第18話 豪商
(一)
しんと静まり返った室内に、ぴんと張り詰めた空気が漂う。静寂を切り裂くように鹿威しの甲高い音が響く。青畳の微かな芳香が鼻をくすぐる。室内の中央に設けられた囲炉裏の上の茶釜から、白い湯気が上がっている。室内には、三人の恰幅の良い男たちがいる。全員が灰色の小袖に黒い羽織という、世間で言う十徳の格好をしている。
亭主と思しき太った男が、茶筅でといた茶碗をすっと差し出す。一同の中で、ひときわ大きな男が、差し出された茶碗を作法に則っていただく。
「しばらくぶりで集まれましたな。」
主人と思しき男が声をかけ、残りの二人が頷く。
「このような集いは、御師匠が亡くなられてからは憚られる気がしましてな。」
「神谷はんは殿下のお気に入りや、気にすることもおへんのやおまへんか。」
主人と思しき男が、からかうように言う。
「かなわんなあ。島井様こそ、上手うやってござらっしゃる。殿下はおろか、石田三成様といった実務担当の方々とも懇意やおへんか。」
太った男は、二人とも、ここ博多に本拠を置く豪商である。島井宗室と神谷宗湛、共に千利休の弟子であり、太閤肝入りで勢力を拡大した新興商人であり、今や堺の会合衆をも凌ぐ力を持っていた。古くからの知人ではあるが、商売敵であり、表面上の知遇と、腹の中の探り合いは別である。
「大黒屋はん、今回の用向きは、また商売に関することでっしゃろ。勘弁してえな、わしら二人とも、お宅の商売に最近やられっぱなしや。」
喜内も、この二人の豪商と古馴染である。堺で、千利休の弟子として、商売と茶を学んでいたころ知り合ったが、その後は、島津氏の勢力拡大に伴い、島井、神谷は反島津の商人として活動したので、敵同士の状態が続いた。仲が復活したのは最近のこと、島津氏が太閤に降ってからである。
「商売とは無関係や、我が主人が、太閤殿下と面会を欲してらっしゃる。そこで、殿下と縁のあるお二人に、ぜひ仲立ちをお願いしたいので。」
喜内は頭を下げた。
「島津様でっか。それやったら、直接お目通りお願いしたらええやんか。」
宗湛が手を振りながら答えるが、喜内は頭を振った。
「島津様ではない。我が主人、梅北国兼様じゃ。」
宗湛が目を白黒させて言った。
「喜内はんには申し訳おまへんが、無理言わんといて。島津様ご配下の一地頭に過ぎぬお方やないですか。忙しい太閤殿下が、お会いになる筈はあらしまへんで。」
「そこを曲げてお願いしたい。お主らの力なら出来るはずじゃ。」
喜内の目が力を帯びた。
「太閤殿下に、島津家の地頭様が一体何用でござりますか。訳を聞かないと、お力添え出来るか出来ぬか分かりまへんわ。」
島井宗室の答えに、喜内は少しほっとした様子で言った。
「そこは我が主人から聞いてほしい。お願いいたす。」
(二)
博多の町は、攻め寄せた龍造寺隆信の手によって一度焼失したが、地元商人たちの手で再建され、太閤秀吉の肝入りによる、いわいる太閤町割りによって、かって以上の賑わいを取り戻していた。
国兼は、祇園にある料亭に通された。島井宗室と面会するためである。一人なのは、喜内の話を聞いた神谷宗湛が「わては面倒ごとは御免や。」と言って帰宅してしまったからだ。今や博多の影の支配者と言うべき島井宗室は今年五十二歳、当時としては老境に属し、年を経て人格的にも円熟味を増していた。「一地頭に過ぎぬ」と宗湛が評した国兼にも、礼を失わず丁寧に対応している。
「なるほど、分かり申した。朝鮮出兵にかかる太閤殿下のご心底をうかがいたいと。そういうことですな。」
国兼は頷いた。
「こういうては何ですが。命がけですぞ。分かっていらっしゃいますか。」
太閤の政策に関し、その心底を探ると言うことは、命じられた政策に疑問があると言うことだ。すなわち、それは天下人に疑念を抱くこと、誅されても仕方のないことだった。現に、長く太閤の政治顧問だった宗室や喜内の師匠千利休は、今年四月に、異を唱えたとして太閤から死を賜っている。
「承知じゃ。」
短く言う国兼に宗室は更に聞いた。
「家を失いますぞ。ご家来衆はどうなさる。それでもよろしいのかな。」
「我が家に大した俸禄はござらぬ。しかも、わしの家臣は他家でも欲しがる能の持ち主ばかり、梅北の家が無くなった方がいいのかもしれぬ。」
「なぜ、そこまでして命を賭けなさる。何のために。」
「異国に駆り出され、そこで死ぬかも知れぬ民のため。武士は民のために命を張るものでござるゆえ。」
言い放つ国兼に、宗室は目を細めた。
「気に入り申した!その言葉に嘘はあるまい。目を見ればわかる。しかし、そこまで言うお人は初めてじゃ。失礼ながら、喜内殿の言のとおり変わった御仁よ。」
そう言うと、声を潜め、国兼に顔を近づけて言った。
「この島井宗室も、派兵の準備は請け負うておりますが、実を言うと朝鮮出兵には儂も反対や。他に反対の者も大勢おるが、みぃんな命が大事ゆえ口を開かんだけや。その命がけ、買わしてもらいまひょ。」
ただし、その理由は聞かなかったことにして、石田三成宛の紹介状を書くと言う。
「わしは命を惜しむのやない。奉公人がぎょうさんおるよって、勘弁してっかあさい。」
(三)
部屋を後にすると、別室から出てきた御高祖頭巾とぶつかった。
七尺近い大男だ。
料亭の中で頭巾とは、よほど身を隠さねばならないのかと考えながら、案内されて玄関へと向かうと、先程の頭巾の男が追いかけてきた。
「お待ちくだされ。梅北国兼殿とお見うけする。しばし、しばし。」
追いつくと男は頭巾を取った。見知らぬ顔だ。
「お初にお目にかかる。拙者は江上家種でござる。お見知りおきを。」
江上家種、沖田畷で討ち取った龍造寺隆信の次男である。
沖田畷では浜手を担当し、国兼率いる水軍の海上からの砲撃に退却を余儀なくされた将の一人だ。
父譲りの武勇を誇ったが、性質が真っ直ぐで狡さに欠けたため龍造寺家から養子に出された。
この男にとって、国兼は親の仇の片割れ。何の用があると言うのだろう。
種家は顔を近づけて意味ありげに言った。
「国兼殿のことは、島津歳久殿からよく聞いております。今後ともよろしくお願い申す。」
龍造寺が島津に降った後も、歳久と種家の接点など皆無に等しかったはずだ。ひょっとすると、この男も歳久の反乱に一枚噛んでいるのか。
種家は意味ありげな微笑を残すと、家来と思しき数人と町へ消えて行った。
自分の知らないところで、歳久の反乱はどこまで広がり、何人が参加しているのか。乱の大きさにしては、菊池一族にせよ、江上種家にせよ、国兼には、あまりにも個々の動きが目立ちすぎるように思え、危うさが感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます