第8話 覇王太夫

(一)

 早馬の知らせは、次右衛門からだった。当主島津久保から、招集の書状が来ているという。久保は義弘の子だが、先代義久の娘と結婚し、本家の養子となって当主となった。義久に男子がいなかったためである。久保は義弘の子らしく、温厚で英邁と評判だった。義弘は五人の男の子を持ったが、二人は幼くして早逝し、残る三人のうち、久保の出来が一番いい。次男の忠恒は、武勇こそ義弘に似たが、その性質は、狷介で狭量ともっぱらの評判だった。その弟の忠清は、特徴ある兄二人の陰に隠れ、控えめで温厚が取り柄のような男に育った。


 忠元に別れを告げ、大口の五里ほど南方に位置する領国、湯之尾へと甚兵衛、猪三、五郎丸を連れて向かった。五郎丸はあれ以来、すっかり家来気取りで、毎日湯之尾館へやってきて、国兼の行くところ、どこへでもついてきた。国兼は、その振る舞いを、迷惑がる風でもなく、笑って許していた。

 旧領山田には出城まで築いた国兼だったが、新しく湯之尾を領するとき、周辺の統一は達成されていたので、城は築かず館のみ置いた。石高は二千石だが、家人は猪三の他は、たまに炊事洗濯の手伝いに来る百姓の老後家がいるだけである。国兼の妻朱鷺の方は、事情あって旧領の北山の城に、下女と下男の三人で暮らしていた。その館の門前に、一人の行商人とおぼしき男が座っている。平笠はぼろぼろ、旅垢と埃にまみれ、くたびれた感じの老人である。老人を見るや、さっそく国兼は声をかけた。

 「伊三次、今度は長かったな。」

 行商人風の老人は、ぺこりと一礼して言った。

 「へぇ、今度は上方まで足を延ばしておりやしたので。」

 そう言って顔をあげ、五郎丸を見て、一瞬びっくりしたような顔をした。そして国兼の顔を見ると、目をつぶって言った。

 「なるほどね。」

 訳知り顔で、そのあとは何も聞かない。五郎丸には何のことだかわからないが、理由がすごく知りたかった。

 「報告は後で聞く、まずは書状じゃ。」

 そう言って国兼は中に入っていった。甚兵衛らも後へ続く。五郎丸は老人の前で立ち止まり、何か聞きたそうな顔をしたが、猪三が

 「何をしているだ。おいていくぞー。」と声をかけたので、仕方なく屋敷の中に入った。伊三次こと老忍山蜘蛛はなぜか、その様子を見て、傘で顔を隠しながら笑った。


(二)

 書状の内容は。日ごろから国兼が知りたいと思っていた関係の話だった。

太閤による朝鮮出兵について、説明するので三日後、鹿児島の内城に出仕するようにとの命である。朝鮮出兵は、かねてより国中の噂となっていた。殿下は本気か。もし本気なら、我が国にとって、およそ千年ぶりの海外派兵である。

 しかも、千年前は、朝鮮半島の南端任那への援軍であったが、今回は征服に行くのだという。嘘か本当か、李氏朝鮮のみならず明国まで攻め取るとの噂もあり、どこまで本当で、どのようなことが行われようとしているのか、派兵に関係するものなら皆知りたい情報である。


 もう夕刻近くであったが、国兼は伊三次の話を簡単に聞き、登城の準備を整えると、さっそく立つことにした。鹿児島はここから約二十里南、馬を飛ばせば一日で着ける距離だ。

 国兼は、出仕の日には時間が少しあるので、姶良山田の旧領にいる妻朱鷺の方を見舞ってから行くことにした。妻は重い労咳で、少しの移動にも耐えられる体ではない。寒さも禁物である。寒い北方高地の湯之尾に加増転封となったとき、偶々、山田の新領主が妻の弟である肝付兼護だったので、無理を言って北山の出城に住まわせてもらっていた。

 伴は猪三と、薬師である宮内次右衛門、山田に店を持つ川畑喜内である。鶴田家の氏神である谷山村の柏原神社へ参拝に向かう甚兵衛は、鹿児島で落ち合うことになった。

 街道を南に向かうと、息せき切って五郎丸が走ってきた。平笠を被り竹筒の水筒、弁当らしい包みを持った旅支度、ついて行く気満々で、太郎次郎の許可を取ってきたという。国兼は苦笑して同行を許した。もう夜の闇が迫っていた。一行は足早に歩いていく。目的地の北山は、ここより十二里ほど南西である。


 一行はその日は、霧島山中、天降川沿いの河原で野宿を行った。喜内がすくった鱒を、小枝にさして火で炙る。香ばしい臭いが食欲を誘った。五郎丸は、母が作った、粟のおにぎりに味噌を塗って焙ったものを、美味しそうにぱくつき、猪三が涎をたらさんばかりにして、うらやましそうに見ている。腹がいっぱいになると、国兼、猪三、五郎丸はさっさと寝てしまった。次右衛門と喜内は火の番で起きている。島津領内とは言え、山中にはまだまだ山賊もいれば、獰猛な獣もいる。決して油断はできなかった。

 「なあ、次右衛門殿。」

 年上の次右衛門に、喜内が尋ねた。どうしたと聞く次右衛門に、顎で五郎丸の方を示しながら、

 「殿はどうしてしまったのかの。」

 と、真から不思議そうに聞く。今まで子供に興味も示さなかった国兼が、周囲から見たら、実の孫ばりに五郎丸に大甘な態度をする。家来となって三十年になる喜内ですら、こんな国兼は初めて見た。こんなことは考えたくないが、我が主人も老いたのかと思ってしまう。それは、喜内にとって面白いことではなかった。もしかして、自分より長く仕える次右衛門なら、何か心当たりがあるかと思ったのである。

 次右衛門は頭を振った。思い当たらない。ただ、確認したわけではないが、もしかしたらという話を知っている。

 「国兼様は島津家につかえる前、領国と家族があり、その全てを戦で失ったと聞いたことがある。もしかしたら、そのことが関係しているのかもしれぬ。」

 なるほど、亡くなった我が子の面影を見ているとしたら納得がいくが、それも年老いた象徴のような気がして喜内には面白くない。喜内は国兼のぼっけさ、強さに惹かれて家臣となった男だ。家臣となり、国兼の導きで商人となり、千利休とも見え、様々な世界を知ったが、個人としては、どうしようもないほど強さに惹かれていく。そして国兼は、喜内の願い通り、様々な戦場を与えてくれた。

 戦場で戦い、自分の武を高めたいという思いは、郡山の仁王と呼ばれた幼い日から五十近くとなった今も、喜内の中で消えずに、ぶすぶすと燻り続けていた。


(三)

 翌朝早朝、北山へ向かう一行と離れて、次右衛門は、霧島山中の奥地へ薬草を取りに入っていった。深山に咲くヤマユリは、煎じて飲めば肺結核に効くと言われ、オオバコや銀杏は咳止めに有効と言われる。朱鷺の方の病状は重く、薬師としての見立てでも、なぜ命がつながっているか不思議なほど。しかし薬師として、家臣として、出来るだけのことはしなければならない。

 もう六十だが、山歩きになれた次右衛門は、すいすいと獣道を上っていった。あっという間に、山の深部に入った次右衛門は、何者かの気配を感じて耳を澄ました。とてつもなく禍々しい妖気。いったい何者だ。微かな足音が聞こえる方へ、次右衛門は慎重に近づいていった。


 「こんなところにあったかい。」

 霧島深山のある洞窟の中、豪奢な小袖、半袴に二刀を刺した武士らしい”男”が、うれしそうに言った。いや恰好と長身、逞しい体躯は男そのものだが、果たしてそうか。言葉遣いや所作は、どことなく女性を思わせる。何より顔にかぶせられた般若の面で、その性別は不明であった。

 その”男”は、洞窟の中の朽ちた樹のうろに手を伸ばす。

 バチッ

 青い火花が散った。

「結界かい。しゃらくさいねぇ。」

 そういうと、何事か呪文のようなものを唱える。すると、その朽木が、うろ諸共砕け散った。しゃがみこんで、砕けた木片の中から、慎重に光る蒼い石を取り出した。

「霧島を鎮護する要石のひとつよ、ここに我が手によって滅びなさい。」

 言うや否や、蒼い石をぎゅっと握り、瞬時に片手で粉々に潰した。

「ふぅー、これでちょうど八十、残り二十八かい。骨が折れることだよ。」

 言い終わるや否や、洞窟の入口に背中を向け乍ら、振り返らずに叫んだ。

「久しいねえ。こそこそせずに、顔を見せておくれよ。」


 岩陰から次右衛門が現れる。

 「やはり、貴様か。高山城で確かに滅ぼしたに、どうやって復活しおった。」

 「ご挨拶だねー。それが三十年ぶりに会った古馴染みに言う言葉かい。

  えっ、風の陰陽師。」

 ”男”はゆっくりとこちらを向き、般若の面を外した。

 色白く、肌は透き通り、二重の目は大きく、鼻高く、なんと美しい顔、ただし右半分だけだが。左半分は焼けただれ、所々骨が覗き、二目と見られない顔だ。

 「化け物め、何と若い。何と妖しい。三十年前と変わらぬ姿じゃ。ここで一体何をしておる。」

 次右衛門の問いには答えず、”男”はくくくと、小さく笑った。

 「あの憎い憎い、降魔の槍に焼かれた傷が、今も痛むわ。

  どんな術を使っても、何人の血を捧げてみても癒えぬ傷よ。」

 次右衛門が、護符を三枚づつ両手に持って言う。

 「まだ、そんな魔道を使いおるか。今度は、いったい何人を犠牲にしたのじゃ。貴様だけは我が身に代えて、滅してくれん。」


 そう言うと、呪文を唱えながら、宙に護符を投げる。

 「かしこみて申し上げる。天におわす武御雷の神よ、我が護符に宿りて魔を滅ぼしたもう。」

 宙に投げられた護符から発せられた六つの稲妻が、青白い光を放って”男”へ襲い掛かった。”男”はしゃがみ込むと、地面に両手をつき、呪文を唱えた。むくむくと地面が盛り上がり、発せられた雷を吸収すると元に戻った。すかさず今度は、”男”が呪文を唱える。

「暗き火よ、地獄の業火よ。我が敵を焼き尽くせ。 鬼火!」

 両手のひらから、発せられた炎は、蛇のようにくねりながら、次右衛門へ迫った。地面にごろごろと転がった次右衛門は洞窟から逃れ出た。炎は、それでもしつこく追ってくる。

 次右衛門は懐から一枚の護符を取り出し、地面に貼り付け呪文を唱えた。

「山間に流れる川の神クラオカミよ。その水の力で、炎を鎮めたまえ。」

 すると地面から水が勢いよく噴き出し、迫る炎は見事に消え失せた。

 洞窟からゆっくりと”男”が出てきた。そして次右衛門を睨むと、言い放った。

「我の土火の術を、打ち消しうる水と風の術者、

 風の陰陽師よ、やはりお前と我は相容れないようだね。良い遊び相手が居なくなるのは残念だけどー。やっぱ、ここで死んでもらうしかないわね。」

 そういうと、懐から大量の紙の人形(ひとがた)を取り出す。


 次右衛門は、せいせいと肩で息をしながら”男”の名を呼んだ。

「覇王太夫よ。それはこちらの科白じゃ。貴様に惨たらしく殺された楓の仇、今ここで取らせてもらう。」


(四)

「わが式神よ!あの爺を突き殺しておしまい。」


 次右衛門の声が聞こえたかどうか。覇王太夫はそう言うと、人形を天に放り投げた。すぐにそれは、何十羽ものカラスに変わり、次右衛門目がけて飛び掛かった。


「森の神、ククノチよ。我を隠したまえ。」

 次右衛門がさっと手を振ると、大量の木の葉が舞い踊り、その姿を隠した。

 しかし、カラスたちは木の葉を食い破りながら次右衛門へと迫る。

 数十もの鋭い嘴に突かれ、次右衛門は腕で顔を覆い隠すのが精一杯だ。

 覇王太夫の高笑いが、辺りに響き渡った。

「ほほほほほ、喰らえ喰らえ、おいぼれの肉はまずいでしょうが、目一杯食らいなさーい。」


 そのとき、空から白と黒の二羽の鷹が急降下してきた。

 式神のカラスどもに襲い掛かり、その爪で引き裂く。

 引き裂かれたカラスは元の紙に戻った。


 「!」


 ズダーン。


 驚いた様子の覇王太夫の顔を、銃弾がかすめる。

「ちっ。果心居士に鉄砲使いか。

三対一じゃ、流石に分が悪いね。ここは失礼するとしましょうか。」

そう言うと、森の闇に溶けるように消えた。

次右衛門に次のような木霊を残して。

「命拾いしたね、老いぼれ陰陽師。次会った時がお前の命日になるよー。

もっとも、早く死んだ方がこの世の地獄を目にせずに済む。

幸せかもねー。ほほほほほほ。」


「じいさん、大事ねぇか。」 

鉄砲三郎が、血を拭い乍らよろよろ立ち上がった次右衛門に駆け寄ってきた。この男は猟師出身で、敬語というものが出来ない。傍らにいつの間にか、黒白の鷹を両肩に乗せた伊三次こと山蜘蛛が、立って聞いてきた。

「あやつは。」


 次右衛門が頷いた。やはりそう、恐れていた通りだった。三十年前の悪夢が蘇る。

 日向の闇守護と嘯いて、日向豊後肥後と荒らしまわった野盗”鬼面党”の軍師で、

 魔道に通じた黒き陰陽師、 

 その正体は鬼であった首領で情夫”地獄極楽丸”を操り、

 周辺を阿鼻叫喚の地獄へと変えた。


 次右衛門の術の援護の下、国兼の降魔の槍に、地獄極楽丸が倒された後は、

芦屋道鬼を名乗って大隅肝付家の軍師となり、島津家の前に立ちはだかりながら、密かに領内周辺の子供をさらい、闇の儀式への生贄とした忌わしき両性具有。


 あのとき確かに、高山城天守で、国兼の槍の前に消滅したはずだったのに。

どういった呪法で復活したものか。

そして、ここ霧島山中で何をしていたのか、あの覇王太夫は。

 


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