜内、人呼んで郡山の仁王、お相手仕ろう。」


「鈴、やばいのが出てきたぞ!まだ分かんないのかよ。」

「大声出さないでよ。集中できないじゃない。」

船室で目を閉じ正座する鈴の周りを、五郎丸が落ち着かなげにうろうろしている。

しばらくして、船が右側へ傾ぎ出した。右側に集まった骸骨武者たちが、安宅船に引っ掛けた綱を、小船の上から力いっぱい引っ張っている。

「まずい!船が沈む。」

伴左衛門は叫ぶと、甲板から飛び降り、骸骨どもの船へ乗り込んでいった。二刀を自在に振るって暴れまわるが、多勢に無勢、徐々に骸骨兵に取り囲まれだした。国兼と半左エ門は甲板の骸骨武者の相手、喜内は教経相手、甚兵衛は半病人で助けるどころではない。安宅船はどんどん傾いていく、もう転覆する、誰もがそう思った。


 骸骨どもの小船の間を、数十隻の魚釣り船が縫うように動いていく。船みな鯨の絵を帆に記し、屈強な男たちが操船していた。

「てめえら、亡者を恐れるな!骨どもを膾に刻んで魚の餌にしちまえ。」

太った髭もじゃの頭領らしき男が叫び、屈強な海の男たちは、おうと叫ぶと骸骨武者の船と安宅船の間に船を滑り込ませ、両者をつないだ綱を切り始めた。


「鯨殺しが来たか。」

国兼がニィと笑った。日向水軍を率いる金ヶ浜の権六は、日向灘を荒らしまわる化鯨を一人で仕留めた伝説的な海の英雄である。国兼との縁は、共に地獄極楽丸や覇王太夫と戦った若い頃に遡る。水軍と縁のなかった国兼が、島津の水軍奉行を務められたのは、周辺の水軍や海賊に顔が利くこの男の存在が大きい。

「御大将!」

権六は安宅船に向かって叫んだ。

「綱を切っても一時しのぎだ。こいつら海の底から、どんどん沸いてきやがる。」

そのとき

「わかった。」

鈴が叫んだ。

「亡者どもを操っているのは、このお経!これさえ聞こえなくすれば、亡者たちは海に帰るはず。」

耳を澄ますと微かに経が聞こえてくる。周辺に亡者以外の敵の船は見当たらない。それはまるで海の中から聞こえてくるようだった。


(四)

経を唱える者の居場所が分かれば、何とか止めさすこともできる。しかし、鈴の遠目をしても辺りにそれらしい船は無かった。

「どうすればよい!」

国兼が骸骨を殴り飛ばしながら言う。

「さあて、なかなか。」

半左エ門が槍を振るいながら言った。

喜内は独鈷杵に教経の豪槍を挟み込んで、伝説の豪勇と力比べをしていた。喜内の身体が赤銅色に変わり、汗が噴き出る。過酷な命のやり取りに、この男はなぜか満足そうだった。


「わしにまかせてくれ!あの音を消せばよいのであろう。」

木樽と破れた船の帆を抱え、珍しく忠助が力強く言った。手際よく釘で帆布を木樽に貼り付けていく。たちまち、即席の太鼓が出来上がった。

「よーーし。」

忠助はそう言うと、壊れた材木をバチ代わりに、即席の太鼓をたたきだした。

どおおおん。どおん。かっかっ。どおおおおん。かっ。どん。どん。どん。

低く高く、大きく小さく、調子を上げながら、太鼓の音は周辺の海を包んでいった。

 さすがは天下に聞こえた神鼓の妙技。平家の骸骨武者ですら、うっとりと聞き惚れている。海から湧き上がるような経の音は、太鼓の音にかき消され聞こえなくなった。

 するとどうだろう。骸骨武者を載せた船が、一艘また一艘と波の間に消えて行った。伴左衛門が慌てて逃げ出す。教経はじめ、甲板の骸骨たちも、我先にと海へ身を投げ出した。甲板や周辺から骸骨たちがいなくなってからも、忠助の楽しげな太鼓の音は、しばらく続いていた。


 船室が静かになったので、恐る恐る覗いた蔵人たちは、泡を吹いて倒れている黒雲を見つけた。平左衛門がゆすると黒雲は目を覚まし、珍しく悔しそうな口ぶりで言った。

「あの役立たずめが、生意気にも我を害しおって!今度会ったら八つ裂きにしてくれる。」


「この男は、本当に日向の浜に放ればよいのか。」

権六の問いに国兼は頷いた。

縛りあげられ、猿轡までされた伴左衛門がもがいている。

「助けられたが、一緒に連れて行くわけにはいかん。可哀想じゃがな。しかし、権六、今回は助けられたな。」

「何の、たまたまこちらの近くで漁をしていたら、怪しげな雲を見つけただけでさ。御大将が亡者どもと戦っていてびっくりしやした。これも楓の導きでやしょう。」

「楓か。」

一瞬、国兼は遠い目をしたが、急ぐ旅、早々に権六と別れ、一行は再び大阪を目指した。



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