第12話 幸侃入道

(一)

 薩摩国隼人郷から日向国庄内へ抜ける街道を、大黒屋の旗を立てた一団の荷駄が行く。その先頭を老いぼれた白馬に乗った老武士が行く。

 国兼は、色々と考えを巡らせているようであった。ここ数日、本当にいろんなことが、降ってわくように起こった。太閤の朝鮮出兵の命はもちろんのこと、次右衛門が報告した覇王太夫の動向も気になる。朱鷺の病状も、日一日悪くなっているようであった。その上、同行者が増えて行き、賑やかと言うか騒がしい状態になっている。今も五郎丸と女狐”鈴”が、目の前で追いかけっこをしている。仲が良いのか悪いのか。時折、喜内が「うるさい。」と注意するほどだ。


 この荷物は大量の米、天領川東村の臨時年貢を、大黒屋が代理納付に行くのだ。新納忠元が仲裁で走り回り、定めた和解案がこの代納であった。代納だけなら、大黒屋主人の喜内のみ行けばいいのだが、国兼は、ついでに古馴染の伊集院忠棟と話したいことがあった。但し、古馴染とは決して仲が良いという意味ではない。


 伊集院忠棟は隠居し、嫡子忠真に家督を譲っており、出家して幸侃入道と名乗っている。しかし、相変わらず伊集院家の実権を握り、庄内八万石の他、秀吉の代官として時に主家以上の権勢を振るい、また足繁く大阪に行って、懇意の石田三成らと何事か打ち合わせている。おそらく、時節柄、朝鮮出兵にかかわることに違いないと国兼は読んでいた。


(二)

 「国兼が来るか。」

 庄内の城に作った、贅をつくした茶室の中で、金糸銀糸を織りなしたちりめんに身を包み、伊集院忠棟は独り言のように言った。

 「ははー。」

 無粋な感じのだみ声が、外から聞こえてくる。忠棟のこめかみがピクリと動いた。

 「必要な時は命を下す。控えておれ。」

 「はは!」立ち去りかけようとする音に

 「待て。」と静止をかけた。

 「今度は失敗は許さぬ。よいな。」

  長迫蔵人の額に、汗が浮いた。


 再び茶筅を手に取った。茶をゆっくりとかき回し始める。

その動きは、だんだん細かく早く。

 梅北国兼………。

忠棟の頭の中で、白髭をぴんと立てた顔がニィと笑った。

 ボキッ。

 茶筅が、椀の中で砕けた。

 あ奴だけは決して許せぬ。必ず追いつめて、滅ぼしてくれる。


 忠棟が国兼と出会ったのは、まだ伊集院家の麒麟児と言われた若い頃、主君忠良の居室でのことだ。軍略抜群と評されていた忠棟は、大隅攻略の作戦を記した巻物を手に意気揚々と主君を訪れた。

 その部屋には、主君と見たこともない長身の武士がいた。一気に、大隅攻略の秘策を披露した忠棟の方は向かず、忠良は件の武士に、今の策どう思うかと尋ねた。


「机上論ですな。」

 にべもなかった。

 机上論だと。何日もかけて、我が頭脳から捻りだした秘策を。

 若い忠棟は猛烈に反発した。何が机上論か説明せよと迫った。

 それではと、国兼が忠棟に質問した。

 禰寝重長は、強欲ゆえ調略で味方につけると言うが、どういった行動から強欲と判断したのか。伊地知重興は臆病ゆえ、禰寝が島津につけば自然と島津に降るというが、具体的にどんな行動で臆病と判断したのか。

 ぐうの音も出なかった。ほとんどは風聞に基づく推測であることを認めざるを得なかった。国兼は追い打ちするように言った。

「そういうものを、机上論というのだ。」

 伊集院家の優秀な嫡子としての面子は、よりによって主君の前で、丸つぶれになった。その日から、忠棟は国兼を憎み、事あるごとに妨害しようとしたが、この横柄な男は、なぜか島津歴代の当主や重臣たちから信頼を受け、決定的な痛手を与えられなかった。


(三)

 庄内城は、薩摩大隅では珍しい天守を備えた今様の城だった。

「立派ですなあ、上方にも、ここまでの城はなかなか。」

喜内が感心している。

 兵糧を倉庫に運び込んだ国兼たちは、門外で忠棟に呼ばれるのを待ったが、一向に声がかからない。やっと呼ばれたのは、二刻も経過してからだった。国兼一人、座敷ではなく中庭に通された。あからさまな無礼、露骨な嫌がらせであるが、国兼は澄ました顔をしている。

 中庭に立っていると、廊下を忠棟が歩いてきた。年を取り、若い時より幾分肉の付いた身体、石高の上昇に伴い、貫禄も迫力も増したようだった。豪奢なちりめん姿も、島津家の家臣というより、大名の格好だ。


「要件を言え。」

廊下に立ったままで、忠棟が言う。

「石田治部に、紹介してほしい。」

庭に立ったままの、国兼が答えた。

「石田殿に、何用じゃ。」

国兼は訳を言った。忠棟の顔が険しくなる。

「太閤殿下に拝謁したいだと。田舎地頭が、叶うわけなかろう。このわしですら、ここ半年はお会いできていないのだ。」

「そこを曲げてお願いしたい。石田治部少の力なら、対面は叶うじゃろう。なあ。」

執拗な国兼に、忠棟は、犬でも追い払うように手を振った。

「わしが無理と言えば無理なのじゃ。仮にできるとしても、お主にそんな義理は無い。帰れ帰れ。」

国兼は食い下がる。

「書状だけでも、お願いできぬか。」

忠棟は、即答で拒否しようとも思ったが、憎き国兼を、この際、苛めつけてやろうと考えなおした。

「なあ国兼よ、お主とは三十年以上の付き合いになる。」

国兼は頷いた。忠棟の変化は、良い兆しかと思った。

「その間、わしは、一万石の伊集院家を、八万石の大名にまで押し上げたぞ。しかも太閤殿下の御憶えめでたく、もうじき、殿下の御伽衆に選ばれる予定じゃ。お主はどうじゃ、肝付家に仕えておったときは、ここ庄内の梅北荘で三千石、それが島津家に変わり、山田千五百石を経て、今は湯之尾二千石の地頭に過ぎぬではないか。わしと同じ期間に、領地を千石も減らしておる。これが儂とお主の力の差、能力の差よ。」

国兼は、穏やかな顔で聞いている。

「そのしゃっ面よ。少しは悔しがれ、泣き叫べ。土下座して、参りましたと言え。そうすれば、書状を書いてやらんでもない。」

「これでよいか。」

忠棟の想像は外れた。国兼はあっさりと、地面に額をつけた。その態度が、ますます忠棟を激高させた。

「わしは土下座すれば書状をやるとは言っておらん。やらんでもないと言っただけじゃ。簡単に下げる、そのような安い頭には、書状を呉れてやるわけにはいかん。」

 そう言うと、奥に引っ込んでしまった。

「仕方ない。」

 国兼は、喜内らを庄内城を後にした。


(四)

 そのまま書院に入った忠棟は、何事か、書状をしたためだした。

「やはり、あの者に書状を呉れてやるので?」

 嫡子の忠真が問うた。

 忠棟は、あきれたように言った。

「お前は馬鹿か。そんなこと、するわけなかろう。これはな、石田殿あてに、梅北なにがしと言うものが行くので、お相手されぬように、もし無礼の段あらば、即刻処断くだされと書いたものよ。」


 忠真は、ふくれっ面をして居間に入ってきた。座るなり言った。

「父上はお甘い、父上こそ何も分かっておられぬ。」

 居間には、黒い頭巾を被り、山伏の装束を着た男が座っていた。

「なあ備前坊、そうであろう。」

 備前坊と呼ばれた男は頷いた。

「まさにご明察、梅北国兼という男、放っておくとこの伊集院家にとんでもない災厄を齎します。すべての星が、そう教えております。」

 忠真は真剣な顔をして言った。

「父上は古馴染ゆえ、どうしても酷いことが出来ぬのじゃ。なあ備前坊、どうしたらよい。」

「父上様も、内心ではあの者の破滅を願っておられます。忠真様、ここは親孝行なさいませ。あなた様の手で、梅北国兼を亡き者にするのです。」


 備前坊の提案に、忠真は少し不安な顔をした。

「もっともな提案じゃが、父上に相談してみなくてはの。」

 備前坊は微笑を浮かべて言った。

「自信をお持ちなされ。伊集院家八万石の当主は、あなた様なのですぞ。ここは密かに意に叶うことをして、父上を喜ばせなさい。」 

 忠真は、震えながら、そうじゃのと頷いた。それで儂は何をすればよいと。

「この備前坊黒雲にお任せあれ、今日をあの者の最後の日にして見せましょう。つきましては、腕の立つ侍を十人ばかりお貸しくだされ。」

 頭巾でよくわからないが、うっすらと笑っている気がした。

「そればかりで良いのか。」

 備前坊は、片方に火傷のある顔を少し覗かせ乍ら、お任せくだされと言った。



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