第13話 神水渓の待ち伏せ

(一)

 十月になって、夕刻には涼しい風が吹くようになったが、昼間の南国日向は未だじりじりするような暑さが残っている。荷物を降ろし、人夫を返し、身軽になった国兼一行は領地湯之尾に帰るべく、霧島へ抜ける山道を歩んでいた。

 一行は国兼に猪三、喜内、半左エ門、それに五郎丸と鈴である。鈴が加わったことに、五郎丸は表面上は迷惑そうだったが、猪三以外の良い遊び相手が増えたのは事実、適当にちょっかいをだしながら、楽しそうに駆け回っている。


「いい!こんな見た目だけど、あたしは、あんたより随分年上なんだからね!百年は生きてんだから!」

 五郎丸を追いかけながら鈴が叫んでいる。五郎丸は素知らぬ顔で、あかんべえや尻を叩きながら逃げ回っている。


 「賑やかになりましたな。いや、うるさいというか。」

 喜内は迷惑そうだが、国兼は知らぬ顔をしていた。

 「おい、半さん。お前はどう思うのだ。」

 相手にされぬ喜内は、半左エ門に聞いた。

 「ヒック、楽しそうだからいいじゃないか。」

 徳利を口元に運びながら半左エ門は言った。

 伊地知半左エ門には、大酒のみという顔がある。酔いどれ半左と陰で呼ばれているくらいだ。きちんと仕事をこなす反面、暇になれば昼間から酒を飲む。いや、仕事中も、戦の最中にさえ酒を飲むが、それで支障があったことはない。よって国兼も黙認しているのだ。美丈夫の欠点と捉える周囲もいたが、本人は何と言われても、平気の平左ならぬ半左だ。


 一行は、霧島神宮の参道を横切る山道を行き、霧島奥地へと進んでいく。同じ方向へ行く人々が増えだした。霊験あらたかで知られる霧島神宮へ参拝した大口、栗野、横川などの百姓、商人などであろう。

 隼人郷へ抜ける参道と異なり、霧島山中の道は、まだまだ整備されていない。しかし、大口などへ抜けるにはこの道しかなく、仕方なく使われていた。最大の難所は神水渓と呼ばれる渓谷だ。大きい谷に、古く細い吊り橋が一本かかるのみ。下には激流が流れ、気の弱い者には、とても渡れない高さだ。

 その神水渓に、一行はさしかかった。


(二)

 「このままでは、関係ない百姓どもも、巻き添えになり申す。これで良いのでござるか備前坊殿。」

 橋の近くの森に隠れる平左衛門が、不服そうに言う。

 「大の虫を殺すのに、小の虫が巻き添えになるのはやむを得ぬ。全ては御仏のおぼしめし、大善を為すための小悪じゃ。南無南無。」

 とりすました顔で、黒雲は数珠を持った手をこすり合わせた。

 「なるほど、百姓どもも、良きことの犠牲となり、光栄に思わねばならんということか。」

 蔵人が腕を組んで、うんうんと頷いている。久三は不審そうな顔で黒雲を見ている。忠真からの命令で、十名の精鋭を選りすぐり、この山伏に従っているが、何だこいつの禍々しい雰囲気は。やっていることも無茶苦茶で、とても納得できるものではない。単細胞の蔵人は、憎き国兼を倒せるので満足そうだが。そこまで考え、黒雲がじっとこちらを見ているのに気づいた。顔を覆った頭巾の下から覗く、ぞっとする目つき、すべてを見透かされた気がして、背筋に汗が流れた。


「良いか、もう一度言う。国兼が吊り橋の真ん中に来たら、橋が落ちる仕掛けがしてある。あの爺は激流に落ちて一巻の終わり。もし、誰かが邪魔して橋が落ちなかった場合、橋の上で動けぬ爺を弓で狙い撃つのです。良いですね、おほほほ。」

 後半、言葉遣いまで変わっている。怪しい坊主だ。そう思ったが、主命に逆らうわけにはいかなかった。


「うわー、高いなー。」

橋のたもとで、五郎丸が下を覗きこんで呟く。

「ははーん。怖いのね。情けな。」

そういう鈴に意地になって、五郎丸は吊り橋を走って渡った。

吊り橋が大きく揺れる。

「待ってよ。」

鈴も後をついて走った。なかなか向こう側に着かない。橋が揺れているので、周囲の百姓たちも渡れずに困っている。

「こらー!橋は静かにわたらんか。こんな古い橋、綱が切れたらすぐ落ちるぞ。」

喜内に怒られて、首を竦めた五郎丸たちは、静かに渡り終えた。その頃は橋の揺れも収まっている。

「いずれにせよ、全員で渡ると、橋が落ちる危険がありそうじゃ。少しずつゆっくり慎重に渡ろうぞ。」

 国兼の呼びかけで、人々は十人ずつ、ゆっくりと吊り橋を渡っていった。それでも橋はたわみ、ところどころ綱がほぐれていて危なっかしい。

 国兼一行は、国兼が馬をつれて、五人ほどの百姓と一緒に渡り、続いて半左エ門、残る猪三と喜内は目方が重いので、最後に一人ずつ渡ることになった。

 国兼の番になり、襤褸を引いてゆっくりと渡り出した。その前後に、五名の百姓たちも、一緒に渡っていく。


(三)

 「おほん、拙僧が合図するまで伏せておれよ。おほほほ。」

 怪しげな笑いを残すと、黒雲はするすると杉の大木を駆け上がり、てっぺんで座禅を組んだ。杉のてっぺんは細く、どうやって座っていられるのか不思議だった。下から見ると、まるで宙に浮いているように見える。木の上から、低く読経の声が聞こえてくる。それは川の音、鳥の声のように、周囲に溶け込んでいくような響きだった。


 「!」

 足が動かない。身体もだ。声も出ない。国兼は冷静に辺りを見渡し、耳を澄ました。目の前の百姓たちが、何とか体を動かそうと、もがいている。後ろもそうだろう。襤褸も苦しんでいるのが、握った手綱から伝わってくる。


 「おほほほ、これぞ不動縛りの術。御仏もご照覧あれ。続いては!」

 座禅のまま、九字を切った。喜内らの目の前で、橋を止める杭から綱がひとりでにするすると外れていく。ぐらっと、吊り橋がたわんだ。

 「猪三!」

 喜内が叫びながら、橋を支える二本のうち一本の綱の端を掴んだ。真っ赤になりながら、満身の力で引く。もう一方の綱には、猪三が必死にぶら下がっている。なんとか、橋が落ちるのが止まった。

 「くぉぉぉぉ!」

 力を入れながら、猪三が苦しそうな声を上げる。

 「がんばれ、伊達に毎日、二十貫(75㎏)もある殿の槍を、担いではおらんじゃろう。」


 「ほほう、人が五人に馬一頭、橋の重さまで入れれば二百貫(750㎏)はあるだろうに、年とっても仁王は仁王、というところですか。それでは。」

 黒雲が下に叫んだ。

「出番ですよ。あの老いぼれを、矢で針鼠にしてあげなさい。」

 弾かれたように、森から蔵人、平左衛門、久三以下伊集院の精鋭十名が飛び出していく。


(四)

「殿がおかしい。動けないみたいだ。橋も落ちそうだし、敵もやってきた。何とかしなきゃあ。おい鈴、何かわからないか。」

 ばたばたしながら、五郎丸が叫んだ。

「うるさいわね!静かにしなさいよ。今、遠目で原因を探っているんだからー。」

 どういう仕組みか、鈴は目を閉じ、周囲を探っているようだ。しばらくして

「わかったわ。」

 目を開けると、森の方を指さした。

「あそこの木の上、遠すぎてわかりにくいけど、術者がいて、何かの術をかけているみたいね。」

「あそこの術者を、やっつければいいのか。おい鈴、お前、鳥に化けられるだろう。」

「できるけど、どうするのよ。」

「ちょっと飛んで、やっつけてこい。」

「馬鹿言わないでよ。敵は相当な術者よ。そんな恐ろしいこと、できるわけないじゃない。」

「じゃあ、どうすれば良いんだよ。」

「呪文を唱えるのを邪魔できればいいけど。ちょっと、他人にばかり言ってないで、自分で考えなさいよー。」

五郎丸は、座り込んで地面に何か書きながら考え始めた。


ぬっと、蔵人たちの前に、長身の影が立ち塞がった。

「ヒック。」

竹で作った長楊枝を口に加え、赤い顔で少しよろよろしている。

「伊地知半左エ門か。そこをどけ、邪魔するな。」

月野平左衛門と森山久三は、忠棟が鹿屋地頭のときに仕えた大隅の出だ。垂水の出の伊地知半左エ門とは、旧知の仲だった。

「そうしてやりたいけど、そうはいかん。浮世は、ままならぬものよ。」

 酔った半左エ門は、これほど緊迫した場面に、いい調子だ。そう言いながら、背中の槍を抜いて構えた。

「注意せよ。こ奴、ふざけているが、宝蔵院流の槍の使い手ぞ。」

 久三が叫ぶ。伊地知勢の半左エ門の槍の腕は、大隅では鳴り響いていた。京に上り、宝蔵院で修業した本格派、しかも開祖宝蔵院胤栄をして、百年に一人の逸材とまで言わしめた腕である。その槍の極意は神速、目にもとまらぬ早業で繰り出す槍にある。

 伊集院の精鋭たちは、弓を投げ捨て、刀を抜くと一斉に、半左エ門に切りかかった。半左エ門は、ただそれをひょいひょいと除けて、久三たちの方に進んでいるだけに思えた。しかし、半左エ門が通り過ぎた後、精鋭達は、ばたばたと白目をむいて倒れた。あっという間に十名、目にもとまらぬ早業で槍を繰り出した半左エ門は、久三たちと対峙した。

「殺してはおらぬ。このまま、引き上げてくれ。」

 旧知の久三に言う。

「相変わらず、甘いことよな。その甘さ、いつか命取りになるぞ。」

久三、平左衛門、蔵人は刀を抜いて半左エ門を囲んだ。


(五)

 黒雲は、呪言に集中するあまり気づかなかった。天空高く飛ぶ巨大な白鷺に。

丁度、黒雲の頭の上で飛び降りた五郎丸は、杉のてっぺんに座り、目を瞑って読経する山伏目がけて急降下した。

 ”どん”と、圧し掛かると、首根っこに食らいつく。呪言は破られ、二人はもつれ合って杉の枝に引っかかりながら下へ落ちていく。五郎丸は、地面にばんと叩き付けられたが、枝に叩き付けられ続けたのが幸いし、奇跡的に擦り傷だけで助かった。

 「いてて。」

 横を見ると、同じように、よろよろと山伏が立ち上がっている。頭巾は外れ、茶色く長い巻き毛と、半分焼けただれた顔が露わになる。山伏は、五郎丸を睨み付けて言った。

「あのときの小僧かい。躊躇なく、殺しとけばよかったよ。いいとこを邪魔しやがって。」

 あのとき?

五郎丸に、電撃が走った。

「お前は、あのときの鬼!」

「鬼?なるほど、鬼かい。そうだよ、あたしは闇を生きる者。お前も、闇の世界に送ってやろう。」

そう言うと、両腕を左右に開いた。その手のひらに、赤黒い炎がゆらっと燃えた。

「怖いかい。大丈夫、冥途の土産にしっかりと見ておくんだよ。これが、地獄の火、鬼火だ。」

 炎の勢いが強くなる。舌をチロチロ舐めながら這ってくる蛇のように、炎が五郎丸に迫った。


「させないよ!」

 炎の前に、巨大な蟇蛙が立ち塞がった。腹をふうっと膨らますと、勢いよく水を吹き出す。水の勢いの前に、炎は消えていった。


「ちっ!下等な化け狐風情が。どういう風の吹き回しで、人間の味方をするんだい。」

 二股の尻尾を持った、金色の狐の姿に戻った鈴に、黒雲が怒鳴る。


「私たちは、れっきとした金毛九尾の子孫。鬼なんて、そんじょそこらの妖怪と、一緒にされちゃあ困るわ。」

 気丈に、鈴が言い返した。


「やかましいねぇ。私は鬼じゃあないよ。」

そう言いながら、懐から人形(ひとがた)を取り出し、宙に放り投げた。

無数の烏が、五郎丸と鈴に襲い掛かる。

「きゃあああああ。」

突かれた鈴が、悲鳴を上げる。

腕をぶんぶん振りながら抵抗していた五郎丸も、烏の塊に飲み込まれていった。


「おほほほ、二人ともそのまま、骨だけにおなり。」


 そのとき、森の中に疾走してきた騎馬が、黒雲に突撃した。

青く眩く光る槍が、黒雲目がけて突き入れられる。


「ひぃぃぃぃ、降魔の槍ぃー!!!。しょ、消滅だけは―。」

飛びのいた黒雲は、くるりと背中を向けると、一目散に逃げ出した。

途端に烏たちが、ただの紙に戻る。

後ろから暫く追いかけた国兼だが、隠形の術を使われ、見失ったため戻ってきた。


「大丈夫じゃったか。」

五郎丸と鈴が頷く。

「ようしてくれた。」

褒められて、五郎丸は照れ臭そうだ。


猪三、喜内、半左エ門も駆け付けた。

「あやつでしたか。」

喜内の問いに、国兼は頷いた。

「次右衛門の言った通りじゃ。どういう秘術で復活したものか。」

続いて半左エ門に聞いた。

「長迫たちは?」

「引きました。術が破られたとみて。」

そうかと頷いて、国兼は遠い目をした。

様々なことが、湧き上がるように起きていく。果たして、我らは、この国はどうなっていくのか。



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