第17話 対決!黒田官兵衛

(一)

 肥前名護屋城は、肥前の国松浦郡名護屋に秀吉の命で築かれることになった城である。その役割は、大陸侵攻のための国内前線基地であり、数十万の軍が駐屯可能なように、広さは約一万七千町(170平方キロメートル)。広大な城の、五層七階の巨大な天守は、岬の丘陵に建てられ、金箔の瓦を葺いた壮麗なもの。その他、本丸より少し小ぶりの二の丸、三の丸が設けられ、十一の曲輪、五つの城門、百二十にも及ぶ陣屋が、黒田官兵衛縄張りによる精緻な防備計画に基づいて配置された。城下には、駐留軍のため10万の人が住む巨大な町が作られた。

 普請開始は天正一九年(1591年)十月、完成は文禄元年(1592年)三月である。国兼たちが訪れたときはまさに普請を開始したばかり、名護屋城の基になった垣添城が未だ立っていた。九州北部や山陰山陽から十万を超える職工、人夫が動員され普請奉行たる黒田家、加藤家、寺沢家の指揮の下、忙しく働いている。


 国兼一行は、肥前名護屋を望む小高い丘に立っていた。

「ほぉー、大した人数ですなあ。どれほどの城を作るつもりでござろう。」

忠助が手をかざして眺めながら、しきりに感嘆している。

「海に面した土地、しかもあの造り、平地狭しと無数の陣屋が設けらるようじゃ。ある意味、肥後熊本城より堅牢ではなかろうか。」

珍しく、甚兵衛も興味を惹かれたようだ。

侵攻の前線基地にこの防備、秀吉は大陸側の逆襲があることを想定しているのか。それとも。

 そう思いをめぐらした国兼に、近づく者がいた。

 柿渋のちりめんを着て、大小をささない姿は、大店の主人の様だ。柔和な笑み、小柄な体躯、年齢は四十半ばというところか。右足が不自由なのか、杖をつき、びっこを引きながら歩いている。伴は一人、用心棒なのか、六尺を越えた体格の良い男が、降魔の槍に負けぬほど大きな槍を担いで傍らに立っている。


「大きな城ができますぞ。」

 男は、にこにこと話しかけてきた。

 しかし、国兼は気づいた。この男、目の奥に油断ならぬ光がある。

 国兼が頷くのを確認すると、男はあくまで友好的な感じで言葉を続けた。

「城の評判を聞いてお訪ねくださったか。見るところ、肥後か薩摩のお侍かの。」

 何気ない中に、探りを入れてくる。こういう男は、相手をせぬか、あえて懐に飛び込んで、その真意を探るに限る。

「島津家家臣、梅北国兼でござる。」

 国兼の対応に、男は一瞬意外そうな顔をしたが、すぐ柔和な表情に戻して、切り返してきた。

「おお、これは、一度お会いしたいと思っていた御仁と偶然出会えるとは、本日は望外の幸運に恵まれる日の様じゃ。」

 どこまで本気か分からぬようなことを述べて、男も本名を名乗った。

「それがしは、豊臣家臣、黒田官兵衛孝高でござる。梅北殿、お見知りおきくだされ。」

 そう言うと、伴の男を紹介した。

「これなるは我が配下、後藤又兵衛。槍一筋の武骨者にござる。」

 黒田官兵衛に後藤又兵衛、天下に聞こえた武将との突然の出会いに、忠助は肝をつぶした。

 特に、又兵衛の武名は九州まで聞こえていた。途端に、甚兵衛が興味を示した。

黒田官兵衛か。国兼もかねがね会いたいと思っていた相手だ。会って、確かめたいことがあった。急死した島津家久のことだ。


「ここで、島津家中で武名高き梅北殿にお会いできたのも何かの縁、それがしと一つ遊びを致さぬか。」

 官兵衛が意外なことを言った。


(二)

 官兵衛は地面に、杖を使って城の図面らしいものを描いた。どうやら、普請中の名護屋城のものらしい。みるみる目前に、詳細な城絵図面が出来上がった。

「さて、これを使って模擬戦を致さぬか。梅北殿が攻め、それがしが守り、梅北殿には、そうさのお、島津軍が動員できる二万を率いて貰おうかの。それがしは、十分の一の二千で守るとしよう。どうじゃ、この勝負、乗ってみられぬか。」

 面白い。国兼は頷いた。

「よし、それでは、寄せ手はどう布陣なさる。言うておくが、本物の城攻め同様、守り手の布陣は示されぬぞ。反撃を受けてから、おおよその布陣が分かることも、実戦と同じじゃ。」


 国兼は定石通り、大手門側の平地に一万、搦手門側の丘の麓に一万を配置した。

「門はあと三つあるぞ。軍を二つに分ける配置で本当によろしいか。」

 国兼が頷いたのを確認して、官兵衛がどうぞと言った。

「城下町はどうなっておるのじゃ。」

 大手門側に配置した軍の前には、広大な城下町がある筈である。

「攻め手が来る前に、全て焼き払ってござる。更地と思って良い。伏兵が隠れる所はござらぬ。」

 国兼は大手門に向けて、先手二千の軍を進めた。

 「防備は?」

 「盾と竹束。」

 「なるほど。」

 城攻めの先手は、薩摩岩剣城の合戦で経験がある。あの時は、城から放たれる祁答院勢の新兵器である鉄砲”種子島”への対応に苦労した。盾は弓への防備、竹束は鉄砲への防備である。

 待ち受けるのは鯱鉾池と呼ばれる天然の堀、大手門手前の山里曲輪である。二千の兵は、竹束を前に押し出しながら、慎重に池を進む。案の定、山里曲輪から鉄砲の射撃を受ける。曲輪に配置された兵は五十ほどだろう。慎重に池を渡ると、今度は、ジグザグの細い上り坂で、山里曲輪に軍の横腹を晒し乍ら進むことになる。しかも、道の細さは、竹束を前に建てての進軍を困難なものとした。戸惑って進む軍は、曲輪からの射撃の餌食になり、たちまち百名ほどの犠牲が出た。軍を引こうにも、後ろを池に阻まれ、二千もの人数も妨げとなった。寄せ手は前に進むしかなく、進むほどに犠牲は増え、大手門に着くころには、先手は三分の二ほどに減っていた。

 大手門は、木板を並べ鉄板で補強した頑強で大きなもので、丸太や大木槌でいくら突いてもなかなか破壊できないものだ。しかも横の城壁には、無数の銃眼が開けられ、大手門左横の出丸と右横の水の手曲輪と併せ、駐留する三百の兵が、門付近で滞留する攻め手に容赦ない銃撃、射撃を加えていく。ばたばたと倒れる先手たち、その数は半数を割り込み、もはや門を攻めるどころではない。

 同時に動かした搦手担当の先手の千も、三の丸と弾正曲輪からの射撃、銃撃を受け、悪戯に兵数を減らしていく。

「どうなされた。島津家が持っている種子島でも国崩しでも、自由に使って攻めてよいのですぞ。」

 城の防備に関し、得意げな様を隠せぬようで、官兵衛が国兼をせかすように言った。

「いや、参り申した。どうも島津家は城攻めは不得手の様で。官兵衛殿には、そこを突かれ、根白坂で手痛い敗北を喫したことを忘れておりましたわい。」

 国兼が頭を下げた。

「いや、これは。高名な梅北国兼殿にそのように言われると、何やら面はゆい心地がします。」

 国兼は手を振った。

「わしなど、島津家のただの先手のひとりに過ぎませぬ。」

「お隠しあるな。ここ肥前の沖田畷で、龍造寺隆信を討った本当の功労者は誰か。それがしが知らぬとお思いか。」

「困りますな。あれは島津家久様の描いた絵によったのみ。わしの手柄などでは、あり申さん。」

「島津家久殿か。その戦ぶり、何より策謀の凄まじさ、根白坂のときは、高城に籠らざるを得ない状況に追い込めたが、あの戦いの指揮を家久殿がとっていたら、果たして、どうなっていたやら。」

今だ。感慨深げに言う官兵衛の言葉を、国兼が遮った。

「だから……、だから殺した。こういうことですかな。」


(三)

 なごやかな場の空気が変わった。又兵衛は殺気立ち、微妙に国兼が狙える位置に移動した。それを見て、甚兵衛が動く。両雄は、国兼と官兵衛を挟んで睨み合った。


「お戯れを。」

 官兵衛は言いながら微笑んで見せた。しかし、その目の奥は笑っていない。

「家久殿は、病死でござる。」


「秀長殿と、そこもとに面会した直後に、急にな。

 頑強で、風邪一つ引かなかったお人が。」

国兼の目が細くなった。

「そういうことも、世の中にはござろう。そもそも、家久殿は豊臣家に降伏したのでござる。太閤殿下にも、大和大納言秀長殿にも、殺す理由がござるまい。」

官兵衛は、じりじりと又兵衛の方へ下がる。

忠助、猪三、五郎丸、鈴は固唾をのんで見守った。


「太閤や秀長殿にはな。しかし、お主は別じゃろう。」

官兵衛の反応に、国兼の言は珍しく怒気をはらんでいる。

やはり、わしが睨んだ通りこやつか。こやつが、あの家久様を。


「どう、別なのじゃ。」

もはや、敬語は無用のようだった。


「九州征伐のおり、お主の領地は九州のどこかに決まっておった。お主は、天下への野望を持っておる。危ぶんだ太閤は、お主を大阪から遠く離した。それでも、お主は天下への野望を捨てぬ。九州の地から、今も天下を望もうと狙って居る。もし、天下を狙う戦を起こした場合、この九州で、お主の最大の敵となるのは島津家久。余人とは異なる軍才を持ったあのお方こそ、もっとも恐るべき敵となる。」


「面白い戯言じゃ。そのくらいにしておかんと、今日がお主らの命日となるぞ。」

柔和な仮面を捨て去った天下一の謀略家がそこにいた。

その後ろには、いつの間にか百名を超える侍が駆け付けている。

「梅北国兼、お主を捕縛して取り調べる。名護屋城を検分し、何をしようとしておったか。ここのところの薩肥の動き、このわしが知らぬとでも思うたか。」

又兵衛が槍を構え、ずいと前へ出た。

甚兵衛が両刀を抜き、国兼の前に立ち塞がる。

官兵衛の後ろの黒田家の侍たちも、次々に刀を抜いた。

忠助たちにも緊張が走る。


一触即発。官兵衛がかかれの指示を下そうとした、真にそのとき

二羽の鷹が、官兵衛たちの頭上を舞い始めた。

二羽とも、両足に握った複数の紙包みを、次々に下へ落としてゆく。

空中で包みがほどけ、白い煙が辺りを包む。

「ぺっぺっ、これは煙玉か。」

又兵衛が叫ぶ。

煙が晴れたとき、国兼一行の姿は、忽然と消え失せていた。


「まだ遠くには行っておらぬでしょう。探させますか。」

又兵衛の言葉に、官兵衛は放っておけと言った。

大事(おおごと)にせぬがよい。あの老人、何を口走るか分からない。

しかし、得体のしれぬ老人だ。田舎の地頭には珍しく忍びまで飼うておる。

しかも、果心居士じゃと、老いたりとは言え、超一流の忍びではないか。


「いづれ、また見えることもあろう。そのときは必ず。」

官兵衛はそう言うと、びっこを引きながら普請場へ下って行った。


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